子猫の嫁入り3 [ 1/2 ]

『あの子はねェ、泣かないんじゃないんだよ』

重苦しい溜め息と共に、つるがそう口にする。
クザンは何のことやらと首を傾げながら、庭で戦桃丸と戯れている**を見つめた。

『子どもが泣くのはね、そうすれば自分の思い通りになると思っているからさ。だから赤子は泣いて乳を求めるし、あのくらいの子は泣いて駄々をこねる。泣けば誰かが助けてくれる、誰かが自分の心を満たしてくれる。そう思っているから泣くんだよ。でもねェ…』

言葉の切れ間に、クザンはつるの横顔を見た。
そこにある表情は、どんな難題にも怯まないいつもの彼女からは想像もつかないほどに、強い憂いを宿している。

『そんなのは幻想だって、あの子はもう知っているんだ。泣いたって喚いたって、大好きな父親も、無条件に安心を与えてくれる母親も戻ってきやしない。誰かが助けてくれるかどうかなんて時の運。涙に世界を変える力なんてありゃしない。他の子達が長い時間をかけて学んでいくはずのことを、あの子はもうわかってる。だから…泣けないのさ』

2人の眼差しの先で、**は戦桃丸に向かってぷっと頬を膨らませていた。
何か不満でもあったのか。
しかし次の瞬間には何が可笑しかったのか、声を上げて笑っているようだった。

表情豊かな子であるが、「哀」のそれは極端に少ない。
あの年で、それは本当に良いことなのだろうか。
小さな心に詰め込まれたものを想像しかけて、クザンは頭を振った。
つるはその様子を見ながら、また重い溜め息を吐いた。


【子猫の嫁入り3】


『そうそう、そういう話だったんだよ』

脳裏を駆け巡った思い出に、クザンは思わずつるに対する謝罪の念を抱いた。
あんなに大事なことを、つるがあんなに悲しそうに言っていたことを、どうして記憶の奥に沈めていたのか。
信じたくなかったのかもしれない。
あの子は無邪気なだけなんだと、そう思っていたかったのかもしれない。

でもそれは、無駄なことである。
目を背けて何が変わるというのだ。
実際、素知らぬフリを続けていたなら、自分達は…。

『…ちょっと待った。ここ、どこ?』

思考を続ける前に、現状を確認しなければ。
そう気づいたクザンは、やたらに重い瞼を無理矢理に引き上げた。
耳鳴りと頭痛がひどい。
よって頼れるのは視界のみである。

眩しさで真っ白になってしまったそれが落ち着いた時、クザンが最初に理解したのは空のものと思われる澄んだ青色だった。
別の意味で目が痛くなるのを感じながら視線を下げると、黒い髪の毛が胸の辺りに散っている。
セクハラにならない程度にと配慮しながらその身体を確認してようやく、クザンはほっと息をついた。

まだ不明な点は多いが、とりあえず**と2人で「あっちの世界」からは帰ってこられたらしい。
背中の感触からしておそらく砂浜。
戻ってきた聴力でも波の音を感じることができる。
頭痛が止んだ頭でしっかりと周囲を認識すれば、そこは**が失踪し、クザンがあの黄色いクレヨンを見つけた砂浜だった。

『あっ…クレヨンは置いてきちゃったな』

どうでも良いことに思考を割きつつ、クザンは自分の上の**を揺すった。
とりあえず起きてもらわなければ身動きがとれない。
周囲に危険はなさそうだが、一体「どのマリンフォード」に戻ってきたのかは早急に確認しなければ。

「**ちゃん、大丈夫?」
「…すごく、あたまいたい」
「そっか。じゃあ、無理しなくて良いから」

返ってきた苦しげな声に、背に当てていた手を上下させる。
彼女が落ち着くようにと思いを込めた仕草は、大人になったその身体から力を奪ったようだった。

『しっかりしなきゃね。「助ける」って、言ったんだし』

重い身体で他人にまで気を遣うというのは中々の重労働だ。
しかし、今動けるのは自分しかいないのだし、誰かが通りがかるのを待っていたのでは埒も開かない。
身を起こして周囲を見回すと、意識を失う直前に手に取ったカバンとビニール袋が転がっている。
**を抱えたまま靴を履き、カバンを腕に引っ掛けたところで彼女が目を開けた。

