Nameless Girl [ 34/110 ]

ガレーラカンパニーの本社は、思ったよりもこぢんまりした印象を受けた。
いや、造船所が広すぎるだけなんだよね、きっと。
建物の入口には人がいたけど、カクさんと一緒だと挨拶をされただけだった。

長い廊下を進んでいくと、突き当たりで眼鏡の女の人が誰かと話していた。
相手は…あのシルクハットの人だ。
昨日のことを思い出して動きが硬くなる。
用があるのは女の人だけだから、あの人には積極的に話しかけなくていいはず。
いつ誰が来るかわからない場所だし、たぶん大丈夫…だよね?

そう思っているうちに、向こうがこちらに気がついた。
「あら、カク」と女の人が眼鏡を押し上げる。
カクさんが「客じゃ」と言うのに続いて、私は彼女に話しかけた。

「カリファさんですか?ブルーノさんからお届け物です。「昨日頼まれたもの」って言ってました」
「…ああ、そうでしたね。ありがとうございます」

考えたのは一瞬だけで、カリファさんは紙袋を受け取った。
中身を確認してから、カリファさんはシルクハットの人に「昼にサンドイッチを頼んだの」と言う。
すごい…本当に察してくれた。
すっかり感心してしまった私に、カリファさんは笑顔でまたお礼を言った。

「ありがとう。ブルーノからは500ベリーって聞いていましたけど、間違いありませんか?」
「は、はい!」
「あらやだ、財布は秘書室だわ。取って来ますから、ここで待っていてください」

値段のことなんて全然考えてなかったけど、カリファさんに助けられた。
機転が利くんだなぁ。

去っていく後ろ姿を見つめてから視線を巡らせて、私ははっと身を硬くした。
シルクハットの人が、じっとこっちを見ている。
すごく無表情だ。
こ、怖い…。

「これこれ、ルッチ。威嚇するな」
「してない」
「お前にその気はなくても、この子は怯えとるじゃろ」
「…申し訳ない。ポッポー」

一瞬、耳を疑った。
カクさんの声に反応しているのは、シルクハットの人じゃない。
その肩に乗った白いハトだ。

「見かけない顔だったので、つい。最近ここに来たのか?」
「はい…昨日の夜に。ブルーノさんのところでお世話になっています」
「酒場のブルーノ?これまた珍しいところに。何の縁で?」
「遠い親戚なんです。その…ちょっと、色々あって…」

声の後半が掠れてしまったのは、けして演技じゃなかった。
話しているのは肩のハトだけど、シルクハットの人は私から視線を外さない。
見られているという緊張で、口の中はとても乾いていた。

「色々って?」

ハトが疑問を重ねてくる。
でも、これには答えられない。
私はブルーノさんと相談した通り、戸惑ったあとで悲しそうに視線と肩を落とした。
私が黙ると、その場は沈黙に包まれる。
このまま諦めてくれるまで耐えるしかないと奥歯を噛み締めたところで、見かねたのかカクさんが助け船を出してくれた。

「よさんか、ルッチ。よほどの事情があるようじゃ」
「…そうだな。不用意に聞いて申し訳ない」
「いえ…こちらこそ、すみません」

謝りながら視線を上げる。
でも、喋っているハトを見ればいいのか、シルクハットの人を見ればいいのかわからなかった。
混乱しながら視線を往復させていると、カクさんがにやにや顔で種明かしをしてくれる。

「腹話術じゃ。ハトが喋るわけなかろ?」
「そ、そうなんですか!全然気がつかなかったです…」
「…バラすのが早いぞ、カク」
「失礼した詫びだと思え。のう、**」
「へェ、**というのか。おれはハトのハットリ。こっちはロブ・ルッチだ。よろしくポッポー」

ハットリさんが身振り手振りで話したのに合わせて、ルッチさんが握手を求めてくる。
いや、話してるのもルッチさんなんだから、合わせたって言うのはおかしいのかな…。
おずおずと手を出すと、筋肉質な手にがしっと強く掴まれる。
驚いているうちに手は離れていったけど、手のひらには何かが残った。
硬貨みたいだ。
複雑な模様と一緒に、100って彫ってある。

「おれからのお駄賃だ。お遣い、ご苦労様」
「あ…ありがとう、ございます」
「お、わしもやろうかのう」
「そんな!」
「いやいや、ルッチだけにいいカッコはさせられん」

カクさんは信じられない迅速さで私に硬貨を握らせる。
同じ硬貨みたいだ。
合計で200…ベリー?なのかな。
サンドイッチが500ベリーだったけど、どのくらいの価値なんだろう。
顔に出ていた疑問を察したのか、ハットリさんが…いや、ルッチさんが教えてくれる。

「水水肉が2つは買えるな。昼に食べるといい」
「水水肉…あ、レシピで見ました」
「この島の特産品じゃ。柔らかくて美味いぞ」
「あら、盛り上がっていますね」

戻ってきたカリファさんが輪の中に加わる。
差し出された500ベリーの硬貨を受け取ろうとして、私は200ベリーを持ったまま手を出してしまう。
慌てて逆の手で受け取ったけど、もう遅かった。
カリファさんが首を傾げたのには、カクさんが答える。

「お遣いのお駄賃じゃ。ルッチとわしから」
「そうなの。じゃあ、私も」

今度は何か言う間もなく、硬貨を握らされた。
カリファさんは100ベリーを2枚だ。

「さすがに、こんなには…」
「400ベリーあれば、近くのカフェでサラダ付きで食べられます。女の子がお肉だけじゃいけませんよ」

言いながら、カリファさんはにこっと優しく微笑んだ。
その微笑みには微かな威圧感も含まれていて、もう受け取る以外の選択肢はないのだと伝えてくる。

400ベリーをポケットに入れたところで、建物の中にチャイムが鳴り響いた。
カリファさんが「昼休憩の合図です」と教えてくれたのと同時に、近くのドアからぞろぞろと人が出てくる。
「じゃァの」とカクさんが去ったあと、カリファさんも「秘書室に戻ります」と言って行ってしまった。
気づくけばルッチさんと2人きり…いや、ハットリさんも居るから3人?なのかな?

用事は済んでいるんだから帰ればいいんだ。
そう気づくのに、私は更に数秒使ってしまった。

「では、私も失礼します」

ぺこりとルッチさんに頭を下げる。
踵を返して歩き出し、出口に向かうと思われる人達についていく。
無事に出口までたどり着いてから、あることに気づいて立ち止まった。

しまった、どうやって帰ればいいのかわからない!
カクさんに背負って来てもらったから、あの大きな壁を行き来する方法も知らない。
ど、どうしよう…ブルーノさんから貰った地図に何か…。

わたわたとポケットを探って地図を取り出す。
でも、それを読み解く前に、斜め上から呆れたような声が聞こえた。

「クルッポー、やっぱり帰り方を知らなかったか」
「…えっ!?は、ハットリさん!!」
「ルッチもいるぞ。ポッポー」

見上げた先に居たハットリさんに驚くと同時に、その奥の無表情と目が合う。
ルッチさん、ついてきてたんだ…。
ハットリさんは肩を竦めてから、仕方なさそうな表情を作った。

「途中まで道案内して差し上げましょう」
「ありがとうございます。お手数おかけします」
「いえいえ。途中にカリファの言っていたカフェもありますから、お食事していかれると良いでしょう」
「…さっきと口調違いますけど、何でですか?」
「何でだと思いますか?」

私の答えを待たずに、ルッチさんは歩き出してしまう。
ちらっと見えた口元は僅かに歪んでいるように見えた。
わ、笑ってた…?何で?

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