ハロー、ビューティフルデイズ



ちょっと憧れていた本でしか読んだことのない世界。
見たことのない食べ物や人、お店に乗り物、景色、それと空気。
初めて触れるたくさんのキラキラしたもの。

こんな世界なら私も頑張れるかも。

ちょっとだけそう思って、ふわっとした甘い夢を抱いたまま、何もない美しい空の下を夢中で駆け出した。



♢♢♢



「う、うぇ、うう〜………」
「きもちわるい……」

どうして都会の電車ってあんなに混んでるのかなあ。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれて降り損ねて、気がつけば知らない駅。右も左も分からずにこの駅に行きたいです、と駅員さんに聞いてる最中、不幸にも人身事故にぶち当たり、迂回して2時間遅れで今日から通う高校に着いた。
山の駅から乗り換えまではとても空いてる電車に乗っていたから分からなかったけど、毎日あんなぎゅうぎゅうにされたら絶対死んじゃう。お寿司やおにぎりだってあんなに詰め込まれることないもん。
元々早起きだって得意じゃないけど、必死に体を起こしてそれでも確実に早めに学校につくはずだった。それなのに。

「入学式……もう終わっちゃった……」

携帯は持っていた。ただ、初めて持ったせいかすっかりその存在を忘れて、学校に連絡すら入れてない。もう終わった。法律の学校なのだから、時間に厳しいに決まってる。

……いや、むしろ良かったのかもしれない。

だってこんな初日から醜態を晒していいはずがない。普通の人はきっとこんなんじゃない。里の外の人はもっと普通に、学校に通って、会社に行ったりしてるはず。
普通の人間なのに、普通じゃない自分には大きすぎた夢だったのかも。

生まれて初めて都会に来たあの日。

それはだいたい一年くらい前だ。弁護士である綾里千尋さまとその妹、綾里真宵さま。祖母が同じの親戚であり、お家から相伝の才を持ち合わせない自分にとっては雲より上の存在だ。
お仕事が終わったら一緒にご飯を食べに行こうと約束をして、真宵さまに手を引かれ連れてこられた裁判所。そこで誰かのために戦う千尋さまの姿が目に焼き付いて離れないくらい、かっこよかったのをただただ覚えている。

たった、たったそれだけでこのテミス法律学園に通うことを決めた。
まあ、それも今日で終わる。
検事になりたかった。家では除け者されてる自分に手を差し伸べてくれる心優しい親戚らを少しでも助けてあげられる。才能も何も関係なく、雲の上の存在だった人に何かをしてあげられる。

自分が大切にしたいと思った誰かの力になれる。

でもそんなものは泡沫の夢に過ぎない。何もない人はそもそも、雲の上には届くはずがない。そんなの、小さい子どもでも分かる。
才能のない自分にはきっと、出すぎた夢だったのだ。


「うーん…この辺にあるはずなんだけどなぁ」

「……ぐす」

「この首席で入学した一流のオレですら解けない難事件……うう、どうしよう…マジでわかんねぇかも…」


泣いていても仕方がないと立ち上がろうとしたとき、顔を上げると男の子がいた。一生懸命、何かを考え込んではブツブツとつぶやいていて、少し泣きそうにも見える。
綿菓子みたいなフワフワな髪の毛の上の方ではクセ毛がクルンと曲線を描いてて、クエスチョンマークみたいになっている。それが明らかに分からないという雰囲気を醸し出していて、何故か目が離せない。

……分かんないなら、諦めちゃえばいいのに。

初めて会う人にすら、そんな感情を覚える。
男の子はそれでもずーっと考え込んでいる。
真新しい制服を見ると新入生なのかな。手に持ってる紙は入学式で貰ったものってことだ。私にはもう関係ないけど。
早く諦めちゃえ。
どれだけ考え込んでも、泣いても、どうしようもならないことなんていっぱいいっぱいある。
早く、早く諦めちゃえばいい。
分からないなら、辛いなら、痛い思いをするなら、嫌な思いをするくらいなら、ぜんぶ、全部、投げ出してしまえばいい。
諦めるほうがずっと楽で簡単なんだから。
分からないことに永遠と必死になって考える必要なんて何もないのだから。

