夢日記
 これはとある交通事故で亡くなった青年の日記である。


 僕は今から夢日記を書くことにする。
誰にも見られるはずは無いから、突然書いても良かったのだけれど、一応そう言って書いてみる。
何故書くのか、その理由も書いておく。何の為に書いているのか忘れてしまうといけないから。
最近、明晰夢と言う夢を僕は知った。明晰夢とは簡単に言うと自分の意思で夢をコントロールできる、という事らしい。僕自身もネットで調べただけなので、詳しい事は良く知らない。
そしてこの夢にはメリットとデメリットがある。
メリットは勿論、夢を自分の意思で操作できると言う点だ。使い方によっては理想の夢を見ることが出来る。
デメリットは現実と夢の区別が付かなくなる。それは理想の夢を見ていると、つらい現実に戻るのが嫌になり、夢を現実と勘違いしてしまうと言う事らしい。最悪の場合、自殺しまう事も在るらしい。
それで、その明晰夢を見るための条件は、見た夢の内容を書き留めて置く事だと言う。それが夢日記と言う訳だ。
どうやって書き留めるのかは自由で、それを見て、夢の内容が思い出せれば良いらしい。
それを知った時、僕は少し興味が湧いて調べたけれど、それを書こうとは思いもしなかった。
理想の夢、つまり幸せな夢はくじを引くみたいに偶然見るのが良いのであって、決して見ようと考えてみる物じゃないし、そんな事をして、現実を失いたくなかった。
でも、ある時ふと気付いた。
夢を自分の意思でコントロール出来るのならば、幸せな夢ではなく不幸せな夢、いわゆる悪夢も見れるのではないかと。
もう一度、ネットで明晰夢を見ている人の体験談を調べたりしてみたが、悪夢を見ようとした人と言うのはいなかった。まあ好き好んで地獄を見ようと言う人はいないだろう(自分が鞭で打たれる夢を見たと言う人がいたが、その人はマゾヒストだったので、それは幸せな夢と言う事にする)。
僕が夢日記を書き始めたのは、その悪夢を見るためなのだけれど(虐められるのが好きとか、残酷な世界が好きとかそう言うわけではない。そこのところは分かって欲しい)。
まあ、僕が見たい悪夢と言うのは、現実より少し不幸な、いわゆる『ちょっとした悪夢』だ。
もしかしたら悪夢とすらいえないかもしれない。
それを見るメリットと言うのは、実際に見てみない本当の所は分からないのだけれど、少し現実が楽しくなる気がする。
幸せな夢から不幸な現実を見ると嫌になるのならその逆、不幸な夢から幸せな現実を見ると嬉しくなるのだろうか、と僕は考えたのだ。
でも毎日悪夢を見ていると、寝る事が恐怖になってしまうだろうから、現実が悲しい時(例えばテストの点が思わしくない時とか、友達と喧嘩した時とか)に見る事にする。
まあ、どうなるかは見当がつかない、もし予想と違う結果になったら、その時はこのノートを捨てればいい。
と言うわけで夢の内容を書くことにする。でも毎日夢を見れる訳でもないし、見ても起きた時覚えていない時もあるのだから、一週間に、二度か三度、良くて四度程になると思う。



六月四日
雨の日だった。そして僕ではなく私、要するに自分は女性になっていた。
自分の願望とは思えないが、まあ夢なのだから何でもありなのだろう。
理由は分からなかったが私は怒っていた。激怒と言うほどの物でもなく、苛ついている程度だった。
私は下校している途中で、傘を差して、校門を出る所だった。
その時丁度、後ろから自分の名前を呼ばれ、振り返った。呼ばれた時の名前は自分の名前ではなく良く思い出せない。最初にいい、と言う名がついていたような気がする。
どうやら、彼は私の片思いの相手であるらしく(もしかしたら両思いで有るのかも知れなかったがそこら辺は分からない)、喜びの感情が芽生え、それと共に何故か憎悪の感情も湧いてくる。その憎悪は最初に怒っていた事が関係しているらしかった。
彼が話し掛けて来る。詳しくは思い出せなかったが、傘を忘れたので一緒に入れて欲しいと言うことらしかった。
私は興味が無さそうに、勿論心の中では大喜びで、彼を入れてあげた。
私より彼の方が背が高かったので、傘を持っている腕を肩まであがる形になってしまった。
彼はそのことに気付き、傘を自分が持とうか、と申し出たが私はそれを断わった。
歩きながら、私と彼は言葉を交わしていた。
そして、そこに至るまでの経緯は分からなかったが、彼が私に告白しようとする。
そこで私は慌てて彼の両手で口を抑える。傘が地面に落ち、二人に雨が降りかかる。
どうやら、私はもっとムードが欲しいらしく、そんな行動に出たらしかった。
そこで私、いや違う、僕は目覚めた。


