懐疑4



フリュカを追い返すのは諦め、マイロは歩き続ける。水の音が大きくなってきた。
「はあ、飽きてきちゃった」
欠伸を噛み殺すようなフリュカの小声にマイロは返事をしなかった。相手にするだけ損だ、と静かに足を進める。
あの後、何度か同じネズミを追い払うはめになった以外は順調に進んでいると言えた。勿論、水路の見張りが意図的にいなくなっている事が大きいが。用意した『ライト』の光も要らない程、明るくなってきた。浄水装置が近いのか普段からここを行き来する係員の為に備え付けされた明かりが随所にあるのだ。
「ねえ……」
「しっ」
フリュカの呼びかけに指を立てて答えると、マイロは彼女の腕を取り脇道に逸れる。自らの『ライト』の呪文をかき消すと身を沈め、気配を消すよう務める。フリュカもその様子を見てマイロの後ろに隠れた。
ツン……カツン……
石造りの通路を踏みしめるブーツの音。そして話し声も聞こえる。近付いてくる気配に緊張するが、声の様子からして二人の男が談笑しているようだった。
「しかし馴れない仕事は時間が経つのが遅いな」
「そうか?俺は逆だけどな」
二人の若い男の会話が聞こえてくる。
「でも水路のこの辺は『タイバーン監獄』にも繋がる箇所があるから、普段の警護はガーディアンの仕事なんだろ?それって危険が大きいみたいで怖いじゃないか」
この台詞からして男達は一般の警備兵だろうか。しかし相手が大した事はなかろうと戦闘に入ることは避けたい。マイロは既に至近距離にいる二人の気配により身を小さく丸めた。
「しょうがねえよ、ガーディアン達は皆、セントウェッジバルに配備されてる。緊急事態だ。しょうがねえ」
「ああ……あそこね。それも不安要素の一つなんだよな……。なんだってあんなにデーモン化が増えたんだか」
「さあな、俺達が考えたところでわからんよ。……それよりお前、今日はやけに愚痴が多いなあ」
すぐ脇を通り過ぎる二人の警備兵の姿にマイロは思わず息を止める。幸い話しに夢中だからか、こちらを見るそぶりすらなかった。が、フリュカの指が腕を締め付ける感触に眉をひそめる。ちらりと見ると緊張しきった彼女の顔があった。
あとでからかってやろう、とマイロが考えたところでフリュカの唇が動く。
「赤い……」
水音に掻き消される低い呟き。マイロは少女の口元に耳を寄せたところではっとする。
「目が赤いわ」
反射的に立ち上がっていた。一瞬「しまった」とも思ったが、二人の警備兵は背中を向けたまま歩き続けている。が、次の瞬間には警備兵の一人が動きを止めているのに気が付いた。立ち止まり、ふらふらとした様子で頭が揺れている。
「おい、なんだよ……」
相棒の勝手な振る舞いを咎めるように振り向いた警備兵の顔が歪んだ。
「お前……」
マイロは鳥肌の立つような感触を押さえ、ロングソードを引き抜く。
「冗談だろ!」
警備兵の男が叫ぶのと、マイロが通路に飛び出すのは同時だった。
獣の雄叫びのような唸りが響き渡る。紙をちぎるような音は皮膚の裂ける音だろうか。
「あっ!おい、お前!」
マイロに掛けられた男の声を無視したままデーモンに生まれ変わりつつある姿に向かって、マイロは剣を走らせる。狙うのは男の中心、心臓部分。
「止めてくれ!」
相棒の討たれる姿を予想し、思わず出たといった様子の声にマイロは一瞬躊躇してしまった。
デーモンが振り返る。マイロの剣は脇腹を撫いただけで終わってしまった。
獣の咆哮が肌を震わせた。
「ひい!」
尻餅を付きそうにたたら踏む警備兵の男をマイロは睨みつけた。
「ふざけんな……」
戦闘が長引くはめになった恨みを男にぶつけ、マイロは舌打ちする。
「剣を抜け」
「は、は?」
「剣を抜け!」
マイロの怒鳴り声にようやく男は震える手で腰元のロングソードに手をかけた。