……どうして私はあの人にこんなに必死なっているのだろうか。いきなり冷めてきて気づく。
なぜ、目に入っただけの人にこんなに苛ついてしまうのかな。
帰ろっかな。一つため息をこぼすとざしざし、と砂利を踏む音が強く、大きくこっちに近づいてきて、ピカピカのローファーが目の前で止まる。

「おい、お前!何こんなときに休んでんだ、みんな宝探しに必死なのに!サボるなよ!」

「……え!え、あ、た、宝探し……?」

「…お前、さては先生の話をちゃんと聞いていなかったな!ダメなんだぞ、ちゃんと先生の話は聞かなきゃ!」

「あ、え、うう…私、そもそも…」

「今はレクリエーション中なんだぜ、新一年生のための」
「お前も一年生だろ?」

「う、うん…。そ、そうだけど…」

「なら、お前もちゃんと参加しろよ!まぁ、一番はこのオレ、一流に天才を与えられた検事、一柳弓彦だけどな!」

天に才を与えられたって言いたいのかな。
なんでさっきまであんなに泣きそうになりながら必死になってたのに、ここまで豪語できるんだろうか。ていうかまだ検事じゃない…と思う。
表情がコロコロ変わって、それが真宵さまみたいでちょっと面白かったのかそれとも呆れ半分なのか、人前で少し強張った体の力が抜ける。
思えば都会に来てほぼ初めての同年代の子だ。
もっと緊張してもおかしくないのに、なんか変かも。

「私、入学式参加してないから…その……レクリエーションのこと、全然分かんないんだ」

「ム、初日からだらしがないやつだな。オレなんて一番に入学式会場である体育館に来たぜ」
「宝探しをやってるのさ。でも、このオレの頭脳を持ってしても、そのレクリエーションで出された宝探しの謎が解けず事件が迷宮入りしてしまいそうなんだよ」

「謎…」

「全く…オレが解けないんだからよっぽどの事件だぜ」

ふらつきながらもゆっくり立ち上がって、彼の持っていた紙を見せてもらうと学校のパンフレットにも載っていたざっくりとした建物の図面と端っこに文章が記されていた。

『新入生のみなさん、入学おめでとうございます!ぜひ、わが校でも幻の大きい桜が在るところに行ってみてください!』


「………な、なるほど」

「みんな何故か桜の木を探してるけど、そんなもんいっぱいあるだろ!幻の大きい桜なんて聞いたこともないしさ、そんな目立つほど大きい桜なんてねぇよ!」

「まぁ、こんなにしっかり書かれてたら、宝はみんな桜の木の下に埋まってるかもって思うよね…多分、違うと思うけど…」

「………!、やっぱりな!そんなことだろうと思ったぜ。こんな文面に書かれてる程度じゃ優しすぎると思ったんだ!」

「えっと、桜は警察官のシンボルのことだと思うんだ」

「んー、じゃあ警察官を探せってことか?そういや、何人かが職員室に溜まってたな……」
「ってことはもう一番は取られちまってるってことか……?」

「でもこれはあくまでシンボルのことだから…桜を指すにはもしかしたら薄いかな」
「あと職員室に行っても、宝も無さそうだし、そこが答えではないんじゃないかな…。う、うーん、もしかしたら、桜は公安課を指してるのかも…」

