01

入間銃兎は、その日疲れ果てていた。

薬の密売現場へのカチ込みを決行し、現行犯でここ二月程マークし続けていた売人を逮捕、取り押さえることはできたものの。
その密売現場で差し押さえた上客リストに、まさかの政府役人が噛んでいたのだ。

その人間の立場、性別の把握。
そしてそいつを取り締まった際に生じる利益不利益の確認や、他の役人への根回し等を行っている内に。
いつの間にやら、一日が二日になり、三日になり四日になりと、銃兎の睡眠時間を圧迫していったのである。

聞いて驚け。
なんとこの四日間の総計睡眠時間は、三時間と数分。
この四日間──つまり96時間の内、たったの180分と少ししか銃兎は眠れていないのだ。

つまり、今の入間銃兎は、かなりの寝不足状態である。

「──あ゛〜〜、くっっっそ眠てぇ……」

ふらふらと縺れそうな足を、それでも進めていく。
仕事明け──といっても、深夜三時を終える頃。
こんな時だと言うのに、今日に限って銃兎はタクシーを捕まえることが出来なかったのだ。

──いや、出来たと言えば出来た。
しかしそれは、最後まで件の役人を取り締まることに対して反抗した役人に譲ってしまったのである。

まあ、あれだけ嫌がりぶり。
どうせあいつもこの件に一枚噛んでるんだろうと、ついでに現在進行形でその男も調べを進めていたりもする。
──精々、捜査の邪魔をした自分を恨めばいいさ。
わかっている。八つ当たりである。

静まり返ったヨコハマの街。
そりゃそうだろう、なんたって今の時刻は夜中のついに四時前。
もう夜なんだか朝なんだかわからない時間である。

──あ゛〜〜、マジでくっそ眠い。
うっかり目蓋を閉じればそのまま寝入ってしまいそうな程の睡魔に、うんざりと息を吐く。
昨日まではまだ疲れの方が勝っていたし、何が何でもしょっ引いて豚箱にぶち込んでやるという殺意の方が高かったから問題もなかった。
だが逮捕に成功し、ひと段落終えた今、溜まりに溜めた寝不足という名の睡魔が猛威を奮ってこの身に降りかかっているのだ。

つまりは、クソ眠い。
クソなんて言葉では収まりきらないほど、クッッッソねむい。
何故ヨコハマは他のディビジョンに比べて犯罪率が高いのだろうか、海か、海が人々の心を波立たせるのか、全部海のせいだ──なんてどうでもいい上に日頃じゃ絶対に考えないことを考えるくらいには、その脳内の半分以上眠っていた。

──だからこそ、その店、、、を見た時も、彼は違和感を感じなかったのだ。

暗い道の中で、ゆらりと輝く怪しげな色彩。
ショウウィンドウの奥で、煌びやかに佇む人形の姿。
つまりは、人形店がそこにはあって。
既に開店、しているようで?

「……こんな時間から開店とか、阿呆か」

眠り眼の半目で腕の時計を見遣る。
が、やはりそこでは予想通りの時刻しか指していない。
早朝にも程があるこの時間にこの人形店は本気で開店してんのか、と訝し気を通り越して呆れかえってしまう。
というか、こんな店あったのか。

「…………」

自身の行く先はその店を越えなければならないので、どうしてもその店に近づいていくことになる。
一歩、また一歩と歩みを進めていく度に、徐々に店との距離が近づいていく。
その度に、聞こえる筈のない少女の鈴を転がしたような笑声、、、、、、、、、、、、、、が聴こえるような、気がして。
──こんな時間に?

いやまさか。
いやそんなまさかと、思うけれども。

「………、…」

しかしながら人と言うものは不思議なもので。
そうして、この男は所謂調べ物が好きな部類だったものだから。
一度気になると妙に確かめねば気が済まない自身のどうしようもない性分に振り回されて。
結局は、その趣向を凝らされた重たい扉を開けたのだった。

人はこれを、藪蛇だとか言ったりもする。




足を踏み入れた店は、それはそれは美しく豪勢な装いだった。

ベルベッドの艶りとした毛並みの重厚なカーテンに、真珠と共に飾られたタッセル。
どことなく中華の彩りを感じるのは、置かれた花瓶立てなどのデザインが和洋の匂いを感じないからだろう。

