一章


 私は目覚めた時、駅のホームにいた。待合用の椅子の上で寝ていた。
椅子は青と黄色が交互に連なっているプラスチック製の物ではなくて、鉄の手すりが端に付いた、五人掛けの木で出来た椅子だった。
上半身を起こして、椅子に座りなおして辺りを見回した。
ホームには自分以外誰も居なかった。しかも不気味な程静かだった。
はて、ここは何処だろう、何故私はこんな所に居るのだろうと首を捻った。
辺りを少し歩き、駅の名前が書いてある看板を探したが、見る限りではひとつも見当たらない。それどころか駅の改札口に至る階段も見つからない。
 ホームより外の景色は真っ白で、深い霧に覆われている様かのようだった。
ここが田舎なのか都市部であるかも分からない。
下に目をやると、自分が真っ白な服を着ていることに気付く。浴衣の様な和服だった。それにしては随分簡素だったけれど。
しかも下には何も着ていない。下着すら身に着けていない
頭に何かが巻かれていることに気付く。なんだろうと頭に手を遣り、それを取り外そうとした。頭の後ろで蝶結びがしてあるだけで、簡単に外す事が出来た。
真ん中に上に向いた三角の布があり、それに紐が付いている簡単な作りだった。確かこれは死んだ人が頭に巻く、三角巾と呼ばれる物じゃ無かったっけ、と私は考える。
何で私はこんな物を身に着けているのだろう。私は少し考えた後、ある仮定に行き着いた。
もしかして私、死んでる?
いやいや、そんなはずは無いと首を振る。
死んだにしては意識がはっきりしているし、もし死んだとするならここは死後の世界のはずだ。
でも死後の世界なら、三途の河とか、辺り一面に咲き誇るお花畑があると思う。こんな駅のホームではなんとも味気ない。
椅子から離れ、ホームの端へ向かって歩いてみる。裸足だったので、アスファルトのひやりとした感触が伝わってくる。
ホームの端は随分遠く、目を凝らしてやっと見える程度だった。
途中に自動販売機を見つける。不思議な事にまだお金も入れていないのにボタンに赤いランプが付いている。
試しに好きな銘柄のボタンを押してみる。ガタン、と音を立てて缶ジュースが落ちて来る。
私はそれを取り出し、プルタブを開け、口にする。覚えのある味だった。
「ん?」
振動がするので振り向くと、電車がホームに入ってきていた。来た事を知らせる音楽も、アナウンスの音声も流れなかった。
その電車は、全体が薄い灰色で出来ていた。腹部分に黄色とか緑色の線が付いているなんて事は無い。
 電車が止まり、扉が開く。なぜだか私の前にある扉だけ開き、他の扉は開かなかった。
私に乗れ、と言っているかのようだった。
でも私はすぐに乗ろうとはせず、扉の横の窓から電車の内部を眺める。
座席は左右に向かい合って座るのではなく、四人ずつ前後に向かい合って座る仕組みだった。
ここから見える範囲では、中には誰もいないようだ。
他の車両には誰かいないのかと、電車に沿って歩いてみる。
すると、さっきまで開いていた扉がしまり、私に一番近い扉が開く。
どうやら本当に私に乗ってもらう為にこの電車はあるようだった。
2、3両見てみたが、やはりというか、思ったとおり誰も居なかった。
ここにずっといてもどうしようも無さそうなので、仕方なく電車に乗ってみる。
私の背後で扉が閉まる。
電車が動き出す。前に引っ張られるような感覚と、地面の振動でそれが分かる。
ある事に気付いた。電車が線路の上を走っている音、あのガタンゴトンと言う聞きなれた音がしないのだ。
もしかして、線路の上を走っていないのかな?
座席が全て空いているのに立っているのも難なので近くにある四人掛けの座席に一人で座る。
窓の真ん中に小さいテーブルがあったので、そこにまだ中身が入っている缶を置く。
窓の外は相変わらず、靄が掛かっていて何も見えない。
(ところで、何で私はこんな所にいるのだろう?)