元警備兵の男だったデーモンはややぎこちない動きだが恐ろしい力で水路の壁を削る。粉塵が舞うが黒く獣のもののような爪は欠けた様子も無い。再び振り上げた腕を避ける為、マイロは水の中に踏み込んだ。刺すように痛い雪解け水が容赦なくブーツとズボンを濡らす。
「……なるべく時間を稼げ。俺の合図で離れろ」
「お、おう」
震える声の男に不安が残るが、ようやく兵としての意識も戻ってきたらしい。男は真っすぐに剣先をデーモンへと向けている。マイロもロングソードを構えながら呪文を唱えだす。男に時間を稼がせて後ろから撃つ。その為の呪文だ。
デーモンが再び咆哮を上げて腕を振り回し始めた。肌が震えるような大声と巨体が動く振動に水路の天井が落ちてくるのではないか、と余計な心配までしてしまう。まだぎこちない動きにマイロ、そして警備兵の男もデーモンの爪を軽く避けていたが、両腕を振り上げられたことに対して反射的に動いてしまったのか、男が剣を頭上に掲げる。男の受け止める姿勢にマイロは呪文を中断させてしまった。
「よせ!」
次の瞬間には男は吹っ飛んでいた。デーモンの攻撃をまともに受けたのだ。人間の胴回り程もある腕から繰り出される攻撃を受け止められるはずがない。
マイロは奥歯を噛みしめると短く呪文を唱え直す。先程まで準備していたものより遥かに威力は劣るが仕方ない。今まさに倒れた警備兵へととどめを刺そうとするデーモンへ打ち放った。
「サンライトアロー!」
無数の白い光の粒がデーモンの背中に突き刺さる。痛みの為にのけ反るデーモンが喉を震わせ、怒りの声を上げた。赤く光る目をマイロへ向けてゆっくりと振り返る。マイロは渇いた喉を鳴らした。
立ち上がることはないが警備兵の男は苦痛に身もだえるように体をよじっている。生きているのだ。ほっとするが次の行動をなかなか決められずにマイロは後ずさる。
レッサーデーモン一匹に手間取る今の状況はなんだ。マイロはいらだたしさに頭だけが熱を持つ。こんな腕でポールを救出出来るのか。バラックの助けが出来るのか。アンジェラの期待に応えることが出来るのか。
今までに一人ででもデーモンを討ったことは片手では足りない程にある。しかし『狭く』『足場が悪い』という状況の変化だけでこんなにも手間取るとは。デーモンがゆっくりと歩み寄る。一定の距離を取りながら隙をつく戦い方をするマイロには、この下水道という限られた空間でやり合うのは不利だといえた。
悍ましい一吠えの後、デーモンは速度を上げてマイロに掴み掛かる。右手に避ける、そうマイロが体を動かした時、デーモンの長い爪が目の前にあった。フリュカの悲鳴が響く。腕に強い衝撃が走ったことで、デーモンの爪を咄嗟にソードで受けることが出来たのだと気が付いた。浮遊感など感じぬまま水の中に叩きつけられる。
「ぐ……」
痛みに喘ぐマイロの目前にデーモンが迫る。吠える声に全身がぴりぴりと震えた。濡れた全身が痛い。水の冷たさの為か、打ち付けられたのが背中の為か。口を開けるデーモンのどす黒い舌と巨大な牙を見た瞬間、マイロの手が自然に動いていた。
ごきり、と嫌な音を立ててデーモンの口元にロングソードが突き刺さる。デーモンがびくりと体を跳ねさせ目を見開いたのを、マイロは荒い息で確認する。次の瞬間にはデーモンは粒子に成り代わり、空へと四散していった。
腕を伝うデーモンの赤い血は不思議な程温かい。それがまた不快だった。

やり終えた充実感よりも先にずぶ濡れになった不快感が襲ってくる。寒い。歯の根が合わない。がちがちと震える体は嫌でも止まってくれなかった。
フリュカが駆け寄ってくる。が、マイロの顔、腕に大量に付いた血を見たのか「ひっ」と呻いた後、後ずさる。その様子に「何故デーモンの体は絶命と共に粒子に変わり、消えていくのに血液は残るのか」とどうでもいい疑問がぐるぐると回っていた。