六月九日
見た記憶はあるんだけど、思い出せない。

六月十二日
夢は例えて言うなら、映像と写真の中間の様な物だと思う。
映像と言うには不明瞭な部分が多すぎるし、写真と言うにはいささか流動的過ぎる。
 けれども常に中間って訳ではなくて、見る夢によってどちらかに傾いたりもする。
生々しく鮮明な夢もあれば、目覚めてからワンカットしか思い出せない夢もある。
また、筋道がはっきりとしている夢もあれば、支離滅裂な夢もある。
今日の夢はその支離滅裂で、鮮明な夢だった。
僕は電車の中に居た。車両の丁度真ん中の席に座っていた。
僕以外にもその車両には10人ぐらいの人が座っていた。
窓の外の様子からするに地下鉄を走っているだと思う。
何処へ向かっているのか、そもそも今何処を走っているのかも分からなかった。
現実だとアナウンスがあるのだけれど、この夢では一切無かった。それどころか電車が走っている音すらも聞こえなかった。完全に無音だった。もしくは僕の聴覚が無くなっているかも知れなかったけれど。
電車が走っているのは振動で分かる。逆に言うと振動以外に電車が走っている事を証明する手立ては無かった。
誰も何も喋らず、それどころか身じろぎもしなかった。でも死んでいる訳では無さそうだった。
僕は退屈なので、車内に掛かっている広告を見ようとする。
けれど無理だった。広告は確かにそこに掛かっていた、だけど僕がそれを見ても。何も感じることが出来ないのだ。
上手く表現する事が難しい。その広告はちゃんと文字や写真が載って筈なのだ。けれども幾ら見つめても、イメージが全く頭の中に入り込んでこない。
仕方なく、僕は広告を見ることを諦める。窓の外の真っ暗な空間(果たして空間なのだろうか、それは)を見つめ、ぼんやりと何かを考える事にする。
何かを考えるつもりだったけれど、何も思いつかなかったので、結局何も考えていなかった。
しばらく立った時、不意に車両の端のドアが開いた、多分僕から見て右手側だった筈だ、そのドアは音を一切立てず、するするとまるで縁にロウを塗った障子のように開いた。
僕自身は前を見ていた筈だけれど、何故かそれが分かった。
ドアが開いたにもかかわらず、電車はまだ動いていた。もしくは動いた振りをしているのかもしれない。
するとその空いたドアに一番近い人が立ち上がり、ドアの方へ歩いていった。
どうやら降りようとしている様だ。電車が動いているのに危ない、と普通の僕なら思っただろう。けれどもその時は何の感情も抱かなかった。
彼だか、彼女だか分からないけれど、その人はドアの向こうの暗闇に向かって足を踏み出した。
ゆっくりと、太陽が地平線に溶けて行くように、その人は暗闇に溶けて消えて行った。
消えて言ったあとしばらくドアは開いていたけれど、やがて思い出したようにするすると閉まった。
また少しすると、今度は端から二番目に近いドアが開く。そしてまたドアの近くの人が立ち、ドアから消えて行った。
段々と、端から真ん中の僕の方へドアが開き、人が降りて、いや消えると言った方が正しいのかもしれない、ともかくこの電車から去っていく。
五回目だろうか、とうとう僕に一番近いドアが開く。
席を立ってドアに向かう。空いたドアの前で立ち止まり、手を伸ばしてみる。
風は感じなかった。その代り、暖かく、そして冷たい(表現がおかしいけれど、本当にそんな感じがしたのだ)感触に包まれる。悪くない心地だった。
手を戻し、暗闇に向かって足を踏み出す。不思議と恐怖は感じなかった。
そこで目が覚めた、と言いたかったのだけれど、まだ続きがある。
気付いたら、僕は沼の上にいた。沼と言ってもどろどろした底なし沼と言う感じではではなく、野鳥とか魚がすんでいて、表面上は綺麗な水で覆われている感じだ。
僕自身は小さい橋(足を濡らさずに観光客が見て回れるように作ってある、そんな橋だ)の上に立っていた。
僕の腰の高さまでススキがたくさん生えている。もっとも、それが正確な意味でのススキかどうかは分からなかった。僕は植物に詳しくない。
空には無数の、無数って言うほどでもなかった、たくさんの蛍が舞っていた。
源氏とか、平氏とか言うのだろうか。
その光は決して蛍光灯や電球の様に何かを照らす為にに光っているのではなかった。純粋に光ること、ただそれだけを求め、舞っている様だった。
蛍はそれぞれが不規則に飛び回ったり、ススキの穂に止まって羽を休めていたりした。
その光景は幻想的だけれど、何処か現実味を帯びていた。
