ここは何処だろう。
僕は不思議な場所に立っていた。
眼の前に椅子とテーブルが置いてあった。
それ以外には何も無い。壁も無く床も無い。
ただ周りが真っ黒い空間で包まれているだけだ。
僕の言葉ではうまくこの世界を表現できない
でも、この世界が何なのかは理解できた。
寝ている時の頭の中にある世界。そう、これは自分自身の夢だ。
普段は夢を見ている時はそれが夢であると自覚出来ないのものだけれど、今回だけははっきりと自分が夢を見ている、と自覚できた。
僕は椅子に座る。テーブルの上にはいつの間にかコーヒーが入ったポットと受け皿がついたカップが置いてあった。
僕はポットを手に取り、カップの中に注ぐ。そしてゆっくりとコップを口に運び、黒い液体を啜る。苦味が口の中に広がる。砂糖とクリームが少し欲しいな、と思った。
「よう」
そう声を掛けられて僕は顔を挙げる。何処から現れたのか、テーブルの前に男がいた。
「ここが何処だか分るか?」
夢の中だろう。
「そうだ。そして最後の夢だ」
眼の前の男もコーヒーポットの中身を手元のコップに注ぐ。
……最後の夢?
男はその僕の質問には答えず、ずず、とコーヒーをすする。
「旨いな。このコーヒーは」
「なあ。最後の夢ってなんだ」僕は再び訪ねる。
「今の自分を思い出してみろ。現実の方のな」
朝の記憶を思い出してみる。朝普通に起きて、学校に行った。授業を受け、昼飯を食べ、再び授業をうけ、学校が終わり。学校を出た……。
ああ、そうか。
「確かに最後の夢だな」
「生きてる内でな」
「再び現実に戻れる事は?」
「ああ。もう一度だけ目覚める事は出来る。だが、それが最後の現実だ。しかも起きていられる時間は長くても2、3分だな」
「その2、3分の後はどうなるんだ」
「死ぬ」
薄々分かってはいた。分かってはいたがそれでもその言葉を聞くと希望の無い闇に落とされる、そんな気分になった。
「それ以外の結末は?」
「あるにはあるが、可能性はかなり低いぞ」
「低くてもいい。聞かせてくれ」
「植物人間か、運が良くて半身不随だな。確率で言うと……五パーセントから九パーセントだな」
これは悪夢なのだろうか。自分が死ぬ夢ならともかく、現実で死ぬと宣告される夢なんて。
これは夢だと笑い飛ばしたかった。が、現実での記憶がそうしてくれなかった。
私は学校を出て、帰る途中に交通事故に逢った。
かなりのスピードでトラックが突っ込んで来て跳ね飛ばされた。そのシーンは鮮明に覚えている。
唯、その時のショックなのか学校を出てから交通事故に逢う以前の記憶がなかった。
まあ今の僕にとってはそんな事はどうでも良かった。
「変えられるのか?」
「何をだ?」
「死ぬ運命を」
それを聞くと男は笑い出した。
「そんなことできる訳ねえよ。どこかのSFとかファンタジーじゃねえんだから。この世界はお前の夢。死に掛けの重傷人の頭の中の世界だよ」
「じゃあお前はなんなんだ」
「見て分からないか?」
よく見ると自分より背がいささか高かったが、顔の造りや、髪型が随分と自分に似ていた。
僕が思い描いている、理想の自分であるようだった。
「僕自身なのか?」
「そうだ。俺はお前の『知識』の一部だ」
「何故目の前にいる?僕の『知識』なら俺の中に居ればいいじゃないか」
「別に俺だってお前の中に居たかったさ。だがなお前が意識を失った時ににお前自身が拒否したんだ」
「僕が?どうして」
「しらねえよ」男は肩を竦める。「おおかた事故に逢った現実を受け入れたくなくてそうしたんだろ」
「でもなんで知識?普通拒否するなら記憶の方じゃないのか」
「さあな。間違えたんだろ。一応少し記憶もお前は拒否しているけどな。まあ、どっちにしろ俺はお前の元に戻ってきているからいいじゃねえか。それよりお前に言うことがあるんだ」
周りの風景が変わった。二人は草原の中にいた。足元には膝まで隠れる程の草が生い茂っている。そしてソファーが二つ置いてある。不釣合いだな、と頭の隅で考える。
「時間はあるからゆっくり話そうや」と、彼はソファーに座る。
自分もも対面のソファーに座る。
「途中で目が覚める事は無いのか?」
「お前がそれを望まない限りな」
「どういうことだ?」
普通、夢は覚めようと思って覚められるものではないし、覚めたく無くても覚めてしまうものだろう。
「まあ、今からその訳も含めて話す」
「わかった」
「夢日記は知っているよな?」
「ああ」
