「恋人?…要りませんね。必要性を感じません」
覚悟はしていたけれど、ナマエさんはあたしの質問に無表情でそう言った。いや、無表情はいつも無表情なんだけど、今のはなんだか無の中でもいっそう無というか、意図的な無というか、そんな感じの顔だった。
組み手で一本とったら質問に答えてくれと勢いで言ってみた。そして勢いで勝ったから聞いてみた。「恋人が欲しいと思うことはない?」と。そしたら無表情でこの返事。あたしの勢いはしゅるしゅると音を立ててしぼんでいってしまった。
「全然?ちっとも?」
「全然。ちっとも」
手についた砂を払いながら、ナマエさんは立ち上がった。一本背負いでナマエさんを投げて、少し不安定な着地をした彼女の片足を払って、最後は右拳を顔の前で寸止め。今日はあたしの調子がすこぶる良く、6:4くらいで勝ちをもぎ取っていた。逆にナマエさんの調子が良いときは3:7くらいでもっていかれそうになる。組み手の先生として、あたしはそろそろ危ういと思う。
「なんでいらないの?恋人」
質問はひとつのつもりだったけど、気になったから聞いてみた。ナマエさんが最初の質問に全く動揺を見せなかったのが、多少悔しかったのもある。
「わたしは革命軍の戦士です。ひとりでも多くの人に自由を与え、そして……大切な仲間を助ける為に銃を撃ちます」
大切な仲間、とナマエさんはほんのわずかに照れくさそうにして言った。ナマエさんが仲間を大切にしていることは、すごく伝わってくる。自分もその中のひとりなのだと、嬉しくもなる。
「わたしはそれが自分の使命だと思っています。そこに、恋人という存在は必要ありません」
さっきあたしに投げられたときを思い出しているのか、ナマエさんは目を閉じて動きの確認を始めた。トンと半歩下がってなにかを掴む仕草をする。背負いの為に伸ばしたあたしの腕だ。腕をとって、力の方向へそのまま彼女は捻るようにクイッと自分の手首を回す。ナマエさんの脳内では、あたしは地面に大の字になったはずだ。こわいこわいとそっと首をすくめる。
さて、こんなにも要りません要りませんと言われて、あたしはどうしたらいいのか。しつこく食い下がりたいわけじゃないけど、なんだか今はすごく食い下がりたい。意味不明な感情が胸のなかでもやもやもやもやして、叫んでしまいそうだ。急に叫んだら、さすがにナマエさんも驚くと思う。
「…人を好きになったことある?」
立っていたら叫びそうだから、とりあえずしゃがみこむ。落ちていた小石で無意味に地面をガリガリと削りながら、ナマエさんに届くか届かないかの声で聞いてみた。
「アスカはありますか?」
声は届いたようで、ナマエさんはそう問い返した。質問に質問で返したのは意地悪なんかじゃなくて、たぶん純粋に疑問に感じたんだと思う。
「あるよ」
そうだそうだ。相手から情報を引き出すには、まず自分からだ。何かの本で読んだ気がする。
「もう死んじゃったけど」
かつてあたしが暮らしていた島での幼なじみだった。ある日突然、小さな村を襲ったのは海賊だったか山賊だったかマフィアだったか。そんなのどうでも良かった。たくさん殺された。家族も、友達も、先生も、好きだった幼なじみも。
「アスカ」
いつのまにかナマエさんがあたしの前にしゃがんでいた。ナマエさんはあたしの手をとんとんと優しく叩く。知らないうちに握り込んでいた力が抜けて、小石が手のひらからこぼれ落ちた。うん、やっぱりこんなしんみりした感じになるんなら、何も聞かなければ良かったかもしれない。
「……好きになってしまいそうな人はいます。けれど、その人を好きになったら、わたしは自分の気持ちを奥底にしまい込むでしょうね」
なんでそんなことするの!なんて言ってしまいたい。けれど言えない。ナマエさんの思い、"その人"の思い、革命軍という組織、それぞれの立場。いろいろあるのだ。それはよく分かる。分かるけれど。
「でも"好き"は暴走するんだよ、ナマエさん」
「それは…怖いですね」
笑って言うと、ナマエさんは小さく苦笑した。やっぱり最初の質問をして良かったかもしれないと思った。

何もかも自己責任なのだ。生まれる感情も自己責任。コントロールはわたしにしかできないのだ。人を好きになったことはない。ないけれど、自分の中の感情の変化くらいはちゃんと分かる。わたしはきっとこのままいけば、彼を好きになる。
「難しい顔してる」
アスカと話した後、そんなことをぐるぐる考えていたら、当の本人とばったり会ってしまった。いや、ばったり会ったというよりは、無心で考え込んでいた為視野狭窄だったわたしに、総長が声をかけたのだ。もし相手が敵だったら、懐にもぐり込まれて刺されている。なんとも情けないと思った。
「少し、考え事を」
貴方のことです。とでも言ってしまえば状況は混沌を極めそうだ。わたしの中で。良い結果にならないと分かっていることをするべきではない。
「そっか」
「はい」
「そういえば次の任務遠いんだろ?気をつけて行けよ。また雨降るぞ」
総長は少しだけ笑ってそう言った。確かに次の任務先は今までより遠方だし、雨の多い地域だったはずだ。
「了解です」
雨だと言われたら思い出してしまう記憶がある。今にして思えば、発熱に出血に上半身はほぼ下着姿でひどいものだったと思う。
ではまた、とその場を後にしながら、わたしは彼に気づかれぬよう細いため息を吐いた。上官と部下。その関係だけで一向に構わないというのに、心の奥の奥の部分で誰かが何かを叫ぶのだ。叫んでいるのは、きっとわたしだ。