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「いらっしゃい、酷い雨だね」
カウンター内から店の入り口を見た店主は、たった今、蝶番を鳴らしながら扉を開けた客に向かい声を掛ける。革のマントが雨を吸って重そうだ。合間から覗く美しい胸甲冑と腰に差した大ぶりの剣からして、傭兵もしくは冒険者の剣士、しかも腕利きである、と店主は見抜いていた。何人もの戦う人間を見てきたが、姿勢と歩く動き数歩でも見れば、大体の力量は分かるものだった。
「カウンターでいいかい? 誰も来ないんで、今日はもう閉めちまおうかと思ってたんだ」
立派とはいえないオーク材のカウンターテーブルをクロスで拭きつつ、店主は剣士に座るよう促した。普段なら葉巻、煙管、最近普及し始めた紙巻き煙草の煙で充満している店内も、客の入りが無ければきれいなものだ。雨の雫が床に模様をつける。剣士は黙って背の高い椅子に腰を預けた。
剣士の指さす先にあるエールの樽を見て、店主は頷く。レバーを回し、グラスに注がれる茶の液体を見ながら「この明らかに土地の者ではない客に何の話題を振るべきか」を長年の勘で考えていた。
「『スウェルテネクト』の戦いも収束したみたいだね。あの辺は沼地が多いから、えらい長引いた。どっちもどんだけの犠牲があったんだか。しかし戦争ばっかりで嫌になっちまう。……どうした、嫌な顔して」
剣士がエールを受け取りながら苦笑するような顔を見て、店主は大袈裟にならない程度に驚いてみせる。
「わかった、あんた傭兵として参加してたんだな。なに、無事に帰還出来たならいいじゃねえか。それに今ここにいるってことはケニスランド側で戦ってたんだろう? 今回ばかりは明らかにケニスランドに義があった。そう湿気た面するこた無いさ」
店主の言葉に剣士は無言で頷くと、出されたケニスランド産の酒を一口、口に含む。そして一気に煽ったグラスが、ランタンの光を反射した。一息つくと、剣士は壁に目をやる。様々なチラシや冒険者向けの仕事斡旋書、はたまた飼い猫の行方を求める情報までが乱雑に貼り付けてあった。
「お、何だい、もう次の仕事探してるのか? そうさねえ、最近はギルドの一人勝ちでね。こんな寂れた酒場に来る依頼じゃ、あんたを満足させられるか。……ギルド? 盗賊ギルドに決まってるだろうよ。あいつら数はもちろん、一人ひとりもえらい腕利きだ。それに最近じゃ義勇団まがいのことや一般人からの依頼を請け負ったりしてるんで住民の心も掴んでやがる。最早、盗賊とは言えない様相だが、いやはや、幹部はずいぶんとやり手なんだろうね」
愚痴まがいの台詞を言い終えた店主はふう、と息つく。そのタイミングで剣士は腰のポーチからコインを取り出すとテーブルに置いた。
「ごちそうさま」
やや甲高いが、よく響き渡る力強い声である。そのままお釣りを断る手振りに、店主の顔はついつい綻んだ。
「いってらっしゃい、どちらへ向かうんで?……首都に行くのか。だったら宿は大通りの店にしな。俺のいとこがやってるんだ。今、店の名前をメモしてやるから待っててくれ……」
カウンター内をごそごそと探し回る店主を待たず、剣士はマントを整えるとゆったりとした足音を響かせつつ、舗装もまばらな通りへと出ていった。その姿に疲れはない。降り止まない雨の中、通りに底の厚い革靴の響かせる音だけが鳴っていた。
世界最大の大陸ロームル大陸は、場所によって実に様々な顔を見せる。北部と南部では気温も肌の色も丸きり変わり、東部と西部では言葉も通じない。そのロームル大陸北方に位置する国家、ケニスランド。気候は寒冷に属するが雪が少なく、元は血気盛んな蛮族であった国民は現代においても活動的である。今は100日近い暖気を終え、続く短い雨季も去り、長い長い冬を迎えようとしていた。
