LSM
此処はボニュス地区にあるBAR。
店内は薄暗いが、そこまで寂れているという訳でもない。
そこに2人の男女が並んで座っている。
エルザとザラムであった。
二人の前にはそれぞれグラスが置いてあり、たまにそれを持ち上げ口に運ぶ。
会話は無かった。流れるのは店内の蓄音機からの古典音楽の音のみ。
綺麗に磨かれた黒いテーブルは2人の姿を映し出す。
2人は宮殿に勤めてていて、仕事が終わった後の帰りに酒をたしなんでいる、そんな所だった。
エルザ・クロイツフットはサン宮殿直属遊撃隊隊長。そしてザラム・ は副隊長。
年齢はザラムの方が成人になったばかりのエルザより3年ほど上であったが、勤続年数、剣の腕と共にエルザの方が上であった。
「なあ」とザラムが口を開く。沈黙に耐えられなくなった、と言うよりは、聞きたい事を思い出したから聞いてみたという感じであった。
「もうそろそろ帰らなくても良いのか」
「なぜだ」エルザは言う。
「家で2人が待っているんだろう。心配しているんじや無いのか」
「大丈夫だ。今日は帰りが少し遅くなると言ってある」
「それならいいのだが」
クロイツフット家は10年ほど前に母親を、5年前に父親を亡くしていた。
そしてそれからはエルザ一人で二人の妹と弟を養ってきた。
宮殿勤めのおかげもあってか、生活には困っておらず、多少の貯えもできた。
グラスの中の氷が溶け、カラン、と音を立てた。
「一週間に一度ぐらいは贅沢位してもいいだろう」
「まあ、そうだな」とザラムは相槌をうつ。「ところで一緒に飲むのが俺なんかで良いのか」
「ああ。他の連中とは余り飲みたくない。あいつら騒ぐからな。私は静かに飲みたいんだ。だけど一人で飲んでいると決まって男に声を掛けられる。断わって直ぐに退いてくれる奴は別に構わないんだが、たまにしつこい奴がいて、私が頬を張りとばすまで、しつこく話し掛けて来る奴が居るんだ」
「で、そういう奴を回避する為に俺を誘ったと」
「まあ、そうなるな」とエルザは答える。
「でも私と飲むのが嫌なら断わってくれてもいいのだが」
「別に嫌ではない。寧ろ誘ってくれて有り難いと思ってる」ザラムは言う。「実は俺もあんまり騒ぐのは好きじゃない。まあ祭りとか歓迎会とかそういう特別な時なら構わないんだがな。普通の時は静かに飲みたいんだ」
「そうか。それならいいんだ。私に気を遣ってくれるのかなと思ってな」
「そんなつもりはない。現に今俺は敬語を使ってないし、嫌ならはっきりと物を言う」
「それに女として私を見ない」
部隊の中で紅一点のエルザを部下達はほとんど色目で見ているのだが(彼女は部隊を統率できているのはそのことも手伝っていたりする)ザラムだけはそういう目で見ようとしなかった。
「勤務中は私情を混ぜてはいけないのだから当たり前だろう」
「今は勤務外だけどな」今までに3,4回こうしてザラムと飲んだが一度も手をつなごうとしたり、拠った勢いで抱きついてきたりそういう素振りは見せなかった。エルザとしては自分から誘ったのだがらまあ、そういうことをされても仕方ないなとは思っていたのだが。
「彼女が居るのか」
「いや、いない」
「ひょっとして年下には興味ないのか?」
「そういうわけではないと思うが」
「もしかしてインポテンツなのか」
ぶっ、とザラムは口に含んだ酒を噴き出した。
「汚いぞ」とエルザは少し顔をしかめる。
「お前が変な質問するからだろうが」ザラムはマスターから布巾を受け取り、テーブルを拭く。
「で、インポなのか」とエルザは再び繰り返す。
「違う。ちゃんと起つに決まっている」
