求めあって溶け合って




※大学生で幼なじみ。



「ねぇ切島くん、終電……」
「うぇ?……あー、うん」
「うん、じゃなくて、」

 どうしよう、とあたりを見回す。水を求めてやってきた懐かしい公園には、こんな時間だから当たり前だけど、人っ子一人いない。一緒に飲んでいた元雄英生のみんなは明日も朝が早いからと、とっくに帰ってしまった。私の膝を枕にしてベンチに横たわる切島くんの肩を揺するけれど、ろくな反応はない。どうしよう、どうしよう。
 じゃあ幼なじみよろしく!なんて押し付けられる形で、珍しくまっすぐ歩けないほどべろべろに酔っ払った切島くんの介抱をすることになってしまった。いっそ泣きたい。私だって明日大学あるし、朝早いもん。一限から授業入ってるもん。

「ねぇ、お願いだからしっかりしてよ。切島くん放って帰るわけにはいかないの。でも朝早くて、」
「んん、知ってる。授業一緒じゃん」
「ならわかるでしょ。あの先生一分の遅刻も代返も許してくれないんだから。明日だけは何が何でも出ないと、ほんと単位死ぬんだよ?あれ、必修だからね!」
「でも、だって」
「だってじゃないよ。もう、切島くん、酔っ払うと駄々っ子みたいになるよね。男らしくないよ!」
「いいんだよぉ、だって、なまえの前だし」

 どういう理屈なの、なんて、酔っ払いに常識的な会話を求めてはいけない。はあ、と大きなため息をついて、諦めたように脱力する。いや、単位のためだ。諦めてはいないけれど。
 ねぇ、と声を掛けると、んー、と締まりのない返事が返ってくる。

「今日、飲み方変だった。初っ端からガンガン飲んでさ。何か嫌なことでもあった?」
「…………あった」

 ぽそりと、だけど酔っ払いにしてははっきりとした応答。え?と疑問の声をあげるのと同時に、私の脚に掛かっていた負担がなくなった。のろりとした動きで起き上がり、隣に座り直した切島くん。赤い頬と、虚ろな瞳が私を見つめる。

「今日、なまえ、ゼミの男に絡まれただろ」
「……ん?」
「んで、告白された」

 別のゼミ取ってる切島くんが、なんでそれを知ってるの。そう思ってからすぐ、一人、思い当たる人物を思い出す。瀬呂くんが同じゼミで、やめとけ、と間に割って入ってくれてたんだ。ああ、彼から聞いたんだな。
 じっとりと、不満そうな表情を向けられて、思わず視線を逸らしてしまう。

「さ、れた、けど」
「けど?」
「断ってるもん。あの人、すごく評判悪いし」
「評判良いヤツなら付き合ってた?」
「……それは、」

 ああ、やっぱり良いヤツなら付き合ってたんだ、と、何故か私が悪者であるかのように話が進む。なにその言い方。ムッとしてしまって、そんなの私の勝手じゃん、なんて可愛くない言い方をしてしまった。いやいやでもでも、これはさすがに切島くんも悪いと思う。

「なんかいつの間にか、切島くん、って呼ぶし」
「それは」
「昔はえーちゃん、えーちゃん、って呼んでて可愛かった」
「………あのねぇ、」
「なまえはあれだ、俺なんていなくてもいいんだろ。そうなんだろ。ばーか」

 ばーか……って。どうにも悪酔いが過ぎるんじゃないの?これ、後で思い出して「うわあああ男らしくねぇこと言った!」って自己嫌悪しそうな事案だけど大丈夫?
 腹は立つけど、とはいえ、この酔っ払い駄々っ子を放って帰るわけには行かない。振り出しに戻って、いいから早く駅に行こうと声を掛ける。今ならまだ終電には間に合うはず。