ロームル最後の絶対王政国家と揶揄されるこの国の、首都カヴェンターはケニスランド最大の貿易港を抱えていた。港はカッフェ川の終着地にあり、街の中心へ続く川はそのまま物流のために使われている。遠い大国では汽車が活用され始めている時代だが、ロームルではまだまだ水路が運搬の主流だ。常時貿易船が行き交い、明かりが消えることはない。故に常に人の集まるこの町には様々な人種、種族、異教徒が混じり合い、発展し、混乱を起こしてきた。その喧騒を見下ろすようにそびえるのが、ケニスランドの頂点の存在である国王、コフェナータム12世の居城カヴェンター城、通称『アイスキャッスル』である。
コフェナータム12世は賢王であった。実情はどうあれ、そう思わせるのに長けた国王だった。私室で妻に暴言を吐こうとも、公式の場には必ず揃って現れたし、口の軽い使用人は例え靴職人であろうとも側に置かなかった。その為、アイスキャッスルでは時代錯誤の神に等しいこの男も、城下町では人のいい神父のように描かれ、親しまれることが常であった。
齢60になる王の裁判は公平かつ真理に基づくものであり、神の代弁だとさえ言われる。その賢王が断罪した相手、すなわち犯罪人は犯した罪の大小はあれど許されざる存在であり、例外なく排除されるべきものだった。物を盗んだものは地域から排除され、人を騙したものは町から排除された。人を殺めた者はこの大地から消える。すなわち、絞首台へと上がることになるのである。
アイスキャッスルからは今日も一人の重罪人が処刑場へと運ばれていく。その様子をちらりと見ることもなく、コフェナータムは宮殿部であるグレートハウスから、自慢の銀髭を撫で、ロームルの覇者となるべく遠い山々を眺めていた。
ネルソン広場は血に飢えていた。この国における極刑の方法が断首から絞首に変わったからである。200年ほど前の英雄ネルソンを讃えたこの広場が、公開処刑の場に使われるようになったのは城に近いこと、街の中心部にあること、そして単純に人の入りが良いからであった。
その乾いた広場の中央に向かうために、重い足を引きずるのは一人の重罪人だった。四肢の皮膚は鞭打ちの跡と拘束の鎖によって破れ、ただれていた。顔も本来の人相や色がわからないほどに腫れ、血の気を失っている。その見るも哀れな男を襲うのは群衆からの罵声である。獣のような叫びは混ざり合い、重なり合い、一つの大きなうねりとなっていた。男へ向けられる憎悪は一つ弾ければ暴発、連鎖してしまうような危険性を秘めていた。これから殺される人間のために、5人の兵士が警備に付くほどである。
「すべては国王陛下のために」
その光景を見ていた一人の兵士が呟く。広場の周りの警護に当たっていた彼は、これが王立国防軍としての初仕事だった。
周辺国でもこのケニスランドの前時代的な催しを非難する声は多い。ロームル全域の各国外務大臣が集まり会合を開いた場でも、一つの意見を皮切りにケニスランドの公開処刑に対する非難が相次いだ。その矢面に立たされたケニスランド現外務大臣フェリンガムが『クソッタレ』と言い放ち、場を静まらせたと言う話が新聞の一面を飾ったが、これは脚色なしの実話であった。
なぜ諸外国からの非難の多い公開処刑を続けるのか、は簡単に言って「ガス抜き」であった。ケニスランド人はもともと狩猟民族である。街中でこそ優雅に歩き、お茶を楽しみ、フォークナイフの使い方にうるさく、帽子のかぶり方一つとってもマナーにうるさいが、市壁を超えて出歩けばモンスター相手に自ら剣を取る民族である。自分の身は自分で守る。その姿勢は変わらない。その彼らが首都カヴェンターの人口が増えるにつれ窮屈な暮らしを余儀なくされ、加えて貧富の差の問題も解消しない。
重罪人という絶対悪を罰する場を見るのは、適度な発散にもなり、見せしめにもなる極めて合理的なものだった。
受刑者が広場中央にある絞首台前に着くと、群衆の盛り上がりは最高潮になる。我々は身を守る闘いに勝ったのだ。敵を火炙りに。国王に賞賛を。
