呼吸も浅いし、何より手に力が入りにくくって。
酸欠みたいにふらつく身体を縮めたまま、それでもぴったりと携帯を耳に押し当てて私は言葉を絞り出していく。
「そ、それで、っ、その、そのこに、ッその、お、おそ、おそわれ、っ、て、起きたら、ふ、ふくっ、無くなってて」
『今は、"その子"は居ないんだね?』
「、ぅ゛ん、ッ」
しっかり声を出そうとしてるのに、震えるばっかできちんと声はでてくれない。
こんなんじゃきっと聞き取りにくいだろって思うのに、上手にできなくて。
その申し訳なさにまた鼻の奥が熱くなって、ぼろぼろと涙が溢れてしまう。
だけどそんな私に、"先生"は優しい言葉をかけてくれるのだ。
『一先ずは──そうだね。身体を冷やすのはいけないから、何でもいいから何かを身に纏いなさい』
「な、なに着ればいいか、わか、わかんな、」
『なんでもいいんだよ。その家にクローゼットはないのかい?』
──クローゼット。
喉をひくひく奮わせながら、動きにくい頭をそれでも動かしていく。
あったかな。
あった気がする。
泣きすぎて、段々痛くなってきた頭でぼんやりと記憶を遡り始めれば。
薄っぺらい機械の向こう側から、先生の『ありそうかい?』という声が聞こえた。
ふく、服。
そういえば、さっき探し回った時に、そんな感じの部屋がなかっただろうか。
なんか入りにくくって、直ぐに扉は閉めてしまったけど。
多分、あれは、服だった。
「あ──あった、と、思う」
『じゃあ、そこから着れそうな服を何枚か拝借しなさい。私は今から君を迎えにいくから』
「えっ、」
迎えに、いく?
どこに?ここに?
いやでも──どうやって?
「せ、先生、ば、ば、場所っわかるの?」
泣きすぎて、頭がいたい。
それでも絞り出した言葉は、情けないほど途切れ途切れに音が引っ掛かっている。
それが少し、いやかなり、恥ずかしい。
『……そうだね。日和さんのスマホは、iPhoneかい?』
「はい……」
『じゃあ、"iPhoneを探す"を使えば良い』
「──あ、」
そうか、確かにそれなら。
あれは、IDとパスワードさえわかれば、
そしたら、当然住所だってわかるはずで。
──ああそっか、何でそんな簡単なこと、思い付かなかったんだろう。
「わ、私のIDは、先生が知ってるメアドで」
『うん。パスワードは?』
「え、えっと、──誕生日の後ろに、258って足したやつで……」
『ああ、ちょっと待ってね』
そう言って、カチカチ、と爪と当たる音が耳元に響いた。
すごい。今から誕生日言おうと思ったのに。
先生、私の誕生日覚えてるんだ。
『──日和さん、入れたよ。場所もわかったから、これから車を出すからね』
「は、はい、」
『今から……そうだね、だいたい10分くらいで着けるから、それまでに日和さんは肌を隠すものを見つけること。できるかい?』
「……! は、はいっ!」
『じゃあ切るよ。なるべく早く行くから』
「はい、ま、待ってます」
先生は、すごい。
ぽんぽんと解決策を思い付いて、それをすぐに実行してくれる。
プツ、という音と共に切れてしまった通話をぼんやりとみて、私はひとり、ゆらりと立ち上がる。
そうだ、先生は、すごいのだ。
あれだけ不安と後悔で死にそうだった心臓が、今はもう、普通の音程で脈を刻んでる。
変に重苦しいこともなくて、変に血の気が引くこともなくて。
あのままずっと私一人じゃ、どうすればいいのわからずに途方にくれるままだった。
──ああ、先生が電話を掛けてくれて、本当によかったと、心の底から思う。
まずは、服を、探さなきゃ。
だって先生の前で裸は、恥ずかしいから。

この家には、なんと"クローゼットルーム"があるようだった。
ある個室の一室を開けたら、そこには何体かのマネキンと、お店みたいな服掛けと、そして恐らく収納扉。
壁側には、チェストと言うんだろうか?