最初に思った疑問を再び考えてみる。
さっき、死んだと考えたけれど、それよりもっと納得しやすい仮定を思いついた。
それは私が夢を見ていて、今いるここが夢の世界だと言う事だ。
試しに自分の頬を少し強く引っ張ってみる。それ相応の痛みを感じた。
(……あれ。痛いという事は夢じゃない?)
少し混乱する。
いや、でも夢の中だからって感覚が無いとは限らない。
むしろ死んでいた方が感覚がなさそうな気もする。
今のところ夢か死後の世界かは判別が付かなかったので、後回しにしておく。
ふと、この世界で目覚めてから、自分の名前を思い出していない事に気付く。
そもそも名前は自分と他人を区別する為の物なので、今その区別する対象がいないので思い出す必要が無いのだけれど。
まあ、ともかく思い出してみる。すこし時間が掛かった。
 橘しんか(タチバナシンカ)。確かそれが自分の名前だ。※まだ漢字が決まってないのです。
心花 神花 心歌 真歌  神歌 新歌 新花 真花
少し自信がもてないのはその名前を証明するのが記憶という形の無い物しかなかったからだ。
そしてその記憶も少し曖昧だった。


記憶を信じれば私は高校二年生だった。至って普通の。
友達もまあそれなりにいた。校内の成績も平均より少し上や少し下を行ったりきたりしていた。部活は競泳部だった。
(……とまあ、こういう記憶は思い出せるのだけど)
この世界に来る直前の記憶が消えている。
夢の世界なら、寝る時の記憶が、死後の世界ならば死ぬ直前の記憶があるはずなのに、どういうわけかその部分だけすっぽりと抜け落ちたように思い出せないのだ。
(どういうことなんだろう、これは)
なおも記憶を思い出そうとしていると、段々眠くなってきた。
頭の中がぼんやりとしてきて、瞼が視界を閉ざし始める。
私は抵抗する事も無く、壁に寄りかかってその眠りに身を任せた。
(これが夢だったら、起きた時には現実に戻っているといいな)




橘シンカが眼を覚ましても、相変わらず状況は変わっていなかった。そこに男がいること以外は。
彼はシンカと向かい合うように席に座っている。まだ彼女が起きた事には気付いていないようで窓の外の白い霧を眺めていた。
シンカは起きたばっかりなので何も考えず、その男をただぼんやりと見つめていた。そして段々と寝る前の記憶を思い出していった。
「……あれ?」
「あ、起きたみたいだね」と男はシンカに声をかける。
男は見た目からすると二十台前半のように見えた。まるで知り合いのように話しかけてきたが、そんな男はシンカの記憶に無かった。でもなぜだか親近感が湧く。。
「誰?」シンカは尋ねる。
「ミカ、と呼んでくれたらいいかな。まあここには二人しかいないから二人称で呼んでくれてもいいけど」男は答える。「それより他に聞きたいことがあるんじゃない?」とミカはシンカに尋ねてきた。
「ここは何処なの?」
「夢の世界かもしれないし、または死後の世界かもしれない」ミカは何故かシンカがさっき考えた仮説を知っているかのように答える。もしくは偶然かもしれなかったけれど。
「……言っている意味が良く分からない」
「言葉で説明するのは難しいんだ」ミカは困ったように言う。
「現実なの?」
「まあ、現実だね。今のところは。ところで君がここにいる理由だけれど」ミカはシンカの思考が読めるのか、次に聞こうとしていた事を尋ねてくる。
「ある事をして欲しいんだ」
「ある事?クシュン」シンカはくしゃみをする。
(少し寒いなあ。……ああ、そう言えば布一枚しか着てなかったな)
「あ、あれ?」いつの間にかミカが消えていた。
どこにいったのだろう、とシンカは立ち上がって周りを見渡す。
でも、車両の中にはミカの姿は見あたらない。
探すのを諦めて席に座るとミカが突然先程と同じ位置に現れる。
「ごめん、まだ着替えて無かったね」と衣服をシンカに差し出す。
(ど、どこから現れたの?)シンカは驚きを隠せない。
「この服は嫌い?」
「い、いやそう言う訳じゃないけど」シンカは服を受け取る。ここはやっぱり夢の世界じゃないの、と考える。