それを少し離れた位置から眺める少女がいた。フードを目深にかぶり、大きなローブで足元まで身を包んでいるが細く、華奢である。合わせた手は震え、乱暴に扱われる受刑者を涙で滲む目で見ていた。
受刑者の犯行内容、そして受刑内容が兵士によって読み上げられる。しかし群衆の声によって少女には何も聞こえない。だが少女はすでに知っていた。今、まさに目の前で吊られようとする男、少女の父親が何をしたかを。何の罪で死罪となるかを。
少女の父親、メッシュ・ポートリッジがしたのはリッツマン男爵の屋敷に侵入したこと。そして倉庫を漁り、本宅から金貨数百枚を盗み出したこと。男爵一家ーー末娘6歳を含む8人を殺害したこと。言い逃れようのない第1級殺人だった。
事前に自宅にて治安判事よりそれらを伝えられた時、少女は気を失った。家族には優しい父だったからだ。そしてまた「ありえないことではない」と思ったからだった。大人しい父親ではあったが、執念深く、陰湿。また貴族階級を嫌っていた。
首に縄がかけられようとしているメッシュ・ポートリッジを、少女はこのまま見守るつもりだった。それが彼の娘としての使命、義務のように思えた。しかし目を逸らし、逃げたい気持ちも当然のように抱えていた。『逃げる』……、それは少女自身にも課された議題でもあった。少女と母、そして弟もこの街から逃れなくてはならない。犯罪人、特に殺人罪の犯罪人の、家族がどういう扱いを受けるかはよくわかっていた。
友人はいなくなり、住処は追われ、物を売ってもらえなくなる。すでに影響は出始めていた。パンを買う店は選べなくなっており、弟は学校へ行けなくなっている。カヴェンターでは、いやケニスランド内ではこの数日の間に、人間扱いしてもらえなくなるだろう。
父親を失う悲しみよりも、こんな心配をしなくてはならないなんて、と少女の頬に涙が伝った。
その瞬間に起きた出来事が、少女の時を一瞬だけ止めてしまった。少女の耳元に囁く声がする。低音の掠れた、しかしはっきりとした響きをもって少女の耳に届き、喧騒が聞こえなくなる。
「お前の父親は無実だ」
鳥が舞い降りたかのように唐突に現れた影がもたらした低い囁き声は、少女の体内に氷塊を投げ込んだ。それは弾け、マグマのように激しく煮えたぎり、少女の体を震わせる。
「アグエロを許すな」
二度目の囁きの後、気配は消える。しかし少女はその気配の主を振り返るよりも、前に進むことを選んだ。父親の頭部に麻袋がかけられ、体が持ち上げられたからだ。
「待って……」
少女は喧騒と熱狂の中、父親に手を伸ばす。その瞬間、台座は外された。
カヴェンターの南東部、フェデコート市ワトリー通りに盗賊ギルドの潜窟があった。カヴェンター内には20を超えるギルドのアジトがあるが、一番港に近く、宮殿の目と鼻の先、そして定期的に人々を熱狂させる催しのあるネルソン広場がすぐにある為、ここ『ワトリー・セーフハウス』が実質的な本部だった。一応、潜窟の体はとっているものの、住民には存在が周知の事実となっていたし、常に構成員以外の人の出入りは多い。
カシル・ストラソスは今日も大勢のつまらない人間相手に受付業をこなしていた。街中で目立ちにくい黒髪に茶の瞳、細長い手足と繊細な指先は盗賊向きの男だが、20歳というギルド内では比較的若いことと、口の悪さから受付業を押し付けられていた。盗賊ギルドでは口が悪い方が重宝される。良い追い出し役になるからである。盗賊ギルドにやってくる一般市民の要件は、大抵は借金の期限延長のお願いか、融資の相談だった。
そんな中では少々風がわりと言える相手を前に、カシルは少し伸びすぎた髪をうっとおしそうにかき上げた。古い酒場を手直しした部屋には相談にちょうど良いカウンターがある。窓もない室内、昼間だというのに薄暗い中でカシルはカウンター内からシェイカーの代わりにペンを振りつつ、今少女から聞かされた奇妙な話を頭で反復していた。