一匹の蛍が僕の方に寄ってきた。寄って来たというよりは、唯偶然こちらに迷い込んで来ただけなのだろう。
僕は掌を上にして、その蛍の方へ差し伸べてみた。
するとその蛍は羽を休めようとするかの様に僕の中指の指先に止まった。
僕はゆっくりと伸ばした手を胸の前に来る様に戻した。蛍は逃げなかった。むしろ、掌の真ん中に向かって這って、いや歩いてきた。
蛍はゆっくりと瞬いていた。
そこには、生そのものの光が宿っていた。
蛍は羽を広げ飛んだ。僕の元から去り、群れの中に戻っていくのかと思ったが、そうはならなかった。
そのまま僕の目線の高さまで飛び上がり、そこで静止する。
僕はそのまま蛍を見続ける。
すると突然、生の光が死の光に変わる。
蛍は、人魂に変わっていた。
周りの風景も水辺から、霊園に変わっていた。
右手には上に長い日本の墓が並んでいた、それぞれの墓背後には卒塔婆といったか、木の棒が立てかけてあり、前には線香とみかんが供えられていた。
左手には横に長い外国の墓(アメリカ辺りの物だと思う、多分)があり、こちらの墓の前には花束が添えてあった。
人魂は僕の眼の前で少し上下しながら浮かんでいた。
今度の光は生を自らの一部としながらまた生の一部でもある存在、死による光だった。
人魂はしばらく僕の前に浮かんだ後、右にある墓に漂っていった。
僕はその人魂を怖いとは思わなかった。いやたとえ人の形だったとしても、多分恐れを抱かないだろう。その理由は僕があんまり死を恐怖の対象と見ていない事に起因するのだけれど、此処に書くのは止めておく。
良く見ると、全ての墓の上に人魂が浮かんでいた。一つの墓の上に一個、いや一人ずつと言うわけではなく、二人や三人浮かんでいる所もあった。
その光景はさっきの蛍と違って、幻想的ではあったけれど、現実味は感じられない。
それぞれの人魂には少しずつ特徴があった。大きい者や小さい者、色が違う者がある。
僕は最初に会った人魂がいる墓に近づいた。
その人魂は普通の、つまり僕のイメージ通りの人魂だった。
それは球体に楽譜の八分休符のような尻尾が付いていて、手に収めるには少しばかり大きい。白と藍を八対二の割合で混ぜた色をしている。
生前は女性だったのか男性だったのか分からなかったけれど、ともかく僕はその人魂を彼と呼ぶ事にする。
彼は自分の墓の(もしくは他人の墓かもしれない)周りををくるくると廻っていた。高さは丁度僕の肩の辺りだった。
やあ、と僕は声をかけてみる。彼は返事こそしないものの、廻るのを止め、墓石の胴の辺りで静止する。
僕はしゃがんで、彼と目線を合わせる。もっとも、彼に目は無かったけれど。
墓には文字が書いてあったが、電車の広告と同じで読むことが出来なかった。
彼は少し上下しながらそこに静止していた。僕の次の言葉を待っているみたいだ。
でも、僕は声をかけたものの、何を話すか考えていなかった。そもそも彼と共通する話題があるのだろうか。
少し目線を下にやると、供えられた線香とミカンが視界に入った。
これ食べていいかな、と僕はミカンを指差し、彼に尋ねてみる。
彼は大きく上下に動いた。僕はそれをYESの合図と受け取り、ミカンを手に取った。
外の皮は水分が抜けて、少し硬くなっていた。しゃがんだ状態ではいささか辛いので、地面に腰を降ろす。あぐらをかこうと思ったが、マナーを考え、正座をする事にした。
ミカンの上下をひっくり返し、真ん中に爪を立てて皮をめくり、そこから外に向かって丁寧に皮を剥いていった。
全部剥き終わったところで中身丁度半分に分け、その半分を広げた皮の上に置き線香の隣に戻す。
残った半分から一つを取り、口の中に放り込む。
彼には悪いが、正直な所、少し酸味が強く、思ったより美味しくは無かった。
彼が僕の手元に来る。目は無い筈だったが(僕に見えないだけで本当はあるのかもしれない)ミカンに視線を感じた。
ひょっとして彼もミカンを食べたいのかもしれない。それなら僕は彼に食べさせてあげたかった。でも、どうやって?
彼は既に死に(存在していると言う点ではまだ生きている、と言えなくも無い)、食べる口もないし、それを消化できる器官も無かった。要するに身体が無いのだ。
でも、僕は試しにミカンの袋を一つとって彼の丸い球体の部分に近づけてみた。
彼はやっぱりミカンを食べたいようで、自ら、その袋に近づいて来た。
けれども残念な事に、そこで僕の目が覚めてしまった。
彼はミカンを食べる事が出来たのだろうか、それが少し気がかりだった。