「じゃあなぜ私に興味が湧かない」実際の所、何故彼が勤務外でもそういう素振りを一度も見せないのかと疑問に思っていた。エルザは一度も胸とか尻とかに彼の視線を感じたことはあった(他の部下の視線は常に感じていたが)。
「・・・多分他の場所で君と逢ったなら、俺は告白していたのかも知れない。だけど俺は尊敬してしまったんだ」多分それが君に女として興味が湧かない原因なんだろうな、と呟く。
「あの時手合わせをしたからか」
「ああ、そうだ」そういってザラムは思い出す。
「皆、注目!」そう言って国王の声が響き渡る。
サン地区合同訓練場。そこに30名程の兵が並んでいる。
前方には一段高くなった床がありそこには国王デルド・サンと一人の女性が立っていた。
彼女は成人女性と言うには少し若い位の容姿だった。
「いままで遊撃隊隊長であったフォル隊長が高齢により引退したので今日から彼女が隊長と成る」デルド国王が言う。
「エルザ・クロイツフットです。宜しくお願いします」と彼女は丁寧にお辞儀をした。
流石に国王の前だから兵士達は何も言わなかったが、国王が去った後口々に不満を言い始めた。
「なんで女なの?」「さあ」「どうせ国王を色気仕掛けで誘惑したんだろ」「尻軽女め」と文句を言うのを彼女は唯黙ってじっと聞いていたが、暫く経って静かになるとこういった。
「皆様私に何か聞きたいことはありますか?」
そう改めて聞かれると先程の文句を言う物は誰も居なかった。代わりに他の質問が出る。
「何歳ですか?」
「19です」
これには皆少し驚きを覚えた。この部隊の入隊条件の年齢は20歳。それよりも1歳も若くそれも隊長。驚きは怒りに変わり質問は段々と酷いものになっていた。
「スリーサイズはいくつですか」
「それは・・・」
「初体験はいつですか」
「ないです」
「何人の男と寝たのですか」
「だからないと」
「おい、もう止めろ」気付いたらザラムは叫んでいた。
なんだ、おまえあいつの味方するのか、と周りの兵士が文句を言う。
どうやら怒りの矛先がこちらに向けられたようだ。
ザラムとしてはエルザが選ばれたのは色仕掛けではなく、単に実力で選ばれたと考えていたし、別に女だからといって非難の色も示さなかった。
ただこのままだと、彼女は隊長として認められないのではないか、そう思った。
「一つ質問、いやお願いをしても良いでしょうか」とザラムは手を挙げて言う。
「はい、なんでしょう」とエルザは言う。
まさか一緒に寝てくださいとか言うんじゃないだろうな、という冷やかしの言葉を無視し、ザラムは言う。
「私と手合わせをしてもらえますか」
この時、ザラムは部隊内では一番の剣の腕前を誇っていた。
エルザがザラムと戦って、彼女が勝つとは思わなかったが、いい勝負をすれば渋々ながら他の兵士達も彼女を認めるだろうし、なによりこれから上司になるであろう彼女の腕前を知っておきたかった。
「真剣でですか」
「いえ、木刀で」
「なら、構いません」彼女もザラム同じ考えなのだろう、快諾した。
模擬演習。
ルールは三本勝負、判定は首、、頭、腹、胸等は一発、肩、腕、手、脚は二発斬られたら一本とする。
刀だけでなく、足や素手で攻撃を加えるのはOKだが、判定には加えない。なおその際、目、股間は狙ってはならない。狙った時点で一本を相手に与える。
股間はありにしてやれよ、ハンデとしてさ、と一人の兵士が言ったが、エルザはそれをつっぱねた。
そうして二人は対峙した。
エルザは壇上で見た印象より意外と背が高く、170程あった。まあザラムは180以上あるので頭一つ分小さかったが。
さて、どう来るか。
ザラムは少し様子を見る事にした。
木刀を中段に構える。
攻めるなら上段だが、捌くなら中段の方が良いからだ。
