吉原炎上編


ゴゴゴゴ

激しく鳴る音。
見上げると天井に、縦に一本亀裂が走っていた。張り巡らせた幾つものパイプが破壊され、破片と共に光が降り注いだ。プリンセスは腰にある傘を取り出しそれをさした。

「…!!!」

プリンセスは銀時、月詠、百華達、そして、神威、鳳仙を見つけた。屋根の上に投げ出された鳳仙は呆然と空に輝く太陽を見つめた。その身体はなおも渇き続け、割れた皮膚が剥がれ落ちる。破壊された窓の側で銀時と、月詠と百華達が見守っている。
それに、近づくプリンセス。

「神威っ!!!」

その声に、その場にいた全員がプリンセスを見た。
プリンセスは、神威の傘を投げ渡した。

「プリンセスか。…おっと」

やっぱりこれだといいそれを差した。
そして、震える手で太陽に手を伸ばした鳳仙。

「……我が天敵よ。久しぶりに会っても、何も変わらぬな。」

「はるか高みからこの夜王を見下ろしおって…全く、なんと忌々しい。」

言いながら微かに笑う。

「だが…なんと美しい姿よ。」

ふと近づいてくる気配に気づいた。

「人とは哀れなものだね。」

自前の傘を差した神威が笑顔のまま鳳仙を見下ろす。

「己にないもの程欲しくなる。届かぬものに程手を伸ばす。夜王にないもの、それは陽(ひかり)。旦那、あなたは太陽のせいで渇いていたんじゃない。あなたは、太陽がないことに渇いていたんだ。」

「……。」

神威は傘越しに眩い太陽を見上げる。

「誰よりも疎み憎みながらも、誰よりも羨み焦がれていたんだ。俺たち夜兎が決して手に入れることのできない太陽に。冷たい戦場ではなく、あたたかい陽の下で生きることに。決して消えないその眼の光に。故にその光を奪った。女達を己のいる夜へ、この常夜に引きずり込んだ。」

やがて足元に横たわる鳳仙へと視線を戻した。

「そして、それでもなお消えぬ光を、憎み、愛したんだ。」

「…ククク。」

鳳仙は呆れたような笑い声を漏らした。

「愛?一体そんな言葉、どこで覚えてきた、神威。そんなもの、わしが持ち得ぬのは貴様が一番よく知っているはずだ。…わしと同じ道を歩む貴様であれば。」

閉じられた瞼の皮膚も枯葉のように乾き、剥げ落ちていく。

プリンセスは鳳仙に近づいた。
その気配に気づき鳳仙は

「…プリンセスか。…お前は…憎いか。」

「…うん…憎い。…何度も殺されそうになった。鳳仙の子供ってだけで。それをいつもママはアタシを守ってくれた。…そのせいであの時ママは死んだ。…憎い。あんたが憎い…けど、いざ死ぬと思うと…悲しい。」

言葉を震わせながら言うプリンセス。

「…すまなかった。」

謝る鳳仙に、プリンセスは目を見開き、初めての父の弱みに、嬉しさからか目を麗せながら微笑んだ。




「神威…お前はわしと同じだ。戦う術しか知らぬ。欲しい者は全て、戦って力ずくで奪う。気に食わぬものも全て戦って力ずくでねじ伏せる。愛も、憎しみも、戦うことでしか表現する術を知らぬ。」

再び開いた眼は遠く、空虚感が漂っている。

「……神威。お前もいずれ知ろう。年老い、己が来た道を振り返った時。我等の道には、何もない。本当に欲しいものを前にしても、それを抱き締める腕もない。爪をつきたてることしかできぬ。引き寄せれば引き寄せる程、爪は深く食い込む。手を伸ばせば伸ばす程、遠く離れていく。」

再び太陽へと手を伸ばすと、剥がれた皮膚が零れ落ちた。

「…何故、お前さえもわしを嫌う。」

一太陽は誰の上にも平等に輝く。全ての者に光を当てる一

「何故、お前さえわしを拒む。」

こんな自分にも温かい光をもたらすのだと言った。

「何故、こんなに焦がれているのに。」

一日の光を嫌わないで一

「わしは、渇いてゆく。」

目が霞み、眩い太陽も青い空も全てがぼやけ、やがて消えた。

―見えぬ。もう何も。


闇が訪れ。音もなく、一切の光も差さない闇の中に鳳仙は一人佇んでいた。
―陽(ひかり)も届かぬ。真の夜。
鳳仙は闇の中を歩き始める。そして、いよいよ本当に訪れる死を迎え入れようとした。

―死してなお、夜を往くが夜王の運命か…。

ふと、背中に温かい熱を感じた。背後から眩い光が照らしている。鳳仙は振り返り、その陽(ひかり)に眼を見開いた。

「…………。」

重い瞼をゆっくりと上げ、目の前にいたのは、優しく微笑する日輪だった。

「………ひ……日輪……。」

屋根の上で日輪は鳳仙の頭を膝に乗せて座っていた。

「やっと、見せてあげられた。」

「…………。」

「ずっと、見せてあげたかった。」

日輪は静かに言うと上を見上げる。

「この空をあなたに…。」

天井が開放され、そこに広がる晴天と輝く太陽。

「言ったでしょ。きっと、お日様と仲直りさせてあげるって。」

日輪の言葉に鳳仙は目を見開く。


一いつかきっと、私がおじちゃんとお日様を仲直りさせてあげる一


「私…知ってたのよ、ずっと。どんなに威張りくさったって。どんなにひどい事したって。あなたは夜王なんて大層なものじゃないってことくらい。あなたはただ、こうしたかったのよね。こうして、日向で居眠りしたかっただけの、普通のおじいちゃんなのよね。」

鳳仙を見つめる日輪の眼差しは穏やかだった。

「ただ…それだけなのに。なのに…こんなバカげた街まで創って。みんなを敵に回して。」

やがて鳳仙の顔に温かい雫が降り注いだ。

「………。」

日輪は涙を溢れさせながら寂しげに微笑む。

「バカな人。本当に…。」

闇は消え、真っ白な光の中に立ちながら、鳳仙は穏やかな微笑を浮かべていた。
そして再びゆっくりと歩き出す。全てを許し、見送ってくれる温かい光を背に感じながら。

「本当に、バカな人。」

鳳仙は二度と瞼を開くことはなくなった。
日輪、月詠と百華、銀時、そして、プリンセスと神威は鳳仙の最期を看取った。