夢日記とは見た夢の内容を書き留めて置く事だ。日記風に書いてもいいし、小説風に書いてもいい。とりあえず夢の内容を書き留めて置けばなんでもいい。
「お前つけていたよな?」
「まあつけてはいたな。でも印象に残ったものだけしか付けてないけど」
別に毎日つけようと心がけて居た訳ではなく、起きた時に鮮明に記憶に残っているものしか書き留めてなかった。なので多くても三日に一度程で場合によっては一ヶ月も付けない時もあった。
「じゃあ明晰夢って言うのは知っているか?」
「いや」
「知らないだろうな。これはお前が拒否した知識だからな」
「で、なんなんだ明晰夢って」
「今お前が見ている夢、つまりこの世界だ」
「へえ。普通の夢とは違うのか?」
「かなり違うな。普通の夢はまず自分が夢を見ていると自覚できない。大抵は目が覚めてから『ああ、夢か』と感じるだろ?」
「まあ、たいていはそう感じるな」
「だが、明晰夢は夢の中でも自分が夢を見ていると確信できるんだ」
「ほう。でもそれなら前に一回感じた事はあったぞ。それも明晰夢なのか?」
「いや多分違う。その夢の内容は悪夢だろ?」
「確かそうだったな」
夢の内容は自分が裁判で死刑宣告をされ、絞首台に上げられ、恐怖の余り「これは夢だ」と現実逃避(いや夢だから夢逃避?)をした所で夢から覚めて「あ、夢か」と思った記憶がある。
「それはまあ、唯の夢だ。明晰夢は悪夢なんか見ないはずだ。まあ人にもよるがな」
「まだ何か特徴が在るのか?」
「ああ。見ている夢をコントロールできる」
コントロールできる?僕は少し考え、言う。「それはつまり、自分の思い通りの夢を見れるって事か?」
「そうだ。デメリットもあるがな」
「でも何故こんな時に?なにか条件でもあるのか?」
「お前さっき夢日記を付けていると言ったよな?」
「ああ」
「実はそれが明晰夢を見る為の条件なんだ。このタイミングで見れたのは……ま、運が良かったんだろうな」
「運が良い?」
「そう、運が良いんだ。この明晰夢は自分の好きな夢を見れるが故にデメリットもあるんだ」
「デメリット?」
「例えば余り現実が思い通りにいっていない人が居たとする。まあ殆どの人は思い通りにいかないんだがな。その中でも彼女に振られ、仕事も見つからないようなどん底の人生を送っている人を考えてくれ」
「わかった」
「その人が夢日記を毎日こまめに付けて明晰夢を見れたとする。すると、その人はどんな夢を見たいと思う?」
「彼女も出来て、仕事も見つかり、食いぶちにも困らない。そんな幸せで楽しい夢だろうな」
「だがそれは所詮夢だ。起きたら彼は」
「落ち込むな。夢とのギャップに」
「そうだ。そんな夢を毎日見る事が出来る」
「そうすると段々夢の方が現実で、現実が悪夢に見えてくると」
「その通りだ。そうなると夢と現実の区別が付かなくなるだろう」
「最終的には夢に食われると」
「まあそんな感じだな。そいつは夢を見たい余りに睡眠薬を大量に摂取し、そのまま目覚める事が無かったり、永久に眠る事が出来れば夢をずっと見られると勘違いして、自殺したりするな」
「怖いな」
「まあ例外もあるさ。人によってはその思い通りの夢を目標にして、現実を変えようとする奴もいるな」
「俺も例外という訳か」
「そうだな。死ぬ前に自分の好きな夢を見られるなんて良い事だろ」
「で、この夢は何時まで見る事が出来るんだ」
「体感で八十年ほど」
「八十年?長すぎだろ」
八十年といったら現実で俺寿が命まで時生きる時間と等しい。
「もちろんそれ以前に起きようと思えば起きられるぞ」
「なんでそんなに長く夢を見られるんだ?」
「良く分らんが火事場の馬鹿力みたいな物らしい。死に掛けのお前の体に奇跡が起こって脳は凄い勢いで働いているらしいんだ。まあ死ぬのは避けられないけどな」
また場所が変わる。今度は映画館の中だった。五百人は入るだろうと思われる大きな映画館だった。自分と男ははその丁度真ん中の席に並んで座っていた。
スクリーンにはまだ何も映っていなかった。
「だからお前はこの夢の中で人生をやり直せる。もちろん現実は変らないが、望めば現実の自分を忘れる事も出来る」
「……」
「そしてこの夢の中では神になれる。思い通りの世界を作れる。自分が勇者になって悪を成敗する事も出来るし、金や女を思うがままにして一国の主にもなってもいい」
男の発言に合わせスクリーンはその映像を映した。