エルザは下段に構えている。
なるほど、身長の差を利用して見えない位置から切りかかってくるつもりか。
ザラムはそう考えた。が、その予想は裏切られた。
「始め!」
その合図と共にエルザは跳んだ。しかもかなり高く150程飛び上がっている。
「は?」一瞬、ザラムは戸惑う。
エルザは上空から片手で木刀を持ち叩きつける様に斬り付けようとしている。
ザラムは慌てて木刀でそれを受けようとする。
が、そのエルザの斬りつけはフェイントでザラムの木刀を踏み台にし、そのままザラムの背後へ飛び降りる。
ザラムは少しよろけたが、持ちこたえ、エルザの方へ振り向こうとする。
だが、間に合わなかった。
ザラムと背中合わせになった状態でエルザは木刀を逆手に持ち、そのまま背後のザラムの腰目掛けて突く。
丁度振り向いている途中だったので脇腹に木刀が刺さり、つかの間、息が出来なくなった。
そのような状態になりながらも、ザラムは転がりエルザと距離を取った。
ちっ、と軽く舌打ちをする。
「一本ですよね」無表情にエルザが聞いてくる。
「ああ、一本だ」
「あれは貴方が怒るのではないのかと心配ではあったのだけれど」エルザはチーズを摘みながら言う。
「怒る要素なんかあるか?」
「実践では出来ない事をしたから」
「ああ、まあ確かにそうだけど、それは別に怒る要素でもなんでもないだろう」お互いに木刀で戦うことを了承してたのだから、と付け加える。
「あと、不意打ちに近かったでしょ」私が飛ぶなんて予想外だったでしょ、とエルザは言う。
「対峙しているのに不意打ちも何もある物か。あれは単に俺が未熟で対応出来なかっただけだ」
「そう、ならいいんだけど」
「怒って欲しかったのか」
「だって怒ってくれた方が戦いやすいじゃない。狙いも甘くなるし」
「そこまで考えるのか」とザラムは苦笑する。
そこでふとザラムはエルザの変化に気付いた。
「口調少し変わってないか」
「え、そうかしら」
「いつもより女に近い口調だ」
「・・・その言い方、私がいつもは女じゃないって言い方ね」
「あ、いやそういう訳では」慌ててザラムはエルザに弁明しようとする。
見ると彼女は顔が真っ赤だった。
「飲みすぎじゃないか。何杯飲んだんだ?」と聞いてみる。
「んーウイスキーを5杯位」
「ストレートで?」
「そうよ。ねえ私眠くなってきちゃった」エルザは自分の頭をザラムの肩に寄りかかるように乗っける。
「飲みすぎだ」これ以上はまずいと思ったザラムは急いで勘定を済ませ(彼女は払えそうも無いので全部払った)店を出た。
エルザは歩くのが難しそうなので、おぶっていく事にする。
いつもはそんな事されたら絶対に怒るだろうが、酒のせいですんなり、背中に抱きついて来た。
エルザは軽い。確か体重が50前後しか無いと言っていた。(彼女はそういうことに関しては隠そうとは考えないタイプだった。スリーサイズも後で計って答えていた)。
「んー」と必要以上に腕に力を込めて抱きついてくる。少し苦しい。
当然の事だが、背中に柔らかい物体、要するに胸が押し付けられる。
「ザラムっていい匂い」と右肩に顔を押し付け始める。本格的に酔っ払って来た様だ。
確かにこういうシチュエーションの時、彼女を女として見ていないと言ったら嘘になる。
「ねえ、私ザラムの家に泊まりたいのー」エルザは甘えたような声でザラムに聞いてくる。
ザラムは少し考えてみた。もし、彼女をこのまま自分の家へ連れて行ったらどうなるのだろう?
まあ、年が三年ほど離れているといってもお互い成人だ。しかも二人とも酔っている。高い確率でで俺はエルザを抱いてしまうだろう。
だが、それで本当に良いのだろうか?