「こ、こーあん……?」

「その…同じく警察官なんだけど、団体組織のテロや暴力団とかの情報収集をする組織なんだ。一般の人に協力者を多く持ってたり、スパイをしたりするのもその組織なんだよ」

「へ、へー、お前詳しいんだな!ま、オレももちろん知ってたけどな!……で、その組織がどう今の宝探しと関係してんだ?」

「えーっと、公安は元々サクラって呼ばれてたときもあったから…幻のっていうくらいだから、もしかしたらそれもあるかな…って」

「でも、警察官もそのこーあんってのも学校にはいねえぞ?先生はみんな今も活躍している一流の検事や弁護士、裁判官だって言ってたからな!」

「そう、なんだ…詳しいんだね」

「…へへ、まあな!入学パンフレットにもそう書いてあるぜ!」

照れ臭そうに、それでも満足気に笑いながらもパンフレットを開くイチヤナギくん。
手に取って、すぐ横に顔を並べる形で一緒にパンフレットを見る。
検事クラス、弁護士クラス、裁判官クラス、先生の名前や学年主任など、確かに教員は全員が現職の検察官や弁護士と記載されている。
公安警察の人はいなさそうだなあ。パンフレットを閉じようとしたとき用務員の欄が目に入った。

「……イチヤナギくん、この人」

「……ん?用務員のジーサン、って元公安………?あ!こーあんじゃねえか!こいつを探せばいいってことか?」

「う、うーん、自信無いけど…大きいって年齢のことかな…もしかしたら、このお爺さん…かも」

「よし、とにかく探してみるか!そのジーサン!」

「あ、うん…いってらっしゃい」

謎が解けたと、嬉しそうに笑顔を浮かべるイチヤナギくん。まだ解けたわけじゃないのになあ、なんでこんなに嬉しそうなんだろ。間違ってるかもしれないのに。
なんだかこっちまで少し嬉しくなって思わず頬が緩んでしまう。
パンフレットを閉じて見送りの言葉とともにせめてもの精一杯の笑顔でパンフレットを返すとイチヤナギくんは長い眉を不服そうに潜めた。

「いってらっしゃいって…お前は来ないのか?」

「え」

「だって、一緒に来てくれないと答え合わせ出来ないだろ!」

「え、え…あ、私、電車酔いすごくて…今、あんまり歩けそうになくて…」
「その、あと入学式も遅刻しちゃったから、参加資格もないし、自信もないから…。もしも、用務員さんが見つかって違ったら、ここに来てよ。また、その…一緒に考えるから」
「……それくらいしか…私、できないから」

「……なんだそんなことかよ」

……ちょっとは、役に立ったのかな。
生まれてこの方、誰かの役になんてたったことなんてなかったけど、ちょっとはこの人が必死になってた"分からないこと"の力になれたのかな。
そうだったらいいな、なんて淡くて甘い、バカみたいな期待を抱く。
そんな期待は胸にしまっておこうとふと、イチヤナギくんを見ると後ろを向いて膝をつき、こちらに顔を向けている。

「お前がいないと、オレが間違ってるみたいになるだろ。答え合わせだって最後までちゃんと責任取ってくれなきゃな!ほら、行くぜ相棒!」

「……え、あ、相棒…?」

「今日限定で相棒にしてやるよ。もし、推理が当たってたら正式に、常に百点満点であるオレの相棒にしてやるぜ。さぞ幸せな高校生活の始まり、光栄に思うといいぞ!」

どうしてそんなに自信たっぷりなんだろう。
答え合わせなんて、答えを見て一人でやれば簡単にできるのに。

でも、ちょっと嬉しかった。
だから、生まれて初めて誰かのために何かを考えて、役に立つことを言えた気がする。ほんのちょっとだけど、そんな自覚があった。
だから、笑顔になってくれたことがちょっと誇らしくて、嬉しくて。
相棒って呼んでくれたことが、すごく、なんだかすごく心地が良かった。
一生懸命頑張って考えてるとこが結局、放って置けなくて。

なんとも淡くて甘い、儚い夢だ。
この人の力になりたい、役に立ってみたいなんて。
まだ何もない大きくも美しい空でたった一つ、輝く星のような少年に背負われた私は、そんなバカみたいな浮ついた夢を抱いて駆け出したのだ。





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