「まぶし…」
「目閉じてじっとしてなさいな」
「でも、気になる…どこ?」
「たぶん、君が居なくなった砂浜だよ。どの時間に飛んできたかはわからないけどねェ」
「そっか」
「浦島太郎状態だったらどうしよう?」
「…私は、どっちにしろそんな感じだと思う」
「ん、確かに」

意外に**も冷静なようである。
それがわかったことによる安堵を感じながら、クザンは彼女を横抱きにして立ち上がった。
頭痛さえ引いてくれれば、自分のことは自分で話してくれるはずだ。
それならば、クザンの役目は彼女を安全な場所に連れていくことのみである。

せめて、大将の地位は残っていますように。
そう願いながら歩を進めた先に、小さな後ろ姿が見えた。
軍のコートを着ているということは、将校だ。
近づくにつれ、その白髪と耳元のイヤリングまでがはっきりと目に映ってくる。
振り返った老練な眼差しに、クザンはちょっと涙が出そうになった。

「おつるさーん!」
「クザン!あんた一体、どこに行ってたんだい!?」
「もー大好き。おつるさん、超愛してるー」
「…お前、本当にクザンかい?」

気味悪げにクザンを見たつるだったが、力の抜けた彼が座り込むとすぐさま身を寄せてくる。
そして通りがかった海兵に近くの者達を呼び集めるよう指示を出し始めた。

「良かった…おれの知ってるおつるさんだ」
「何を言ってるんだい?あんた、この1週間どこに居たのさ?」
「そっか、1週間ね。**ちゃん、聞いてた?おれが居なくなってから1週間だってさ」

ははっと力なく笑ったクザンに、**は眩しそうに目を細めながらも微笑みを返した。
**の名前が出たことにつるが驚く。
しかしクザンにも**にも、詳しい事情を説明する体力は残っていなかった。

ばたばたとうるさいくらいの足音。
クザンの腕から担架に移される際、**は反射的に縋りつくような仕草をみせる。
「大丈夫」と何度か言って聞かせてようやく、彼女はクザンから手を離した。
そのあとに現れたサカズキは**を見て怪訝な表情を出したあと、躊躇わずクザンに肩を貸してくる。
少し気味の悪い思いをしたが、それほどまでに自分の失踪も騒ぎの種になっていたのだろうと彼は辛うじて繋げた意識の中でそう推測した。

戻ったとして、あの話をどうやって信じてもらえばいいのか。
クザンの出した結論は至極単純だった。
**が残しておいたものを持ち帰れば良いのだ。
カバンに纏めさせたのは、あの黄色のワンピースとエナメルの靴と、幼い彼女の描いた絵の数々。
古びたそれらの様子が何より、彼女の経験した17年という月日を語ってくれるはず。
その思惑は見事に的中し、ボルサリーノはおろか、つるもサカズキもセンゴクも1度で話を呑み込んでくれた。

彼女が母親の面影を残したまま成長したことも、戦桃丸の教えを忠実に覚えていたことも、全てがプラスに働いた。
さすがのボルサリーノも「おじいちゃん!」と縋りつかれた時には表情を硬くしていたが、そのぎこちなさもすぐになくなった。
成長の過程を見守れなかったことは大層悔やんでいたが、それでも彼女の身分を疑うようなことはしなかった。
母は強しとよく言うが、おじいちゃんも中々強いものである。

皆が**の帰還を祝う中、戦桃丸だけは終始微妙な表情だった。
それもそのはず、小さな妹だった彼女があろうことか年上になって帰ってきてしまったのだ。
それでも変わらない「お兄ちゃん」の立場に戸惑うのは、当然のことだろう。

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