それは彼女にとっての何かと同時に俺にとっての何かも失われる気がする。
女性は体の都合上、性行為では受け、と言う形になってしまう。
それは俺がエルザに対してのイメージを失ってしまう、そんな不安がある。
彼女は守る、と言うのが似合うのであって、決して守られると言うのは似合わない。
彼女も自分に対して同じイメージを持っている筈だ。
抱かれている時は酔っていて分からなくとも、後で思い出し後悔するかもしれない。
正常な判断ができる時にならまだしも、少なくとも今この酔っている状態でするのは良くない。
ザラムはそう考えた。
「いや、家で兄妹が待っているんだろ。このまま送ってやるから場所教えろ」と言う。
「えーいいよー別に」
「家まで歩いていけるのか」
「無理」
「・・・とりあえず家の場所を教えろ」
そんなやり取りを2、3分ほど続け、やっと住所を教えてもらった。
此処からそう遠くない。彼女をおぶっている状態でも10分あれば着くだろう。
それにしても何故、彼女はこんなになるまで飲んだのだろう。
いつもは程をわきまえてほろ酔い程度に済ませている。
何かつらい事でもあったのだろうか。
まあ三人兄弟で生きていくってのは一人より辛い事なのかもしれない。
親がこの世にいないという点ではザラムもまた一緒だった。
幸い、既に独りで生きていける年齢で、仕事も見つかっていたので経済的には負担にならなかったが(葬式代は両親が残した遺産で事足りた)、それでも精神に大きく響いた。
彼女もまた、そういう経験をしているのだろう。しかも自分より若い年齢で。
「ここか」恐らくエルザの家と思われる建物に着いた。彼女に確かめたかったが、すぅすぅと寝息を立てて寝てしまっているので起こすのも悪いかなと思い、そのままにしておく。
他の家と同じく石造りだが、随分と年月を経ているように思われる。先祖代々受け継いで使っているのだろうか。良く見ると鉄版のプレートがありそこにかすれた文字で「クロイツフット」と書かれていた。
兄弟が居るはずなのでドアを軽くノックした。ドアは外側に開くのでぶつからない様に少し下がる。
十秒程してドアが勢い良く開き(下がらなかったら思い切り顔をぶつけていたであろう)、一人の少女が飛び出し、ザラムに抱きついて来た。よろけはしなかったが、少し面食らった。
「お帰り、おねえちゃ・・・ん?」少女は顔を上げ、途中で言葉を止める。
そして器用にも出てきた時と同じポーズのまま後ずさりし、扉を閉めた。
おそらく、あれが妹エムザなのだろう、歳は十歳位だろうか。
扉の向こうからは興奮したエムザの声が聞こえてくる。
「お兄ちゃん!お姉ちゃんがお兄ちゃんになってる!」混乱している。
「はあ?何訳分からない事言ってるんだよ。俺が姉ちゃんだって?」もう一人の声は弟エスザの物だろう。女っぽい名前だが。
「そうじゃなくて、お姉ちゃんが男の人になってる」
「それ、他人って言うんじゃないのか」エスザは冷静に突っ込みを入れている。
「とりあえず見てみて」
「分かったから引っ張るなって。服が伸びるだろ」
ドアが半分程開く。そこからエスザ、その背後にエムザが隠れるように覗いている。
「あー・・・。初めまして」一応挨拶をしてみる。
「えっと、どちら様ですか」エスザも驚いていたが、そこは長男、質問してきた。
「俺はザラムって言うのだけど」
「それで、何の御用ですか」いぶかしむ様に聞いてくる。ザラムの事を強盗か何かと思っている様だ。
「エスザって人は此処に住んでいる?」
「居ますけど、今は居ません」
「それは分かっているんだ。いま俺が背負っているから」と少し身体を屈めて二人にエルザが見えるようにする。
それを見て二人の反応が変わった。
「お姉ちゃん!」とエムザが嬉しそうに言う。
