■ 愛してその醜を忘る
※遊女設定(性描写なし)
好きでもない男に無理やり犯されたとき、愛なんてものは幻想だと知った。
金で女が売られるこの世、そんな美しいもんがあるわけない。
私は薄汚い遊女で、それ以上でもそれ以下でもない。
今日も私は、金で買われる。
「名前、お客だよ」
「はいよ、今日はどんな男だろうねぇ」
「今日は当たりさ、ずいぶんといい男だよ」
そう言われて男の待つ部屋に向かった。
男は敷いてある布団ではなく、窓際に座り外を眺めていた。
紺の着物を着た男。ずいぶん若く見える。
月に照らされたその男は、女の私からみてもドキッとするほど美しかった。
「まぁ、本当にいい男だねぇ。なんだってこんなとこに?満月に酔いでもしたのかい?」
「上司に付き合わされたんでさァ。好き好んでこんなとこ、来やしねぇよ」
「そうだろうね、女に困るようには見えないさ。なんとお呼びすれば?」
「沖田。お前さんは名前ってんだろ。名前、今日は酌の相手してくだせェ。月見といきましょうや」
「沖田様、あんたそれだけでいいのかい?」
驚いた。今までの男は私が部屋に入るなり押し倒してきたり、目をぎらつかせていたり、そんな奴ばかりだった。それが、酌の相手だけだなんて。
「遊女なんて、抱く気にもなりゃしねぇ」
「ちょっと心外だね。こう見えて私はなかなか人気あるんだ」
「いい女なのは承知済みでさァ。ここで一番いい女をって上司が頼みやがったんだ」
「そりゃ随分大金はたいたんだろうさ。どうだい、やっぱり私を抱いてみないかい?」
「…お前さん、悲しい女だな」
「悲しい?」
「そんだけべっぴんなら普通に恋愛して結婚して子を儲けて、幸せな人生送れただろうよ」
いたるところから声が聞こえる。
聞き慣れた、下品な男と女の声。
そんな中、沖田の声はやけにはっきりと聞こえた。
「あんたに…あんたに何がわかるってんだい。親に金のために売られ、好きでもない男と交わるしかない女の気持ちなんて…普通をどれだけ求めても叶わない女の気持ちなんて…わかりゃしないさ」
酒を持つ手が震える。怒りなのか悔しさなのか。
ハッと我に返り、沖田に失礼を詫びた。客相手になんてことを言ってしまったんだろう。
「すまなかったねぇ。気を悪くしないでおくれよ。遊女にも色々あるんだ。あんたもさっき言ってたけど、私だって好き好んでこんなとこにいるわけじゃないんだ」
「いや、俺も迂闊なこと言っちまったみたいだ。…しかし尚更わからないんでさァ。なんでお前さん、酌だけでいいって言ったのを素直に受け入れなかったんだィ?」
「わかってないね。ここは人気が物言う場だ。人気がなくちゃおまんまも食えなくなっちまう。酌だけで人気がとれるようなら、私だってそうしたいさ」
ここは抱いてもらってなんぼなんだ
自分の口から出てきた言葉がいやに下品に感じられた。
「人間ってのは醜い生き物だよ。そんな醜い人間の欲によって私は生かされている。普通を望むことを許されもしない、汚い女さ」
野良猫は餌を貰いたいがために己のかわいさを最大限に駆使して人に媚びる。
そんな動物と私、いったいどこが違うというのか。
相変わらず聞こえてくる甘ったるい女の声に、吐き気がした。
「名前、お前さんはやっぱりいい女でさァ」
「同情はやめとくれよ」
「同情なんかじゃねェよ」
表情も何も変えずに沖田はそう告げた。
いったい今私はどんな顔をしているだろう。
「まさかこの俺が遊女に絆されるとはねェ。ちったぁ自分の幸せ考えても、罰は当たらないんじゃないですかィ?」
「そんなの考えたところで、また明日には知りもしない男に抱かれるんだ。なにも変わりゃしないさ」
「俺がお前さんを買い取るて言ったら、どうする?」
「何言ってんだいあんた。まだ若いのに、そんなこと言うもんじゃないよ」
身請けなんて、考えたこともなかった。
「俺こう見えてもなかなか儲けてるんでさァ。…名前、俺はお前さんに一目惚れしちまった。こういうのは惚れた方が負けって言うだろ?ま、俺が身請けしたあかつきには、毎晩酌してもらうから覚悟しな。どうだい、こんな俺じゃ嫌かィ?」
彼が、初めて私に笑みをみせた。
やはり今宵はずいぶんと月が奇麗だ。
目が霞んじまって、ぼんやりとした丸い輪郭が見えるだけだがね。
愛してその醜を忘る