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魔女の黒ミサ


 魔界の住民の死後はいつ見ても呆気ない。躯をこちらに見せつけることなく、ただ黒い塵となって空中を彷徨った後に跡形もなく消えてしまうのだ。このデーモンもまた頭部から闇が侵食するように虚ろになり、ざあ!と羽虫が飛ぶような音を響かせた後に消えていった。コボルトやゴブリンなどは死体を残すが、違いは何なのだろう。その分類分けも面白いかもしれない。
 ヘクターが剣を拾い、何度か荒い息を吐き出し、最後に大きく深呼吸する。そして振り返るとこちらに歩いてくる。
「ご苦労、ご苦労」
 偉そうに労りの言葉をかけるアルフレートには、ただ苦笑しただけだった。
 わたしは、というと目の前で汚れた顔を拭うヘクターを、なぜか初めて見る人物に対するような、自分でも変だと思う感情が渦巻いていた。自分とは違うカテゴリーにいる人のような、そんな事実を叩きつけられた気持ちがした。置いて行かれる焦り、嫉妬もあるような気がする。急に湧いた思いに、わたし自身混乱し、コントロール出来なかった。
「おつかれ」
 ぽつり呟くだけになる。いつものように浮かれたりしないわたしをこの状況だから、と思ったのか、妙な顔をするメンバーはいなかった。
「やったな!」
 カイ達も駆けてくる。お互いに無事の姿を確認し合う。この一戦でみんな随分汚れてしまった。特に何もしていない、と思っていたわたしでさえ土煙に汚れている。
 勝利に湧く空気も一瞬で、すぐに闇の広がる地下へ下り始めた。
「また襲ってきたりするかな?」
 ヴィクトリアが周囲の闇に声を潜めながら尋ねると、アルフレートが首をふる。
「無いと思いたいね。魔女どももなるべく儀式の方に力を注ぎたいはずなんだ。さっきのでこちらを『葬れる』と踏んでいた」
 坂が急になってくる。うねりながら続く道をどこまで降りればいいのだろう。周りに仲間がいなければ気が狂っているんじゃないか、と思う。別世界へと繋がっているのでは、とも感じる古代遺跡の神殿は、やっぱり古の時代のサイヴァ教の神殿なのだろうか。
「あれか」
 カイが前方を指差す。坂を降りきった先が見えてきた。そこにあるのは大きな扉。わたし一人では開けられなさそうな、トロールくらいなら通れそうな大きさがある。暗くてよく見えないが、こちらも細微な紋様が施してあり、それらがぬらぬらと光ってみえた。
 全員で扉の前に立ち、目配せし合う。ここまで来たのだ。後には退けない。しかし逃げ出したいほどの緊張感に襲われたのも事実だった。
「いつも通り、なんとかなるさ」
 フロロの気楽な声にわたし含め何人かが苦笑する。
「儀式を止めることが最重要よ。何ならその後は逃げてもいい」
 わたしが言うとみんな頷いた。
 カイが扉に手をかけると、驚くほどあっけなく開いていく。ゆっくりと角度をつけていくたび、香の匂いがきつくなる。ぱちぱちと火の爆ぜる音もする。そして奇怪でいて流れるような呪文の声が聞こえてきた。わたしは中を見て動きを止める。
 闇の塊がそこにはあった。少ない篝火の光を反射しながらも周囲に闇を撒いているように見える不思議な鉱石。巨大な、ここが屋外であったら『天まで届くような』と形容したい黒水晶がわたしの前にそびえていた。大きな、大きなつららである。圧倒的な存在感に、凄まじい邪気を感じながらも「綺麗だ」と思ってしまう。その逆さにした円錐形の鋭利な部分に輪を作って、魔女八人が揃っていた。
 「依り代」があるとしても火のルビーのような拳大の物か、自分の身の丈ほどの邪神像などを想像していたわたしはあっけにとられていた。これが魔女八人がこの地を選び、ここに縛られていた理由なのだ。黒水晶は本当にあったんだ、という感想が湧く。
「寄せ集めでも、大量にマナが必要になるわけだ」
 アルフレートの呆れのような、むしろ感心げのような呟きが聞こえた。
 フロロを皮切りにそろそろと近づいていくみんなに、わたしも続く。魔女たちに近づくにつれ、凄まじい様相が見えてくる。魔法陣の中にいる彼女たちの顔は時に苦悶に満ち、時に恍惚の表情になる。顔、手共に浮き出た血管や必死に邪神へと祈る姿に背筋が凍った。