「もちろん現実とそっくりの世界でもいい」
男が席を立って扉から出た。自分もそれに従う。
扉の向こうは小さい部屋だった。奥に扉が二つあり、片方には「夢」、もう片方には「現実」と書かれていた。
「満足するまで思い通りの夢を見たら現実に戻ればいい。それで心は満たされるだろう。何、現実逃避とは違う。確かに現実逃避に見えるが、現実の時はほとんど動く事は無いし、結局現実に戻るのだから。まあ死ぬ前の悪足掻きってとこだな」
男は二つの扉の間に立ち、僕の目をじっと見る。
「で、どうする?このまま夢を見るか?それとも現実に戻るか?」
「お前はどっちがいいんだ」
「おいおい何を聞いているんだ。俺はお前だぜ?当然意見は一緒だ。まあ直ぐに決める事でも無いからゆっくり悩んだらいい。期限は八十年あるんだ」
「そうか」
「悩んでいる間記憶でもみようか」
再び世界が変った。
そこは学校の教室だった。時計を見ると放課後だった。
教室には人が一人居た。それは私が以前から好きだった女子であった。片思いであり、今まで告白出来ないでいた。
彼女は椅子に座って机の上で勉強をしていた。確かこの後私が忘れ物を取りに教室に戻って二、三言葉を交わしたはずだ。
「あれ、どうしたの」私が教室に入ると彼女はそれに気付き、声を掛けてきた。
「ちょっと忘れ物をとりにな。何してるんだ」分かってはいたが、私は話を続けたかったので訪ねる。
「見ての通り勉強よ」
「友達と一緒にしないのか?」
「んー。別にしても良いけど、仲がいい友達だと雑談がメインになっちゃったりするしね」
「そうか」
「でも一人だと少し寂しい気もする」
「まあ、確かにな」
「あのさ、暇なら一緒にやらない?」
「え?な、何をだ」
「勉強だよ。君は結構勉強できる方だよね」
「まあそれなりには」
私は毎日勉強を一時間ほど欠かさずやっていたので、学校でも上から二十番程度の位置を保っていた。
「じゃあ私に教えてくれない?お礼もするからさ」
「いいけど、今日は用意してないぞ」少しお礼と言う言葉に釣られ、私は快諾した。
「明日は私が用事あるから、じゃあ明後日にでもしよう。約束ね」
けれども、彼女との約束は結局守れなかった。昨日の事だった。
おそらく彼女にもう会う事はないだろう。だけど、出来る事ならもう一度だけ会いたい。
「この世界なら彼女にいつだって会えるし、それどころか結婚する事だってできる」
僕の姿をした彼はそう言った。
「だが、所詮お前の想像で作り上げた彼女だがな」
……。
「何、別に誰が咎める訳でも無い。現実で起こせたかも知れない事実を見るだけだ」
現実で起こせたかも知れない、か……。
「ああ、そうそういい忘れた事があったな。四十年分丸々夢を見てしまうと目覚めた時にまともに話せない筈だ。起きても意識が朦朧として、視界が段々ぼやけそれで終わりだ」
「何故だ」
「まあ、脳の使い過ぎによる疲労て所だ」
「どの位なら疲れない?」
「それは分らない。まあ今起きたとすれば喋る事は出来るだろう」
場所が変わる。
そこは自分が学校と家を行き来する時に使う道だった。
「ここは……」
「そう、今日お前が事故にあった場所だ」
「嫌がらせか?」
「いやいや違う違う。お前跳ね飛ばされる前の記憶が曖昧だろ?」
確かに跳ね飛ばされた時は覚えているがその前の記憶は覚えていなかった。
「ああ」
「何故自分が撥ね飛ばされたのかその理由を知らないだろ?」
「確かに知らないな。でもそんな事知ってどうする。別に結果は変わらないだろ」
「お前自分が信号無視して来た車に撥ねられたとか思っているだろ」
「まあそんな感じだろ。というかお前は何故その時の記憶知ってるのか」
「さっき俺はお前から拒否された『知識』の一部っていったよな。実はお前『記憶』の一部も少しだけ拒否しているんだ」
「最初に言えよ」
「いや実はこれ見せるべきか迷っていたんだが……。良く考えると何故お前がこの記憶を拒否したのかが分らん。拒否するなら撥ね飛ばされた時のはずだろ」
「知るか。もう良いからとっとと見せろ」
「分かった分かった」
と、突然場面が切り替わる。
私は学校から家へ帰ろうと歩いていた。
道路に差し掛かる。横断歩道の緑信号が点滅していたので少し足を速める。まあこのペースなら渡れるだろう。
私の目の前には小学生と思われる赤いランドセルを背負った女の子が歩いていた。私が初めの白線に差し掛かった時にはその子は横断歩道の中央を少し過ぎていた。