エスザも警戒を解いて、「ああ、送ってきてくれたんですね。有難うございます」と丁寧に挨拶をした。
「どうする?ここに置いて行こうか?」とザラムは言う。
「家の中まで運んでもらえますか」僕達二人では運べないんで、とエスザは言う。
エルザは寝かされた事に気付く様子も無くソファーで小さい寝息を立てて寝ていた。
「それじゃ俺は帰るから」と言ってザラムは玄関に向かおうとしたのだが、「一休みしていって下さい」とエスザに引き止められた。
別に急いで帰るほどの用事は無かったので、言葉に甘えて少し休憩を取っていく事にした。
寝ているエルザの横に座る。まだザラムも酔いが覚めていなかったので、少し身体にだるさを感じた。
何も考えずに天井を見上げていると、ふとBARで思い出していた模擬演習の続きを思い出した。
二回戦目は合図と共にザラムは飛び出し、猛攻を繰り出した。
実際にはザラムは少し腹が立っていた。
エルザにではない、自分自身にだ。
女性の事を差別していないつもりだったが、やはり心のどこかで下に見ていた。
だから最初は様子を見ようとし、中段に構えたのだ。もし上段に構えていれば、彼女の空中からのフェイクを受けようとせずに回避していた筈だ。
魔法でも使わない限り空中で慣性変換をして、跳んでいる方向を変える事は出来ない。だから横方向に避けさえすれば、そこを狙っての追撃は出来ない。寧ろ避けた方が追撃をしやすくなる。
だからザラムは自分の甘さを呪った。
エルザはザラムの猛攻を丁寧に捌いていく。反撃する様子は見せない。恐らく一瞬の隙を狙っているのだろう。
今ザラムは、守りを捨て、ただ攻める事のみに集中していた。相手に攻撃のチャンスを与えないように。
だがそれも時間が経つごとに疲れが生じ、いつかは攻める隙を与えてしまう。
エルザの事だ、恐らくそれを逃さずに一本を決めてくるだろう。
そこで見た目は替えず、少し攻めを弱める。
三発のうち二発は腹や頭、一発で決まる場所を狙う。残りの一発は肩や腕等、二発決めないと一本とならない場所を狙う。これだと攻めに強弱がつき、大抵の相手は戸惑う。
傍からは変わったのが判別しにくいが、それを受けているエルザには分かったのだろう、彼女もそれに合わせてきた。
そこでザラムは打ち込む順番を変える。一発で決まる打ち込みを1として、二発で決まる打ち込みを2とすると、122、212、221、212、221.と言う風に。
彼女は少し混乱したようで、間違って二発打を一発打と勘違いしてはじく。
そこで111と全て一発打を入れた。
予想外だったのか、エルザはそれを受けきれずに、木刀が弾き飛ばされてしまう。
彼女も尻餅を着くが、直ぐに木刀の方へ転がり、それを拾い上げ、ザラムの方へ向き直ろうとする。
が、遅かった。
振り向いた瞬間、エルザの首に木刀が打ち込まれる。
「ぐっ・・・」エルザは痛みに木刀を落とし、地面を転がる。
「おい、やりすぎじゃないのか」「あいつ全力で打ち込んだよ・・・」と周りで見ていた兵士が非難の声を上げる。
首筋に木刀を当てても良かったのだが、それでは彼女を侮辱する様な気がしたのだ。
ちなみに全力では打ち込んでいない。当たった瞬間、力を弱め、軽く振りぬいたつもりだ。
相手が他の兵士でもそうした筈だ。流石に同僚を潰そうと言う気は無い。
「かはっ、私の負け・・・ですね」まだ気道が戻っていないのか咳き込みながらエルザは言う。
「はい。ところで提案があるのですが」とザラムは敬語を使っていう。
「なんでしようか」やっと息が戻ったエルザが言う。首には木刀の形のミミズ腫れが出来ている。
「ここで止めませんか」
「私に気を遣っているのですか。私はまだ戦えます」口調こそ冷静だが、少し気に障ったようだ。
