愛おしさに祝福を

妙に居心地が悪く、そわそわとしていて落ち着かない。
ここは蒼天堀、まだ日の高い時間に真島は、とある喫茶店に一人でやって来た。
レジカウンター下にあるショーケースには様々なケーキが行儀良く一列に並べられ、手に取って貰える時を今か今かと待っているようだ。
真島の目的はただ一つ、ここのケーキを二人分持って帰ること。
しかし、周りは甘いひとときを過ごすカップルばかり。
真島は憂鬱だった、このだらだらと甘ったるい空間の中にぽつりと一人取り残されているようで。
いつまでもここにはいられない、同じ憂鬱を味わうなら自分の店で困った客を相手にしている方が何倍もマシだと思った。
けれど、一向に帰れる気がしない、何故なら。

「…わからん、どれを買ってったらええんや、」

視線が右往左往している。
ショートケーキ、フルーツタルト、チーズケーキ、シフォンケーキ、ミルクレープ、どこにも止まらない視線が悩ましい。
唸るように声が漏れていく、終いには端から端まで買ってしまおうかとも思ってしまう。


今日は彼女の、なまえの誕生日だ。
仕事に追われる真島が多忙さに殺されず、ちゃんと覚えていられた大切な数字。
驚きと喜びに緩まるなまえの顔を想像してしまった日には、ここに来るのを密かに心待ちにしていた。
きっと真島自身も照れ臭くなってしまう程、喜んでくれるだろう。
真島も心のどこかではそうなってくれることを望んでいる。
軽い溜息を吐きながら、真島は再びショーケースの中のケーキ達を見た。

まずはショートケーキ。
たっぷりの生クリームに可愛らしく苺が一粒乗せられている。
このケーキを嫌いだと言う人間はあまり見ない、定番中の定番、好みを外さない無難な一品。
これにしようかと考えていると、不意に訳もなく彼女の姿が浮かんで来た。

『わ〜!ショートケーキ…!これをわたしに?ありがとうございます…!一緒に食べましょう!』

これはもうショートケーキでええんちゃうか、と真島はショートケーキに前のめりになる。
お土産として一緒に紅茶を買っていっても良い。
レジカウンターに置かれているオススメと書かれた紅茶なら、美味い不味いに詳しくない自分でもきっと大丈夫な筈だ。


いや、まだや、まだ他のも見とらん、と次に真島が見たのは、ショートケーキの隣にあるフルーツタルト。
たくさんのフルーツが艶やかにタルトの上に置かれており、キウイやブルーベリー、ピンクグレープフルーツにパイナップル、苺と見た目の華やかさで言えば、このフルーツタルトが一番だ。

『見てください、真島さん…!このフルーツタルト、すごく美味しそう……あっ!フルーツだけ先に食べちゃダメじゃないですか!タルトと一緒に食べないと…!』

これはもうフルーツタルトでええんちゃうか、と真島はフルーツタルトに前のめりになる。
これだけたくさんのフルーツが乗っていれば、なまえは目を輝かせて驚き、喜んでくれる筈だ。

…あかんあかん、焦りは禁物や、と真島は一つずつ他のショーケースに並べられたケーキを見ては考え、時に妙な想像を挟みながら、彼女の笑顔に一番近いケーキを探し続けた。
そして選び続けて数十分した所で、ようやく真島はカウンター前にいた店員に声を掛けた。



ありがとうございました、と店員の言葉に背中を押されて店を出た真島の手には、ケーキが詰められているであろう箱が二つ握られていた。
どれも二つずつ、自分となまえの分を買う事になったのだ。
選び切れなかった自分に溜息を吐く自分がいる。
しかし、果たして彼女はこのケーキ達を全て食べ切れるだろうか。
何やっとんねん、俺は、と彼女の好みを知らずに来た自分への恨み言を零し、彼女の住む家へと向かい出すのだった。



***



「珍しいですね、真島さんがお家に来てくれるなんて。」

くすくすと聞こえてくるのは彼女の可愛らしい声。
真島の来訪を心から喜んでいる態度と表情に、真島は胸の辺りがじんわりと暖かくなるのを感じ、そしてくすぐったい気分になっていた。

「今、ちょっとええか?急に押し掛けといてなんやが…、」
「もちろん。さぁ、どうぞ上がってください。」

散らかってるところありますけど、気にしないでくださいね、と自分より背の低いなまえの頭を見下ろしながら、彼女の後をついて行く。
珍しいとなまえは口にした、今日この日を迎える事の意味を忘れているのだろうか。
しかし、実際に真島がなまえの部屋へやって来る事は滅多にない事だ。
それは真島自身もそう思っており、否定はしない。
だからこそ、彼女の生活感溢れるこの部屋に新鮮味を感じるのだろう。
彼女の足がリビングで止まる、狭いですけどどうぞ、と通され、真島は手にしていたケーキの詰まった箱を二つ、なまえに押し付けるように手渡した。

「…すまん、好きなもんわからんかった、」
「これは…?」

なまえは目を丸くし、その受け取った箱を何度も別の角度から見ては首を傾げる。
数秒の沈黙になまえの頭上に浮かぶ記号を捉える、真島は妙に恥ずかしさというものを意識し始めた。

ホンマにわかっとらんのか、なまえは!自分の生まれた日やぞ…!と内心でもう一人の自分が喚く喚く。
顔には出せない焦り、体は内側から緩やかに熱くなる、内心穏やかではない状況に、真島は遂に意を決してなまえに打ち明けた。