引き出しのいっぱいある棚があって、その上にはお店で見るアクセサリー入れみたいな、というかアクセサリー入れらしいガラス張りの箱がある。
そのチェストの近くには大きな三面鏡と、その後ろ側の壁にも大きな鏡が一枚あって。
前後左右どこからでも自分の姿が見れるようになっているようだった。
きっと、ここで着た服のチェックなんかをしているんだろう。
あとは帽子掛け見たいのもあって、色んな形の帽子が引っ掛けてある。
そうして、服。
服掛けに掛かっていた服を摘まんで──その触れた指先を、ゆっくりと離した。
「……、…………」
──これは、着れない。
正しく"お洒落さん"と呼ぶような、高そうでいて着こなしの難しい服ばっかり。
何でそこに穴が開いてるんだろうとか、すごい色だったりとか、極端に丈が短かったりだとか。
そういう、どういう風に着るのが正解なのかわからない服ばっかりが服掛けにかけてあるのだ。
中には、ボロ布にしか見えないものまである。
「どうしよ……」
カチャカチャとハンガーに手を掛けて服を見ていっても、どれもこれもがそういったものばかりで。
日頃着れればいいと無難な服ばかり着ている私じゃあ、むしろもう何が着れるのかさえわからない。
おへそも出したくないし、腕も出したくないし、足も出したくない。
肌を隠せる服は、ないんだろうか。
そう思って、視線は壁側の扉の方に向いていく。
両開きの扉は、お洒落な作りだけど、どこか物々しい。
アンティークらしい造りの取っ手を掴んで、ギィ、と音の立てるそれを引いて開いた。
そこは、やっぱり収納部屋のようだった。
何と言えばいいんだろうか、真正面には箪笥みたいな引き戸しかない壁があって。
その両横の壁は、下──下段?は窪んでいて何列もの服の掛かった鉄の棒が奥からこちらに向いて連なって並んでいる。
その上の段は同じような服掛けと、今度は開き戸があるようだ。
そうして両壁には、それぞれロフトとかでよく見るタイプの階段が設置してある。
「……うわあ」
規模が大きくてぽかんとしてしまったけれど。
ああ、ここに沢山の服をしまっているんだなあと、それだけはなんとなくだけど理解した。
その部屋の、取り合えず左側の服の列へと身体を滑り込ませてみる。
こっちはトップスばっかりで、反対側はボトムスばっかりだったから──正直、ボトムとかなんでそんなに何着もあるのか意味わかんないけど──取り合えず上から着れそうなものを見つけようと思ったのだ。
トップスは、最初からわかってたけどかなりの量があって。
その列を手前の方だけ取り合えず確認していったら、どうやら似た形で服の順番が決まっているらしいことが理解できた。
そしてその中でも、似たような生地で順番分けされているようで。
そのかなりの几帳面さに、いつも適当に箪笥に服を突っ込んでる人間としては、凄いな、とうっかり感心してしまう。
だって、私はここまできちっと仕分けたりできない。
カチャカチャと服を漁っていくと、やっとこう、まとも──まとも?な服を見つけて。
ああよかったと、ほっと息を吐く。
生地が薄かったり、透けてたり、あと短かったりもしない、むしろ丈の長いロングシャツ。
袖まで長いとこを見る限りそういう
だって、袖が長いとずり下がって邪魔じゃないか。
それを取り合えず羽織って、だけど完全に前は閉めないで今度は奥の引き出しの方に行ってみる。
いやだって、このまま着たらその、ち、ち──くび、が、透けはしなくともバレバレになると思ったからだ。
いくらなんでも、ずっと胸に手を当てているわけにはいかない。
キャミがなくたって、せめて何かしらのインナーは引き出しの中にあるんじゃないかと、思ったから。
「……うっそ」
そう、なにかしらインナーがあればいいと、思ったんだけど。
私の予想に反して、そこにあったのは多種多様な色とデザインの、所謂──キャミソールで。
というか、明らかに女物みたいなものが、沢山入っていて。
「…………お姉さんとかの、ものとか、……?」
──そう思えば、そうなのかも?