「いえ、そうではなくて、私は貴方と勝敗をつける為では無く、実力がどの位かを確かめる為に手合わせをしたかったのです」
「・・・」
「もう日も暮れますし、私も怪我をしています」実は最初に食らった突きであばら骨にヒビが入っている、そんな痛みがあった。
「だからもし続けるのならば、後日、と言うことにしませんか」
エルザは少し考える素振りをしていた。
「・・・良いでしょう、そのようにしましょう」と、渋々納得する。
結局、後日と言ったもののそれから一回もあのような本気の手合わせはしていない。
したといえば軽い打ち合い程度だ。
ソファー寄りかかってそんな事を考えていると、声を掛けられた。
「あの」眼の前にエムザがいた。手には小皿に乗ったティーカップを持っている。
「はい」と返事をすると何も言わず小皿を突き出した。
「・・・もらっていいって事?」ザラムが聞くと少し俯きながら「・・・うん」と頷いた。
「ありがとう」と言ってそれを受け取る。
エムザはそのまま逃げるように下がるのかなと思ったが、その場所から動かず恥ずかしそうにもじもじとしていた。何か用事があるので逃げられない、と言う感じだ。
「えっと、あの」何か言いたそうにしている。一瞬目線を合わすが、直ぐに下に逸らす。
何か声を掛けようとしたが、怯えてしまいそうなので、彼女が話し出すまで少し待つ事にする。
「ざ、ザラムさん」あれなんで名前を知って・・・ああ、さっき俺が言っていたのを聞いていたのか。
「はい、何でしょうかエムザさん」こちらも同じようにさん付けで返す。
「え」自分の名前を知っている事に驚きを感じたようで少し目を丸くしている。
「君のお姉さんが君について言っていたんだ」と疑問を解くようにザラムは言う。前飲みに言った時に聞かされていた。そしてちょっと人見知りが激しいとも。
「ところで何か用事があるのかな」と聞いてみる。
「うん」と子供らしく頷き(緊張は幾分か和らいだようだ)こう言う。
「さっきは飛びついたりしてごめんなさいっ!」と深くお辞儀をする。
「ああ、その事か。別に良いよ、気にしてないし、怪我した訳じゃないしね」
「じゃあ許してくれるの」とエムザは聞いてきた。
「許すもなにもそもそも怒ってないから」とザラムが言うと、彼女は安心したようで、ほっとしたような、そんな笑顔になった。
エルザはまだ起きない、と言うか全く起きる気配を見せなかった。
コーヒーを啜っていると、自分がまだ晩御飯を食べていない事に気がつく。
柱に掛かっている時計を見ると9時を少し回っていた。もうそろそろ帰って飯を作らないと予定した時間に寝れなくなる。
と、またある事に気付く。
テーブルを挟んだ向かいのソファーにはエムザが座ってこっちをチラチラと見ていた。
「エムザ・・・ちゃん」少し悩んだ末そう呼んだ。子供にさん付けってのは変だし(さっきは少しふざけて呼んだだけだ)かといって知り合って間もないのに呼び捨ても馴れ馴れしい感じがした。
「えっ、はい、お、おかわりですか」突然呼ばれた事にびっくりしつつエムザは答える。
「いや、お代わりはもう良いんだ。それより二人ともご飯は食べたの?」
「まだです」
「じゃあ今、お兄ちゃんが作っているのかな?」
「うん。でも・・・」
「でも?」
「火がないの。だからサラダしか作れないの」
「火?ガス台の事?」
「うん。お姉ちゃんがいないと点けちゃダメって言われているの」
「いるじゃないかここに」
「そうなんだけど、いつもお姉ちゃんが火を使っているからだめなの」
少し意味か分からなかったが、すぐにそれは氷解した。
「要するにエスザくんでは火を使った料理は作れないって事?」とザラムは言って見る。
「うん。ザラムさんってお兄ちゃんの名前も知ってるんだね」とエルザは言う。
