『ナマエさん、一旦引きましょう。その先で能力者が出たみたいです。高所も取られてるし、もう日も沈みます』
廃墟の三階の部屋でカイトからの通信を受ける。ガラスの割れた窓からゴーグルをかけて先を覗くと、確かに高い建物は軒並み占拠されているようだった。広場には数人姿が見える。おそらくあれらが能力者なのだろう。
「了解です。負傷者を回収しつつそちらへ戻ります」
通話を切って立ち上がる。所詮建物の三階から見える景色ではあるが、改めて見渡してみると、今回の戦場は本当に範囲が広い。"天竜人の配下"を自称している怪しげな集団が、都市を丸々占拠した為だ。廃工場などが多い地域ではあったそうだが、多くの民が住んでいた場所だ。今はほとんどの民が避難を余儀なくされている。殺された者も、少なくはないのだろう。
「明日は能力者のいない地区からいくみたいですよ」
作戦本部に戻ると、先に戻っていたカイトが地図をヒラヒラとさせながらそう言った。カイトとは今日の作戦が始まってからずっと別行動だった為、怪我もなく元気そうな様子に安心する。
「4区と6区くらいですか?」
「はい。ナマエさんは6区からお願いします」
「わかりました」
この都市には広大な地下道が掘られている為、作戦はいつもよりも慎重に進められていた。進行しすぎて裏をとられるとあっという間に窮地に陥ってしまうからだ。地上と地下の両方に気を向けねばならない為に進捗は遅いが、成果は上がっていた。相手側は数人の能力者頼みで、作戦開始から今日まで後退を続けている。
「バルティゴに帰れるのはしばらく先になるかもしれませんね」
カイトが遠くを見ながらそう呟いた。わたしのこれまでの経験で推測するなら、作戦終了までに二週間。都市の復興、住民の補助まで考えると一ヶ月かそれ以上。地下攻略が早ければもう少しスムーズに進むかもしれないが、なにしろあまりにも広すぎる。
「アスカが寂しがりますね、きっと」
「たまにはあいつも座学に精を出せばいいんですよ」
兄はそう言って笑った。あまり座学が得意ではない妹が、机に突っ伏している様が目に浮かぶ。
「そういえばナマエさん、あいつに何か本を借りたんですか」
「あぁ、はい、借りました」
借りたというか半分押しつけられたというか。今回の任務の出発前にわたしのところに走ってきたかと思うと、「これ読んで!」と言い放ってそのまま去って行ってしまった。
「恋愛小説でしたね。道中読みましたが」
「恋愛、小説…」
カイトは呆然とそう呟くと、わたしの前でゆっくりと頭を下げた。
「ナマエさん、なんか、なんていうか…ごめんなさい」
「……いえ、大丈夫です」
恋愛小説から彼が何を感じたのか、わかるようなわからないような気がしながら首を振った。男女が紆余曲折をへて結ばれていく内容の小説だったが、その男女というのが"軍人と王女"だったのだ。互いの立場に悩んだり、遠距離になったり、男の方が負傷して生死をさまよったり、身内に反対されたりしながら最後はめでたく結ばれた。
勘弁してくれと思いながらも徐々に引き込まれて、結果的に速読してしまったのが悔しい。わたしはどうやら、革命軍本部に置いてきたと思っていたもやもやとした気持ちを、こんな遠方にまでしっかりと引きずってきてしまっていたらしい。
遠くで雷が鳴っている。ここも直に雨になるだろう。雨降るぞと笑っていた彼の姿がちらついた気がして、思わず頭を抱えたくなった。

「カイト達は今回、時間がかかりそうだな」
何気なくそんな話題をふってみる。教え子に頼み込まれたとはいえ、こんなふうに探りを入れるのは苦手である。ましてやこの男に探りなど。
「そうだな」
新聞を捲りながら、サボはそう相槌を打った。内心ため息をつく。ここからどう掘り下げていけば良いのだろうか。具体的な指示もなくただナマエとサボの関係を探れ、などと。
「ナマエもしばらく帰らないから、アスカが寂しがっていたな」
鬼気迫る表情で「ハックさん!お願いがあるんだけど!」と頼み込んできた張本人をネタに使わせてもらう。これで反応してくれなければ、私にはこれ以上話を広げられそうにない。
「……」
相槌さえも無し。彼の目はずっと新聞記事に注がれている。すまん、無理だったとアスカに謝らなければならない。いや待て、謝るほどのことなのだろうかこれは。
そもそもアスカが自分で聞いてくれればいいのだが、それはどうやら恥ずかしいらしい。コアラとも自分とも、革命軍のボスとでさえ遠慮なく話ができるくせに、何故かアスカはサボとはあまり話そうとしない。10代女子とはそんなものか。
「順調そうだ。予定よりは早いかもしれない」
サボは唐突にそう言って、読みかけの新聞をそのまま私へ手渡した。紙面には写真付きで革命軍の勝利が掲載されている。"テロリスト占拠の都市を奪還"。それは今回のナマエ達の任務先だった。写真の端で都市を見詰めるようにして写っているのは、フードを被ってライフルを携えた女性。もしかしなくてもこのシルエットは彼女だ。
「サ…」
何か言おうとサボの名を呼び掛けた時には、彼はもうこちらに背を向けて歩き出していた。その後姿がなんとなく上機嫌に見えるのは、自分の気のせいだろうか。
改めて記事を見てみる。目深に被ったフードのおかげで顔は隠れて見えないが、質の荒い写真でもそのたたずまいは美しかった。アスカがふたりを気に掛ける気持ちが、まぁ分からないでもない。ナマエが怪我をしたあの島で、ふたりが雨に包まれて戻ってきた時は思わず私も見入ってしまったのだから。