自身の意識を呼び起こしたのは優しい声でも、気遣うような揺さぶりでもない。 千の針で眼球を器用にくり貫く熱さ。脊髄をゆっくりじっくりと引き抜かれる感覚。剥ぎ取られた指と足の爪を脳漿へと詰め込んでいく息苦しさ。 そうとしか言い様がない例えな痛み。だが、普通の人間は千の針で眼球を抉られたり、脊髄を抜かれるなんて経験をすることはない。 つまり何が言いたいか? 想像を絶する激痛がそれを支配したということだ。 指の先や膝、脳に首ではない。人を人として動かすコア「心臓」から発せられるものだ。 激痛はとあるボーダーラインを越えれば熱として変換されるする。 痛みとして認知していたそれは熱いなにかとして切り替えられ、心臓を掻き毟る指が原因を抜き出そうと皮膚の上をのた打ち回る。 熱い、熱い、熱い。 (これをとりたくてたまらない) 苦しい、苦しい、 (息が上手くできない) 誰か、誰か、 (この溶けそうな熱を) ーー誰かとって欲しい 自分ではただ掻き毟ることしかできない。 息が上手くできず、喘ぎ、口の先から唾液と共に悲鳴を零すしか出来ない。 コア、否心臓が熱い。 まるで溶岩の中に沈んでゆく感覚だ。 いや違う、沈んでゆくのではない、溶岩の中に心臓が半分浸かっている。といえば正しい。 まるで苦しむそれをあざ笑うかのように眺め、悲鳴の色をかえれば揺らした肩を伝う振動が側面で僅かに揺れるようなもの。 溶岩に半分程浸かる心臓には白いなにか。 まさに蜘蛛の糸とも言えるそれが、殺してくれと叫ぶ意識を現実へとつなぎ止める唯一の出口。この糸が有る限りそれは未だに意識を保っていられるが、逆にこの痛みを持続される原因でもあった。 殺してくれ。 お願い、殺して。 そう叫ぶ度に、糸が何かを呟く。 それは誰でもない熱に苦しむそれへと投げるものだが、痛と言う文字によって脳を支配されたそれには届くことはない。 だが糸は声をかけ続ける。 ーしっかりしろ!ー ーしっかりして!ー 張り上げる声は溶岩に浸かるそれへと投げる。 時には厳しく、時には優しく。 ーまっていろ、今いくからー ー直ぐに迎えにいくからー まさにそれは天上から差し伸ばされた唯一のーーーーー * * * 「ロビン」 「?!」 自身の意識を呼び起こしたのは優しい声で(でも)、気遣うような揺さぶりだった(揺さぶりでもない)。 無意識に向けられた先には枯茶色の長い髪を揺らす少女。 艶のある飴色の瞳には横になる青年が映し出され、その中に煌く星には曇天が差し掛かる。 いつもは晴れ晴れとした表情は無く、ただただまっすぐとそこにいる青年へと注がれていた。 「あ・・・あれ?」 一つ二つとかわいらしい効果音がする瞬きをすれば、枯れた声が少女の足元へと転がる。そんな青年を見つめる少女の表情が一段と曇りを帯びる。 伸びる黒い影に青年はビクリと肩を揺らすも、それが少女の両手であると脳が理解したときには既に頬に到達していた。マシュマロの様に柔らかな指先が青年の頬を包む。 もにむにもにむに、 と、青年に触れる指先は冷たく、年頃の女の子がこんなに冷たくなってどうすんだが、と言う現状とはかけ離れた考えが浮かぶ。が、目の前の少女には勿論伝わる事なんてなく、ひたすら青年の頬を揉むばかり。 その目は真剣そのもので、ああ、今彼女が何を抱いているのか分かったような気がして苦笑がこぼれる。 「む」 笑った青年とは反対に少女の顔色は暗いまま。 なにに対して笑ったか迄は分からないものの、きっと少女自身の何かに対しての笑みだろう。 それ位彼が言わずとも分かってしまう。 なにせ彼とは・・・・・ 「ほらほら、そんな表情しなさんなー」 「誰のせいだとおもってるのさ!」 ゆったりとした声に反して張りのある声。 ソファーを中心とした広いリビングに響くは二つの言葉。 四方八方へと反響し勢いが削がれた声は、白い壁に吸い込まれ永遠に戻ってくることはない。 少女の指が再び動く。 