六月十六日
夢を見て、起きた時も覚えていた。
でも朝書く暇が無く、学校から帰って書こうとしたら、ほとんど覚えていなかった。
一応一つのシーンだけ覚えていたので書く。
僕は中華料理屋でカレーライスを食べていた。それだけだった。
何故中華料理屋でカレーを食べていたのか、その理由は分からない。

七月十五日
一ヶ月振りにこのノートを開いた。
このひと月の間、夢を見なかったわけでは無いのだけれど、現実の方が色々と忙しくて、書く暇が無かったのだ。
そもそも書く必要も無かった。
僕は現実が不幸な時に更に不幸な夢を見ようと夢日記を始めたのであって、現実が幸福に向かっている時はそんな夢を見る必要がないのだ。
スクランブル交差点があった。
渋谷の109辺りの交差点と言ったらたぶんそれに近いだろう。
無数の、前の蛍と違って本当に無数の人々がひしめきあい、反対側の歩道に向かって歩いていた。
僕はと言うと、喫茶店の中に居た。丁度その交差点を正面から斜めに見下ろす事が出来る窓際の席に座っていた。
眼の前のテーブルには、一杯のカフェオレが置いてある。湯気は立っていなかったが、少し啜ってみるとまだ温かかった。僕にとっては丁度いい温度だった。
僕はときたまにそれを口に持って行きながら、交差点を歩いていく人々を眺めていた。
僕の眺めている場所は、一人一人の顔を眺めるには遠すぎたし、かといって交差点全体が視界に入る位置でも無かった。だから僕は全体の三分の一ぐらいを眺めつつ、残りの三分の二へ視線を移動していった。
ふと、ある事に気付いた。なんだか奇妙なのだ。だけど、その時はまだ奇妙な感覚の原因が分からず、僕はさっきより少し注意を払い、再び人々を見つめた。
五分程見つめていただろうか、やっとその奇妙な感覚の原因を掴む事が出来た。
交差点から出て行く人が圧倒的に少ないのだ。
逆に交差点に入ってくる人々もほとんどいない。
そもそも交差点の筈なのに信号が無いのか、人の流れが止まる事が無く、僕が眺めて始めてからは、車の姿を見掛けなかった。
注意して見ると、彼らは交差点を渡り終え、歩道の位置でUターンをしていた。
何故そんな事をするのか僕には皆目検討がつかなかったが、もう少し良く見てみたいと思った。
僕は席を立ち、飲食物を提供するカウンターに行く。
僕が双眼鏡を貸して欲しい、と女性の店員に言うと、彼女はなんの疑問も抱く様子も見せずに奥から双眼鏡を持って来てくれた。
僕はありがとうと彼女にお礼を言い、席に戻り、双眼鏡を使って人々を再び眺め始めた。
双眼鏡を通して、十人ぐらいの人々が僕の目に映る。
僕はその中から一人の女性に焦点を当ててみる事にする。
その女性は僕から遠ざかるように右斜めに向かって歩いていった。彼女は紺の女性用スーツに同じく紺のロングスカートを履いていて、耳に丸いイヤリングを装着していた。足には黒のハイヒールを履いていた。雑踏の中だけど何故か分かった。
書き忘れていたことだけれど、夢の中では僕からは見える筈の無い場所が見えることがある。
それは一人称視点で書かれているのに突然、三人称視点になる小説の様に。
現実では決して起こる事の無い、夢特有の出来事だ。
でもそれは、僕の思い通りに見えるなんて物ではなく、ある時突然見えるものだった。
女性といったが、それは僕が髪型や服装から判断しただけで、本当の所は分からなかった。
そのような格好をした男性かも知れないし、もしくはどっちでもあるのかもしれない。
でもそれは僕に余り関係の無い事だ。とにかく彼女と言うことにする。
彼女は一定の速度で歩いていた。僕はそれに合わせて双眼鏡を動かす。彼女は歩道に着き、そのまま少し歩いたところで、方向転換をして、今来た道を戻って行く。
振り向いた事で僕は彼女の顔を見ることが出来た。それはやはり、女性に見えた。
一応、美人と言っても差し支えないほどの顔立ちをしていた。
とそこで目が覚めてしまった。



七月十八日
少し、というか結構恥ずかしい事だけれど、僕は小学四年生位まで、寝ている時に小便を、つまりおねしょ、をしていた。一ヶ月に一回程の割合で。
おねしょをしてしまう原因は寝る前にジュースを飲みすぎだ、と両親は言っていたけれど、その時の僕は夢の所為だ、と思っていた。
と、言うのも僕がおねしょをしてしまった時に見る夢は一つの共通点があった。
それはトイレに行く、と言う物だった。場面はそれぞれ全く違うものの、僕は必ず催し、トイレに慌てて駆け込んでいた。勿論、夢の中で。
でも、だけど九歳の秋になった頃、全くトイレに行く夢を見なくなった。それと同時におねしょもしなくなった。だから僕は夢でトイレに行くとおねしょをする、と今も密かに信じていた。
僕は映画館で映画を見ていた。
何の映画だったかは思い出せなかったが、見る価値はあったようで、僕は結構集中してそれを鑑賞していた。
多分映画が中盤に差し掛かった頃だと思う、突然僕は催してトイレに立ちたくなった。
映画を見終わるまで僕は席を立ちたくなかったが、あと一時間は終わりそうにないし、それまで我慢できると思えなかった。
だから僕は話がひと段落ついたところで、こっそりと席を立ち、ドアを抜け、トイレに向かった。
大抵夢を見ている時、見ている本人はそれが現実だと思ってしまっている。つまり現実の事を思い出す事が出来ないのだ。たとえそれがどんなに奇妙であったとしても。少なくとも僕はそうだった。
滅多に無い事だけれど、夢を見ていると自覚する事が出来る時ができ、現実の記憶が戻ってくるのだ。
夢の中に現実の自分がいる、というちょっとしたパラドックスの様な感覚を感じることが出来た。
僕はトイレで小便を済ました後、それが夢である事に気付いてしまった。
僕は後悔した。夢の中で小便ををすると現実でもしてしまっていると思って。
僕は映画を見に戻る事も忘れてしまい、どうしようと、悩んだ。
勿論、夢の中から意識的に自分の身体を動かすのは不可能だし、たとえそれが出来たとしても、魔法が使えたりしない限り、十七歳の自分がおねしょをしてしまった事実は変わらない。
だから、悩む事は無駄だった。
少なくとも僕は他人にこの事を知られてはならないと思い、早朝の内に目覚め、何とかして、濡れた布団を乾かそうと思った。
だけど、夢の中で起きようと思っても、現実で起きられるものではなかった。
結局、何時もと同じ時刻に目覚めてしまい、父親に知られる事になってしまった。
父は苦笑いしながら、他の家族に言わないと口止めをしてくれたが、僕が大人になったら、思い出話として、他人に話すかも知れなかった。