思えば、いやほんと、今更だけど掛かってる服だって、なんかこう、女物混ざってるし。
もしかしたら本当に妹とか姉が居るのかと思って、いや、居たら居たで、家族が居る場所であんなことをしたのかと嫌悪感が、増すのだけれど。
「……」
少し悩んで、シャツの色に合わせて白いものを手に取った。
よくある様に見えて、でも肌触りがよくて、レースもとても綺麗。
もしかしたらこれはとても高い奴なのではと嫌な予感が頭を過るが、いいやこれは慰謝料だと、段々と強気になってきた思考でそのまま着こんでいく。
キャミを着て、シャツも着て。
無駄に長い袖をまくる様にして手を出しながら、ぺたぺたと今度はボトムスが掛けてある方へと歩いていく。
そっちも沢山の種類のものがきちんと分類わけされていて。
私はその中で、ゆったりとした──ワイドパンツ?と言えるタイプの服を選んで、取り合えず腰に当ててみる。
──だめだ、丈が長い。
あんまり背が高いようには見えなかったけど、どう考えても裾がもたつく。
もしかしたら、あの子は足が長いのかもしれない。
なんだよ、顔が良くて足も長いとか、あんなに酷い奴なのに納得いかない。
そんなことを思いつつ、じゃあと今度は服をかき分けて所謂七分丈っぽいパンツに手を取った。
それを腰に当てて──アンクル丈。
なんだろう、掛かってる他の丈と比べると七分丈っぽいのに、私が履くと、アンクル丈なのか。
え、なんだろう、凄いショック。
全くストレッチ性を見せないウエストに。
履けるか履けないか確認して──まあ多分いけるだろうと足を通していく。
このパンツはメンズのものだったらしく、お尻周りの履き心地がなんか違う。
後ろ側が狭くって、前がなんだかゆるい。
なんかちょっと変な感じだ。
いやもしかしてパンツ履いてないからかもだけど。
「……はぁ、」
でも、取り合えず服を着れたら、なんかちょっと落ち着いてきた。
変なそわつきも、氷を詰めたみたいな不安感も、徐々に徐々に温く溶けていく。
またもう一つだけ息をゆっくりと吐いて、私は後ろの扉を開いて、さっきの部屋に戻った。
そうして何も着ていない裸のマネキンを通り過ぎて、出入り口の扉を引いてそっと身体を滑り込ませる。
──あ、鞄、そういえばリビングに置いてきてしまった。
時間を確認しようとして、手の中のスマホのロックボタンを押しながら、そう気づく。
電話の後、頭の中が服のことでいっぱいになってしまって。
そして色んな意味で命綱であるスマホを握りしめていたこともあって、鞄そのもののことがすっぽりと頭から抜けてしまっていたのだ。
スマホの表示だと、今はさっきの通話から大体7分。
速くて、あと3分以内に先生は来てくれる。
だからきっと大丈夫と、思いつつも。
だけどどこか、焦りを隠せない自分が居て。
「……早く戻ろ」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。
ずるりと落ちる肩をたくし上げて足早に進めていけば、窓の近くでカン、カン、と歩く音が聞こえてきた、気が、した。
「!」
──先生かもしれない!
ここは二階建ての二階で、下の方には車が止められるスペースがあって。
なら、さっきは部屋の中に居たからわかんなかっただけで、もう先生は車を停めて、上ってきているのかもしれない。
いや、日中だし、他にもきっと人は居るし。
だけど先生である可能性も、ないわけではなくて。
むしろ時間的には、あり得る方が、可能性が高くて。
自然と小走りになって、リビングの扉を開いた。
そしてさっき蹲っていた場所に置いてきた鞄を──かばん、を。
「あれ……?」
あれ、鞄がない。
確かにここにあったと思うのに、とソファーの周りでおろおろと床を見ても、そのどこにも私の鞄が見当たらない。
もしかしてさっきの衣裳部屋に実は持って行っていたんだろうかと、はっと頭を持ち上げて。
そうして──
──かばん?
「───探してるのは、
はくりと、息が止まった。
声が、上から、聞こえる。
上、わたしの、直ぐ真上。
それがどういうことかわからなくて。
私の頭は、ビックリしたまま固まっている。
なんで鞄が空中にぶら下がってるんだろう、なんて。
そんなことを本気で疑問に思って、ゆらりとわざとらしく左右に揺れ始めるそれを、呆然と視線で追ってしまう。
「ボクの服、着心地良い?」
その
その音に、思わずびくりと身体が跳ねてしまう。
なんでか酷く身体が竦んで、上手く動かない。
視線が、床から離せない。
「その服も悪くはないけど……着るならもうちょっと違うのにしない?」
そういって頬に触れられて、ひくりと小さく肩が震えた。
ひ、とか細い声が耳について、その数秒後に、今の声が自分のものであることを自覚する。
──せんせいじゃ、ない。
気づくには遅すぎるタイミングで、やっと思考が
だけど頭は冷えきってきて、どくどくと動く鼓動すら、冷たいものに変わっていく。
するりと頬を滑る指先が、顎を掬い上げた。
そうして少しの抵抗すら出来ないで、私の顎は見事に持ち上げられていく。
目の前には、人形みたいに綺麗な顔。
飴玉みたいな色のつるりとした瞳が、うっそりと微笑みながら私のことを見詰めていた。
「ねえ、なに、してたの?」
──怒って、る。
静かに感じる怒気に、途端に身体が萎縮してしまう。
自然に肩が強張って、ひく、と小さく震えたまま、内へ内へと縮こまっていく。
それは間違いなく恐怖からくるもので、わたしは、今、この子に怯えて、いて。
こわい。
そんなことすらも言えずに。
私は、ただただ断罪されるのを待つかのように、微動だにしないで立ち竦むことしか出来ないのだ。