けれど確かにその店は異様、、だったのだ。
それは、それぞれのこれまた巧緻の施された椅子に座る人形たちの姿からくるもので。
その余りにも、眠り込んだ美しい少女、、、、、、、、、、にしか見えない容貌は、まさに人間そのもの。
ともすれば、今すぐにでも呼吸を始めそうなほど精密な作りに、知らず知らずに銃兎は息を飲んでいた。

なんというか、この空間に圧倒されてしまったのだ。
人形なんぞに詳しくない己でもわかる、名作と呼ぶに相応しい人形の数々。
これは間違いなく金持ち向けの道楽品であり、またかなりの場違いであると自覚し引き返そうとした──時だった。


「──いらっしゃいませ」


それは、男の声だった。
ああ、ずらかる前に店員に見つかってしまったと嘆きつつ、銃兎はその声の方向へとくるりと振り返る。
そうして、その店員の装いに、おやとほんの少しだけ目を見開いたのだ。

そこに居たのは、やはりというか、男の姿だった。
けれど彼が身に纏っている衣服は、今の日常にありふれた洋装ではなく、チャイナ服で。
今のご時世、外国ならまだしも日本の中でチャイナ服をお目にかかることがあるとは、と表情にはおくびにも出さず内心だけでぼんやりと値踏みする。

歳は幾つくらいだろうか。
30は越えていそうな容貌だ。
丸眼鏡に整った造りの顔も相まって、チャイナ服が嫌味なく似合っている。

その男は銃兎を見て、にこりとひとつ微笑んで。
そうして、仰々しく会釈をしながらこう話しかけてきた。

「お初にお目にかかります。私の記憶違いでなければ、当店のご利用は初めてかと思われますが……」
「ええ。このような時間に開店している店が物珍しくて、不躾にも踏み込んでしまいました。朝早くから申し訳ない」
「いいえ、とんでもございません。足を踏み込まれたのも何かのご縁。さあどうぞこちらへ。お茶をお出し致しましょう」

──かんっぜんに帰るタイミングを失っている。
四の五の言わずに店を出るべきだったと自らの発言を後悔しつつ、仕方なく、大人しく店員についていく。
なんというか、この中途半端な状態で店を出ていくのは癪だったのだ。
そうして──まあ、少し、ここの商品について気になったというのも、ある。

店内の少し奥は、これまた中華の装いが強い内装だった。
引かれた椅子に素直に着席し、銃兎はぐるりと店内を見渡していく。
そこにはやはりというか、様々な髪色の、様々な装束に身を包んだ人形たちが美しい貌で眠り込んでいる。
それがやはりというか、少し、不思議で。

──普通、人形というのは目を開いているものではないんだろうか。
あまり人形というものに詳しくはないが、それでも少しばかり見聞きした人形はそのどれもがぱちりと目を開けているか、開閉用に目蓋に切れ込みが入っているかのどちらかだ。
しかしここにある人形たちには、その切れ込みはないように見える。
それは即ち、目を開くことが出来ないというわけで。

──眠り人形専門店か。
金持ちの道楽とは、時折よくわからんものがあるなと、戻ってきた店員に銃兎はすっと背筋を伸ばした。

「どうぞ、粗茶ですが」
「あぁ、有難う御座います。頂きます」

そう言い一口飲んで、あ〜〜良い茶葉使ってやがる、と謎の感想を抱く。
仕事明けの疲れ果てた頭と胃に大変沁みる。
いうなれば二日酔いの日に飲むシジミ汁のような浸透感。
まあつまり、美味い。

「──さて、世間話の代わりといっては何ですが、当店の説明を致しましょう」

ずず、と紅茶を啜っていれば、そう店員が口火を切った。
しかし紅茶の味に舌鼓を打っている銃兎は、特にそれには応えることはしない。
いやなんというか、こう、無駄にまったりしてしまっているのだ。
予想外に紅茶の味が好みだったというのもまあ、ひとつの理由ではある。

そしてそんな銃兎の反応を最初から予想していたのだろうか。
特に反応を示すでもなく、店員はにこりと微笑んで言葉を続けるのである。

「当店は、観用少女プランツ・ドール──所謂、生き人形、、、、を取り扱っております」

──生き人形?
なんじゃそらと思いつつも、もしもそれが人身売買ならしょっ引いてやろうとも思ったり。
いやまあ、人身売買の線は低いだろう。
であるならば、こんな表通りの目立つ場所に店は構えまい。