七月二十一日
また見たのだけれど、思い出せない。影絵の女の子が林檎をかじろうとしていた事だけが頭の中に残っている。

七月三十日


夢は僕の頭の中にある形の無い色々なものが混ざり合って見えるものだ。
時には自分の気付いていない思想すらも夢になって出てくる。
僕は逃げていた。
此処は廃墟の病院。廃墟と言っても、最近放棄されたようで、外から見てもまだ営業していると言っても嘘には聞こえない。
まあ、入り口の所に営業停止の張り紙がしてあったので、勘違いする人はいなかったけれども。
僕とその友達は(女子が三人に男子が二人)肝試しをしようと言う事になった。
けれども墓場とか、屋根が崩れ落ちそうな廃墟などの本当に出そうな所は嫌だという(主に女子が)。
それなら丁度いいところがあると男子の一人が言い(名前は分かるのだけれど、此処に書くのは少し気が引けた)この病院で肝試しをする事にしたのだ。
それは寧ろ合コンに近い。僕と一人の女の子以外は二組ともカップルで、もし僕とその女の子がいなかったら、ダブル・デートになっていただろう。
そもそもこの肝試しは僕の為に開催された物でもあった。
僕はその女の子(本名を知っているけれども、Yとしよう)にいささかの好意を抱いていた。
まだ告白しようという位のものではなかったけれど、自分が異性として意識しているのはは間違いなかった。
そこでおせっかいな、あるいは人の恋路に首を突っ込むのが好きな二人の友達によって、この肝試しが計画されたのだ。
僕達六人は門に貼られている「立ち入り禁止」のテープの下をくぐり、敷地内に入った。
僕が先頭を歩く。Yに勇気がある事を見せる為、友人がそうしろと言ったからだ。そしてその後ろにY、そのまた後ろに友人とその彼女がカップル同士横に並んでついて来た。
でもいつの間にか、病院のホールに付く頃には、僕とYは並んで歩いていた。
そこで、僕達6人は三組に分かれて、病院の中を探索する事にした。
友人とその彼女で二組、そして僕とYが一緒に行動する事になった。
僕達二人は三階にあがった。
まだお互いに友人という関係だったので僕とYは手が触れ合わない微妙な間をとって(手を伸ばせば触れられるような距離だ)並んで階段を上っていった。

今日僕はYに告白、またはそれに準ずる行為、要するにYに好きだと思う気持ちを伝えるつもりでいた。
まだ僕はYの事を本格的に好きではなかった。
だから気持ちがハッキリしてから告白するほうが好ましいのは分かるのだけれど、寧ろ僕
この時期に告白したかった。
もし今日告白して、Yが「いい友達でいようね」とか、僕と恋愛関係になりたくない様な返事が返ってきたら、僕はスッパリとYを諦める事が出来るだろう。
だけども僕が本格的に好きになって告白した時に断わられたら、諦める事が出来るのか。いや多分出来ない気がした。


七月二十八日  夢日記ではなく日記
此処までは一昨日、つまり二十八日の現実で起きた事なのだけれど、此処から先は、昨日二十九日に見映画の記憶が混ざり込んでいた。
二十八日の現実で僕は結局、告白することが出来なかった。いや、告白しなかったと言うべきか。
僕はYと一緒に三階のフロアを歩き回りながら告白するタイミングを探していたのだけれど、なかなか見つからなくって(今思えば幾らでもあったのだけれど、当時の僕はそれに気付かなかった)、Yと話しているうちに、僕は本格的に彼女の事を好きになってしまっていた。
だから、断わられる事が怖くなって仕舞い、結局告白しなかった。
その時の僕は心の中で言い訳をしていた。
彼女が僕に好意を抱いているのが感じられたら告白しよう、と。
書きたい事はもう少しあるけれども、これは日記ではないから、ここらでやめておく。誰に言っているのだろう。未来の僕か。