シンカが好きな感じの服だった。青いGパンに、上は(チョット保留)ピンクのカーディガン。下着もちゃんとある。
シンカが今着ている服の腹部の紐を外そうとして、ふと前を見るとそこにはまだミカが座っていた。目線は窓の方を見ていた。
「あの」
「ん、何か足りなかった?」ミカはシンカの方を向く。
「前にいられると着替えられない」同性だとしても、眼の前で着替えるのは恥ずかしい。ましてや異性なら尚更だろう。
当然の意見だったのだが、ミカは一瞬え?、と言うような表情をした。でもすぐに「ああ、そうか。ごめん」と立ち上がって一つ後ろの車両に歩いていった。それを見届けてから、シンカは着替え始めた。
(あれ、靴が無い)下着を付け、ズボンを履いているところでそれに気付いた。
後でミカに言おうと思ってそのまま着替える事にした。
シンカは衣服を全て身に着けて、再び座席に座るとすぐにミカが戻って来た。手には靴下とスニーカーを持っている。
「私の思っていることが分かるの?」シンカは尋ねてみる。
「口に出そうと思っている事ならね。やろうと思えば感情とかも分かるけれど今はしてない」
「結構便利な能力なのね。ところで私は何をすればいいの」シンカは喉を潤す程度にジュースを飲む。
「世界を静観してきてほしいんだ」
「せいかん?」
「そう、静観。静かに観つめる。簡単に言うとある世界に行って少しの間、過ごして来て欲しいんだ」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「何かしなくていいの?」
「色々とその世界を見て来てもらいたいかな。観光程度に」
「それ、ただの旅行じゃない」
「ん、まあそうだね。でもそれ以外は何も求めないけど」
(でも、何で私がそれをしなければいけないのかしら)とシンカは当然の疑問を抱く。
「君は記憶を無くしたから」とミカはシンカの思考を読み、答える。
「君は自分が住んでいた世界で記憶を無くしてしまったんだ。でも俺が君の記憶が戻ってくるようにする。だからその代わりに静観してほしいんだ」
「もし私がそれを断わったら?」
「記憶は返せない」
「交換条件って訳ね。ところで、何で私は記憶をなくしたのかしら」
ミカは答えず、黙っている。
(記憶の一部だから返せない事なのかな)
そのことについてはそれ以上追求しない事にし、話題を変える事にした。
「もし私が傍観するとするなら、私が行く世界ってのはどんな所なの?」
「文化的、技術的な面では君が元いた世界とほとんど変わらない。戦争や、内紛も今のところは起こっていない」
「うーん」
シンカはしばらくの間考え込む。彼の提案自体は悪くなかった。
ただ、シンカが静観をすることによってミカが何の得をするのか分からなかった。気がかりな点といえばそれだけだ。
「いいわ、傍観してきてあげる」とシンカは言った。







        2
私は電車から降りた。
外は結構寒く、私は思わずくしゃみをしてしまう。
「あ、ちょっと待って」と後ろから声を掛けられた。
振り向くと、ミカが電車のドアの内側に立っていた。手に何かを持っている。
「寒いからこれを羽織ったらいいよ」とそれを私に渡す。
それは一枚のトレンチ・コートだった。質感や見た目からすると、それは随分と高級品のように見えた。
「貰っていいの?」と聞くと「その為に創ったから」とミカは返して来た。
「ありがとう」と礼を言って、それを羽織る。
そのコートは随分と軽い。きている事を忘れてしまうかのような軽さだった。でもコートとしての役割はしっかりと果たしていて、着た途端に感じていた寒さは消え去った。
「それとこれも」と言ってミカは自分のポケットから封筒を取り出して渡す。
「これは?」その封筒は厚さが五センチ程度ある。
「お金。少し多いかも知れないけど、足りないって事は無いと思うから」
私はコートの内ポケットにそれを仕舞う。
「じゃ、気をつけて」とミカは手を振る。私も軽く手を振り返す。
電車のドアが閉まり、動き始める。