「この店内に眠る全ての人形が、その生き人形、観用少女プランツ・ドールです。これらは全て、名人と呼ばれる職人が丹精込めて作り上げた、この世に一品のみのまさに逸品、、なんですよ」

駄洒落か、と思いつつも。
その言葉には、まあ、静かに納得はする。
なんせ、素人目でもわかるほど、確かにここに飾られる人形のそのどれもが息を飲むほど美しいのだから。

「……でしたら、さぞやお高いんでしょうねぇ。なんせ、名人による逸品。そうして、生き人形、、、、。貴族の娯楽、というやつで?」
「おや、生き人形に関して不思議に思われないのですね」

揶揄い半分でそう言葉を返せば、しかし意外そうな店員──いや、商人の顔。
その顔には、まじまじと"信じるとは思わなかった"と書いてある。
それこそ意外と、わかりやすい男だ。

「ええ、まあ。これだけ美しいんです。魂だって宿りましょう」
「……ふむ」

なので少し気分がよくなり、軽口交じりでそう返してやる。
すると商人はひとつ息を吐き、じっと銃兎の方を見詰めて。
そうして暫く考え込む素振りをした後に、再度微笑みを浮かべ直してこう囁いてきた。

「一度、ご覧になられてはいかがでしょうか」
「ご覧というのは、ここの人形たちを?」
「ええ。遠目からではわからないこともありますので」
「……まあ、お茶もいただけましたし」

言外に"マジで見るだけだぞ"と伝えつつ。
誘われるがままに、銃兎は席を立った。
人形なんざ買う気はまるでないが、確かに見て取れるだけでも一級品の数々。
まあ、たまには目を肥やすのもいいだろうと導かれるままに商人についていくことにしたのである。

部屋の奥に行けば行くほど、飾られる人形の質がよくなっていく。
装飾品にも娯楽品にも興味はない。けれど、そういった物に触れたことはある。
最も、それはとてもここの物とは比べられないほど汚い部類だが。

「──例えばこの人形。これは紅玉の瞳を宿した少女ドールとなります」
「……瞳?」

示された人形の目蓋は固く閉ざされている。
しかし今確かにこの商人は瞳の色を語った、、、、、、、
ということは──目蓋が、開く?
こんなにも、完全に閉ざされているというのに?

「生き人形と、申しましたでしょう。──観用少女プランツ・ドールは生きているのです」
「……精巧に作られた、人形では」
「ええ、人形であることには違いありません。この人形は、自身が選んだ持ち主、、、、、、、、、からの愛を糧、、、に魂を宿すのですよ」

──話がきな臭くなってきたな。
人形が持ち主を選ぶだの、愛だの。
承認欲求の高い金持ちには確かに堪らない設定だろう。
だが、己にはそんなものは響かない。

「……なるほど、わかりましたよ。つまりは、この人形に選ばれた人間のみが、その瞳とやらを見ることが叶うわけですね」
「ご理解のお早い。……まあ、少し違いますが。一度持ち主を選んだ少女ドールは、起きて、、、居ますので他の人間も瞳の色を見ることは可能ですよ。ただ、その愛は所有者のみに向けられるものとなりますが」
「──はは、それは素晴らしい」

思わず、皮肉を含めて笑ってしまう。
だが、やはり今の言葉で合点がいった。
やはりここは、金持ち向けの道楽店だ。

こうやって客を唆して、人形の目が開くのを今か今かと期待させる。
そうして一向に開かない人形の目に、客がクレームを入れたら"修理"と銘打ち一度引き取り、目が開くように細工、、をする。
──大方、そういった商法なんだろう。

「まあ、立ち話ばかりでは勿体ない。どうぞ他の少女ドールもご鑑賞なさってください」

さあ、と行く道を示され、取り合えずといった調子で続いていく。
気持ちは大分冷め切ってしまったが、それはその商人にとってはどうでもいいことらしかった。

「こちらは黒曜石色の瞳の少女ドールとなります。同じく艶やかな黒髪も相まって、人形師たちの間でも高い評価を得ました」
「……ほう。品評会があるんですか」
「ええ、年に数回あるかないかですが、その時に品評会と競りを行い、店に入荷するのです」