七月三十日  夢日記
病院内部は綺麗だったけれども、人がいない、それだけで不気味な雰囲気を醸し出していた。
でもYはそんな事で怖がるような性格でもなかった。元々幽霊を信じていないのだ。
単に怖いから幽霊を信じない、というのではなく、色々な根拠から幽霊はいない、と確信している風だった。
逆に僕の考えとしては幽霊はいるかも知れないと思っていた。だからと言ってYが僕を嫌いになるとは思えなかったし(彼女は自分の考えを押し付ける人ではなかった)僕も嫌いになんてならなかった。
だから彼女は僕の後ろにピッタリくっ付いて歩くような事はせず、普通に僕と並んで歩いた。
そのようにして僕達は持っている懐中電灯で(この病院に来る前に一人一本ずつ準備して来ていた)辺りを照らして歩いていった。
もっとも、懐中電灯を消しても、月明かりで十分見えるのだけれど、そこはまあ雰囲気を楽しむために点けていた。
三階のフロアはほとんどは、一般の患者が使う病室だったけれども、一番端に一つだけとても豪華な病室があった(現実にはそこは院長室だった)。
そこの部屋の扉だけ他のより一回りも大きく、重々しかった。
僕とYはドアを開け、中を見たとたん、わあ、と同じタイミングで声を上げて驚いた。
そして二人で顔を見合わせた。
床は赤いカーペットで敷き詰められ、天井にはシャンデリア(明かり部分は電球で出来ていて、火災の心配は無さそうだった)、そしてシングルサイズ以上(二人でも余裕ありそうだ)の大きさのベットには屋根が付き、寝る時にカーテンを掛けられる仕組みになっていた。
ふと、何かの気配を感じ、廊下のほうを見ると、僕が居る真向かいの端に、誰か黒いコートを着た人影が立っているのが目に入った。でもそれは瞬きを僕がすると同時に消えていた。
 そうしてるとYが先に部屋に入ってしまい、あわてて僕がそれに続く。人影は見間違いとおもう事にした。もしくは友達の誰かが驚かせようとして変装しているのかも知れない、とも考えておく事にした。
支えをなくしたドアが自身の重みによって閉じる。
 中に入ると少しひんやりとした空気が流れているのを感じる。七月末なので電気が供給されていない病院の内部は、少し暑かったが、この部屋だけは空調が効いているようだ。
 実際、電気が供給されていない、と僕達が勝手に思い込んでいるだけで、スイッチを押したら明かりは点くのかも知れなかった(そんな事したら面白くないのでやらなかったが)。
部屋には塵一つ無い、という表現が正確に当てはまる様に、綺麗に掃除されていた。
Yはベットが汚れてないのを確認してから、横の部分に腰掛けた。丁度窓が目の間に来る様に。
僕は彼女の隣に座りたかったのだけれど、少し図々しいかなと思って、しばらく部屋の中を見て回っていた。色々調べるとベットの横には、ミニ冷蔵庫があり、しかもまだ稼動しているようだった。そうっとドアを開けてみると、人の手首や足首が……なんてことは無く、ジュース、ワイン(病院の中でアルコール摂取は許されているんじゃないのか、とその時思った)、それに林檎や梨、バナナなどのよくお見舞いに持ってくる様な果物が入っていた。
 僕は缶ジュースを取り出し、賞味期限を調べてみた。あと一年は安心して飲める日付だった。流石に果物は手を付ける気にはなれなかった(と言っても腐っている訳ではなく、普通に新鮮そうだった)。
彼女に好きな飲み物を聞く。丁度その銘柄があったので、それと自分の分も取り出して、彼女に手渡した。
僕が立って飲み物を開けようとすると、彼女が座りなよ、と自分の横を軽く叩いて言うので、少し遠慮しつつ座った。
休憩も兼ねて、二人で雑談をする。
やがて話す事が無くなり、少しの間沈黙が訪れる。
このタイミングだ、と僕は思った。今、告白をするべきだと。
そして僕は告白をしてみた。内容はいたってシンプルで、Y、君が好きだ、と。
まだ完全に好きになっていなかった所為もあって(いや夢の中だからかもしれない)、どもったり、つっかえたりすることなく言う事が出来た。
彼女は無表情になり、しばらく黙っていた。けれども、突然の事に慌てて居る様子ではない。 むしろ予測していたと思えるような反応だった。
予測しているという事はそれに対する対応も考えているだろう。だからこの沈黙は、考えている訳ではなく……言いづらいからなのかと僕は考えていた。
言いづらいのは当然、相手が喜ばない返事をする時だ。
僕は半ば諦め、彼女の次の言葉を待った。
しかし、彼女からの返事は無く、その代りに、僕の方に倒れかかって来た。
一瞬、彼女が眩暈を起こしたのかと思って、慌てて身体を受け止める。
でも、Yの目は僕の目をしっかりと見つめていた。
どうしたの、と聞くと、これが答えだよ、と返ってきた。
OKって事?と分かっている筈なのに僕が聞くと、彼女は少し頬を膨らませてそれ以外に何かあるのよと言った。
僕はそっと腕を離して、彼女を自分の膝の上に乗せた。
Yは目を閉じて、ありがとう、と言った。
なぜお礼を言われたのかは僕には良く分からなかった。むしろ逆にこちらがお礼を言うべきではないかとおもった。
こちらこそありがとう、と返した。
しばらく、二人とも何も言わず、動かなかった。
 先程の沈黙とは違って、二人の間には何かで繋がっていた、ように僕は思った。
正面の窓から差し込んだ月の光が祝福するかのように僕達を照らしていた。
此処までで眼が覚めたら、明晰夢を見れた、と僕は思っただろう。
けれどもそれは唯の夢に過ぎなくて、そして続きがあった。

その静寂を悲鳴が引き裂く。
Yは驚き、僕の膝の上から飛び上がった。
二人で何事かと顔を見合わせた。
その悲鳴はふざけてあげるような黄色い悲鳴では決してなく、これ以上ない絶望に出会ったのかのような、そんな悲鳴だった。
どうやら二階から聞こえてくるようだ。
二階には友人とその彼女が居るはずだった。
僕とYは部屋を飛び出し、そばの階段から、二階へ向かう。
悲鳴はまだ続いていた。声は友人の彼女のようだった(友人がこんな高音を出せるとは思えない)。良く聞き取れなかったが、友人の名前を呼んでいるように聞こえた。
二階に着くと、一階にいた二人も悲鳴を聞きつけてあがって来ていた。
急いで二階を探す。
まだ悲鳴は続いていたので(助けて、というような言葉に変わっていた)、直ぐに二人がいる部屋を見つけることが出来た。そこは手術室だった。扉の上に「手術中」というランプがあり、しかも何故だか点灯していた。
この時の僕達は友人が足を滑らせて、治療器具の上に倒れこんで、大出血でもやらかした、位にしか考えていなかった(それでも大事だろうけど)。
だけど現実は、いや夢だから現実じゃないけれど、実際には更に酷い事態だった。
扉に近付くと、へんな音がすることに気付いた。
エンジン音と何かが高速で回っているような音がする。勿論、扉の向こうからだ。
何だろう、と一瞬思ったが悲鳴がまだ続いていたので(こないで、と言っている)扉を開け、手術室に足を踏み入れる。
手術室には二人人いた。
まず部屋に立っている一人が目に付いた。けれどもその人は、友人でも、その彼女でも無かった。
そいつは黒いフードつきコートを頭からすっぽりと被っていた。性別は分からなかったが、体つきから見て男のようだった。
僕達の方に背を向けている。そしてその向こうに友人の彼女が壁にへばりつく様にして座っていた。
彼女は僕達が入ってきたことに気付いて、助けて、と叫んだ。悲鳴をずっと挙げていた所為か、声が掠れている。
そして彼女と一緒にいるはずの友人(Xとしよう)は姿が見えなかった。
理由は分からないけれど、彼女は黒コートの男に襲われている。そして追い詰めれれている。
その状況を理解した僕達はともかく彼女を助けようとした。
まず友人(一階にいた方だ、こっちをZとする)が最初に男に向かって駆け出そうとする。けれど、何かに躓いて転びそうになる。
僕はZの腕を慌てて掴む。そして下を見て、衝撃を覚えた。
他の三人も見つけた様で、Zの彼女は悲鳴をあげた。
Zがつまずいた物、それはXの胴体部分だった。胴体ではなく、胴体部分。
 Xの首と胴体と下半身は切り離されていた。勿論、息はあるはずも無い。
夢だからだろう、切り口の部分は霧が掛かったように見えなかった。
どうやったら、こんなに風に人を斬る事が出来るのか。その答えは男を見たとたん、直ぐに氷解した。
男は主に大木を切る時に使う工具、チェーンソーを持っていた。
扉の前で聞いた二つの音はそのチェーンソーから聞こえていた。
男が僕達の方に少し顔を向ける。仮面とかマスクは何も付けていない。だけれど顔があるべき部分は暗闇になっていて、見えない。

