最後にひとつ、願ってもいいですか


龍遊戯伝 - update : 2020.07.28
同人ゲーム『龍遊戯伝』より。蘭々+西嶽+黎珠。
(※このSSは、天命転覆正史+外史の微捏造話です。正史の流れで、合間に外史での蘭々との会話を経ている、という捏造設定に問題がない場合のみ続きからお読み下さい)
旧版プレイ後に書いたものなので小説版・ブラッシュアップ版とは齟齬があるかもしれません。



“彼女”の訃報を聞いたのは、最後に“彼女”とまみえてから三日後のことだった。



「火に巻かれた塔から焼死体が出た。僕も確認したけど、あれは紛れもなく――」

 その後に続く筈だった名を故意に喉の奥に隠して、女の主である男が告げた。知性の君主、白賢師と名高い西天西嶽公、白曹僖だ。彼に使われる龍討師であり、彼にその命を救われた女は、ぼんやりと虚ろな瞳で男を見つめ返した。

 主の言に訝りを覚えたわけではない。そんなわけがない、と、常人ならば、愛すべきものの死に真実を受け入れず、現実を拒絶しただろう。けれど彼女は、妄信的に己が主人を信じていた。だから、確かに好ましく思っていた筈の一人の少女の死を、蘭々は限りなく静かな心で感受した。

「そう。あのこ、死んだの」

 躊躇いなく、あけすけな物言いで呟いた言葉だけが、ただ小さくか細く、彼女の心情を表すように静寂へ落ちる。焦点を結ばないような、紫水晶の瞳がただ一点を眺めていた。

 その瞳は己が主を見つめながら、どこか別の場所を望観しているようだ。

「北嶽は、信じなかったがね。――いや、認めなかったと言うべきか」

「どうして。あるがままをうけいれるのが、“彼女”のためではないの」

 どこかが欠落したような声音で、蘭々は主人に問う。恐らくは、“彼女”を一番愛し、心を寄せたであろう龍の顔を一瞬浮かべて、小首を傾げた。鋭い金の瞳は、今頃腫れて泣き濡れているのだろうか。それを考えると――彼を好ましく思っていない彼女には、想像もできないけれど――、少しだけ揺れた心が報われるような気がした。

 かさついた胸の内が、きゅうきゅうと縮む。これが悲しいということなのだ、と、彼女が感情を覚えたのはごく最近だ。西嶽公に命を救われ、仕え始めて、悲しいと感じたことなど、ただの一度もなかった。白芥子の毒抜きを行い、己の意識を取り戻したと言えども、未だその思考能力や感受性といったものは完全ではない。

 ただぼんやりと、手袋を付けて氷に触るようにぼやけたものだった。

 それでも“彼女”に会えば、氷の中に埋めた掌のような心が少しだけ温かくなるのを知った。春の陽のような、ひなたぼっこをする時のような。花の笑顔で微笑む“彼女”は、確かに蘭々にとって心を傾けたいと願う存在だったのだ。

 慈しむことの意味を知らない、ただ頭を撫でて抱きしめる程度のことしかわからない。そんな稚拙な好意だったけれど、それでも、その無垢で清浄な心は蘭々の胸を温めたのに。

 これが喪失感というものか、と、あまり回らない頭で考える。“彼女”の喪失による人々の心の空虚を。世の変遷と、“彼女”を失うことによって得たものを。

「違うよ、蘭々。ただ一人、もっとも彼女の情を受けたあいつだからこそ、認めることができないのさ。誰が彼女の死を喪失と受け入れようとも、あいつだけは受け入れちゃいけないんだ。北嶽が認めれば、先で会う“彼女”が“彼女”たりえる人になれない。“彼女”は、本当に喪われることになるんだ」