「『アグエロを許すな』ね……。知ってる名前か?」
カシルの質問に少女は首を振る。その手が震えているのは恐怖よりも興奮の為に見えた。
頭からローブのフードを被り、手にはグローブ、声も囁くような小声しか出さない少女を、カシルはあまり好印象には見ていなかった。依頼に来た割に身元を隠すような装いもそうだが、余りにも信じ難い話の内容といい、明確な要件を言い出さない為だ。
「あー、確認させてもらうが、あんたの依頼は父親の冤罪を晴らして欲しいってことでいいか?」
少女は一瞬の迷いを見せた後、また首を振る。カシルが舌打ちしそうになった時、今度ははっきりとした声が返ってきた。
「第一には今の話の『父の冤罪を囁いてきた人物を捜すこと』。父の冤罪、事件の真相は勿論知り得たいことだけど、その次の希望よ」
「へえ、わざわざ頼みに来て、希望は誰が余計な事を囁いたか、でいいのか? 変わってるな」
「父が無罪ならなぜそれを私に伝えたのか、有罪ならなぜ嘘をついたのか、が知りたいの。それが分かれば真相も付いてくると思ってる」
カシルは顎を撫でながら、少女のフードから覗く顔をじっと見る。作り話で無ければ案外聡明なのかもしれない、と思う。そして再び質問に戻った。
「で、何でまた盗賊ギルドに?」
「あなた達は情報のプロでしょう?頭の固い捜査官達には出来ないことも出来る」
少女の答えをカシルは鼻で笑って見せた。その通りではあるが、ギルドの内情の何を知っているのか、と。それを感じ取ったのか、少女は深く息を吐き出す。
「……巡察隊には追い返されたわ。警備兵も……上に取り合ってもくれなかった」
「だろうね」
カシルが見るに、少女は声、姿勢からして性格は実直、堅実だった。その彼女の行動を不自然でないように読むとすれば、まずは公的な機関である国家の治安保持部隊、警備兵団か首都捜査の専門で国王お抱えであるカヴェンター巡察隊の元に行っているはずだった。
それに少女の父メッシュ・ポートリッジの起こした強盗、そして一家惨殺事件は、ここ数ヶ月で誰にとっても一番の注目事件であったし、カシルが報道などで見知った限りポートリッジの有罪は揺るぎない事実だ。有能ぞろいと言われる巡察隊なら、こんなヨタ話に聞く耳を持つとは思えない。少女は正直に言ったところでタガが外れたのか、早口に続けた。
「囁き声の人物が知りたい理由は、それを私に伝えたところで何が起きるのか、何を期待しているのか、それを知りたいの。それと同時に、許せない気持ちもある」
「許せない?」
「私の心を、乱したわ」
そこから続く言葉は無く、少女の肩が微かに震えだす。小さな涙の粒がローブに落ちたのを、カシルはただ見ていた。忙しい時間だというのに彼にしては長い間、そうしていた。が、
「あんたの気持ちは痛いほど分かる。どんな理由であれ、親が死んだんだ。ま、受けると決まったら連絡するよ。悪いな、ここも忙しいもんでね」
カシルは立ち上がりながら、隣のカウンターを指差す。太った男がカウンター内の仲間に向かい、借金の期限延長を懇願しながら泣き叫んでいた。少女は諦めたようにまた深く息を吐き出す。それを見てカシルは声をかけた。
「首都にいたらそろそろ危ないか? 引っ越し業者なら紹介出来るぜ」
「まだしばらくは平気だと思う。……母さんと弟には家にいてもらって、私が動いてるから」
そういうと少女はフードを少し下ろし、グローブを取る。真っ白い手には美しい装飾のように鱗が走っている。頬も同様だった。もみあげ部分から頬中央にかけて乳白色の貝細工を思わせる鱗が光っていた。
思っても見ない光景にカシルは少し身を乗り出す。
「霜竜族だったのか」
少女にしか聞こえない小声で言い、口笛を吹くと少女は頷く。
「父さんとは血の繋がりがないの。おかげで赤の他人じゃ私と父さんを親子だと結びつける人は少ないわ。でもそろそろ噂が回り始めてる。……近所の人は知っていたから」