「やーだ」
「子どもみたいなわがまま言わないの!」
「なまえの家」
「え?」
「なまえの家に泊まっていいなら、駅行ってやる」

 私の、家、だと。
 掃除があまり得意じゃない私はそれを言い訳に、マンションに一人暮らしをはじめて一度も切島くんを家に呼んだことはなかった。もちろん、切島くんの家にも行った事はない。
 そもそも、この年齢にもなって異性の家に行くというのは、その、そういうことだろうから、あんまりホイホイとね、ほら、みだりに連れ込んだり連れ込まれたりしたらダメだと思うんだ。付き合ってもない男女がね。ダメだよ。
 だけど結局何も言えずに、暫し固まる。私もお酒飲んじゃったし、頭がちゃんと回ってなかったのかも。どうしていいかわからなかった。切島くんもこんな状態だし、そういう雰囲気にはならないかな?それなら別に、いいんだけど。
 お酒のノリと勢いだけでそういうことやっちゃうのだけは絶対に嫌だった。そうやって微妙な関係で疎遠になってしまう女の子も男の子もたくさんいたから。いやいや、だけど、ちょっと待って。そもそもなんで切島くんを私の家に連れて帰らないといけないの?あれ?よく考えると意味がわからない、ような、気がする。いや、無茶苦茶だよね。切島くん無茶苦茶言ってるよね。私、間違ってないよね。

「……………ダメ」
「なんで」
「だ、だって、……………部屋、汚いもん」
「そんなの知ってる」
「ほんとにほんとに汚いの!」
「知ってるよ」
「もう足の踏み場もないくらい!」
「うん」
「ゴミ屋敷レベル!!」
「そんなことでなまえのこと好きなの、やめたりしない」

 テンポ良く繰り返された会話のキャッチボールを私がやめてしまったから、唐突に静寂が訪れた。好き?好きって。どっからそんな話が出てきたの。私はただ、家に泊まって欲しくないだけで。
 背中と頬を冷たい汗が伝う。うわなんか、これやばい空気?食べられちゃいそう、なんていう身の危険は感じていたけど、身体はどうしても動かない。動けたところで、いつの間にか私の肩に力を加えているゴツゴツした手がそれを妨げるだろう。詰みだ、こんなの。

「知らなかった?そんなわけねぇだろ。知ってて、避けてたんだろ。俺のこと。家呼ばなかったり、呼び方変えたり、わざと違うゼミ取ったり」
「そ、そんなこと……」
「なんでダメなんだよ、俺じゃ」
「だ、だ、ダメって、いうか」
「なに?」
「……だ、だって、」

「なぁ、付き合って。俺と。なまえのこと好きなんだ」

 それは、果たして酔っ払いの戯言だろうか。
 否、本気だ。
 そうだ、切島くんの言う通り、私は彼を意識的に避けてきた。だって、なんか、別に、付き合ってるわけじゃないし。部屋に招くまいが、呼び方を変えようが、別のゼミ入ろうが、そんなの、切島くんには関係ないもん。付き合ってるわけじゃ、なかったから。
 私だってずっと切島くんのこと好きだったよ。早く付き合ってしまいたかった。そうすれば超えちゃいけない一線だって、守る必要ないもの。我慢、してた。
 だけどそういう言葉は切島くんの方から言って欲しかったし、順番を間違えたりもしたくなかった。だから正直なところ、今この瞬間は幸せだ。すごくすごく嬉しい。ずっとこの言葉を待っていたの。ようやくスタートラインに立てたような、そんな気分にさえなった。
 ああ、でも、私、素直じゃないから。ちゃんと、面と向かっていい返事ができないよ。夢にまで見た展開を現実に迎えた緊張と、幼なじみとして長い期間を掛けて作り上げたプライドが、このドキドキを無理やり抑え込んでしまう。こんな時くらい可愛い女の子になりたいのに、意思に反して可愛くないことを言ってしまいそう。

