「・・・荒北くんがいけないんだからね」



 蚊のなくような小さな声でそう告げるけれど、わたしの隣で眠る荒北くんはすやすや寝息をたてていて・・・起きる気配はない。

 毎日部活を頑張ってるのは知ってるし、自転車に詳しくないわたしはあまり深く関与はしない。けれどわたしたちは恋人同士で、荒北くんもオフの日はこうしてわたしと一緒にいてくれる。お出かけはあんまりしないけど・・・それでもわたしは十分だと思ってた。

 体を休めなくていいのって、どうしても気になったからきいたことがあったけれど大丈夫だっていってくれていたから、わたしに会うことで癒しになるならば、と。嬉しく思ってた。だけど、一つだけ問題もあって・・・。


 彼がわたしと会っているときに眠ってしまうことは今までもたくさんあった。わたしの家、公園のベンチ、バスのなか。そして今は・・・だれもいない部室で、荒北くんはベンチをベッドみたいにして眠ったままもう半時間は経っている。

 寝そうだなって予兆はあったけれど、それを止められるわけもなくて。最近は忙しくって・・・・こうしてゆっくり会うのは一ヶ月ぶりで・・・わたしはこの日をずっとずっと楽しみにしてたのに。
 ・・・今日は荒北くんも起きてくれるかも、なんて・・・期待、したのに案の定だ。



 ・・・嫌われたくないし、つかれてる荒北くんを起こしたくはないけれど・・・・わたしだって寂しくないわけじゃない。・・・でも、それ以上に荒北くんがすきだから。

もう帰るからね、と念を押すものの、足はいつまでたっても動かない。意地をはるだけなのだ



 荒北くんだって、そんなわたしの気持ちを知らないわけじゃない。
そして・・・わたしが自転車よりもわたしを選んでほしいわけじゃないってことも知っているから。だから、お互いに暗黙の了解みたいになってる。


 まわりは大変そう、だとかかわいそうだっていうけど・・・
わたしは荒北くんがすきで、荒北くんもわたしを大事にしてくれてる。

 おおきな大会が終わるたびにわたしのわがままをきいてくれるところも、
ひがくれてから突然わたしを近くの公園に呼び出してするおしゃべりも、人目をはばかってするハグもだいすきなのだ



「・・・・・寝てたァ?」
「寝てた」
「・・・・アー」
「いいよ、わたしも寝てたし」



そういうわたしの髪も制服もちっとも乱れていないから、きっとすぐに嘘だってばれてしまったんだろう。荒北くんは半身をおこして視線を揺らしながら、ばつがわるそうに頭を掻いていた。



「いま何時ィ」
「もうすぐ5時!」
「・・・・どっかいくゥ?」
「いいよもうすぐ帰るし」
「そ」



 ちなみに、こんなときの荒北くんはいつもよりも優しい。
今だって、声色はちょっとだけ柔らかいし・・・気を使ってくれる。

 だから、わたしはいつもわがままになる。



「荒北くん」
「なにィ」
「ちゅーしたい」
「・・・はァ?」



 いつもは外でなんか・・・ましてや部室のなかでは絶対してくれない。でも、いまの感じならいけるって、そう確信した。

 わたしは座ったまま荒北くんの方へ向いていて、荒北くんは顔だけをこちらに向けている。呆れ顔にはすこしの照れと、諦めが混ざっているんだろう。めげずにみつめるわたしとばっちり目があって数秒・・・荒北くんはなにかを考えると・・・
いいけどォ・・と、歯切れのわるい返事を寄越してくれた。


 なんだか意地悪なかおをしたなって、直感的にそう思ったけれど退かなかったのには様々な理由がある。一番は嬉しいからなんだけど・・・
わたしはこの選択をのちに後悔することになる。なぜなら。



「その代わり、」



 目ェ瞑んな

 一見簡単そうに思ったそれは意外にも難しく。
ベンチの上に折り曲げた足をこちらへ寄越し、荒北くんがじわじわと距離を詰めていくその間もわたしはかなり緊張していた

 目をとじて待っているのも恥ずかしいけれど、みつめあったままキスするなんて・・・想像さえつかない。別にけなげに言いつけを守る必要もないのに、わたしが必死に目をあけようとするのは期待と好奇心からだ。


 荒北くんの口からちらりとのぞく舌がやけに扇情的で、おまけに獲物を狙うかのような鋭い視線はまっすぐわたしに注がれている。
 唇がぶつかるまでの数秒間、とてつもなく長く感じた。



 押し当てられる熱に応えるように瞼をとじかけて、はっとした。そんなわたしを見越したかのように、荒北くんは目はやんわり細めている。
・・・こうなれば触れた分だけ距離もぐっと縮まるわけで、怯まずにわたしをみている荒北くんの視線も、視界いっぱいに広がる。
堪らずに目をとじたわたしを叱るようにいつのまにか回された腕が背中を撫でた。