そう呟くように言った後も、周りを気にするよう一巡してフードを被り直す。カシルは顎をもう一度撫でた。何も言わないカシルに対し、少女は諦めてカウンターから立つ。こうなったら悩みの種を「卵をどこで手に入れるか」のことに移さなければならない。
「ありがとう、聞いてくれて嬉しかったわ」
そう言って手を差し出す少女は話す印象よりも細く、小柄だとカシルは思う。それを握りしめて「御武運を」と返す盗賊の男を、少女は思ったよりも大きな人だわ、と思った。
少女が出て行った後の扉が軋むのをじっと見た後、カシルは立ち上がりくたびれた黒の上着を掴む。
「ここ、頼んだぜ」
隣で暴れる男を取り押さえる仲間にそう声をかけると、カウンターを飛び越えた。小柄なモロロ族の盗賊仲間は文句を並べていたが、振り返りもしないカシルを諦め、ギルドの奥へ救援の声を張り上げた。
ワトリー通りは王室のパレードにも使われる大通りである。三温糖の角砂糖を敷き詰めたような石畳が5.5セーム程伸び、ネルソン広場とカッフェ川沿いを結んでいる。人通りは多いが、行き交うのは大抵が海運業の男や商売人で、あまり華やかさはない。カシルは脇道に入ると、船乗り相手の飲み屋が並ぶ小道を、そのまま通り過ぎる。さらに入り込むと水はけも悪く暗い地区に、一軒の甲冑匠の工房があった。
腕はいいが商売の下手な職人で、口を開けば「酒しか楽しみがない」とボヤく年寄り、というのがここの住人であり、彼の実際の顔はカシルの上司でありギルドの幹部であった。
「よう、トビ爺さん」
真っ黒に煤けた梁が剥き出しの天井の下、硫黄の匂いが立ち込める工房内にカシルが声をかけると、同じく煤けた顔が振り向いた。短く刈りそろえた白いヒゲが顔中を覆い、頭の毛量の方が寂しい男。爺さん、と言ってもまだ50代のトビはシャツ越しにも筋骨逞しい。油が染み込んで重くなった前掛けで腕を拭うと、作業台に向かっていた体を伸ばす。
「なんだ悪ガキ、酒なら奢らないぞ」
かすれてくぐもった声が響き、屋根の放熱孔を叩く。
「今日はこっちが奢ってやろうってのに、そんな態度はねえだろ」
カシルはジャケットの内ポケットから手のひら大の酒瓶を取り出す。ケニスランド特産のウイスキー、カヴェンター郊外に工場を置くアップパーク社の人気ブランド『ダナス』だ。庶民には少々値段の張るものだが、独特のスモーキーな香りと癖のある味でファンは多い。そして彼らの合図でもあった。
トビがちらりと左手に目をやる。工房に併設された小さな店舗、壁の骨組みがそのまま剥き出しの、掘建小屋さながらの部屋にトビの作品が並べられていた。金属プレートを積み上げたような全身鎧は旧時代のものになってしまったが、グリーブ、ガントレット、サバトン、ブレストプレートなど部分鎧は冒険者などにまだまだ需要がある。それらの作品をしげしげと見ている一人の女がいた。
見事なプラチナブロンドの髪が緩やかにうねりながら腰まで届き、横顔からもわかる大きな瞳は青色。ケニスランドよりも南方の人種の特色を色濃く出した外見は、この国でも美人と持て囃されるものである。すでに肌寒くなってきた時期にしてはずいぶん薄着だ。白のタンクトップに太ももがあらわのショートパンツ、そして背中に大きな筒状の荷物を背負っている。女の身長に届きそうな長さである。藁を組んで作った箱状の入れ物の上に、さらに布を巻いて厳重に守られていた。持っているのは絵か設計図、にしては重そうだ、とカシルは値踏みしていた。
客がいたままでは仕事の話はできない。カシルは女が出て行くのを待つことにする。工房奥の壁にある吊り下げ棚からロックグラスを二つ取り、口笛を吹きながらトビの方まで戻る。注がれる酒の綺麗なカラメル色を見て、ようやく破顔するトビに苦笑しながら、カシルは汚れたパイン材の机に腰を下ろした。