色とりどりのドレスを身に飾った人形。
けれど、その容姿は決して装飾品に劣ってはいない。
それは認める。認めはする。
けれど、そのどれもがただ美しいだけで。
ただ単純に、この心には響かないだけだ。
あるいは、左馬刻の妹なんかは美しいと喜ぶのかもしれないが。
なんせこういったものは、女の為の道楽だろう。

「あちらは翡翠色の瞳を有した少女ドール。その隣は珊瑚色の瞳の少女ドールとなります」

髪の色も違えば、肌の色も微妙に違うらしい。
いくつかの人形を見ては比べていけば、段々とその違いがわかるようになってくる。
煌びやかな内装ながらもどこかしっとりと落ち着いた店内の雰囲気も相まって、下手な童話の中に迷い込んだような心地である。

そうして、部屋の奥の奥に辿りついた頃。
少し微笑みを浮かべた商人が「目玉商品ですと」と足を止まらせそう囁いてきた。

「こちらは上級の中の上級──所謂、最上級品です。白雪のように淡い肌、黒檀の甘やかな髪。そして瞳は、菫青石きんせいせきと同じ色をしております」
「……菫青石?」
「ふふ、洋名ではアイオライトといいますね」
「ふぅん」

そこまで聞いて、まじまじと人形に視線を投げる。
──確かに、言われてみれば他の人形よりも上等そうな、いやそうでもないような。
ゆるく長い髪は光の加減で群青色にも見えて、艶りと波打ち輝いている。
そうして、その唇は優しく弧を描いており、上品な眠り顔で目を瞑っていて。

「……近くで見ても?」
「ええ、是非」

そんなに上級だの最上級だの言うんだったら、最後くらいじっくり見てやろうではないか。
そう思って、少し腰を屈めて人形の顔を覗き込む。
──なるほど、確かに近くで見れば見るほど、美しい。

それこそ、今すぐにでも目蓋を開けて、にこりと微笑みそうな。
ああそうだ、そんな風に、にこりと。
───にこりと?

目の前に美しく輝く、菫青石、、、
その色を宿した甘やかな微笑みに、銃兎は思わず──後ずさった。
そうして、間髪入れずにこう叫ぶ。

「めッッ目が開いた!?」
「おや、波長が合ったようだ」
「はちょ!? はっ!?? はあッ!???」
「いやあお客様、随分と伸びる声ですねえ」

──んなこたどうでもいいんだよ!!!
ほけほけと笑うだけの商人を半ば睨みつけながら、ほぼ悲鳴に近い声を上げてしまう。
いやだって、人形が、目を開けて、笑ったぞ!?
なんだそれ、ホラーか!?!?

「何を驚いているんです。先も説明いたしましたでしょ。これは生き人形なんですよ」
「いっいきっ、いやそんな馬鹿な、人形が動くわけがない!」
「貴方、ご自身で言われたじゃあないですか。"これだけ美しいのだから、魂だって宿る"と」
「──……!」

──いった、確かに、言ったが。
いやしかし、いや、だけれど、まさか本気で動くとは。
思わず呆然と立ち竦んでいれば、「ふむ」と考えこむ声が商人から発せられる。

「しかし、目醒めてしまいましたね。これも先程述べましたが、観用少女プランツ・ドールは持ち主を選ぶのですよ。そうして、貴方は彼女、、に選ばれた」
「……」
「彼女には、貴方しか居ない、、、、、、、のです」

目が合えば、嬉しそうに微笑む少女、、
そんなにも頬を染め上げているというのに、決して自ら椅子から降り、近づいて来ようとはしない。
それは紛れもなく従順な人形そのもので、知らず知らずに目を奪われていた銃兎は、気付けはこう言葉を絞り出していたのだ。

「……もしもこの人形、私が、購入しなければ?」
「衰弱し、枯れますね。少女ドールは持ち主──つまり貴方以外の愛を受け入れない。自分が選んだ相手に受け入れられなければ、この少女ドールは徐々に弱っていき、最後には枯れてしまいます」
「……私を、忘れさせることは」
「出来はしますが、かなりの費用を要しますので、まあ、ね」
「…………」