私はそれが霧の向こうに消えてなくなってしまうまで見つめていた。
相変わらず電車の駆動音はしなかった。




私は霧の中をゆっくりと歩き始めた。前がほとんど見えないので、辺りがどのような場所なのかは分からなかったが、足に触れている地面の感触から、ここは砂地だと分かる。
百歩程歩いたところで少し視界が晴れて来た、そこからさらに五十歩ほど歩くと霧は完全に晴れ、自分がどこにいるかが視界で把握する事が出来た。
私は砂浜にいた。
日は海の地平線の向こうに沈もうとしていて、それは後三十分もすれば夜が訪れることを示していた。
その風景はポストカードにしてそれなりの値段をつけても十分売れそうだった。もしそれが売られていたら私は一枚買って友達や家族に送りつけるかもしれない。
私から見える場所には人は誰もいない。
この寒さで泳ぎに来る人はいないのは分かるのだけど、この夕日が沈む風景を見に来る人がいないことには少し驚いた。まあ、他にもっと良く見える場所があって、みんなそっちに行ってしまっているのかもしれない。
砂浜から海を見て右の方に灯台があった。高さは15メートルぐらいだろうか、それはまだ自分の存在を示すべきではない、と言うようにひっそりと建っていた。
とりあえずそちらへ歩いてみる。
手が寒かったので、コートの外ポケットに手を突っ込む。そこで両ポケットの中に何かがそれぞれ入っているのに気付く。
右ポケットにはピンク色の毛糸で出来た手袋、そして左ポケットにはこれも茶色の革で出来た手袋だった。
おそらく、というかきっとミカが入れといてくれた物なのは分かるのだけど、何故二種類在るのかは分からなかった。私の好みが分からなかったのかもしれない。
私は少し考え、革の手袋をつけ、毛糸の手袋を元の右ポケットに仕舞った。
そうしている内に灯台の根元に到着した。
周りを一周ぐるっと回ってみたが、人の姿は見えない。
灯台の扉は半分程開いていた。中には上へ上がる為の階段が見える。
(もしかしたら灯台の明かりの部分、つまり頂上の部分にいるのかもしれないわね)
私はそう考え、扉から中へ入った。螺旋状の階段の前に立ち、上を見上げる。
頂上は外から見た時よりいささか高く感じた。人影は見当たらなかったが、誰かいそうな様子を感じた。勘だけど。
大声で上に呼びかけてみようとも考えたけれど、私はそれをせず頂上まで上ってみる事にした。
手すりに手をかけ、ゆっくりと一段ずつ登っていく。階段は少し古く、所々白いペンキが剥げ、錆びた鉄の部分が見えていたけれど、まだ人を上空に上らせる役割はしっかりと果たしていた。
半分程上ったところで、上から声がしていることに気付いた。やっぱり誰かいるみたいだ。
もう少し上ると、その声はどうやら歌っているのだと分かった。
後十段で頂上と言うところまで来た。
その声は随分と良く通っていた。大声で歌っている風では無いのに私の位置までハッキリと聞えて来た。
私はそこから余り足音を立てない様にそうっと登っていく。彼女の歌を邪魔したくは無かったし、それに最後までその歌を聞きたかった。
その歌は記憶の限りでは私が始めて聞く歌だった。
階段を上り終わり、頂上に着く。
そこには一人の少女がいた。
海に面するように置かれた置かれた背もたれつきのベンチがあり、彼女はそこに座っていた。
階段の位置がベンチの真後ろと言う事もあって、彼女はまだ私の存在には気付いていない。
海側から夕日の光が私のほうへ差し込んでいたから服装とかは良く分からなかったけれど、歌声や髪型で女の子だと分かった。
輪郭からみても彼女はかなり若い。私自身も若いけれどそれよりもっと若い。年齢にして十歳ぐらいに見える。
私はそのまま彼女の歌を聴く。
彼女はその年齢で歌が随分と上手だった。私はこんなに上手くは歌えない。
声はよく通り、そして澄んでいる。声変わりもしてないようで、高い音もしっかりと出ている。
それともう一つ何か心に引っ掛かる部分があったけれど、それが何かは上手く言葉にする事が出来なかった。
歌は最後のサビに入ったようで少し声が大きくなる。