「この大量の金属板は何だい?」
カシルがカンバス地から覗く床に積み上げられたアイアンプレートを指差すと、トビはハンマーを片付けながら少々嫌そうに首を振る。
「舟部品工場に持って行くんだ。奴ら戦艦こしらえてるぜ。また戦争でも始まるのかね」
「戦争? 海戦になるっていうと相手はどこだ? サントリナかな」
「まさか、あの腰抜けの王族国家、隣のローラスの腰巾着になるしか能がねえ。戦争なんて出来る玉かよ」
「まあ、やる理由も無いしな」
カシルの半ば呟く声にトビも頷く。その後もしばらく二人が他愛ない話で酒を傾けていると、売り物を見ていた女がふらりときて「どうも」とだけ言うと裏路地へ出て行った。カシルはその姿をもう一度観察するが、とても美人であるという以外はこれといって気になる点は無い人物だった。
「えらい美人だね。引き締まったいい体してたが、鎧着込んで剣振り回すようには見えなかったな。何の用だったんだ?」
カシルの質問にトビは興味がない、というように首を振った。
「さあな、少し見せてくれ、って言って来たんだが、暇つぶしじゃねえか?」
そう答えたトビの顔が、一瞬にして引き締まる。眼光鋭く隙を見せない、いつもの姿に戻った。それを見てカシルも酒を飲み干すと、話す態勢を作り直す。
「ギルドに妙な話が来た」
「話せ」
表の顔であろうと裏の顔であろうと、トビの無愛想な言い様は変わらない。カシルは一つ頷くと、ギルドに依頼をしてきた少女の話をしていった。
「霜竜族の養女ね、また物好きな男だ」
トビの言う『霜竜族』はケニスランド西方に住まう少数種族だ。体じゅう、主に頬、額、二の腕、太ももやふくらはぎといった皮膚の柔らかい部分に鱗を持つ種族である。身体的特徴は他にもドラゴンさながらの角も持っているが、これは個人によって大きさに差がある。比較的女性より成人男性の方がより大きな角を持っているので、力の象徴だ、という誤った見解も広がっていた。竜族と人型の別種とのハイブリットとされ、寿命はもちろん身体能力も高い。特に人間社会より迫害された歴史や人嫌いする性格、といったことは無いものの、希少種ゆえに見かけることは少ない。西方の土地にまとまった集落を作っているのも、寿命が違えば文化も変わる、そんな理由からだった。
「でも最初は感情を抑えてたようだったのが、話すうちに泣いたくらいだ。養父としてはちゃんとしてたらしいね」
「殺人鬼でも場合によっちゃ犬を飼うくらいはする。単なる気まぐれじゃないとは言い切れんさ」
抑揚のない声で言うと、トビは煙草の煙を吐き出した。長く、長く続くそれが終わると、カシルは尋ねる。
「で、どうする? 言っとくがメッシュの有罪はかなりの証拠が揃ってのことだぜ?」
「調べろ」
短く、そして予想通りの返答にカシルは鼻を鳴らした。弟子のその態度にトビは身を乗り出し、両手を合わせてから重々しくカシルを指す。
「いいか、カシル、ギルドに『知らないことはあってはならない』んだ、わかるな」
「わかってる、十分に分かってるよ、トビ。そしてあんたは思ってる。……『メッシュ・ポートリッジがリッツマン男爵の屋敷から盗んだ金貨数百枚の行方はどこだ?』って」
両手を振りながら茶化す言い方をするカシルに、トビは二回頷いた。
「その通り、わかってるなら行け」
「はいはい」
カシルは立ち上がりながら上着を掴む。お気に入りのそれを羽織ると持参したウイスキーの瓶を内ポケットに仕舞い込んだ。恨みがましい目を向けてくるトビには「見習いには金がないんだ」と言い訳した。
ハンマーを握りしめて作業に戻ろうとするトビを後ろにし、カシルは裏路地へ出る。建物が密集して狭くなった空を仰ぐと匂いを嗅いだ。
「また雨続きに戻りそうだな」
そんなつぶやきが霧に紛れて消えていった。
「ちょっといい?」