くすぐったさに身をよじるけれどすぐ隣にはロッカーが控えていて、小さな痛みを得るだけだ。いよいよ捕われた小動物のような気分になりながら、懸命に前をみつめれば、やはりぶつかる視線。


 慣れてしまえば平気だって、安心したのも束の間。抉じ開けるようにして侵入してきた舌に驚いて瞬いてしまう。

 かろうじて目をあけたままでいるわたしをいいこだって、宥めるように髪を撫でられて胸がきゅんとしたけれど・・・・
 なんの予告もなしに舌先を吸われたわたしは思わずくぐもった悲鳴のような声をあげてしまった


 そのときからだった。荒北くんの目が熱を帯びたのは。



「んっ・・・む、・・・ふ・・っ、」



 いつもの噛み付くようなキスとはちがう、まるで絡み付くように・・丹念に吸い付いてくるそれに、わたしは翻弄されていた。

 からだの中心に熱が集まって、それがかき乱されているような、そんな感覚。
・・・きっと、恥ずかしいかおをしてるのに。荒北くんがみてる。その事実が余計にわたしを掻き立てる。

 このままでいるとどうにかなりそうで・・・無意識につかんでいたらしい、荒北くんのシャツをぎゅうぎゅう握りしめる。



「煽んなって」
「な、にが」
「・・・その顔」
「あ、荒北くんのせいなのに」
「ちゅーしたいって言ったのは誰だったかなァ」
「・・・・しらない!」



 別に続きを期待したわけじゃないのに、
すんなりやめるって思わなかったから・・・正直拍子抜けだった。そんな自分に驚いて、同時に恥ずかしくなって・・・余計に頬があつくなったりして・・・
 そのくせ荒北くんは涼しい顔で立ち上がって帰り支度をはじめるんだから本当にずるい。



#mtr3#


 荒北くんはいつもわたしのことをバス停までおくってくれる。最初はわざわざわるいからって断っていたけど・・・何度か繰り返すうちにいつのまにか暗黙の了解になっていたのだ。
すこしの距離だけど・・・それでも荒北くんと過ごせる大事な時間。



「・・・俺なまえのことすきだヨ」
「なに急に」
「離れていかないよーに、甘やかした」
「全然甘くない」
「っせ」



 二人でならんで歩いて、手はつないでくれないものの・・しあわせだなって、噛み締めていた矢先だった。荒北くんはなんの脈略もなくそんなことをいった。
 口ではそう言っても、わたしと同じ気持ちになったのかもしれないし・・・
そうでなくてもなんだか嬉しくて、にやついてしまう。そんなわたしに、荒北くんはわかりやすくため息を吐いたけれど・・・その横顔はやっぱりどこか嬉しそうにみえる。



「心配しなくても離れないよ」
「・・あ?んだよ急に」
「素直じゃない!」
「お前にいわれたかねーヨバカ!たりめーだっていってんのォ!」
「はいはい」
「流してんな!」
「みえてきたね、バス停」
「次何分?」
「四分ぐらい」
「・・・もうすぐだネ」



 もうすぐバスがくる。そうしたらわたしは嫌でも荒北くんから引き離されて、また明日がくるまで会えない。・・・明日だってまともに会えないかもしれない。

 しあわせなままでお別れしたいのに、どうにも難しい。

 帰りたくない、なんていったって荒北くんを困らせるだけだから、わたしはすこし視線をはずしてぼんやりと道路をみていた。
あ、荒北くんまたさりげなく車道側を歩いてくれたんだなあ、とか、さっきのキス・・恥ずかしかったけど・・・幸せだったなあ、とか
 次はいつ会えるかなあ、とか


 思いが溢れだしては、胸をぎゅうぎゅう締め付ける。

 それでも、



「・・じゃあ」
「おう」
「座ったらメールする」
「おう」



 物分かりのいいふりをして、笑顔をみせる。
だけど、荒北くんは片手でわたしの髪をぐしゃぐしゃに撫でると・・・背中を軽く押した。
精一杯の虚勢も簡単に見破られてる。悔しいけれどもたつくわけにもいかず、そのままバスに乗り込んで・・・今度こそ手をふった。


 大丈夫。荒北くんはいつだってわたしの心から寂しさを取り除いてくれる。だからわたしも荒北くんにとってそうでありたいって思える。…こんな関係が心地いいのだ。
 些細なやりとりだけど、早速届いたメッセージの返事にすこし笑みを漏らしながらも、わたしはまっすぐにまえを見た


20140730
ALICE+