「じゃあ俺が代わりに作ろうか」
「え、いいの」
「まあ君のお姉ちゃんを酔っ払うまで放って置いたのは俺の責任だしな」と言う。
ザラムは一人暮らししている身だったから、大抵の料理ならば作る事は出来た。
後は肉と野菜を炒めるだけと言うところまでエスザが用意していたので、九時半には全ての料理をテーブルに並べる事が出来た。
家に帰って急いで自分の料理を作らないといけないので、二人に声を掛けて出て行こうとすると、またしても引き止められた。
「ここまでしてくれたのだからご飯食べていってください」そうエスザに言われた。
「でも料理は三人分しかないだろう」流石に寝ているからと言ってエルザの分を食べるのは気が引ける。もし食べている途中で起きてきたらいささか気まずい事になる。
「ああ、その事ですか。ちょっと待っててください」とエスザは棚から食器を取り出し、三人の皿から少しずつ取り分け、それによそる。
「はい、これでどうですか」
「でも君たちの食べる量が少なくなるだろう」
「大丈夫です。どうせザラムさんが作ってくれなければ食べれなかったんですし」とエルザの方をちらと見ながら言う。
それに気付いた、と言う訳でははないだろうが、エルザがその視線を避ける様に寝返りを打った。
そこまで言われると断わるのも悪い気がした。
「分かった。好意に甘えていただく事にするよ」
料理はいたって普通の出来だった、まあ味付けは自分がやったのだし当然と言えば当然なのだが。
食べ終わり、食後の紅茶を飲んでいると、隣に座っているエムザが話しかけてきた(エスザは食器を片付けていた)。
「ねえ、ザラムおじさん。聞きたい事があるんだけど」いつのまにか呼び方が変わっている。それほど老けてはいないはずなのだが。
「あ、間違えた、ザラムお兄さん。質問があるの」
「ん?なに」とエムザの方へ顔を向ける。
「ザラムお兄さんって、お姉ちゃんの恋人なの?」
「・・・あー」ここで迂闊な事を言ってしまうと後で変な事になりかねない。
「いや、ただの上司と部下の関係だよ」ザラムはそう答える。
「そうなの?」
「そうだよ」
「じゃあ、お姉ちゃんのこと好き?」
「尊敬しているってのは好きに入るのかな?」
「そんけいってなあに?」
「憧れって言ったら分かるか?」
「うん、それは分かるよ。私がお兄ちゃんやお姉ちゃんになりたいと思っている事でしょ」」
「まあ、そんな感じかな。恋愛とかそんなのはまだ無い」
「でもお姉ちゃんはザラムお兄さんの事好きだと思うよ」
「え?どうしてそう思うんだい」とザラムは疑問に感じる。
「ああ、それは酔っ払っているからですよ」食器の片付けが終わり、戻って来たエスザが言う。
「お姉ちゃんは誰かを好きになると決まって酔っ払って帰ってくるんですよ。まあ滅多に無いんですけどね」
「そうなのか」頷いてしまったが、これはかなりの遠まわしで告白されているのでは無いのだろうが。
「お兄ちゃん、多分きんちょうしてる」とエムザがザラムの耳元でぼそぼそと小さい声でいう。
「きんちょうするとけいご使うくせがあるの」と付け加える。
「おいエムザ聞こえてるぞ」とエスザが少し怒った表情で言う。
「じゃあ、普通の言葉づかいすればいいのに」
「いや、これは客人だから使っているんだ」
「でもこないだエデルおじさん来た時はけいご使ってなかったよ」
「それ2年ぐらい前の話だろ。あの人はほら・・・あれだよ親しみやすかったからだよ」
「ザラムお兄さんもいい人だと思うけどなあ。ほら」とエムザはザラムの膝に乗ってくる。
随分と軽い。エルザの半分も無さそうだ。
「とにかく俺は初めての人には敬語を使うって決めたんだ」
「うそだ」
「嘘じゃないって」
「うそだよ」