カシルが大通りに戻る一歩手前だった。傍から身を表した影に、カシルは立ち止まる。猫のような気配は感じていたものの、相手が人であったこととその見覚えのある顔に驚く。
「いきなりで悪いんだけど、あなた盗賊でしょ? そうなのよね?」
早口に言いながら興奮気味に顔を覗き込んでくるのは、先ほどトビの店にいた、端正な顔立ちの女だった。降り始めた霧雨によって見惚れた金髪はしっとりしてしまっているが、身近に見る顔も長い睫毛といい、魅力的である。
「……質問の意味がわからないが、何なんだ、おねえちゃん」
「またまた誤魔化しちゃって!」
女は笑いながらカシルの腹部を、指で数度突いた。美人からのその行為に嫌な気はしないが、警戒は解かない。カシルは街中でも、特に盗賊であることは隠していない。隠したところで意味はないし、そもそも隠したい相手の前には出なかった。しかし女の質問の意図、続く展開が読めずに安易な肯定も、否定もしなかった。
「あんたトビ爺さんのところに来てたな? 欲しいものが見つからなかったのか?」
カシルは質問で返し、世間話しに持ち込もうとするが、
「そんなことはどうでもいいの」
と、一蹴されてしまう。これには少々むっとしていると、女はカシルの両腕をつかんだ。
「さっきの話、聞いてたの。メッシュなんとかって人の話。無実の罪で死刑になったかもしれないんでしょ? それって本当なら大変なことよね。それに盗んだ金貨の行方が……」
「わー!」
カシルは叫ぶと、女の口を手で塞ぐ。女の口元から「フガッ」と間抜けな音が漏れた。
「お前何なんだよ、一体! 警備兵団か? 巡察隊のやつらか?」
そのどちらの見た目とも遠かったが、カシルは女を追及する。女は口を塞いでいたカシルの手をもぎ取ると、叫んだ。
「わたしも仲間に入れてよ!」
「は、はあ?」
一瞬、面食らうもののカシルは状況が見えてきた、と眉を寄せる。もうウマい話に寄ってくるのが現れるとは。まだその『旨味』が現実かどうかも分からないというのに。しかし女の行動はその予想の上を行くものだった。
「わたし、あなたみたいな盗賊になりたいの! お願いよ、お兄さん、弟子にして!」
その願いは狭い路地に反響し、カシルを一瞬にして呆気させた。続けて土下座する女に後退る。雨粒も見えないほどの細かい霧雨だが、地面は濡れているのだ。美人が地べたに座り込む姿は、それが変人であっても良い気はしない。
「おいおい、冗談じゃないぜ。俺はそういう商売はやってない。人に習いたいなら、隣の地区に出来た冒険者育成学校にでも行ってみれば? ガキ相手にも優しく丁寧に教えてくださるって評判だ」
「年齢的に厳しいわ」
女の即答にカシルは「こいつは失礼」と謝罪した。
「だったら……ギルドにでも行くんだな。見習いを受け付けるかどうかは知らないが」
「あなたもギルドの人じゃない」
それに加えて受付業務をやっている身でもある。言い返そうとするカシルにかぶせるように、女は手を合わせて懇願する。
「お願い! 役に立つよう頑張るから! それに同行させてくれたら、何かしらの場面であなたを驚かせてみせる。もちろんいい意味でね」
「……その頑張りを他に活かせよ。あんたならいい家に嫁に行ける」
カシルはそうそっけなく言い放つと裏路地を出る。時刻は『茜魚の刻』、船乗りを始め港の男達が仕事を終える時間帯である。案の定、大通りは体の大きな男たちの姿で賑わってきている。女を撒くには丁度いい。
人の波に乗り、軽快な動きでより混み合った方へ向かう。女が追ってこれない内に姿勢を低くしてしまえば、後はむさ苦しい男たちと共に歩いていくだけでいいのだ。
「ちょっと待ってよ!」
予想通り女の抗議の声がするが、それに足を止めるほどカシルはお人好しではなかった。
「ちょっと待ってったら!」
もう一度する女の声の後、予想とは違う騒ぎが続く。
「あぶねえ!」
「おっと、痛えな」
「なんだ……ぐえっ!」
