その話題の切っ掛けは、少女の何気ない一言だった。
「そういえば、あなたはよく何もないところから花吹雪や薔薇を降らせるけど、あれってどこからどうやって出してるの?」
気まぐれに顔を出しては、他愛ない世間話やシーソーゲームを仕掛けていく怪盗への、それは本当に些細な疑問だったのだろう。
これまで幾度かの事件や行事に関わるごとに、そのような芸当も何度か披露したなと思い出して、シャノワールは含み笑いを口元に乗せた。
「どうやって出していると思う? ぜひともその聡明な頭脳で推理してくれたまえ」
「意地悪だなぁ。いくら考えてもわからないから聞いてるんだよ」
彼お得意の煙に巻くような物言いに、自室の机で書類の整理をしていたジータは頬杖をついた。
例の如く彼女の部屋に何食わぬ顔で侵入してきた闖入者は、出窓の縁に腰かけて何をするでもなく、唇を尖らせる少女を眺めている。そこに潜むのは、混じりけのない好奇心と愉悦だ。
彼の心の機微に気付いているのか、いないのか。ジータは彼の瞳に差す色に頓着することもなく、だって、と続けた。
「手品って言うには、戦場に薔薇吹雪を降らせるなんて規模が大きすぎるし仕込みの範囲が広すぎる。魔法だって、あそこまでの規模をひとりの魔力で賄うのは難しいでしょ? 第一、そんな大きな魔法を詠唱も無しに発動できるわけがない。エルモートさんが炎を出すのとは訳が違うよね。スフラマール先生だって言ってたよ。繊細で広範囲に影響をもたらす魔法ほど、コントロールするための呪文の詠唱と魔力の調整が難しいんだって。それでね――どうやってるのかなってずっと気になってたんだけど、もうお手上げ!」
「だがジータ、怪盗に手の内を明かせと言うのはそれこそ死活問題というものだ。世の中には、知らなくていいこともあると思わないかい?」
「知らなくてもいいけど、知りたいと思うこともあるのよ。あなただってそうでしょう? シャノワール」
とうとうと飛び交う応酬に、彼女には本当に誤魔化しが効かないなとシャノワールが肩を竦めた。
普段は彼がどれほどちょっかいを掛けてもあっさりといなすと言うのに、好奇心に駆られたときの彼女は驚くほど執拗に食らい付いてくる。
この調子では、久しぶりの逢瀬がひとつの話題と押し問答で終わってしまいそうだ。
仕方ないなと呟いて、シャノワールは二、三、白手袋に包まれた手を叩いた。誘われるように彼へ視線を寄越したジータに、彼はいたずらっぽく一笑する。
「そうまで言うなら、君だけのために一度だけ見せてあげよう。その一度で見破ってみるといい」
言うが早いか、彼はパチンと指を鳴らした。指同士がこすれたその隙間から、溢れるように薔薇の花びらが舞い落ちる。
「えっ! ちょ、ちょ、ちょ、待って待って!」
慌ててペンを放り出し、シャノワールの目の前へ飛んできたジータは、胡桃色の瞳を丸々と見開いて彼の手元を凝視した。
こぼれた薔薇の花びらは、もう一方の手のひらに受け止められる。純白の上に降り積もった深紅を両手で包み込むように隠すと、一度強く握る動作で閉じ込めた。
次に彼が両手をほどいたときには、バラバラだった花びらの姿はすっかり消え失せ、代わりに一枚の予告状が手のひらの上で横たわっていた。
彼はそれを手に取ると、種も仕掛けもございません、とばかりに裏表に返し、更に指先で一回転させる。
予告状がくるりと色を変えたその刹那、薄っぺらなカードはその輪郭をぽふんと上がった白煙に揺らがせて、一輪の薔薇へと姿を変えた。
瞬きの間隙を誤魔化す暇さえ無い、手品と呼ぶには魔法じみて、魔法と呼ぶにはあらゆる法則を無視した鮮やかな術だった。
「ご清覧ありがとう。さて、疑問の答えは見つかったかな」
「えっ……えぇー? なに今の、どうやったの?」
目まぐるしく移り変わるシャノワールの手技に、ジータは目を白黒させながら瞬きを繰り返す。
「もう一回!」とねだる少女に、「一度きりだと言ったろう?」とシャノワールは得意満面の笑みで最後に残った薔薇を差し出した。
「君にプレゼントだ。今日のところはこれで我慢しておいてくれ」
「うー……なんだか誤魔化された感じ」
「よく言ったものだ。君は誤魔化されてそのまま終わってなどくれないだろうに」
今度は彼の方が目を眇めて、薔薇を受けとる少女を見やった。夜もずいぶん更けたせいか、目元に夢の気配が漂っている。
「まぁいいや。楽しいものが見られたし。薔薇も綺麗だし。ありがとう、シャノワール」
