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ヴァール症候群
それは原因不明の難病。
現在全宇宙で猛威を振るう奇病だ。
通常の人間では処理出来ない量の情報量が押し寄せ理性を失い、自我を保てなくなり凶暴化するというもの。
ケイオスラグナ支部で速報として飛び交っているのは、そんな自我を失ったはずのヴァール化した人々が隊列を組み、何者かの指示に従うように動くことが可能であるのか否かという論争だ。
今までそんな事は無かったというのが実のところであるし、正直そんな事は無理だろうと思う。
何故なら2度もこの目で見て体験しているのだから。
思い出すだけでもぞくりとするようなあのなんとも言えない恐怖と焦燥感。
よく知った「人間」というものが理解の範囲を飛びこえた猛獣へと変化する瞬間に覚えた戦慄は今でもなお鮮明に思い出せる。
理性的とは程遠く、破壊的で破滅的だ。
個人の元あった性格なんて関係なく、等しく苦しみ荒れ狂う。それがヴァールシンドロームという病だ。
可能かどうかの論争が意味をなさないのは私でなくとも皆分かっている事だろう。
もはや事実として目の前に提示されてしまっている、真実なのだから。
だからこそ、皆余計に信じられないのもよくわかるのだ。
この数日間、ラグナは落ち着かないままの日々を送っている。
ワルキューレの新人ライブは半分成功。半分失敗に終わった。らしい。
フレイアちゃんはみんなに好かれるような、そんなタイプ
しかしながら彼女はウィンダミア人、今回の戦争の発端だ。
そんなことがあれば当然どこの国も、どこの星の人達だって騒いでしまう
色々憶測してしまうだろうし、しないわけにはいかない筈だ
近い人もそうでない人も
それもまた当然なんだろうと思う。
フレイアちゃん、大丈夫かな
私も裸喰娘娘で働く1人として、彼女の事をどう思うか、スパイじゃないのか、どうなんだどうなんだとお客さんに良く聞かれて滅入っている。
その度にチャックさんやメッサー君が追い払ってくれるので、ほんと様様なのである。
ありがとうデルタ小隊。
さすが早期警戒任務担当。
フレイアちゃんは当事者として悪く言われるのは相当堪えるだろう。ましてや、14歳の少女で、私よりもずっとずっと子供なのに
そこまで考えて、ほんの少し
ほんの少しだけ、憂鬱が歩み寄ってくる。その歩みは鈍足であるが故に気がつかないうちにすぐ目の前だ。
ここでは大人だとか子供だとか、そういった線引きはあまりない
私の感覚が一番間違っている事も理解して来ているのに自然と出て来てしまうのは自分ではどうしようもできないのだ。
なにもかも、自分で決めて自分でする
自分の引いた道にこそ、すべてのものが詰まっている。そういう、世界だ。
見ていればわかる
メッサー君も
アラドさんも
フレイアちゃんも、
ワルキューレのみんなだって。
じゃあ私はどうかと聞かれるとどうにも答え辛い。世界が違うから誰かが引いてくれた安全線から出ないで、判断を委ねるのだろうか。
まず自分の意見を言っても良いのかすら、わからない。
わからないことを聞く事もまた、良いのかどうかもわからないのだ。
聞く事すら戸惑う私に、誰か行動をする勇気と許可をください。
そんなことを考える時点で間違っているんだろうけど。決断をする事は、とても難しい。
変なところで迷子になった気分だ。
ちょっとだけ日本人ぽさを感じた。
裸喰娘娘は今日も今日とて賑わっているが、最近は特に忙しい。
マリアンヌさんは特にピリピリだ。
ベスさんが軍需景気戦争だって言ってたな。
ラグナの外の星から来てる人が多いのかもしれない。
自室に戻る際、「見返してやんだかんね!」と、かなり元気目な声が聞こえて来たので、気を落としてないかと心配だったフレイアちゃんはもう大丈夫なようだ。意外と強い。あんなに見た目は可憐なのに。
声のした部屋をちらりと覗くと、チャックさん1人だけ私に気がついたようで、外に向かって仁王立ち決めているハヤテ君とフレイアちゃんをちょこちょこと指差し、ウインクした。
どうやら私がフレイアちゃんを心配していた事に気がついていたみたいだ
私だけでなく彼も心配して居た1人なのかもしれない。
ひらひらと手を振られ、同じように返してそっと部屋へ向かう。
何があったのかは知らないが、きっといい方向に向いているのだろう。
次の日、いつものように前向きに戻った空気は、何故だか一転して、重くズシリとしたものが渦巻いていた。今日出発していった彼らは確か訓練と言っていたはずなんだけれど。
いつだって堂々としていて、ムードメイカーであるチャックさんでさえ、沈黙を守っている。
いつもは明るく裸喰娘娘に帰ってくるのに顔も声も疲れているなんて珍しい。
いや、そもそもパイロットとして宇宙に出ているんだから疲れないはずはないのはわかっているのだけれど。
そしてこのパイロットという表現があっているのかはわからない。
質問するタイミングもわからないのでまぁいい。
流石の私も、ずけずけずかずかと理由を聞くわけにはいかないので黙っていることにした。
とはいえ、空気を読まずにずばり、と聞けるほど無神経でも、気にならないほど無関心でもないのである。
それが私という人間であるまる。
そわそわとした気持ちを隠せないまま、ついに夕刻。もはや夜
この惑星、というかこの時代の人達は感受性豊かであり人の表情や感情を読み取ることが上手いような気がする。神経を尖らせなければいけない環境が続いているのかもしれないし、単純に少しづつ人類が進化した証かもしれない。もしかしたらプロトカルチャーなるものにいじられたのかもしれないが、それは私の知るところではない。
周りの察知能力が高いのもあるけれど意外と私は顔にでるタイプなのかみんなよく察してくれます。特にメッサー君。
あれ、もしかして君はテレパしいの実食べたのかい?
