「やあ、また会ったね」
わざとらしい挨拶だ、と呆れを滲ませた思考を巡らせて、ジータは一瞬の逡巡の末に振り向いた。
眠れない夜、それは甲板で夜風にひとしきり当たった後、冷えた身体を温めるために部屋へ戻ろうとした折の邂逅だった。
(……いやいや、邂逅と言っていいものだろうか)
如何にも胡散臭く“また”を強調した当の本人は、驚いた様子もなく、したり顔で甲板の外に小型騎空艇を添わせている。
彼はしばしば、偶然を装って彼女を待ち伏せていることがあるので、今回のこれも“そう”だろうと容易に想像がついた。
怪盗シャノワール。目立ちたがりで驚かせたがりな、愉快犯のような男。ビィ曰く、ただの構ってちゃんじゃないかと囁かれているが、彼には彼なりの盗みの美学というものがあるらしい。
同じ怪盗であるキャサリンとはまた違った方向性の理由ではあるが、人の悲しむような美しくない盗みを良しとしない彼に、ジータも何度か助けられたことがある。
(まぁ、彼のいたずらに巻き込まれて艇倉に閉じ込められたこともあったけど)
どうにもその時のしてやられた印象が強すぎて、彼に会うと今でも身構えてしまう節があった。
こどものように無邪気に笑うくせに、ふとした瞬間、一枚も二枚も上手を行く。油断ならない男だと思う傍らで、シャノワールの処世術を信頼している自分も居るから不思議だった。
多くは騒動や些細ないたずらを引き起こすことが得意なこの男である。特に今日は、ほんの数時間前に騎空団の依頼を手伝ってもらって別れたばかりだ。
今日の今日で顔を見せに来たからには、グランサイファーを追いかけるに足る理由があるのだろう。
シャノワールはグランサイファーの甲板の縁に太い縄のついたフックを掛けて固定すると、自動操縦で小型騎空艇を並走させたまま、優雅にこちらの甲板へと降り立った。
さて、今度は一体、どんな厄介事を持ち込んできたのやら。
「期待しているところ悪いが」
「……へ」
「今回は、君が思っているような“楽しいこと”を用意してきたわけではないんだ。君の忘れ物を届けに来ただけだからね」
よほど胡乱な顔でもしていたらしい。何を言うでもなくシャノワールを見つめていたジータに向けられたのは、彼女の思考を読んだかのような返答だ。
私の忘れ物? と首を傾げたジータの目の前に、ひらりと一枚のカードが差し出される。
しかし、覗き込んだそれは見覚えこそあるものの、到底彼女の持ち物ではあり得ないものだった。
「……って、それ…シャノワールの予告状じゃない」
箔押しの猫の顔が描かれた黒いカード。ときに盗みの予告に用いられ、ときに鋭い切れ味で武器ともなる彼の予告状には、今は何の文言も書かれていない。
ふわりと薔薇の香りが鼻腔を擽る。予告状に香水を振り掛けるのも、彼のよくわからない拘りだ。
シャノワールはチチチ、と舌を鳴らすと、器用な指先でくるりと予告状を回転させる。
一瞬も目を離さなかった筈だ。だというのにどういうことだろう。
次の瞬間、この距離で一回転した予告状は、瞬きの隙間を縫って一本の暗器へと取って変わった。
「……あ」
途端に、ジータの瞳に驚きの色が宿る。彼の、魔法とも手品ともつかない早業にではない。
彼が指先で弄ぶ投げナイフの、見覚えのありすぎるそのフォルムにだ。
「今日は景気よく使っていたようだからね。暗器の一本や二本、落として気付かないのも無理はないだろうが」
「気付かなかったわけじゃないのよ。ただ、気付いたのが遅かったのと、どこで落としたか覚えてなかっただけで」
彼の届けに来たジータの忘れ物とは、どうやらこのことだったらしい。
依頼を終えてジョブを解く際、飛び道具の数を数えている最中に、どうしても数が一本合わないことに気付いた。
今日の戦闘は苦戦するほどではなかったものの、如何せん敵の数が多すぎた。悠長に消費した道具の数を数えてなどいられなかったほどには。
とは言え、依頼完了を報告して、騎空艇は既にその島から飛び立った後であったし、暗器や飛び道具、回復アイテムなどは使い捨てだ。お財布には優しくないが、この際一本くらい仕方がないかと思案の外に捨て置いたのだ。
まさか彼が拾っておいてくれようとは。
「ありがとう。貸しができちゃったね」
彼女が苦笑しながら磨き抜かれた銀色の柄に触れると、ふと、気のせいかと思うような緩やかさで指を絡め取られた。
「おや、それはよろしくないな」
目を見張って彼の顔を見上げると、夜闇にビリジアンの瞳が降ってくる。
あ、と思った頃には、すっかり冷えた頬を柔らかな温もりが掠めていったあとだった。完全な不意討ちだ。
「シャ…っ、ノ、ワール! いまっ……!」
理解が追い付いたのは、彼の名前を呼んだそのとき。何を言うべきかもわからないままに、口付けを落とされた頬から熱が広がった。
「私は常に、君とは対等でいたいのだよ、ジータ」
おそらく真っ赤になっているであろうジータを後目に、囁くような笑いをこぼしながらシャノワールはひらりと距離を取る。
「――だから、これで貸しは手打ちということでどうだい?」
ぱちぱちと二度瞬く間に、彼は夜に映える白いマントを靡かせながら、小型騎空艇へと撤収していた。曲りなりにも怪盗だ。その逃げ足たるや、油断したジータでは追い付けない程度には早かった。
「何それ、どういう……!」
どういうことなの、と理由を問うより早く、巻き上げられたフックが外れる。風はさほど吹いていないにも関わらず、小型騎空艇は見る間に離れて星の光ほど小さくなった。
甲板に残されたのは、呆気にとられて赤くなった自分の頬を手のひらで押さえているジータ、ひとりきりだ。
「……なに、今の」
答えのない問いを口にして、少女は暗器を握りしめる。磨き抜かれた刀身が、淡い月光を鋭く反射した。
その名前の示す通り、本当に猫のような男だ。こちらの気を引こうと無邪気ないたずらを仕掛けては、悪びれもなく翻弄する。仕方のない奴だと呆れ返れば、気を抜いたほんの一瞬で、指先に牙を立てていく。
こなくそ、と、怒った瞬間に尻尾の先でするり、傷痕を撫でていくような、
「あぁ、もう」
その気まぐれさに、また翻弄されるのだ。
「今度会ったら、絶対今のキスの意味、問い詰めてやるんだから」
今では信頼を置きはじめている彼の男は、けれどそうそうこちらから捕まえに行くことも困難であるからして。果たして、少女の有言が実行されるのはいつになることか。
このような些細な出来事で、頭の隅に彼の存在を据え置くことも、シャノワールの思惑通りのような気がして癪なのだが、結局は――そう、彼の本心を暴くためにも――また会えますようにと願うほかないのだ。
end
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