ところで僕が昨日見たのはホッケーマスクを被った殺人鬼が出てくる映画じゃない。
そもそも、その殺人鬼はチェーンソーで人を殺してない。主に鉈を使っていた(この映画は半年前に見た)。
僕が昨夜見たのはチェーンソーで人を殺した男が、その殺した人の顔の皮を被って、殺人を繰り返す映画だ。
多分それが今回見た夢に影響を及ぼしているんだと思う。

僕は男に見られた途端(眼が合った訳では無いけれど、そう感じた)身体が金縛りにあった様に動けなくなった。
他の三人も同じく金縛りになった様で、誰も動かない。

金縛りってのは一種の夢なのかもしれない。授業中机の上に突っ伏して寝ているとたまになる。
眼が覚めているはずなのに、全く身体が動かせない。教師の話が耳に入っているのに、ノートを取る事もできない。もっとも、起きていても取らないから寝ているのだけれど。
僕に限った事かもしれないけれど、人はやれる時はやらないのに、それが突然出来なくなると、無性にそれがやりたくなる。
だから、金縛りにあっている時は、ノートを取る為に必死に起きようとする。
金縛りには一部の脳が動いていないからとか諸説あるけれど、まだ原因はハッキリとはわかっていないみたいだ。

男はXの彼女(元彼女の方がいいかもしれない)に向き直り、ゆっくりと近付いていった。
止めろ、と声を出そうとしたけれど、出せない。まるで喉が声を作り出すことを忘れてしまったみたいに。
元彼女は、もう悲鳴をあげる事もせず、あるいはあげる事が出来ずに、ただ男を見上げていた。声を出してはいる様で、チェーンソーの音で僕には聞こえなかったけれど、口の動きからしてあ……ああ……と言っているのが分かる。
男は元彼女の前で止まると、腰を屈め、チェーンソーを腰の横に構える。
そして躊躇いもなく元彼女の胸に向けて突き刺した。
もし突き刺したのが刀だったならば、元彼女は直ぐに絶命する事が出来たかもしれない。
だけどチェーンソーなので胸に刺さりはしたものの、心臓まで直ぐには届かなかった。
ゆっくりと、彼女の胸の肉と骨を削っていく。血が噴水のように辺りに飛び散る。もし日の光がそこに差し込んだら、綺麗な虹が出来そうだった。
斬られている部分はまた靄が掛かっていて見えなかったけれど。
彼女の顔は天井上を向き白目を剥いていた。身体がチェーンソーの振動に合わせて揺れている。生きているか、死んでいるかは分からない。だけど、刺された時のショックで死んでいる事を願った。
チェーンソーの刃がが心臓に達し、突き破り、背骨を破壊するまでそんなに時間は掛からない。たぶん二十秒も無い。
でも僕にはそれがかなり長く、十分位に感じた。
人がそうして眼の前で殺されているのに、何もする事が出来ないのはとても辛い。
まるで自分の精神までもが殺されているようだ。
これがもし現実だったら、その後生きていたとしても、その事を思い出し、自殺しているかもしれなかった。
元彼女の身体を貫いたのだろう、肉と骨が削れる音から、タイルの壁を削る音に変わる。
でも男はチェーンソーを抜かず、そのままゆっくりと下腹部の方へ下ろし始めた。
再び血、そして肉が飛び散る。
もう金縛りは解けていた。だけど、誰も男に向かって飛び掛ろうとはしなかった。無駄だったからだ。
 元彼女は四人の誰の眼から見ても既に絶命していた。もしこれで生きていたら、もはやそれは化け物だろう。死の概念を超えた。
男はまだ屍となった元彼女を斬り続けていた。真っ二つにするつもりなのだろう。
男は殺人鬼だと、この場で生きている皆がそう感じた(聞いたわけではないから分からないけど普通ならそう感じるだろう)。
もし、Xと彼女の二人に恨みがあったとしても、こんな猟奇的な殺し方はしないだろう。ましてやも既に死んでいる人を斬り続けるなど、精神が破綻しているとしか思えない。
 どちらにせよ、殺している現場を見られたのだから、口封じの為に傍観者である僕達を殺しに掛かるだろう。
まず最初に、Zが男に背を向けて、唯一の出口である扉へむかった走り出す。
それにつられる様にXの彼女も逃げ出す。僕もその後ろに続いたが、Yがまだ男を見ていたので、慌てて腕を引っ張り、引きずる様に連れ出した。
扉を抜け、前の二人について走る。
廊下には窓から月明かりが差し込んでいたけれど、もはやそれは闇という恐怖をを演出するだけの物になっていた。
階段を転がるように駆け下りて、玄関ロビーまで一目散に駆けていった。
その時、僕達はある音を聞き逃していた。もし、その音に気付く事が出来れば、二人の犠牲者だけで、この病院から逃げ出す事が出来たのかもしれなかった。