花に罪はないとばかりに、彼女は手にした薔薇へ頬を綻ばせた。
花と少女というものは、ふたつ揃えばそれだけで大抵絵になるものだ。それが愛らしい娘であれば尚のこと。もしも妙齢の女性であったなら、更に一幅の絵に相応しい光景になったかもしれない。
そのようなことを別段、感慨もなく考えながら、シャノワールは窓に背中を預け、対峙するジータの挙動を見つめていた。
花びらのあわいに顔を寄せては、芳しい香りを堪能する。こうしていると、どこにでもいる普通の町娘に見えるから不思議なものだ。
つい数時間前までは、真剣を片手に戦場を駆け回っていた女戦士だと話して、一体どれほどの一般市民が信じることだろう。
しげしげとモノクルの奥の瞳を細める彼の視線に気付き、ジータは視線を上げて「何?」と尋ねた。
「君は宝石には見向きもしないというのに、どこにでもあるような花一輪には喜ぶのだね」
彼が口にしたのは、他意のない純粋な疑問だった。「女性というものは、部屋を埋め尽くす花よりも宝石ひとつの方がさぞ喜ぶだろうに」
継がれた言葉に渋い顔を見せて、ジータは腹の底からのため息をひとつ落とす。
「常識的に考えてください。盗んだ宝石なんてそりゃ喜びませんよ」
「その薔薇だって盗んだものかもしれないだろう?」
わざとらしく丁寧な口ぶりで反論を返したジータだったが、シャノワールもまたそれに、しれっとした顔で反論を重ねた。
彼女と交わすこのような会話は好きだ。次のジータの返事を推測しては、幾つもの答えを手の内に並べる。
こう答えたら、彼女はどんな顔をするだろうか。まるでポーカーの手札を切るように、彼女の反応を読み解くことは彼の好奇心を刺激した。
提示された答えが、時に予想のつかないものであればこそ、それがよりシャノワールを楽しませるのだ。
果たして今回も、彼女は彼の期待を裏切らなかった。否、ある意味では大いに裏切ってくれたとも言えよう。
彼女はシャノワールに視線を配せ、手元の薔薇を一瞥すると、挑むように弓月にしならせた唇で笑った。
「あなたはそんなセコい盗みはしない人だって知ってる」
おっと。うっかり彼の薄い唇から、そんな感嘆符がこぼれ落ちるところだった。
それほどには、彼女の確信に満ちたその答えが予想外なものであったのだろう。
「それ以上の理由が要る?」
「いいや」
いつもは雄弁に物語る口がそれ以上の言葉を返せないことからも、彼の驚きようは察せられた。
「いや。そうか。……フフ」
やがて彼はおかしそうに声を潜めて笑うと、悠然と腰を上げて部屋の中を横切った。ジータがそれを目で追うと、彼は戸口に立って気取ったお辞儀をひとつ見せる。
さもたった今、奇術師がひとつのショーを演じ終えたかのように。
「いい具合に夜も更けた。私はこの辺りで失礼するとしよう」
「そうしてくれると助かるよ。明日は朝一の依頼が入ってるんだ」
「では、議論の続きは夢の中で逢えた時にでも。おやすみ、ジータ」
言うが早いか、シャノワールのマントが翻される。彼の姿がまっさらなそれに隠れたかと思えば、扉の開く音もなく、男の姿は掻き消えていた。
現れるのも突然かと思えば、去り際も大仰な男である。
たった今まで誰かがそこに居たとは思えないほどの静謐な空間をしばらく眺めてから、ジータは薔薇を活ける花瓶を探しに部屋を後にした。
□ ■ □
自動操縦にしていた小型騎空艇をグランサイファーから切り離す。
「“思ってる”ではなく、“知ってる”ときたか」
彼だけの小さな城には、彼女の気配などある筈もないのに、先ほど垣間見た少女の微笑みの残影がまだ彼にまとわりついていた。
「多少は信頼されていると思っていたが、なるほど。根拠もなしに手放しで信頼を寄せているというわけでもないのか。さすがは一個騎空団の団長を務めているだけはある」
どうやら彼女は彼が思っていた以上に、彼のことをよく見て、理解しているらしい。
多少は勘の鋭い子猫だと思っていたのが、うっかり虎の尻尾を踏んでいたような心地になり、シャノワールはごくりと唾を飲んだ。
「本当に君は私を楽しませてくれる」
次の逢瀬も楽しみにしているよ、と口の中で呟いて、謎多き怪盗は、握った舵をグランサイファーの航路の真逆にゆっくりと切った。
end
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