世界はこんなに美しい2 [ 1/1 ]

白いワンピース姿が頭から離れない。
それを感じながら、クロコダイルは一晩を過ごした。

こんなに長い時間、同じ人物を思い浮かべるなど久しくなかった。
しかもその人物は、明日も同じ場所で待っているという。

コートの裾に残る、握りしめられた跡。

それを捉えた三白眼は、溜め息と共に歪められた。


【世界はこんなに美しい2】


翌日、クロコダイルは迷っていた。
「暇なら行く」とは言ったものの、本当に足を運ぶかどうか。
反故にしたところで何てことのない約束だ。
そもそも、約束と呼べる類いのものであるかも怪しい。
早く帰ってやるべきことに手をつけるのが、今後の自分には有益である。
そうわかっているのに、何故か**の顔が頭をちらつくのだ。

結局、身支度を調えて宿を出た彼の足が向かったのはあの中庭だった。
まだ朝と言える時間。
昨日**が庭園に居たのは、夕刻の近づく時間帯だった。
今行ったとして、居るかどうかはわからない。
だが、居なければそれはそれで帰る口実になると、クロコダイルはいつの間にか自分に言い聞かせていた。

朝の建物内は静かだ。
自分の足音が響くのを感じながら歩を進める。
見えてきた庭園に**の姿がないようにと、クロコダイルは半ば祈るような思いで視線を巡らせる。

しかし、噴水の傍らにその姿はあった。
淡いラベンダー色のワンピース、頭には同じ色の帽子。

無意識に出た溜め息がどういう種類のものかと考えつつ、クロコダイルは足を止めた。
中庭の入り口から座る**を見つめる。
このまま帰ってしまえば、彼女は気づかないだろう。
目が見えないのだから、今クロコダイルがこの場にいることさえ認識できないはずだ。

そう思っていると、見つめていた顔がクロコダイルに向いた。
偶然だろうと思ったその視界で、**の口元は柔らかく弧を描く。

「おれだとわかってんのか…?」

怪訝に思って呟いた声は、どうやら届いては居ないらしい。
先ほどの溜め息が聞こえていたという線はないようだ。
しばらく待ってみたが、**の顔はクロコダイルから逸れない。
それどころか、「何をしているのだろう」という表情で首を傾げられた。

クロコダイルは観念して、**に近づいてゆく。
目の前に立つと、彼女は見えない目でクロコダイルを窺うように顔を上げてきた。

「来て下さったんですね」
「…お前、あの距離でおれがわかったのか?」
「はい」
「何故だ?」
「足音と、香りで」

微笑みながら告げられた言葉に、クロコダイルは眉を寄せた。
足音はわかる。
朝の静かな建物内ではよく響くと自分でも思っていたくらいだ。
後者の「香り」というのは葉巻のことだろうと推測できる。
しかし、それでわかったというのは解せなかった。

「今は吸ってねェが?」
「吸っていなくてもわかります。肌や服に染みついているものですから」
「…あの距離でか?」
「ええ。目が見えない分、他の感覚は敏感なんですよ。お座りになりませんか?」

穏やかな勧めに応じて、クロコダイルは大人しく彼女の隣に腰を下ろした。
ぎしりと音を立てたベンチに、**が笑みを深くする。

「クロコダイル様は、随分大きな方なのですね」
「…まァな」
「ご身長はいかほどなのですか?」
「最近測った記憶はねェ」
「そうですか。でも、2メートルは超えられているようですね」
「何故わかる?」
「気配や音で大体は察することができます。基準は伯父様なのですけど」

楽しそうに笑う表情からは、特に裏の意図は見えない。
クロコダイルから何かを探り出そうとしているわけではないようだ。
ならば何故、昨日自分を引き止めたりしたのだろうか。
それがクロコダイルには不思議でならなかった。

黙り込んだクロコダイルに、**がまた首を傾げる。
開かない目から感情を読むことは叶わない。
しかし、**の出す表情に嘘は見えない気がしていた。

「お前、何でマリージョアに居る?」

昨日、去り際に感じた疑問をクロコダイルは口にした。
それが気になって今日の訪問を約束するような発言を残してしまったのだ。
**は考えている様子で顔を俯かせた。
やはり何か特別な事情があるのだと、その仕草でクロコダイルは察する。

「サカズキに口止めでもされてんのか?」
「いいえ。ただ、聞かれたこと自体が初めてですので、答えて良いのかどうか…」
「それくらい自分で判断しろよ」
「私は伯父様の権限で生活の面倒を見てもらっている身ですので…。貴方が私から聞いた話によって何かを企むようなことがあれば、伯父様が立場を悪くします」
「まるで、おれが悪者みたいな言い方だな」
「えぇ、悪い方だとは思っています」