ぐっと、息を飲む。
──いやまて、おかしいだろ。
いやでも、やっぱり眉間に皺を寄せてしまう。

おかしい、おかしいのは分かってる。
あんなに興味がなかった。
あんなに、金持ちの道楽品だと思った。

そもそも、人形遊びなんて本気で興味がないし、そそられもしない筈だ。
高級品は見てきたし、利便性のあるものは持っている。
だからこそ、こんな何の用にも立たない人形なんぞ、今まで望んで触れたことも見たことすらなくて。
──興味なんて、ありはしない、けれど。

「起きてしまったものは仕様がない。まあ、最後の餞にどうぞ抱き上げてやってください。なんせこの少女ドールは、もう貴方しか見えないのだから」

そう言って、商人は人形に触れ、軽々と抱き上げる。
しかし、それだというのに人形の視線は銃兎に釘付けで。
己しかいないという言葉を、どこまでもどこまでもこの身に打ち込んでくるのだ。

「さあ、どうぞ」
「……」

人間の子供と同じように抱き上げられた人形が、すっと目の前に差し出される。
それに少々躊躇いつつも手を伸ばして──腕の中に、確かに少女の姿の人形を受け入れた。

──軽い。
その軽さは、確かにこの少女が人間ではなく人形であることを突き付ける。

「…………」

言葉を失ったまま、腕の中の存在を呆然と見詰めれば。
銃兎の視線に気づいた人形は──少女は。
ぱちぱちと瞬きをして、そうして、恥じらうように微笑みかけてくる。

その声は聴こえない。
けれど、確かに。鈴を転がすような笑声が、聴こえてくるような気がする。

「……観用少女プランツ・ドールとやらは、喋らないんですか」
「環境に応じて、言葉を発する個体も出てきますよ。覚えさせれば踊りも踊りますし、音楽も奏でましょう。どう育てるか、または育てられるかは、その所有者の腕次第となりますが」

ぽすりと銃兎の胸に頭を預けて、すりすりと頬ずりをしてくる。
完全に安心しきった姿は──まあ、控えめに言っても確かにその、愛らしくはある。

「ちなみに、御予算はこちらとなっております」
「──ッた……!? ちょっと高すぎやしませんかそれ」
「まあこちら、最上級品ですので。……しかしそうですね、選ばれてしまった運命に対して、少し割り引かせていただきましょう」

そういって、先程自分で書いたらしい値札に、さらさらと筆で何事かを書き足していく。
いつの間にそんなものを持って書いたのか、だなんて質問は口が裂けても聞かない、聞くものか。
んなことを言ってしまえば最後、"貴方が呆けている内に"だなんて言われかねない。

「これでどうでしょう。今回は特別に、食事、、と着替えのドレスもお付けいたしますよ」
「……あと、もう一声」
「ふむ。まあ、ご興味ない中ここまでお付き合いくださいましたからね。折角ですし、特別配合の肥料、、もご用意いたしましょう。ちなみに食事と肥料はそれぞれ通常ではこのくらいのお値段となります」

そうして、再度さらっと書き足された文言に、思わずぎょっと跳ね上がる。
いやだって、なんだその値段。

そう思うのに。
確かにそう、思うはずなのに。
だというのに、しかしこの口は、そんな思いとは裏腹な言葉を吐き出してしまうのだ。

「──そちらでいただきましょう」
「ありがとうございます」

なんて、なんて高い買い物なのか。
明らかに人形に支払う額ではないし、仮に万が一これがペットだったとしても高すぎる。
だというのに、何を己は口走っているのだろうか。
なぜ、この腕の中の存在を、受け入れる方向で話を進めてしまっているのか。

「では、こちらでご契約を進めましょう。あぁ、もう既にタクシーが捕まる時間ですね。お帰りの際は、車はこちらでご用意させていただきます。勿論、その運賃も」
「……それは、どうも」

──ぐったりする。
それはきっと疲れや眠気からではなくて。
さあこちらに、と足取り軽やかに進む商人の姿に、ハメられた気がするのはどうしてだろうか。

それでも、素直にこの足は動いてしまって。
確かに腕の中に閉じ込めた少女、、に小さく、本当に小さく笑いかけ。
入間銃兎は、不可思議なこの店の中を進んでいくのである。

これぞ正に、縁は異なもの味なもの。



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