前夜


壮大に、遠くまで広がる草原を髪が風に靡いて頬を掠めるのさえ煩わしさを感じない程、無関心に遠く、遠くを眺める。

「‥冷やかしに来たの。」

草を掻き分ける音と共に人の近づいてくる気配がして、涙がもう乾いてしまいただ赤くなった目を向ける。

「いやいや、そんなつもりは一切なし」

瞼を閉じ首を左右に、ゆったりとした口調に合わせ振るう三日月は、脚を抱えて小さく座り込むプリンセスの横に並んだ。では何しに来たんだ、と心では思いながらも口は閉ざしたままのプリンセス。

しかし、何故だか不思議と心が落ち着く。これは、隣にいる三日月の影響なのだろうか。三日月に目を向ければ、その横顔は彼の落ち着き、佇まい、寛大さがよくわかるほど穏やかで真っ直ぐに前を向いていた。沈黙が続く中、プリンセスは口を開いた。

「私の元の主は、女武将だった。」

ポツリと零されたプリンセスの言葉に、ほう、とゆっくりと頷く三日月にプリンセスは更に続ける。

「何万人もの兵を束ねる大将だったのよ。」

織田信長が見込みがあるという程の実力であったと語るプリンセス。

「今なら、あの方の気持ちがよくわかるの。‥男しかいない戦の中で女1人、戦う気持ちが‥」

先程の大典太の言葉が頭をよぎり、抱えた膝をさらに縮こませる。

「見下されない様に‥劣らない様に‥」

一言、一言を重々しくハッキリと口にする。

「だから、あの方は最後まで自分のプライドを守る為に」

深く呼吸をし、三日月に力無い目を向けるプリンセス。その目は、何とも言えないほど侘しい。

「自分の刀で、死んだの。」

言い切るのと共に力無く口元に笑みを浮かべたプリンセスに、三日月の瞳の中の月が揺れる。

「男と女の差なんて、十分気づいてる。でも、だからこそ、それを意識して手加減されるのは」

震える唇と、詰まる声、それを抑制する様に口元に力を込める。

「悔しい」

無念極まりなく、泣きそうになるのを顔を埋めて深く呼吸をし息を整える。そんなプリンセスを宥める様に、三日月は黙って髪を撫でた。頭皮から伝わる手の温もりと、三日月の優しさに、プリンセスの涙腺の蛇口が大きく開かれた様に涙が次々と溢れ出した。

そして日が沈み、辺りが暗闇となった頃、プリンセス達は火を炊き、それを囲う様に座っていた。プリンセスは大典太に対して、もうそこまで深く気にはしていない様だった。

「プリンセス、お前の知っている事を話してくれ」

山姥切の言葉にプリンセスは、こくり、と首を下げ頷く。

「明日18日は私の元の主様が敵陣‥徳川家康との合戦中、自身の数万人の兵に裏切られ、逃げた先、枝垂桜の下で自害する日、現世では枝垂桜の変、と呼ばれています。」

そこまで言うと口を閉ざすプリンセス。皆は、ただ言葉を待つ。

「恐らく時間遡行軍は、徳川家康の殲滅。主様を生かす方向に持っていくかと。」

顔を苦く、俯くプリンセス。現世において徳川家康の人生は多く語り継がれている。

「なるほどね、それは、大きく歴史が」
「変わる」

瞳をゆっくりと閉じ言葉にする髭切。その言葉の続きを膝丸は微かに苦い笑みを口元に浮かべるのと共に呟いた。
髭切と膝丸の言葉にプリンセスは深く頷く。

「あんたは、覚悟が出来てるのか。」

焚き火のバチバチと燃え上がる音だけが響く中、大典太の声がプリンセスの耳に集中的に襲う様に響いた。一度大典太に瞳を向け、深く息を吸って吐くのと共にまつ毛が下がり、暗闇が広がる。瞳の奥に映るのは、前主の最期の姿。大典太の瞳にプリンセスの凛とした瞳が交わる。

「出来ています。」

プリンセスのはっきりとした口調、真っ直ぐな眼差しに、誰もその意思に懐疑心など抱かなかった。



円を描く月がてっぺんに位置した頃、昼間よりも少し冷えた風に身体を包む腕をさらに強くし、中々眠りにつくことが出来ない活気のある瞳で今にも消えてしまいそうな火を何気無く見つめる。はあ、と大きく息を吐く。

「眠れないのかい?」

ふと、耳に響いた落ち着いた口調に顔を上げれば、目に映るのは樹木に背を預け、片目を開けて穏やかな表情で確かめる様にプリンセスを見つめる髭切。こくり、と頷けば、瞼を閉じ口元に笑みを浮かべる髭切にプリンセスは1つ、深く呼吸をした。

「今から私が発する言葉をただの独り言だと思って。」

髭切は、眠る様に顔を伏せた。プリンセスの目は遠くを見つめる。

「主様を生かす方向には決して持って行かない。けど、誰かに殺させる事もしない。あの方の自尊心を守る為に必ず、自分の刀を使って‥私を使って、一生を終えさせる。」

言い切るとの共にプリンセスは瞳を閉じた。

円を描いていた月が欠けた頃、プリンセスは深い眠りについた様で地に、丸め込んだ身体を預けていた。

「皆んな盗み聞きなんて、悪質だね」

どこか愉快な口調で言葉を零し、髭切はスヤスヤと深い眠りにつくプリンセスに近づき、自身の肩に掛かる上着を小さな身体を包み込む様に被せ、困った様に笑む。

「自然と、耳に入っただけだ。」
「俺もそうだぜ‥兄者」

瞼を閉じたまま口にする山姥切に、眠るプリンセスを気遣う様に控えめに声を上げる膝丸。三日月は、ばれたか、とゆっくり言葉を零す。大典太は、深く呼吸をするのみ。
皆が、プリンセスの独り言を聞いてしまっていた様だった。