揶揄したつもりの台詞にあっさりと頷かれ、クロコダイルは三白眼を歪めた。
悪者だと思っているのに、何故警戒しないのか。
自分のことを話すのは躊躇うクセに、今クロコダイルが隣にいるこの状況は危惧の対象ではないのか。

さっぱり意図が読めずに黙り込んだクロコダイルに、**はにこりと微笑んだ。

「どうして近くにいることを警戒しないのか、不思議ですか?」
「あァ、その通りだ」
「ふふっ。それは、私の身柄自体には何の価値もないからです」
「…笑って言うことじゃねェ気がするが」
「そうでしょうか?」
「お前がどう思っていようが知ったこっちゃねェが、サカズキはお前に何かあったら心配くらいすんだろ」

姪に何かあったと知って、あの男が黙っているとは思えない。
クロコダイルはそう考えていた。
しかし、そんな考えとは裏腹に、**は困ったような表情で首を傾げた。

「どうでしょう…私自身の心配はしないと思いますが」
「少なくとも、取り戻そうとはするはずだがな」
「そうであったとしても、それは私の口から情報が漏れることを危惧しての行動だと思います。私が何も知らなければ、労力を割いたりはしないでしょう」
「お前の頭の中にあるモンはそんなに重要なのか」
「ええ」
「それは教えても良いんだな」
「たったそれだけでは何もできませんので。それに、私に口を割らせようとしても無駄ですし」
「何故だ?」
「その重要なことの肝心な部分を、もう覚えていないからです。伯父様や政府の方々は信用してくれないのですけれど」

寂しそうに笑った顔からは、やはり嘘は見えなかった。
言葉から察するに、彼女は海軍や政府にとって都合の悪い何かを知ったのだろう。
おそらくはそれによって自由を奪われている。
マリージョアに居るのも、その辺りが関係しているとクロコダイルは察した。

「お前、自分が間接的におれの質問に答えたって気づいてるか?」
「え?そうでしょうか?」
「その頭の中にあるモンのせいでここに居んだろ?」
「…ああ、確かにそうですね。うっかりしていました」

指摘されて気づいたことに気恥ずかしさを感じたのか、**は頬に手を当てて恥じ入るような仕草を見せた。

『天然だな、こいつ』

クロコダイルは昨日と同じ単語を**に対して思う。
昨日はまだ目が見えていないと知らなかったが、知ったあとでも印象が同じということに妙な可笑しさを感じていた。

白い手が、そっと伸びてくる。
何が目的かと身構えたクロコダイルの腕に、**が触れた。

「どうか、内緒にしていて下さいね」
「約束したとして、おれが守るとでも思ってんのか?」
「はい」
「その自信はどっからくるんだ?」
「今日の約束を、守って下さいましたから」

ふわりと微笑まれ、クロコダイルは微かに息を呑む。
確かにその通りではある。
自分は何故か、昨日の言葉通りにここに来てしまった。
しかも、こんなに早い時間から。
**はそれを信頼の証拠だと言う。
そしてクロコダイルは、何故だかそれを否定できなかった。

白い手が腕を離れていく。
肩の力が抜けたことで初めて、クロコダイルは自分が緊張していたことに気づいた。

「お前が知ったことってなァ、何なんだ?」
「さぁ…実は、私にはよくわかりません」
「それなのにサカズキ達はお前の自由を奪ってんのか?」
「いいえ、そうしてくれと頼んだのは私です」
「…はァ?」

思わず聞き返したクロコダイルに、**はまたにこりと微笑む。
先ほど「自分の身柄に価値はない」と言った時といい、やはり**はどこか変だ。
言い表せない奇妙さを感じて、クロコダイルは顔をしかめる。
そんなクロコダイルの様子を知ってか知らずか、**は楽しげに笑いを漏らした。

「変な女だと、思ってらっしゃるのでしょう?」
「あァ、気味が悪ィくらいだ」
「ふふっ、そうですか」
「…何で嬉しそうなんだよ」
「お知りになりたいですか?」
「明確な理由があるならな」

落ち着かない気分を感じて、クロコダイルは懐から葉巻を取り出す。
火をつける間、**はじっと待っていた。
まるで、見えているようだ。
クロコダイルが動作を収めると同時に、その唇が動く。