私はもっと良く聞こうと眼を閉じる。だけどその暗闇には何も映像が浮かんで来ない。ただ一筋の光のように彼女の歌が流れ込んで来るのみだった。それに違和感を感じる。
普通は自然と映像が浮かんでくるはずなのだ。それはクラシックからロックまで例外なく。
よほど下手なら映像が浮かんで来ないこともあるかも知れないけど、彼女の歌でそれは考えられない。仕方なく私は目を開ける。
歌が終わる最後の所で彼女はくしゃみをしてしまった。
なんだかそれが少し面白くて、私はクスッと笑ってしまった。
その声で気付いたのか、彼女は驚いたように振り向えいて、私を見た。逆光のせいで表情は分からなかったけれど。
「歌、上手だね」と私は声を掛ける。
褒められたのが少し照れくさいようで、彼女は少し顔を俯かせ、それでも「ありがとう」と返して来た。あまり人見知りするタイプではないみたいだ。
「おねえさん、ここに何しにきたの?」と彼女は聞いて来た。
「夕日を見に」とりあえずそう言ってみたものの、そんな目的なんて無かった。そこに灯台があったから上ったのかもしれない。山があるから登るのと同じように。
「そうなんだ。私と半分一緒だね」
「もう半分は歌う為?」」
「うん。ここじゃないと大きな声で歌えないんだ。どうしてわかったの」と彼女は少し驚いたようだった。
「なんとなくそんな気がしたから。ところでそっちに行って座ってもいいかしら?」夕日の光はそこまで強くなかったのだけれど、それでも彼女を良く見ようと目を細めていたので目が痛くなってしまっていた。
「うん、いいよ」
ベンチに座ると夕日に照らされた彼女の顔をハッキリと見る事が出来た。
彼女の顔には一つ、明らかに他人とは違う特徴があった。瞳が赤いのだ。普通の人でいう黒目の部分が赤いのだ。これが青とかならば何かの写真で一度見た記憶があるのだけど、赤色と言うのは始めてだった。
「どうしたの?」驚いているのが表情に出ていたようで彼女にそうきかれてしまう。
「あ!私の目のこと?これはね、病気なの。院長さんが言ってた」
「院長?」
「そう。わたしが今住んでいる病院の院長さん。知らないの?」
「いや、知らないよ」なぜ彼女は私がその院長を知っていると思うのだろう。
「あ、あとね私の病気はね、目の病気じゃないんだよ」
「え?目に症状がでているのに?」てっきり私は白内障や緑内障のような物だと思っていた、
「くわしいことはよくわかんないけど、かぜみたいなものなんだって」
風邪、と言う事はつまりウィルスが原因の病気と言う事なのかな、と思った。
「あ、でもかぜとは違ってほかの人にはうつらないからだいじょうぶだよ。めずらしい病気だから」
「ふうん」私は医学に関して素人レベルの知識しか持っていなかったので、そんな珍しい病気もあるんだなと思った。
「あ、見て見て」彼女はそう言って海の方を指差した。
ベンチの前に作られた展望用の穴からは今まさに夕日が沈んでいく様子が見られた。
「ほら、凄い綺麗でしょ」
私と彼女は夕日が地平線の丁度半分に沈むまで眺めていた。
「ここに良く来るの?」
「ううん。一週間に一度ぐらいしか来ないよ。あんまり院長さんが許してくれないから。ね、ところでおねえさんは何か病気にかかってるの?」
「え、かかってないわよ」
「じゃあ怪我してるの?」
「怪我もしてないけど」
「じゃあ、なんでこんな場所にいるの?」
どういうことだろう、と私は少し混乱する。口ぶりからすると彼女の周りには健全な人がいないように聞こえる。
「あ、じゃあ看護婦さん?」彼女はなおも聞いてくる。
「いえ、違うわ。……あの、ここってどういう」
「くみちゃん。迎えに来たよ」場所なの、と聞こうとした私の言葉は階段を上ってきた人物によって遮られる。
後ろを振り向くと、そこには一人、大人の男性がたっていた。
「あれ?君も夕日を見に来たの?」とその男は初対面である私にも気さくに話しかけてきた。
「あ、院長さん」彼女はベンチから立ち上がり、男の方に駆け寄っていった。
「ほら、これがさっき言っていた院長さん」と彼女は私の方を向いて言う。
