どれほど――どれほど、その背中を想っただろう。
その瞳を、その温もりを、その笑顔を。
私の礎。私の光。私の夜明け。
――私の、テンレイ。
強く、駆けた。己の身に叩き込まれた、全身体能力を足だけに集中して、強く。
脇目も振らず、ただ彼の背中だけを見つめて。
これまで生きてきたどの瞬間よりも身体が軽く感じて、まるで夢なのではないかと思うほどだ。
それでも、求めた姿が目の前にあっては、足の止めようもなかった。
「――夏楠……ッ!!」
腹から喉から吐き出すように、残るありったけの力を込めて彼の名を呼ぶ。
振り返ったその身体が。その腕が。その顔が。
彼女を捉えた瞬間、一気に弛緩した気がした。
「黎珠……? 本当に、そなたは黎珠なのか……?」
いつもの彼らしからぬ弱々しい声に、勢い込んで彼の胸の中へ飛び込んだ黎珠は何度も頷いた。声はなく、ただひたすらに涙を流しながら、抱き付く腕の力だけを強める。
それは恐らく、龍の身であり、またその能力を強く受け継ぐ青年にとっては微々たる力だっただろう。けれどその細い腕に抱き締められる日を待ち侘びた彼には、何にも変え難い至宝の如き瞬間だったに違いない。
金色の目が見開かれ、それが柔らかく、けれど所在なさげに彼女へ視線を注いでいることを、彼の胸に顔をうずめてしまった黎珠は気が付かなかった。
ただ一方的に抱き付いていた少女の肩に、背中に、おずおずと回される温もりがあった。
硝子玉を扱うように、そっと触れては、壊れないことを確めた上で、強く強く抱き竦める。まるで触れれば掻き消える幻を前にしたかのような対応に、黎珠は泣きそうに眉を歪めたまま小さく笑った。
「幻では、ないのか? 私が見た、都合の良い夢では――」
彼が指先に触れる髪を一房取っては、彼女の見慣れた髪飾り、白磁の頬に指を這わせる。擽ったくて身動ぎをした少女だが、彼は構わず少女の両頬を掌で挟むとよく見えるように上向けた。
これでもかと穴が開くほど見つめられれば、久方振りに真っ向から見つめた柔らかな視線へ、少女は己の瞳と同じ色に頬を染めた。
同時に、あぁ、帰って来たのだな、と黎珠はその瞳の端に涙を滲ませる。
優しく綻んだ目元が、片時も目を逸らさぬよう彼女を射竦めて、漸く。
はくはくと呼吸を忘れた幼子のように、少女は唇を動かした。そこから形にならない言葉達が、溢れてはこぼれ、また落ちて、結局声にすら出せないまま消えていく。
――会って、言いたい言葉が沢山あった。
あの二百の年月を越えた過去のこの地で、再び出会えた暁には、一番最初に何を伝えようと。
ごめんなさい?
――いや、違う。彼は謝られることなど何一つ望んでいない。
無事だった?
――そんなこと、聞いても彼が素直に答える筈がない。
ありがとう?
――それは勿論喜んでくれるだろうけれど。
愛してる?
――あぁ、きっと彼のことだ、突然告げれば卒倒してしまうかもしれない。
様々な言の葉が思考の隅を掠めては、その都度彼女の首を横へ振らせる。そうしてあれでもないこれでもないと、よく吟味していた筈だったのに。
「お帰り、私の光。私の……天黎」
再び胸へと抱き込むように、彼が強い力で、けれど彼女が壊れてしまわないよう細心の注意を払いながら抱擁を与えてくれる。
同時に紡がれた言葉を聞いてしまえば、彼女の真っ白な脳裏には、たった一言しか浮かばない。
「ただいま、私の夜明け――私の、天麗」
もう二度と放さない。その手に抱いた確かな温もりを感じながら、二人はその時、互いに同じことを考えた。
ここが、私の生きる場所。
私を愛してくれたあなたの生きる場所。
温かな光を受けて、そうして一陣の風が舞う。
さあ、新たな時代の幕を開けよう。
彼の地を守護する黒を掲げし白銀の龍に守られて。
この世界に、明けぬ夜など在りはしないのだから――。
end
タイトル提供*革命の養女(閉鎖)
BACK