うめき混じりの男達の声に、さすがにカシルは振り返る。そして背後にいた女の姿に思わず、小さく悲鳴をあげた。
「もうちょっと話を聞いてよ!」
人混みを構成する水夫や漁師は体が大きい。その屈強の男達をなぎ倒しながら、真っ直ぐ突き進んでくる細腕の女は息一つ切れていないのだ。
「な、なんだこいつ……」
カシルは慌てて踵を返すと、路線変更を余儀なくされる。人混みを器用にかき分けると、通りの脇にある石塀に飛び乗った。そしてそのまま塀の上を駆け出す。
「あー! ずるい!」
何もずるくない、と心の中で反論しつつ、カシルは港を後にした。
「この辺だよな」
カシルが覗き込む一枚の紙には、あの霜竜族の少女の名前と住所が書かれていた。ギルドに来た際に書いた申請書である。少女の名前はターナ・ポートリッジ。住所は街の中心地からはやや外れている。カシルもここに来るまでに、他所様の乗る馬車の後ろを拝借して、乗り継ぎ、乗り継ぎやってきた。
周りの環境はスラム、とまではいかないものの、すえた臭いのする場所だった。カシル自身には慣れた空気ではあったが、少女の苦労してきた経緯は想像できた。木造の平屋が身を寄せ合うように立ち並ぶ光景は、のどかさと寂しさが共存するものだった。
こういう場所の人間は警戒心が強い。今も見知らぬ人間の侵入に、不審顔の中年女が路地へ出てきた。カシルは家と家の間に身をすべらせると、胸元から一片の羊皮紙とナイフを取り出した。
「それなあに?」
背後からするあどけない声に、カシルは思わず息を飲み、後ろを振り返る。そしてカシルの手元を除きこむ顔に悲鳴を上げた。例の女である。
「お、お前、いつの間に……」
プラチナブロンドの美人をこんなにも不気味なものに思えたことはあっただろうか。
食い下がる女に、カシルは感心すら覚えた。悪く言えば図々しいが、この度胸は素晴らしい、と思ったのだ。それに、とカシルは女を観察する。
メッシュ・ポートリッジの話を聞いていた、というならあの時どこかで身を潜めていたことになる。カシルとトビ、両人に気づかれずに、だ。そんなことは並の人間には不可能と言って良かった。
シーフの素質を感じる、といったこともなく、整った顔にほだされたわけでもないが、カシルは女に何か引っかかるものを感じた。それにどこかギルド以外の機関のスパイという可能性は捨てきれない。
「……いいぜ、とりあえず暫く様子見てやる。俺が飽きたらおさらばだ」
カシルの返事に途端に顔が明るくなる女を見て、やはり顔にほだされたのかもしれない、とも思う。そんな助平心も知らずに女は何度もうなずいてお礼を言った。
「ありがとう! わたしミルカ・ヴァルゴよ。ミルカって呼んでね」
ミルカは身長はさほど大きくはないが、女性にしては手が大きくしっかりしている。引き締まった美しい体と無駄のない動きも、彼女が旅慣れている証拠であったが、彼女の過去をカシルが知るのはまだ先のことだった。
「それで今からどこ行くの?」
ミルカは路面店立ち並ぶテンベリー広場を、迷いのない進みを見せるカシルに尋ねる。地元の人間しか寄り付かないエリアであり、生鮮食品を売るテントが多い。整備も追いついておらず、お世辞にも清潔感溢れる、とは言い難い。
「カヴェンター巡察隊、知り合いがいるんだ」
「へえ……」
ミルカは短く呟いた後、驚きに目を大きくし、カシルの腕を掴んだ。
「ギルドの人間が巡察隊と知り合いなの!? それってもしかして……実はギルドの仲間って奴?」
「あのなあ、ギルドを犯罪者集団だと思ってないか? 知り合いは俺の個人的な範疇のものだ。幼馴染ってやつさ」
ミルカは「ふうん」とつまらなそうな顔になったが、すぐに顔を輝かせて振り返る。
「生涯のライバルってかんじ? 表舞台と裏舞台、進む道は違えどどっちが先に成功するか*、って競ってるの」
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