先頭を走っていたZが玄関ロビーに到着し、息を切らしながら扉に手をかける。
けれども、開かない。引いても無理だった。
ぼくとZで体当たりをしてもドアは全く動じる様子を見せず、まるで自らを壁と言っているようだった。
ふと、Yが機械の音がしない?と言った。
僕達は体当たりをするのをやめ、耳を澄ませる。
確かに音がする。Yの言う通りそれは機械音で何かが降りる音のようだった。
僕はある考えに至り、窓のある廊下へ眼を向ける。
窓からは月の光がまだ差し込んでいた。だけどその光は小さくなっている。
窓の方へ駆け寄る。だけれど、もう遅かった。
機械音の正体はシャッターが閉まる音だった。
僕が窓の正面まで来たときに既にはシャッターが窓の四分の三を覆っていた。
慌てて窓を開け、それを止めようとする。だけど、窓自体は開いたものの、網戸が固定されていた。ぶち破ろうと殴りつけてみたけれど、結構丈夫な素材で出来ていて、拳では破れそうに無かった。
そうしている内に、シャッターが完全に閉まった。
自然の光が消え、何も見えなくなる。
シャッターが降りた事により、電気はまだ通っているのが分かったが、非常灯は点灯しなかった。
僕達は一つずつ懐中電灯を持っていたので、全員それを点ける。
いそいで玄関ロビーから離れる。扉が開かない以上此処にいても意味が無いし、殺人鬼の男が僕達を追ってくる可能性があるからだ。
廊下を曲がり、辺り一帯を照らしながら進む。
非常口に辿り着く。緑色のカバーを取り外して、鍵を開ける。ドアノブはちゃんと動く。どうやらこの扉はちゃんと機能するようだった。
僕達は喜び、扉を開けて外に出ようとする。
だけどその扉から脱出する事は不可能だった。
扉があいている途中で止まったのだ。いくら力を込めてもそれ以上開く事は出来なかった。
どうやら外に何か車のような重い物がおいてあり、それが扉をふさいでいるらしい。
四人掛りで扉を押しても無理なのだから、それは相当重い物なのだろう。
その隙間はやっとYやZの彼女が腕を出せる程の隙間しかなく、無論通り抜ける事はできない。
そうしていると、後ろでチェーンソーの駆動音がする。
振り向くと20メートルほど離れたところに男が立っていた。
男がこちらに一歩踏み出すと同時に、僕達は再び逃げ出した。
どうやって逃げたかは覚えていない。
気付くと僕はYと二人で、三階にいた。
三階はシャッターが降りていなかった。でも、窓から外に飛び出すのは無謀に近い。
この病院は天井が高く、三階で10メートルはありそうだった。
しかも外はコンクリートなので運が悪ければ死ぬ事だってありえた。少なくとも何処かの骨が折れるだろう。
それでも男に殺されるよりはましなように見えるけれど、もし男が追ってきたら、そんな重傷で逃げ切れる自身は無かった。
むしろ怪我の所為でゆっくりと嬲り殺される可能性だってあった。
だけど、それ以外に脱出する道は無さそうだった。ちなみに、火事の時に使ったりするすべり台のような非難器具は壊されていて使う事が出来なかった。壊れ方から見るに男の仕業に見えた。
僕が覚悟を決めようとしていると、Yが横から話しかけて来た。
ねえ、あいつを撃退できないかしら、と。
それはとんでもない提案だった。けれど、ほんの少しの勝機があった。
僕はYから男の撃退方法を聞いて、その賭けに乗ってみる事にした。外に飛び出すよりはいささかましに思えたからだ。
二階の手術室に行く。そう、Zとその彼女が殺された手術室だ。
他の手術室でも良かったのだけれど、目当ての物が置いてあるかどうか分からなかったからだ。
Zはさっきと同じようにバラバラに転がっていた。
Zの彼女は胸からまたの部分まで綺麗に二等分されていた。
僕は死体となった二人を壁の端に並ぶように寝かせ、二人の手を握らせてあげ、その上から白い布を掛ける。そしてその前で手を合わせ、少しのお祈りをする。
そうしている内にYが目当てのものを見つけ出し、プラグをコンセントに差込み、電源を入れていた。
それは患者が手術中に心肺停止した時に胸に当て、電気ショックを加えて生き返らせる機械だった。心肺蘇生器とでも言うのだろうか。ともかくそれを使って男を撃退、いやもしかしたら倒す事が出来るのかもしれない。
まず僕が手術室から外にでて、男を捜す。あまり手術室から離れない様に気をつけながら。




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