 淡々と落とされる言葉の中に、並々ならぬ哀を込めて、男は首を振った。遠回しに真実を告げる言葉は、けれど、彼女の思考では意味を拾い上げられない。

「……? どういう、こと?」

 湖面の瞳が僅かばかり困惑に揺れた。

 けれど彼女の問いには、珍しく口を噤んだ男が推敲するように考える。蘭々へどう説明しようか迷っている風で、暫く途切れた声は言い淀むようにこぼされた。

“彼女”は元々、この時代を生きる人間ではなかったこと。“彼女”が龍と人との間の子であること。二百年の後の時代で育まれ、そこで“彼女”が北嶽公と再び相まみえること――彼女にとっては、それが初めての自分達との邂逅となろうが――。

 彼女が公主であり、次代の女帝となることは伏せながらも、これまでの経緯とこれから恐らく向かうであろう未来を掻い摘んで話した西嶽公は、そこで漸く一呼吸を置いた。理解の追いつかない蘭々は、それでもひたすら主の説明を咀嚼しようと頭を働かせる。

「ん……。あのこは死んだけど、死んでない、って、こと?」

「ものっすごく簡略化して噛み砕いてぶっちゃければそうなるね」

「それなら、いい。蘭々は悲しくないよ」

 瞳を伏せた女は、あどけなさの残る口ぶりで呟いた。何故この時代で生まれ、何故二百年の後に北嶽公と邂逅することになるのか、などとは尋ねなかった。ただ、この上ない極論をそのままに呑み込んだだけだ。

 蘭々にとっては主の言葉がすべてであるし、主がそう言うのなら、“彼女”はきっと遠い未来を生きるのだろう。自分の中で解釈した事実を受け入れると、女は少しだけ安堵する。

 しかし僅かばかり浮かべた微笑をすぐに悲しく歪めて、蘭々は哀切を漂わせながら言った。

「だけど、蘭々はもう会えないね」

 当然だ。二百という年月は、龍の目で見れば半生以下のものであるが、生粋の人間である蘭々の身には途方もない長い時間だ。それこそ生まれて、その命が費えた後もまだ続く年月の中で、彼女が生涯“彼女”とまみえることは叶わないだろう。事実は、どう足掻いたところで歪めようがない。

「お前にはつらい道ばかりを歩ませるね」

 珍しく気の抜けた調子で、男は蘭々の頭を撫でた。蘭々は、主から与えられるこの手の温もりが好きだった。“彼女”は、どこかこの心優しく非情さを持つ主に似ている。聡明で気高く、温かい。そこに侮蔑も嘲りもなく、純粋に蘭々自身を見てくれた。

 それが――そんな優しさが、蘭々には嬉しかったのだ。

「大丈夫。だけど、西嶽様。西嶽様にひとつだけ、おねがい」

「なんだい? お前が自分の希望を口にするなんて珍しいね。言ってごらん」

「あのこに……レイジュに――」



 ◇ ◆ ◇



「渡してほしいものがある、と、彼女は僕に言ったよ」

 口調は二百の年月を経ても変わらぬままに、年の功を思わせる顔付きと厳かな声音で、男は懐を探った。彼の統べる州が冠する白色の衣は、最後に黎珠が見た彼の纏う衣と酷似した意匠だった。

「渡してほしいもの、ですか?」

 あの過去からの奇跡の生還劇を経てから、一刻と半分。黎珠が天麗公である夏楠の元を離れ、また帰って来たその半時後に、白老師が層雲宮を訪れたのだ。老師と言うからにはとても偉い龍なのだろう。そう気を引き締めた黎珠の前に現れた人物を見て、彼女は驚いた。

 夏楠の指した白老師と、黎珠の記憶に存在する西嶽公が同一人物だとは、夢にも思わなかっただろう。

『おや、黎珠は知らなんだかね? 四嶽はその名の氏にそれぞれの州色を持つ。白老師の白は西嶽公の氏だ』

 後に夏楠の口からもたらされた真実に、少女は絶句した。もっと早く知っていれば、より早く真実に至れたかもしれないものを。突っ込んで聞かなかった自分が悪いとは思いつつも、その時の黎珠は夏楠に恨みがましい目を向けずにはいられなかった。