しかしながら、私と同等なほど鈍感と言える気がつかない系男子、それが今私の目の前にいるハヤテ・インメルマン。彼である。
「あー、今大丈夫か?」
彼にしては珍しく、本当に珍しく、しおらしい、いや違うか、初々しい後輩のようにおずおずと私の腕を引っ張った。
彼に、何度目になるかもう数えることもしないが、部屋で取る夕食の運搬を任され部屋に招き入れられた時だった。
「あー、いや、なんっ、て言うか・・・俺、俺さ、今日敵を、人を、殺しちまったんだ・・・」
「!」
「あ、いや、わかってる。戦争だって。これが戦争なんだって。ミラージュが平気なふりをする事を覚えろって言ってたけど、俺には、できない・・」
私を気遣ってなのか、絞り出すように発せられる声は、いつしか震えだしていた
腕を引いたまま固まったように腕を掴むハヤテ君の手をそっと引き剥がして、ぎゅっと両手で包むと、彼の細められた目が、きゅっときつく閉じている口が、そろそろと顔を出した。
じくり、じわりと彼を通して戦争というものが姿を現わすようで、なんともいえない気持ちが広がる
何もいえずにいると、急に軽い衝撃が襲いかかってきた。
目の前には、彼の身につけている宝石がキラリと揺らめく。
ぎゅ、と背に回されていた腕に力がこもった
私は今、ハグされているようだ
「一つ背負うものが増えて、1人救えている人がいるんだ、って。まだそうは思えないけど・・俺だけ負けてられないよな。」
するりと距離を取るとハヤテ君は覚悟をしたようにニカリと笑った
「お前のことも、守ってやるからな」
言い終わらないうちに伸ばされた手がグシャグシャと私の髪をかき混ぜる
普段ならやめてやめてと抵抗するような事も、何故だか、不思議なことに肩の力がストンと落ちるようだ
ほっと、胸がふわりふわりとした気持ちで浮遊する
安堵、これは安心して、安堵した感覚
「元気になって良かったよ」
「落ち込んでばっかり居られねえよ」
ポロリとこぼれてしまった言葉は、再度頭をポンポンと弾く美少年のその優秀な耳が拾ってしまったようだ。
「明日もまた任務だしなっ」
覚悟するんよーってな
にっしっし、と笑う姿がやはり私のよく知る子供の姿だった
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「明日、ヴォルドールという星に行くことになりました」
「・・・最近多いね」
立て続けに外での任務や訓練が続いている
戦争というだけあってやはり要請は多いようだ。
するり、と近づく気配を感じて顔を上げると、申し訳なさそうなメッサー君の顔が私を見下ろしている。そんな顔をさせてしまうほど私の顔は沈んでいたようだ。
頭の上に大きな手のひらが乗せられ、くしゃりととひと撫でされる。
撫でるというよりは乗せられた手がほんの少し動く程度なのだが、その感じがメッサー君らしい。
今ではこの動作はお気に入りの一つだ。
やる気スイッチならぬ安心スイッチ
「・・・すいません。今回は潜入捜査でもちこさんも参加予定だったんですが、俺が反対しました。今回はかなり危険です。ヴォルドールという星に戦略的な価値を感じる要素はありませんが、何があるかわかりませんので。」
戦略的な価値とはいったい
と思ってしまうあたりまだまだお気楽なのだろうか。わかった振りをすると酷い目にあうので素直に首をひねっておいた。
もちこさんは気にしないでください、と言うあたり細かい説明をする気もないのだろう。
差し当たって私が特別知って居なくてはいけない情報ではないらしい。
彼からして、という話だけれど。メッサー君は私がらみでは事、面倒くさがり屋な節がある。
この申し訳なさそうな顔は、どうにも私の中にしまい込んである庇護欲を引っ張り出してくる
私よりも格段に強く、格段に屈強な青年だ。そんな彼に対して庇護欲とは、自分でも実に滑稽な表現だとは思う。
しかしながら真面目で誠実で意外にも面倒見の良いこの青年に頼まれれば、いつだって何だってやってあげなくてはとも思える
思えるようになった
死は恐ろしい
戦争は怖い
戦うのは想像もできない
でも孤独はさらに深い影となって私を覆い尽くし、締め上げ、握りつぶすだろう
そんな見えない幻影に追いかけられて居たところを助けてくれたのが、一緒にいて側でいつも支えてくれたのが彼だ。
彼が一言、
私にできることを求めてくれれば
私はきっと、きっと、何だって怖くない
一緒ならばきっと
この気持ちが恐怖から逃げるための錯覚だとしても。
私から聞く勇気はないけれど。
求められたならば。
その時は彼のために、彼の救いに少しでもなれるなら。
そんな決意を込めて、明日頑張ってね、と言ってみるも、どこかの歌のように1/3も伝わっていないようだった
曖昧に、そうですね頑張ります、と笑う彼の顔は昨日よりも柔らかく輝いて見えた。
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