マイロが顔を反らしたのを機嫌を損ねたと思ったらしく、再びフリュカが駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫?ごめんなさい、びっくりしちゃって」
フリュカの声にマイロは適当に頷いた。怪我はないしフリュカに不快な気持ちも無い。ただひたすらに億劫だった。『死にそうに寒い』。大袈裟ではなくこのままではまずいだろう。とりあえず上着のコートを脱ぐ。大量の水が滴り落ちる防寒具にとても惨めな気分になっていると、男のうめき声がした。
「ぐ……悪い、大丈夫だったか?」
警備兵の男が不恰好な態勢で起き上がり、こちらを見ている。少し怪訝に思い近づくと、男の顔に脂汗が大量に滲んでいるのに気が付いた。後ろから来るフリュカを手で制す。お嬢様には見せない方が良いだろう。
「……腕を治す。代わりに何処か火をおこせるような場所を案内してくれ」
マイロは男の折れた右腕を指差した。男は苦痛で歪んだ顔をしたまま動かない。考えているのだろう。状況を、目の前の少年の事を、自分の腕を治すと言った言葉の意味を。
「……分かった、ついて来てくれ」
よろよろと歩き出す男にマイロはついて行く。フリュカを手招きして自分の後ろを歩かせた。ごうごうと水の流れる音に混じって男の荒い息が聞こえる。腕が痛むのだろう。マイロも怪我こそ無いものの、雪解け水に思い切り浸かってしまった体は寒さを通り越して痛くてしょうがない。
男が立ち止まったのは歩き始めてすぐのことだった。辛さから歩くのを止めたのではない。目的地がすぐだったのだ。右手にある鉄の扉に手をかけると疲労たっぷりな様子で開け放つ。先に細い通路が見えた。男に続いてマイロ、フリュカも扉の先に入る。
「閉めた方が良い?」
というフリュカからの問いにマイロが頷き、手で促している間にも男はまたすぐに待ち構える鉄の扉の鍵を開けようとしていた。
「ちっ……」
片手で上手くいかないようだ。ふらふらとしながら鍵をいじり、舌打ちをする男にマイロは声をかける。
「俺がやろうか?」
すると男は小さく振り返り、苦笑した。
「あんたも手が酷く震えてるぜ。ちょっと待っててくれ、大丈夫だ」
男の言いようはマイロを信用していないためというよりは、震えている少年を哀れむようだった。
かちり、と乾いた音を立てて鍵が開く。
「入ってくれ」
男に言われるまま足を踏み入れた部屋は不思議な光景が広がっていた。巨大な砂時計のような機器が並んでいる。しかし流れるのは砂ではなく水だった。上下にくねりを作るパイプや巨大な水槽も見える。魔術師の研究室にも見える部屋だが、広さが桁違いだ。
「浄水所か」
マイロの言葉に警備兵の男は深く頷き、後ろ手に扉を閉めた。

不自然な曲がりを見せ、ぱんぱんに腫れ上がった男の腕を確認するとマイロは眉を上げた。おもむろに呪文を唱え始めるが声が震えるせいで少し手間取る。
「レザレクション」
最後の発動の言葉を口にした瞬間、男がぴくりと肩を揺らしたことにマイロは少し身構えた。が、男は現れた癒しの光に目を細めるだけだった。見る見るうちに腫れが引いていき、赤黒くなっていた肌の色も健康的なものに戻っていく。治癒の完成と共に光も消えていった。
「何度見ても不思議なものだなあ、治癒の術とは」
男は深い溜息をつき、腕を上げ下げしたり手を握る動作を繰り返す。そしてマイロの顔を見た。
「助かった。このままじゃ詰め所の治癒者に手荒い治療受けるはめになってたぜ。気絶する程酷いんだ」
「……そりゃ良かった。次はあんたの番だろ」
マイロの微かに震える声に男は「悪い悪い」と言いながら部屋の奥へ歩いていく。男の手招きにマイロとフリュカもついていく。奥まったスペースに木の小さな丸椅子が幾つか散らばっており、中央に持ち運び出来るタイプのストーブがある。男は簡易食が乱雑に入った棚からマッチを取り出すとストーブを開け、中に火を放り投げた。