 それから程なく、彼らによって事の真相を明かされることとなったが、それよりも幾分早くすべての真実を知った黎珠が、逆に彼らへこれまでの経緯を語ることとなる。

 崖から落ちて以降の彼女の体験を、逐一二人へ話した黎珠は――彼女が公主であることを知り、尚且つ彼女へ心を寄せる夏楠に至っては、さぞ耳の痛い話ばかりであったろうが――、孝燕の差し挟んだ茶の提言により漸く休息を得たのだった。

 さて、その休憩の間に、卓で向かい合っていた西嶽公が黎珠へごく個人的な話があると切り出した。彼は夏楠に席を外してもらいたそうにしていたが、彼の心中を思うと二人きりにしてくれとも言い難い。仕方なしに夏楠立会いのもと、西嶽公が告げたのがとある一人の女性の名だった。

 蘭々という名に覚えはあるか、と問われ、黎珠は記憶を手繰りながら首肯した。過去へと飛んだほんのひと月の間に、片手で数えるほどしか会ったことはないが、それでも確かに互いに好意を寄せていただろう。

 自分と変わらないほどの背丈の、抑揚のない反応を見せる女性。一、二度、共に茶を飲んだあの時間を、黎珠ははっきりと覚えている。黎珠の言葉に安堵した様子で、西嶽公は最初の言葉を告げた。

「これを。二百年前、彼女から預かったものだ」

 そう言って彼が差し出したのは、一枚の紙切れと掌ほどの小さな桐箱だった。紙切れの方はすっかり日に焼け、所々が不揃いに擦れている。年季を感じさせる紙片とは対照的に、桐箱はついぞ最近新調したような新しさだ。

 おずおずと躊躇いがちにそれらを受け取った黎珠は、ちらと同席する二人の顔を窺い見てから、四つ折りにされた紙を開いた。触れれば崩れてしまいそうな紙切れだったが、意外と頑丈な紙質のものだったらしい。元はまっさらだったろう紙の中央には、ただ一言だけ、黎珠よりも拙い文字で“元気でね”とだけ綴られていた。

 元気で、生きて。二度と会えなくとも、どうか先の未来で幸せに。

 そんな願いがたった数文字に凝縮されているようで、黎珠は不意につんと鼻の奥が痛むのを感じた。

 決して言葉の達者ではない彼女が、きっと悩み、一生懸命に書き残してくれただろう一言が、少女の胸を震わせる。

「私、蘭々さんに……何もしてあげられませんでした」

 最後の後悔のように、ぽつりとこぼされた黎珠の声が震える。今にも鼻声になりそうな彼女の肩を抱き、夏楠が慰めるようにその背中を撫でてくれた。それでどうにか、込み上げた涙を噛み殺す。

 けれど――続く西嶽公の言葉を聞いてしまっては。

「そんなことはない。黎公主様、貴女は確かに、あの子の心に光を差したよ。私を妄信し、私以外には……たとえ私の愛息子である雲翔にさえ表情を崩すことのなかったあの子が、唯一貴女を思って笑ったんだ」

 寂しそうに、けれど、確かにその瞳には希望を持って、

『ぜったいに、届けてね』

 そう言付けて笑ったのだと、西嶽公はようやっと肩の荷が下りた様子で告げた。それから、

「でなければ、それを僕に預ける筈がない」

 肩を竦めて、西嶽公が桐箱を見つめる。恐らくこの桐箱は、後に西嶽公が中のものを保管するために誂えたのだろう。二百という年月の前では、人も物も、酷く脆い。その傷みを少しでも緩やかに遅らせるための、まるで棺のような箱。

 そこまで考えてつきんと胸を痛めた黎珠は、促されるようにして桐箱の蓋を開けた。

「……っ!! これは……」

 中に収められていた、見覚えのある品に、黎珠は思わず口元を押さえて嗚咽を堪える。そこに収まっていたのは、赤く丸い、人の瞳ほどの大きさの玉だった。紫紺の房飾りの付いた、一点の曇りもない玉石。その先には銀の簪が付いている。随分と国土の豊かになった今でも、売ればひと月遊んで暮らせる値打ちになるだろう。