 ここまで反応がないのは儀式に夢中のあまり気づいていないのか、取るに足らないと思われているのか。しかし、その内の一人の目がカッと見開かれ、勢い良く立ち上がる。
「その娘を近づけないで!」
 こちら側を指差し、ヒステリックに叫ぶのはその声と不釣り合いな幼女、末娘のヒルダだった。その形相と勢いにわたしはびくりと後ずさる。あの屋敷で唯一、愛らしさを見せていた幼女は藍のローブに身を包み、悪鬼さながらの顔をしていた。今もそのローブはだぶつくほど大きく不釣合いだというのに、この威圧感は何なのだろう。
 こちらの存在を無視するように詠唱を続ける魔女たちの中、また一人がすっくと立ち上がると、獣のように目を光らせてこちらに向かってくる。メイドのモーリーンだ。恨みがましい顔で口元を歪ませ、呪詛を吐く。手の動きからして呪文を唱えているようだ。こちらも慌てて身構える。
「ボドウネア・スィン・パライソ・ゥ・オグン」
 奇妙な詠唱だった。発音からして馴染みのないルーンだ。その言葉に応えたのは床の方からで、地中を何かがうごめくような振動が始まる。
「お、おい」
 天井から欠片が落ち、カイが慌てだす。次の瞬間、水から這い上がるような動作で地面から出てくるのは鉄兜を被った大柄の戦士だった。その数五体。人間ではおよそあり得ない筋肉の膨れ方をした上半身をし、ドワーフが好んで持ちそうなグレートアックスを片手で持っている。濃紺の肌に瞳孔の見えない真っ黒な瞳からして話し合いが通じる相手ではない。先程のデーモンよりは小柄なものの、見上げるような身長である。
「いやだなあ、私のゴーレムたちが霞むじゃないか」
 アルフレートがぼやく。気づくと付いてきていた石の兵士三体。こちらは背の高さもわたしと同じくらいしかないし、立派な体躯も目の前の鉄巨人には負けてしまう。
 モーリーンがこちらを指差し、何かを叫ぶ。鉄巨人達はまっすぐにこちらへと向かってきた。ヘクター、イルヴァ、シリルはすぐに反応して走り出す。
「死ぬなよ。とりあえず逃げ回れ」
 わたしの頭を叩いてアルフレートも飛び出す。カイもいつの間にか消えていた。
 残されたわたしとヴィクトリアは目を合わせ、フロロを見るが、
「俺に何かを期待するなよ?」
と言われてしまった。
「き、きき来たわよ!」
 ヴィクトリアの叫び通り、鉄巨人の一体がこちらに突進してくる。慌てて壁に沿うような形で走り出す。鉄巨人はそのままわたし達が立っていた場所にアックスを振り下ろした。爆発音のような凄まじい振動を立てて壁に穴を空ける様に血の気が引く。
「とりあえず走れ、走れ!」
 フロロがわたしの頭から飛び降りた。わたし、ヴィクトリアも必死で走るが、後ろから追いかけてくるのは大きな足音で嫌でもわかった。今、転んだりしようものならミンチになって終了である。
 横目で見るとヘクター達も必死で戦っている。助っ人は頼めそうになかった。鉄巨人からの攻撃をハンマーで受け止めようとしたイルヴァが弾き飛ばされる。すぐに立ち上がり、かかっていくがパワー勝負では勝てないということだ。シリル、カイがタッグを組んで戦っているようだが、有効な一撃を浴びせるには遠そうだった。アルフレートに至ってはこちらと同じように背を向けて走っているようだし、顔がやけに嬉しそうだったりよくわからない。
 唯一の救いは、モーリーンが膝をついて肩で息をしていることだ。さらにこちらを攻撃してくる余裕までは無いと思う。他の魔女たちは必死に祈りを続けていた。もう追い込み段階なのは水晶の様子でわかる。弾けそうなほどに膨張した闇は、時折、人の形を取るように歪んだ。もうすぐにでも邪神が、女王サイヴァが降りてくる。湧き上がる恐怖に押しつぶされそうになる。転ぶのを怖がってるなんて、小さな恐怖にすぎない。あの闇を形作らせてはいけない。早くなんとかしないと……。
 ヴィクトリアが後ろを振り向き何かを唱えていた。その目には涙が滲んでいる。旅の前は彼女のこんな顔を見ることになるだなんて思っていなかったな、と場違いなことを考えていた。
 わたしはそう、考えていた。闇の水晶を見た時から、儀式の止め方を。この部屋に飛び込んだ瞬間にヒルダが叫んだ「その娘を近づけないで!」の言葉の意味を。最初、クレイトン氏の姪であるヴィクトリアのことか?と思ったが違う。あれはきっとわたしのことだ。
 ハーネルに攫われた時に、彼と魔女が言っていたじゃないか。