急に暖かい空気に包まれるなんてことはもちろん無いが、火の姿を見ただけでほっとする。
「ちょっと待っててくれ」
そう言い残して奥に入っていった男が戻ってきた時、手に持っていたのは一着の衣服だった。畳まれた状態でも分かる。これは制服だ。警備兵の中でも下級兵士が身につける物だった。男の真意が読み取れずにマイロは固まる。
「一つ確認させてくれ。君らは何の用でここに来た?」
男の質問にフリュカが立ち上がろうとする。マイロはそれを手で制した。
「仲間を助けに。俺の仲間がタイバーンにいる」
男の目を見据えてマイロははっきりと宣言した。フリュカが戸惑った視線を投げかけてくる。しばらくの沈黙の後、男は黙って衣服を差し出してきた。
「着てくれ。そんな成りじゃストーブに噛り付いていても意味ないだろう?・・・…終わったら話をしようか」
マイロは深く頷くと、フリュカに向かって「向こうむいてろ」と声を掛けた。一瞬首をかしげるフリュカだったが、マイロが上着を脱ぐと慌てたように後ろを向く。
「少しデカイか?」
「いや、何とかごまかせる範囲かな」
男の質問にマイロはベルトを思い切り締め上げて見せる。袖口を直しながら男の顔を改めて見た。その視線に気がついたのか男はじっと目を合わせた後、ストーブに目を落とした。
「俺の妹もタイバーンにいる」
「……まあ、そんな事だと思ったよ」
マイロは正直な溜息を漏らした。もう一度男の顔を眺める。何処にでもいそうな警備兵。太い眉の間に出来たばかりに見受けられる疲れたような皺。この男の妹がタイバーン行きになるような重犯罪者だというのだろうか。
「妹は占い師だったんだ。とは言っても、日に一人でも客がつけばいい方、っていうような……街角にひっそり立つ存在だよ」
男はぽつりぽつりと話し始める。
「生まれた時から勘がいい奴だった。明日は雨だよ、とかあの人には気をつけて、とか今日は重要な判断をしないようにね、なんてアドバイスを俺にもよくくれた」
程度の差はあれ、マイロは自分に近い能力だという印象を持つ。興味を持つと同時に胸がざわついた。
「ある日、妹がいつものように『明日は雪よ』なんて天気の予想をした。俺は軽く仲間に話したんだ。……そして実際に次の日、雪が降った」
男はストーブの火に手を当てる。中々続きを話さない男に、マイロは毛が逆立つのを感じた。
「まさか、それだけで……!?」
マイロの掠れた声に男が頷く。フリュカが戸惑ったようにマイロと男を見比べる。
「俺があんたに火と服を与えたのはそういう理由だ。今、この国は狂い始めてる。いや、知らないところで狂っていた、の方が正しいのかもしれんが」
男の話の後、ストーブからちりちりという音がする。続いて先程見てきた浄水装置のボーというような鈍い音も聞こえてきた。
「……それで、俺が仲間を連れ出すのと一緒に妹を連れて来い、って話しか?」
マイロの言葉に男は意外にも首を振った。
「一番入り口に近い受付のある詰め所には、緑色の木で出来た札がいくつも掛かってるボードがある。その札を見てきてくれ。妹の番号は『1795』。これが裏返しに……赤い状態にされていたら、妹はもういないんだ」
マイロは返事が出来なかった。きっとこの男にどちらの結果を伝えても、男の反応は一緒だと思った。
「制服の奴だろうと持ち場以外の奴がうろついてたら尋問される。あんたみたいな綺麗な顔の兵士なんかいないしな。でも一般の奴だとしたら問答無用で応援を呼ばれるだろうが、制服の人間がいたらまずは質問してくるだろう?」
男は苦笑する。それでもいい。ハードルがほんの少しでも下がった事に、マイロは男にお礼を伝えた。

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