「ん?僕の噂でもしていたのかい?」院長と呼ばれた男は彼女の手を取ってそう訪ねる。
「そんなところ。あ、そうだ。ねえ、お姉ちゃんを見たことある?」と彼女は院長に訪ねる。
「んー、いや、始めてみるなあ」と私の顔を見ながら答えた。「失礼だけど、名前を聞かせてくれるかい?」
橘シンカ、と私は言った。
「名前も知らないなあ。いつこの島に来たの?」
「今日です」と私は正直に答える。
「あのね、お姉ちゃんどこも悪いところ無いんだって」
「じゃあ、誰かのお見舞いに来たのかい」
「ええ、そんなところです」私は話を合わせておく。
「そうか。ところで僕達は今から車で病院に帰るのだけれど、君も途中まで一緒に乗るかい?」
「いいんですか?」私は聞いた。
「うん。別に一人ぐらい増えたって構わないさ。それにこんな何も無いところに地理を知らない人をひとり残すのは不安だしね」
「ね、一緒に乗ろう。私もう少しお姉ちゃんと話したい」彼女が私のところにきて手を軽く引っ張る。
「それなら、言葉に甘させてもらいます」と私は答えた。




         3
私と彼女は後部座席に、院長は運転席に座った。
私はてっきり院長だからお抱えの運転手でもいるのかなと考えていたので、少し拍子抜けした。
彼女の名前は津田 久美子(つだ くみこ)といった。年齢は十一歳。
くみって呼んで、と彼女は言った。
彼女は私のことを随分気に入ってくれたようで、車に乗っている間、ずっと話しかけてきた。
私の方も悪い気はしなかったし、話す事はどちらかといえば好きな方だった。
そうしてしばらく話していると、車が止まった。
病院に着いたのかと思って外を見ると、そこはスーパーの駐車場だった。
「くみちゃん、ほら買ってきなよ」と院長が言った。
「うん。お姉ちゃんも一緒に行こう」と私の手を引っ張る。それにつられて外に出ようとすると院長に引き止められた。
「あーごめんちょっと彼女と話したい事があるんだ。だからくみちゃんだけで買ってきてくれる?」
「うん、分かった」彼女は少し残念そうな表情をしたが、すぐに気を取り直し、スーパーの方へかけていった。
「あの、話ってのは」
「君がこの島に来た理由を聞いておこうと思ってね。さっきのお見舞いに来たってのは話を合わせてくれたんだよね」彼はバックミラーに映った私を見ながら話す。
「ええ、そうです」私は嘘を突き通すつもりは無かった。
「それで、本当の理由を教えてくれるかな」
「観光です」私はそう答えた。嘘では無かった。ミカと言う人に頼まれてこの世界を見に来ました、と言っても信じてもらえないだろう。
「え、観光?」それを聞くと彼は笑い出した。
「いや、ごめん。こんな、病院以外何も無い島に観光に来る人が来るとは思わなくて。でも、嘘ではないようだね」
「嘘が分かるんですか?」
「まあ、多少は。顔のちょっとした動きを読んでね。まあ嘘を吐く事になれている人だとそうもいかないのだけど」
どうやら私は嘘を吐き慣れては無いらしい。
「まあ話したい事ってのはそれだけなんだけどね。一応、島の所有者だから聞いておかないといけないし」
「所有者?」私は聞き返した。
「うん。そうだよ。この島は僕が国から買い取った私有地」
にわかには信じられない話だった。だとしたら彼は相当な資産家だという事になる。また、私は不法に滞在している事になるのだろうか。
「ああ、訴えたりするつもりなんかない。こうして理由も聞いた事だしね。だから心配しなくても良いよ」彼はミカのように思考を読んだわけでも無いのだろうけど、私の表情から不安を読み取ったのかそう言った。
「まあ、えらそうに私有地とは言ったけれど、実際はタダ同然で譲ってもらったものだし、しかも30回ローンで払ってるから。だから僕を金持ちと勘違いして玉の神輿に乗ろうとしても無駄だよ。振っても何も出てこないから。あ、その前に僕自身に魅力が無いから寄ろうとも思わないか」ハハッ、と最後は自嘲気味に笑った。
「ところで君はこの島について余り知らないようだね」
「余りどころか全く知りません」そもそも、ここが島と言うのも聞いて初めて知ったのだ。