とそのやり取りが二、三回続き、二人は喧嘩し始めた。
取っ組み合いになったら止めるつもりではあったが、口喧嘩だったので、珍しいようにそれを眺めていた。
そういえば、俺は喧嘩なんてした事が無かったな、と昔の記憶を少しだけ思い出す。
ザラムは一人っ子だったので兄弟喧嘩は当然出来なかったし、大柄な体の所為、いやおかげと言うべきなのだろうか、喧嘩を吹っかけてくる相手はいなかった。まあ、したいとも思ってなかったが。ああでも、とふと思い出す。
親とは一度だけ喧嘩をした記憶があった。
今目の前で二人がしている様に、それは口喧嘩だった。あれを喧嘩と言っていいのかは今となっては分からない。
その日は父親が酔っ払って帰ってきた。それは月に一度あるかないかの事で、そんな時母親に当たるのだが(当たるといっても暴力を振るうわけではない。唯文句を言うのみだった)その日はたまたま母が風邪を引いてしまい、早めに寝床についてしまっていたので、矛先がこちらに向けられた。
俺も母親の様にはいはいと聞き流していれば良かったのだが、反抗期と言うこともあってか、少しばかり言い返してしまった。それで父は更に怒って、言い返してきた。だが言っている事が滅茶苦茶なので、俺はその言葉尻を捕らえて静かに反論していたら、いつの間にか父の方が黙ってしまった。なんだか気まずくなって、俺は逃げる様にして寝床に引き上げようとした。
寝るから、と一言掛けようと父の方を見たとき、父は悲しそうな表情でうな垂れていた。
それがとても惨めに見えてしまい、俺は何も言わずに寝室に行った。
父は酒が入った時で無ければ決して怒らない、そんな温厚な人だった。少し臆病だったのかもしれない。だから父は酒を飲んだ時だけ威張れる、そういう自分が嬉しかったのだろう。
でも俺によってその威張れるチャンスを潰されてしまい、それが悲しかったのだろう。
しばらくして俺はそれに気付いたが、既に遅く父は土の下に眠ってしまっていた。
それが父親に対して唯一の心残りだった。
気付くと、エスザの方が口が達者なのだろう、エムザが泣きべそをかいて兄のことをぽかぽかと叩いていた。それをニヤニヤと笑ってエスザが受け流している。
やがて、エムザがザラムの方に泣き付いて来た。俺は随分と気に入られてしまったみたいだ、とザラムは心の中で苦笑する。
ザラムはハンカチを取り出し涙を拭いてあげる。
少し言葉を掛けてあげると、落ち着いたようで、泣き止んで笑顔になった。
ふと、時計を見ると十時半になろうとしていた。
流石にこれ以上いると、予定の時間に寝る事が出来なくなり、明日の早番に間に合わなくなる。
慌てて、二人にご馳走してくれたお礼を言い、玄関に向かう。
「ザラムお兄ちゃん」ドアを開けた所でエムザに呼び止められる。
振り向くとバイバイと手を振りながら「またきてね」と笑顔で言う。
「ああ、出来たらな」と手を振り返しながら扉を閉める。
少し早足で帰路を急ぎながら、ザラムはエムザとエスザの二人が言っていた事を思い出す。
お姉ちゃんはたぶん、ザラムお兄さんの事が好きだと思うよ。
お姉ちゃんは誰かを好きになると決まって酔っ払って帰ってくるんですよ。
そんな馬鹿な、と笑い飛ばしたくなる。だが、それができない。
エルザが本格的に酔っ払う前に口にしていた事を思い出す。
じゃあ何で私に興味が湧かないんだ。その口調はからかっている様には見えなかった。
・・・少し、考えてみる事にするか。彼女を女性として。
ふと、空を見上げる、満月でもなく、三日月でもなく、そこには半分の月が浮かんでいた。上弦と言うのだったか。切り口の部分が空を見上げていた。
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