それが丁度頬の端を目指していると気付くと同時、柔らかな指が掴みきれない肉を左右へと引っ張る。が、生憎青年の体は隅から隅まで鍛えられた肉体構成。少女のように余分な肉をつけてない彼の頬肉なんて他かが知れていた。が、それでも頑張ってつかんだ肉は指先に乗るか乗らないかの程度で、左右に伸びてゆく。 ここで少女が本気で引っ張れば数センチ程度は稼げるだろうが、根本的に優しい彼女がそれを行う事なんてなくただ頬を摘んだだけのものに仕上がる。 無意識に加減された頬に痛みはないが、少女の目は真剣でありしかめっ面だ。 「ロビン!寝るときはちゃんとベッドで寝なさいって、あれほどいったでしょ!」 はて、彼女はそんな事を言っただろうかと視線が僅かに右へ傾くも、途中方向転換しゆっくりと左上へと移動。ああ、そういえばそんな事も言っていたような気がする。 確かソファーは座る物で横になり寝るものではない。寝る場合は布団またはベッドの方が体が休まる。と言っていた。その知識はむこう側に居た際、記憶喪失となった彼女が電子辞書から得た情報だ。電子辞書に間違いはない。という凝り固まった彼女の意思に再び苦笑するしかない。 「ロビン!」 「あーわかってますってー」 間延びした声に少女は本当に分かってんのかコイツ。と言いたげである。いや、実際には彼女の顔にそう書いていると言えよう。なにせ目の前の少女は隠し事が下手な位表情豊か。つまみ食いしたでしょ?と問えばしてないと首振るその頬には消化しきれない唐揚げがパンパンに詰まっていた事があった位に。 「いや悪い、昨晩出歩いてたらそれっぽいの見つけてしまって」 追いかけてたら見失って、疲れて寝てしまったようだ。 そう告げれば、頬をつまんでいた指が離れ纏う空気を一変させた。 「もしかして例の」 「ああ、間違いない」 それは二人がこの世界線(境界線の向こう側)にきた理由。 それを昨晩青年が見つけたと言う。 青年を見上げながら少女はその言葉に耳を傾ける。 昨晩戦闘でわき腹に傷を負った少女を抱え、拠点としてるマンションに戻ってきた。少女の傷の手当をし暫くは安静かと思っていた矢先に、覚えのある寒気に彼はベランダから身を乗り出した。 見下ろした先には背を向け走る獲物。 戦闘中に少女を傷つけたそれがいたのだ。 此処には特殊な結界が張っている。並大抵の人間ましてや、おいかけてる「あれ」が入ってくるわけでもない。 見下ろしたそれは街灯のない歩道の先へと溶け込む寸前で青年は部屋を飛び出したらしい。 そこからは真っ暗な街中をひたすら追いかけっこ。 追いつきそうで追いつけない。伸ばした指が触れそうで触れれない。 視界に捕らえても一定の距離が縮まらない。 まるで蜃気楼を追いかけてるようなものだった。 いくら彼の体が強化されていようが、限界はやってくる。 なによりこの追いかけっこに意味が無いような気がして、早朝ともいえ様時刻に戻ってきたと言う。 一体何がしたいのか分からない。 あれほどまでに激しい戦闘し自身達を追い込んでおきながら追撃してくる事もなかった。数時間後に見せた姿に追いかけてきたのかと思うも身を翻しただただ走り去るばかり。 だが、そんなちぐはぐな行動パターンだからこそ二人に確信と確証が生まれた。 「間違いない」 「ああ、あれが」 二人がこの世界に飛ばされた「元凶」であり「原因」でもある。 少女の名は岸波白野。とある世界線にてマスターを勤めていた存在。そしてその傍らに控えるのはすっきりとした顔たちの青年。少女にはロビンと呼ばれているがそれは二人しかいない空間のみでしか告げられない。人目の多いところではアーチャー。つまり弓兵と呼ばれる。 この関係に違和感はない。なにせ彼と彼女はそういった契約の元で成り立つ主従関係だ。 これが当たり前で普通の事。 人が息をするように、人が二足歩行で歩くように、人が会話するように、人が寝るようにーーーー これがこの世界にきた二人の関係。 とある聖杯戦争が終結してから数年後にきた二人の関係。