「逆に知ってたら来ようとは思わないか。もし良かったら軽く概要を教えようか?」
「お願いします」
彼はスーパーの方にちらと目をやり、「くみが帰ってくるまでに話せるかな?」と呟いた。

この島は以前、地下に鉄の鉱脈があり、それを発掘する為の作業員やその家族を中心に小売店、飲食店、娯楽施設、医療施設等で栄えていた。が、やがて発掘される鉄鉱石の量が少なくなると共に採掘条件が悪化し、遂に閉山する事になった。そこを彼が買い取り、医療施設があった所を改装し、病院を建てたのだという。それが約二年前の話らしい。
その島は観光地にもなるような場所でもなく(交通の便も良くない)、もはや利用価値が無いに等しかった、国は彼の申し出をすんなりと受け入れてくれたらしい。
それゆえ価格も島にしてはとても安く、二階建ての家三十戸程の値段で譲ってくれたらしい。
面積は約千二百キロ平方メートル。最大で人口が十万人いた時期もあった。だが、今では五千人に満たない。娯楽施設に飲食店、小売店は病院近辺の一部を除きほとんど閉店してしまっている。
「でも建物自体は取り壊してないから観光ついでに見てくるといい。ああ、そうそう宿泊施設は患者の見舞いに来る人用に五つほどあるから心配は要らないよ。と、まあこれ位でいいかな」と窓の外に目をやる。
私も釣られて目を向けると丁度こちらに向かってくみが歩いてくるのが見えた。右手にはスーパーの袋を持っている。
「ただいまー」
「お帰り、今日は時間かかったね」
「何が良いか迷っちゃった。はい院長さん」くみは持っていた袋から缶コーヒーを取り院長に手渡した。
「それでお姉ちゃんにはね……あれ、どっちだっけ」と二つの紙袋を取り出し、少し見つめてから「こっちかな」と右手に持っているほうを私に差し出した。
「くれるの?」私は少し驚いて聞いた。
「うん」
せっかく買ってきてくれたのにそれを無下に断わる程、私は人外ではないので「ありがとう」とお礼を言って紙袋を受け取った。
「冷めない内に食べてね」と言われたので私は紙袋を開けてみる。中身は大判焼きだった。
「私と一緒のにしたの」そういう彼女の手にも大判焼きがあった。
「まさか、つぶあんは嫌い?」少し不安そうな表情で聞いてきた。
「ううん。むしろ好きな方だよ」と私は答え、彼女を安心させた。
彼女が食べ始めたので、私も食べる。。
普通の大判焼きだった。外は程よくカリカリとした食感で、中身も結構詰まっている。ただ、彼女が言っていたつぶあんではなく、カスタードクリームだったが。
「あ、間違えた」彼女の大判焼きからはつぶあんが覗いていた。
「取り替える?」
「でも、もう食べちゃったし」そういいつつ彼女は私が持っている大判焼きを見る。多分大好物なのだろう。
「なら食べてない方を半分ずつ取り替える?」
「あ、それがいいな。お姉ちゃん、頭いいんだね」
こうしてお互いの大判焼きを半分ずつ取り替えた。
宿泊施設がある所まで送ってくれると言うので私はそれに甘える事にした。
ふと、ポケットに手袋があった事を思い出す。
「ねえ、手袋って持ってる?」
「ううん。持ってないけど」
「じゃ、これあげる」と私は毛糸で出来た手袋を彼女に差し出す。
「え、いいの?」
「うん。大判焼きのお礼にね」
「ありがとう!」と彼女はお礼を言って受け取り、早速はめた。
彼女にそのピンクの手袋は良く似合っていた。もしかしたらミカはこれを見越して二組の手袋をいれといたのかもしれない。
「えへへ。ピッタリだ。本当にありがとうね、お姉ちゃん」
「どういたしまして」と答えておく。
それから五分ほどして、車が止まった。
「ここからあっちの方へ歩くと、ホテルが見えてくるから」
私はここまで送ってくれた礼を言う。
「礼なんていいよ。病院へ帰るついでだしね。あ、それとこれ持っていって」と財布から一枚の紙を取り出して渡してきた。
それは名刺だった。真ん中に「住井 

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