「…誕生日やろ、今日は、」
「たん、じょうび……、」

あっ、と言う声と共になまえの顔が見る見るうちに、締まりのない緩んだ顔へと変わっていく。
瞳が次第にキラキラと輝き、未だに驚きが抜けないのか、真島に対して何らかの感動を覚えているのか、分からないままで大きく開いていく口。
真島はその様に更に擽ったさが増したような気がしていた。

「じゃあ、この箱の中身って…、」
「ごちゃごちゃ言っとらんと開けてみたらええ、」
「はい、」

なまえはテーブルの上にそっと箱を二つ並べ、プレゼントのリボンを解くように丁寧で優しげな手つきはケーキの箱を静かに開けた。
どちらにも同じケーキが同じ数だけ詰まっていた、一貫性も無く、ちぐはぐな色彩はなまえの目を奪って離さない。
真島は密かにその様子を眺めていた、なまえの喜ぶ顔が見たい、それだけで真島は照れ臭い感情を抱きながら、なまえの事を見つめていたのだ。
しかし、予想外の反応に真島は頭の中が真っ白に弾けてしまった。

なまえの顔は喜びに綻ぶどころか、次第に曇っていく。
下を向いては肩を微かに震わせている、真島は体内の血液が冷めていくような錯覚に陥っていた。
体温が下がる、暖かな感情にひびが入る。
疑問符は濁流のように真島のそれを奪っては、苦い感情だけを置き去りにして行った。
なまえ、と呼び掛ける寸前で、ぽろりと苦みが零れ落ちた。
それは真島の瞳からではなく、なまえの瞳からだった。
暖かさが今にも欠けてしまいそうで、真島は急いで啜り泣くなまえの傍へと近寄る。

「どないしたんや、なまえ。なんで、泣いとんのや、」

ぐすぐすと鼻が鳴り、真島はひび割れた感情が砕けてしまわぬように、なまえに何度も優しい声音で呼び掛けた。
短い間隔では無いそれになまえが答えたのは、なまえが鼻を二、三回ほど鳴らした後だった。

「真島さん、真島さん、」
「なんや。何がそない悲しいんや、」
「悲しくなんか、なくて、」
「ほんなら、なんで泣いとんのや、」
「それは、私が……、」

真島さんを…、真島さんのことが好きだからです、と弱々しい声が、真島の抱えた暗雲を払う。

「……どういうことや、さっぱりわからん、」
「真島さん、私の好きなケーキなんてわからないでしょ、」
「ま、まぁ、確かにわからへんかったが…。まさか、苦手なヤツがあったんか?!」
「そうじゃなくて、」

全くなまえの意思を読み取れない真島は自然と眉間に深い皺を寄せる。

「でも、どれも二つずつある。つまり、真島さんは私と一緒に、このケーキを食べたかったんですよね、」
「あ、いや、それは、」
「だから、今日私の家へ来てくれたんですよね、」
「…それが嬉しくて、泣いとったんか、」

恥じらう視線は一度真島から外れてから再び真島の元へ、そしてなまえは涙を零しながら、こくりと頷いた。
真島さえ気付かなかった、ケーキが二つずつある意味を見つけたなまえのぐずぐずになった顔が酷く愛おしくて、直視してられないと真島はなまえの背中を擦る事しか出来なかった。

「私の好きなケーキなんていいんです、真島さんが隣に居てくれるなら。」
「なまえ…、」
「真島さん、今日はありがとうございます。どうか今日は真島さんの時間を私にください。」

そのか細い声に血が沸騰してしまいそうだと思った。
決して自分では口にする事の出来ない素直さを、こうもありのままに伝えてくれる彼女に、不意にどきりとさせられる。
背中を擦る手も止まってしまい、真島は小さく、おう、とだけ答えた。
なまえはまるで懐いた猫のように真島の懐に潜り込む、そして腕を背中へと回し、体ごと真島に預ける。
ふわりと香る彼女の匂い、そっと回された腕の感触、祈りのように純真な素直さ、その全てが真島の冷え切っていた体に熱を宿らせる。
未だに抱きしめられずに宙に浮いている両腕は微かに震え、内心では饒舌になまえへの愛おしさの片鱗やら、自分自身への戒めやら何やら理性的な言葉を口走っていた。

「なまえ、」

真島は入念に繰り返される深呼吸の後、ようやく宙に取り残された両腕はなまえの体を抱き締めた。
いい香りがする、どこに触れても柔らかい、自分に全てを許してくれている。

「なまえ、ケーキ食べよか、」

真島の腕の内でこちらを見上げたなまえの瞳は涙に濡れたせいで更にキラキラと光り、仄かに色付いた赤い頬や鼻の頭がいじらしく、真島の何かを煽る。
はい!と懐から抜け出し、台所へと向かう彼女の後ろ姿を追う、彼女はきっと愛おしさを人の形にしたものなのだろうと一人思う。
溺愛が過ぎる、盲目と言ってもいい。

「……俺もどうにかなってしもうたんか、」

どうにかなってしまった、彼女の前では滅多に見せない感情がよく現れる。

「惚れるっちゅうんは辛いのう、」

彼女の表情や仕草、その一つ一つに左右されてしまう。
ただ彼女を見ているだけで真島は奥深くに追いやった、自分が男である事を実感する事もある。
彼女はそれを知らない、それでいい。
真島は台所で支度をするなまえに聞かせないように、ひっそりと素直な言葉を飲み込んだ。
その言葉はこの世の何よりも優しく、力強い言葉だった。
小さく吐いた溜息はなまえへの愛おしさに沈んでいく。
もう惚れた腫れたでは済まないのだろうと、真島はもう一度だけ溜息を吐いた。

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