「なぁ、付き合って?いや?」
「……い、いや、じゃ……」

 いやじゃない、と言おうとして、言えなかった。口を口で塞がれてしまったから。数秒間触れ合っただけのはじめてのキスは、アルコールでいっぱいだ。苦い、し、美味しくない。匂いで酔いそう。ビール飲みすぎだよ、切島くん。

「俺、なまえとずっと一緒にいたい」

 軽くて、苦くて、熱っぽいキス。真剣な眼差しで受けた、愛の告白。
 ああ、恥ずかしいとかプライドとか、そんなものがなんだと言うんだろう。この瞬間を何年待ったと思ってんの。馬鹿じゃないのか。そんなもの、どうにでもなってしまえ。
 頭の中が切島くんのこと以外を考えられなくなるくらい、嬉しかったんだ。だからキスをされて、その言葉を聞いた瞬間、感極まってしまった。厚めの胸板に顔を押し付けて、背中に腕を回す。
 遅いよ、ばか。私ばっかり好き好きオーラ出してるの恥ずかしくて、大学に入って避け始めたら、これだ。お互いがお互いを想いあっていることを知っていて、だけど夢の為にと我慢を強いられる日々は本当に辛かったから。もう耐えられないと、何度思ってもない酷い言葉を投げかけたことか。あの時は本当にごめんね。
 でも、一つわがままを言うなら。どうせなら、高校生の時に、シラフの時に言って欲しかったかな。長かった。すごく、すごく長かった。

「私も、」
「うん?」
「好き、だった。……ずっと」
「うん、知ってた。なまえ、素直じゃないから」
「切島くんが、遅すぎるんだよ」
「だってよ、雄英いた時はそれどころじゃなかったし、なまえと付き合えたらがっついちゃいそうで。せめて二十になって責任取れる年齢になってからって思ってたんだ」
「変なとこ真面目だし。意味わかんない」
「わかれよ。お前の為だぞ」
「………わかんない」

「わかんないなら、じゃあ、なまえの家入れて?わからせてやるから」

 うわぁ、ずるい。そんなの、ずるいよ。
 告白してもらった。頑張って、好きだって伝えられた。少し順番は入れ替わってしまったけれど、キスもした。と、なると。
 結局なんだかんだ言ったって、私は切島くんのことが好きだから。こんな風に好きな男の子から甘く誘われて、嫌だなんて言えないよ。
 雰囲気に流されてしまったのと、私自身お酒が少量入ってたから、その影響もあったと思う。わざわざ顔を起こし、切島くんと同じ目線に合わせてから、「もう一回、ちゃんとキスしてくれたら」なんて普段なら絶対に言わないようなことを口にした。言ってから、自分の目が潤むのがわかる。今度こそ恥ずかしくて、顔や身体が熱くなってきた。私ってば、どんな表情をしていたんだろう。ごくりと、切島くんの喉が鳴った。

「あー、完全に酔い覚めたわ……。こういうのを据え膳って言うのかな。はは、やばい、なまえの家まで持つかな。今これはまずいっていろいろと……」
「……しゅ、終電、逃さないとね、いいけど、」
「……なまえさ、ほんとエロくね?どこでそういうの覚えてくんの?」

 切島くんが前屈みで頭を抱えはじめて、あ、もうこれ急ぐ気ないな、と思う。もういいけどさ、うん。授業いいや。必修だし、多分、レポート死ぬほど頑張ったらきっとなんとかなるんじゃないかな。そんなことより、今は切島くんと二人でいたいもの。
 ……しゅ、終電逃すってことは、アレだ。泊まるとこ確保しないとだよね。切島くんの家も私の家も、歩いて帰るにはちょっと遠いから、そういう場合、どこに泊まることになっちゃうんでしょう。なんて。
 ああ、やばい。私、ほんと、何考えてんだろう。
 ドキドキとすごい速さで血を送り、巡らせる心臓の音が、切島くんに聞こえてないことをただただ祈る。

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