『……確かに『中心部』に居られたら困る子だわね』

『だけどうまく使えばこれほど上玉の『餌』はねえ』

 なぜそんなことを言ったのか。理由は簡単、わたしの体質のせいである。儀式には大量のマナが必要だった。だからわたしにはここにいて欲しかったはずだ。常に膨大なマナを引き寄せ、周囲に渦巻かせているわたしを。でも、ヒルダは近寄らせるな、とさけんだ。中心部、と言っていた黒水晶に近づくのはまずいからだ。
 それに気づいた瞬間、わたしは走り出していた。黒水晶に近寄ることによってどのような現象が起きるのか、は全く読めない。無鉄砲としか言いようのない行動だ。でもこれしかない、と思った。
「やめろ!」
 叫んだのは魔女の誰だったか。ヒステリックでインプのようにけたたましい声は、耳に不快だった。今や魔女たち全員が立ち上がり、わたしに向かって筋張った腕を伸ばし、牙を剥く。構わずわたしは篝火を倒し、発光する魔法陣を踏みにじり、香の沸いた油釜を蹴飛ばし走る。
 黒水晶に伸びるわたしの手と、それを阻止しようとする手。水晶から湧き出る闇が描く螺旋。全てがスローモーションに見えた。
 黒水晶に触れた指先に、静電気のようなものを感じた。次の瞬間、暴走する闇が水晶より現れる。嵐のようなそれはわたし、魔女、すべてのものを巻き込んでもみくちゃにする。頬を打つのは風なのか、マナの塊なのかわからない。
「おのれ! おのれ!」
 上を見ると水晶に引きずり込まれるヒルダがいた。こちらに腕を伸ばし、もがいている。他の魔女たちも同様だった。頭を抱え込み、悶える者、生気を吸い取られるのに恐慌する顔、全員が今は老婆に見えた。
 ヒルダの手がわたしに届きそうになる瞬間、また暴風が吹き荒れる。わたしとヒルダの間に一筋の閃光が現れ、弾ける。
「またしても邪魔をするか、人間の子よ! 憎い、憎い、憎い奴らめ……!」
 ヒルダからの呪詛の声はそれを最後に聞こえなくなる。水晶に吸い込まれるヒルダと、衝撃に吹き飛ばされるわたしが離されたからだった。
 視界の片隅、同じようにマナの暴風に煽られ、吹き飛ぶ仲間がいる。みんな巻き込んでごめんなさい。こんなことになるなんて。
 黒水晶は闇を放出し続け、その闇は部屋に満ち、この後、地上へも上がっていくのだろう。邪神復活は阻止したんだろうか。手遅れだったんだろうか。見届けることなく、わたしは気を失ってしまった。意識が途絶える瞬間、誰かが手を取った気がする。それが誰なのかを確認することも出来なかった。


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