 恐らくは、唯一彼女が持っていただろう財産と言うべき品だ。

 そこまで考えて、黎珠はふとあることに気付いた。

「この髪飾り、確か二つで一対ではありませんでしたか?」

 そう、記憶の中の彼女は、確か頭の両側に作った二つのシニョンをこの髪飾りで留めていた筈だ。となると、もう片割れは西嶽公の手元にあるのだろうか。片割れを見失い、一つだけぽつりと桐箱に収められた玉は、どこか寂しそうに光を反射している。

 しかし、黎珠の予想に反して首を振った男は、哀悼を込めた金の瞳で髪飾りを見つめた。

「それの片割れは……今は土の中だよ。あの子と共に眠ってる」

「……え?」

「始めは片方を貴女に、もう片方を僕にと言っていたけれど……いつか貴女の手に片割れが渡るならば、もう片方はお前が持っていなさい、と僕が言ったんだ。気休めでも、確かに互いに繋がっていたのだという証を、貴女達に残したかった」

 それに、北嶽を差し置いて僕が貴女と揃いのものを手にしていたら、彼に嫉妬で斬り殺されかねない。――とは、西嶽公が後から付け足した茶化し文句だ。冗談のつもりなのだろうけれど、過去の夏楠を知る今となっては在り得ないとも言い切れない。何とも笑えない冗談である。

 引きつった苦笑いで返事を濁した黎珠だが、ふっとその笑みを引っ込めると桐箱の中の髪飾りを手に取った。つるりとした玉はひんやりとして、嘗て言葉を交わした女の熱など伝えない。それでも、そこに彼女の小さな身体があるかのように、少女は両手で包んだ髪飾りを大切そうに胸へ抱いた。

「彼女の気持ちを、受け取ってくれるかい?」

 今は一歩引いた口ぶりで喋る西嶽公が、この時だけはあの頃の――“奴婢であった娘”に投げるような――気安い口調で語り掛ける。それが、つい数日前まで続いていたあの斜陽宮での日々と重なって、引きかけた涙がまたじわりと瞳を潤した。

 今日はひどく涙腺が緩い。気を緩めれば涙のこぼれそうになる瞳を手の甲でこすると、隣に座っていた夏楠がやんわりと制して手巾を貸してくれた。

 こんな時、ああ、自分は一人ではないのだな、と改めて実感する。

 手を伸ばしてくれる誰か。温かな言葉を掛けてくれる誰か。それとは気付かないさり気なさで支えてくれる誰か。そうして今この瞬間も、命費えてさえ長い時を越えて、こうして黎珠を励ましてくれる人が居る。

 人種だとか、龍種だとか、種の概念という垣根を越えて、自分を思ってくれる者達が少なからず居るのだ。

 ほう、と一つ息をこぼした少女は、借りた手巾で涙を拭いながらにっこりと笑った。

「はい。ありがとうございます。蘭々さんからの文も……ずっと、大事にさせて頂きます」

「よかった。彼女も報われるよ」

 西嶽公もまた、満面の笑みで晴れやかに笑う。保護者であり、彼女の主であった彼にとっては、懐刀のただ一つの心残りを解けて喜ばしいのだろう。

 少女が目元を綻ばせれば、それまで何も言わずに卓についていた夏楠が黎珠の頭を軽く撫でる。見上げると、優しい金の瞳が万感の想いを込めて柔らかく細められていた。



end

タイトル提供*capriccio



BACK


同人ゲーム「龍遊戯伝」より。
9年前に書いたものをサルベージ。

本作品は正史と外史(西嶽公の所に通い詰めるBADルート)を混合した捏造話となっております。
蘭々ちゃんめちゃくちゃ好きだったんですよ。もっと黎珠とわちゃわちゃやってるところを見たかったくらい。
黎珠が蘭々をお茶に誘うシーン(二度目の会話イベントの最後の部分)が好きで、その後どんな話をしながら二人が茶に興じたのかと思うとムネアツです。


アオバラレコード