一応走りながら軽く左右確認する。
と、左から明らかに信号手前で止まるスピードでは無い車かこちらに突っ込んで来ていた。
このままでは女の子は撥ねられる。時間にして後2、3秒か。不幸にも女の子はまだ車の存在に気付いておらず今までと同じ速度で歩いていた。
もしその時立ち止まっていたならば私は五体満足で家に帰っていただろう。眼の前で凄惨な光景を見せられたショックと共に。
が、私は立ち止まらずに、むしろ全速力で走り、思い切り女の子を突き飛ばした。
「助かったのか?」いつの間にか場所は小さい部屋に戻っていた。
「まあ突き飛ばされたから擦り傷程度の怪我はしたが、殆ど無事だったな」
それは良かった。
「助けなければ生きていたのにな」
「それはそうだけど、あの子が死ぬだろう」
「後悔していないのか」
してないと言えば嘘になる。
撥ね飛ばされた後、少しの間だけ意識はあった。その時少し思ったのだ。
ああ、何で私は助けたんだろう、と。
「でも現実では女の子を助けてるんだろ」と彼はフォローするように言った。
「別に思った事ぐらい良いじゃねえか。それ以前に助けよう、と思っているんだから。人ってのはそんな完璧な生物じゃ無いだろう。人を殺す奴も居るし、私利私欲に走って他人を殺すさせる奴も居る。そんなのに比べたらお前なんかゴミみたいな悪党だよ。別に構わないだろう、後悔したって。所詮それは妄想であって、現実に起こった事じゃない。言葉にしなければ誰にも伝わる事も無い。お前は助けた事だけを受け入れればいい」
自分はその事を思い出したく無くて拒否したのかも知れなかった。
「決まったか?」
再び二つのドアの前に立つ。
「ああ」
ノブに手を掛ける。
「そっちを選ぶのか」
こっちを選んだら再び彼女に会う事ができる。新しい人生を歩める。
「まあ、お前の自由だ。どっちを選んでも現実は変わらないしな」
でも、この扉を開けたら。
自分の今までの人生を否定してしまう。そんな気がした。
ノブから手を離し、もう一つの扉に手を掛ける。
それは「現実」への扉だった。
「やっぱりな。そっちを選ぶと思ったよ」
「僕は逃げない。たとえそれが夢であっても、現実から逃げる様な事はしたくない」
扉を開ける。
明るい蛍光灯の光で目が覚めた。
病室の様だ。
とりあえずまだ、僕は生きていた。
そして僕の他に病室には四人の人間が存在していた。
母親に父親。そして私が突き飛ばした女の子。
まあ両親はともかく女の子はいるかとは思っていたのであまり驚きはしなかった。
だけど、もう一人が予想外だった。
彼女だった。放課後教室で勉強していて、僕が密かに好きだったあの彼女だ。
私は少し混乱した。だが直ぐに混乱は解ける。
女の子と彼女の顔は良く似ていた。恐らく姉妹なのだろう。聞いて確かめたい、けれどもそんな余裕はないし、たとえ知ったとしても、死に行く人間にとってその知識は無用だった。
とりあえず彼女が私の死に目に立ち会ってくれている。ただその事実を受け止めた。
私が目覚めた事を知った医師が部屋に入ってきた。僕の腕を取って脈を図る。
4人に何か暗い顔で何かを伝える。恐らく僕の時があと少しだと言っているのだろう。
段々視界がぼやけて来る。
最後に何かお別れの挨拶をしたかった。
でも何も思い浮かばない。
こんな事ならさっきの夢の中で言葉を考えてくれば良かった。
皆が僕に向かって口々に何か言っている。だけども、もうその言葉は僕の耳に届いていない。
心臓の鼓動がゆっくりと、けれど確実に、生の終焉に向かって止まっていくのを感じる。
彼女に最後、告白したかった。
名前を呼んで、好きだよ、と言いたかった。
けれど、その言葉は喉元まででかかって止まる。
言えなかったのではない、言わなかったのだ。
告白した僕は満足する。けれども、告白された彼女はただ戸惑うだけだ。
何せ、僕は返事を聞く前に死んでしまう前に死ぬのだから。
どうせ告白したところで何かが変わる訳でもない。それは心臓の鼓動が証明してくれている。
私は彼女への思いを胸の中に仕舞い、代わりに彼女を見た。
彼女の瞳はとても澄んでいて、私の事をしっかりと見つめ返してくれた。
私は彼女に幸せに人生を過ごして欲しかった。決して私のような事にならずに。
「さようなら」
鼓動が止まる。
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