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立っているだけで汗をかく。適度な湿気もあって、生暖かい空気が身体に巻き付いているかのように感じた。日が暮れ始めた今でも、熱気はおさまることを知らない。基本的に自分の身を隠して進むのが仕事である為、深緑のケープはどんなに暑くても脱ぐことができない。すっぽりと被ったフードで熱気が籠り、汗が頬をつたって落ちていく。これを取り去りたいのなら、早々に任務を終わらせてしまう他ないのだ。

建物の階段の最後の十段ほどを一気に駆け上がる。足音に気づいて振り返った男の間合いに、低い姿勢のまま一歩で飛び込んだ。踏み込んだ左足を軸にして、身体を回転。勢いそのまま放つ右こぶしでの裏拳は、アスカの得意技である。最近少し背が伸びた彼女の動きは、ますますわたしの参考になっている。わたしの裏拳をまともに食らって、その場に他折れ込んだ兵士を横目に通信を入れる。

「相手の狙撃ポイントを潰しました」
『さすがです。ここからはお願いしますね』
「了解」

新調したライフルを構える。前に使っていたものは、腕を負傷したときのあの雨と、その後寝込んだ為の手入れ不足で、使用不能となってしまった。元々が鎖国国家の軍の支給品である為、各国に出回っている物よりも数段古く、お世辞にも扱いやすいとは言えなかった。買い替える良いタイミングではあったのだ。新しいこのライフルは、弾速も射程も今までとは段違いかつ軽量で、仕事を楽にしてくれている。
ライフルを構えたこの場所からは、敵の司令部がよく見える。わたしがあそこへ向けて数発撃ったらきっと、この戦いは終了するだろう。




「ナマエさん、暑くありませんか?」
「暑いですよ。さすが夏島ですね、ここ」

暑いといいつつも、彼女は脚を組んで優雅に本を読んでいる。おれの質問にきちんと顔を上げて答えてくれた彼女は、任務終わりなのに疲れた様子もなかった。この間会ったときから付けられている、淡い緑のネックレスが彼女の首元で揺れている。

「カイトは暑さが苦手ですか」
「生まれが冬島ですので、暑いのはちょっと」
「そうですか。わたしも故郷が寒い方でしたので、暑いのはなかなか慣れませんね」

本を閉じて、彼女はそれを机に置いた。歴史物のようだった。現在革命軍が休息場所としているここは、使われていない古い図書館だ。本もたくさん残されている。いろいろ知らないことを勉強したいのだと、この島への道中、彼女は船酔いしないようにと甲板で風に当たりながら新聞を読んでいた。この前は本部の資料室で過去の新聞を読み漁っていて、それが終わったら世界地図。今は歴史物。彼女はここ最近、いつも何か読んでいる。どこで何を読んでいても絵になってしまうその姿は、真夏の熱気を孕んだ廃墟同然の図書館でも、まるで暑さを感じさせない。

「カイト、出発はいつになりそうですか?」
「あ、えーと、夜明けだそうです。ログはもうすぐたまるんですけど、暑さで疲労もあるし、ここで各自仮眠をとるようにって」
「夜明けですね。了解です」

元々はこれを伝えにここに来たのに、涼しげな彼女を見ていたらそんな話が先に出てしまった。

「おれもここで休んで良いですか?」
「どうぞ。イスが要りますか?」
「いや、床でいいです」

伝令は彼女のところが最後だった為、自分も休もうと彼女と反対側の床に座り込む。冷たくて気持ちが良かった。司書室であろうこの部屋は、図書スペースにつながる扉こそ壊れているが、それ以外はほとんど荒れていなかった。

「…カイト、聞いてもいいですか?」

荒れてこそいるけれど、この土地には水があり、緑がある。開けた窓から外から聞こえてくる虫の声に耳を澄ましていると、ナマエさんが口を開いた。

「はい。何ですか?」
「総長と、仕事をしたことがありますか?」

床に座り込んでいる為、イスに座っているナマエさんの顔は机に隠れて見えなかった。

「いえ、総長とはまだ。…実を言うとおれ、前線に出るようになったのもつい最近の話で」
「そうなんですか?」

ナマエさんは意外そうにこちらへ向けて顔を出した。最近は彼女の表情の変化がよく分かるようになってきている。他の女性と比べても、変化が乏しいの確かに乏しいと思うけれど。

「はい。ナマエさんが、おれの最初のパートナーみたいな…そんな感じなんです」

妹のアスカもそうだけれど、自分はどうやら人よりも目が良いらしく、戦場全体を見渡すのに適しているのだ。引き気味に敵の相手をしつつ、狙撃手に指示を出すという役割は自分に合っていると思う。

「そうですか…」

こちらへ出していた顔を引っ込めながら、ナマエさんは小さな声で言った。どんな指示でも手際よく確実にこなしてくれる彼女は、本当に仕事のしやすい相手なのだ。彼女はいつもおれ達への感謝を口にしているが、こっちだってナマエさんに感謝したいことはたくさんある。

「それより、どうして総長のことを?」

引っ込んだ彼女を追うように、机の端から顔を出して尋ねると、ナマエさんは少し考えるかのように窓の外へ目を向けた。ぬるい風に、彼女の髪が揺れている。

「……総長、強そうなので」
「あぁ、確かに。めちゃくちゃ強いと思いますよ」
「一緒に仕事したら…どのような感じなのか、と」

ナマエさんにしては珍しく歯切れの悪い物言いに、失礼ながら苦笑いしてしまう。それ以上彼女は何も言わなかった。また考えるように窓の外を見つめながら、ほんの少しだけ眠たそうにまばたきしている。彼女のそんな姿は珍しいから、そういうふうに見えなくてもやはり疲れているのだと思った。自分も身体を元に戻して、立てた膝に頭を預けた。
ナマエさんには言えないが、うちの妹が嬉々として取り組んでいることが、狙撃訓練と組み手の他にもうひとつあるのだ。ああみえて本好きな妹は、特に空想ものや恋愛ものが好きなようで、恋愛経験などないくせに、そういうことには敏感だ。嬉々として取り組んでいること、というのはつまり総長とナマエさんとの関係を進展させること、である。
健全な上官と部下であるふたりの関係を引っ掻き回すなよと思いつつも、強く咎めることができないのは、少なからずふたりをお似合いだと思ってしまっているからだ。雨に濡れて帰ってきた、あの光景を見てしまったからだと思う。
全てはふたりの気持ち次第ではあるけれど、大変申し訳ないことに、わが妹はやると決めたことは必ずやるのだ。ナマエさんごめんなさいと、心の中で謝っておくことにした。


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