「世界は、美しいですから」
「…意味がわからねェ」
「もし貴方が今、私を侮蔑の眼差しで見ていたとしても、私にはそれがわかりません。たとえここが奈落の底であっても、私にはそれがわかりません。私がどう思われていようと、どんな状況にあろうと、私が都合のいいように思い描きさえすれば、世界は美しいのです」
「だから、笑っていられると?」
「はい」

見えないからこそ、わからないからこそ、そう感じられるということか。
クロコダイルは意味不明なその思考をそう理解した。

「お前に痛みや苦痛が与えられても、同じことが言えるのか?」
「私にそれを与えられる方を今の私は知りませんので、何とも…」
「面白い奴だな」
「そうですか?私は、クロコダイル様は誠実な方だと思います」
「…はァ?」
「だって、話し始めてから一度も、私から目を逸らさないですから。昨日も、今日も」

嬉しそうに告げられた言葉で、クロコダイルはその事実を初めて認識する。
本当に、見えていないのだろうか。
そう疑いたくなる台詞だった。

「…見られてるってのは、どうしてわかる?」
「呼吸で空気の動く感じや、声の響き方で顔の向きがわかりますので。あ、横目で見られると判断は難しいですね」
「それだけで「誠実」ってのは、言い過ぎだろ」
「そんなことはありません。初対面の方は私が見えていないからと、全く別の方向を向いて話をなさいます。時折窺ってくることはあっても、貴方のように最初からずっと私を見てくれる方はいませんでした」
「…そうか」
「はい」

緩やかに頷く姿は、クロコダイルへの信頼を表しているように見えた。
本当に変な女だとクロコダイルは再認識する。
しかしそこから、先ほど感じた奇妙さは失われていた。

彼女は、見えないからこそ世界を「美しい」と言う。
見えないからこそ、クロコダイルを「誠実」だと言う。

なくなった気味の悪さの代わりに湧き上がるのは、**に対する好奇心だった。
クロコダイルはそれを自覚する。
マリージョアに来るのは、面倒で苦痛なことだった。
しかし、次からはそれも少し和らぐだろう。
楽しみが1つできたのだから。

「お前が持ってる秘密はそれだけか?」
「まだ、あるといえばありますが」
「そうか。教えろ」
「お時間は宜しいのですか?今日はお帰りになるのでは?」
「いいから、話せ。それとな…」

言いながら、クロコダイルは**の頭に右手を伸ばす。
昨日そうしたように帽子を取り払えば、**は慌ててその手を追ってきた。
しかし、白い指が届く前に、ラベンダー色の帽子は砂へと姿を変える。
急に現れた砂粒に触れ、**は驚いて手を引いた。

「おれと居る時は顔を隠すな」
「あ、あの…今、私が触ったのは…」
「砂だ。おれは悪魔の実の能力者なんだよ」
「砂?」
「おれの右手はあらゆる物の水分を奪い尽くす。お前の帽子は、今砂に変わった」

クロコダイルの言葉を聞いた**は、困惑の表情をみせる。
それが能力に対するものなのか、帽子を砂にしたことに対するものなのかはわからない。
ただ、その戸惑いがクロコダイルには面白かった。
まるで、初めて能力者と対面するような顔だ。
伯父であるサカズキも、親しくしているというスモーカーも、クロコダイルと同じロギア系の能力者だろうに。
彼女の前で力を使う人間がいないという証拠だろうか。

ベンチに落ちた砂粒に、**の手が触れる。
感触を確かめるように指先を擦り合わせている姿に、クロコダイルは再び右手を伸ばした。
滑らかな頬に指が滑ると、**はびくりと肩を震わせる。

「怖いか?」
「…いいえ、驚きはしましたが」
「おれはお前を一瞬でミイラにできるんだぞ?」
「それでも、怖くはありません。むしろ…」

砂に触れていた手が持ち上がる。
その動作をじっと見ていたクロコダイルは、白い手指が自分のそれに重ねられたことに驚いた。
ぴくりと動きながらも離れていかない手に気を良くしたのか、**の口元に笑みが浮かぶ。

「温かいですね」
「…まァ、生きてるからな」
「左手では、何がおできになるのですか?」
「左手はねェ」
「ない…?」
「義手だ」
「まぁ、そうなのですね」

与えられた情報に、**は弾むような声を発する。
その表情は何とも嬉しそうだった。
未知の人間に対する好奇心だろうか。

彼女の中で、自分は一体どんな男になっていっているのだろう。
クロコダイルはそう思いながら、**に話の続きを促した。


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公開:2013年2月26日

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