枝垂桜


「ハァ‥ハァ‥そなた‥」

もう少し、もう少し、支えていなければ一瞬にして崩れてしまいそうな身体、虫の様な呼吸音、虚な瞳、鮮やかな緑の葉をぽたぽたと染めてゆく赤い血の匂い、プリンセスは五感に伝わる全てに、顔を歪ませ、今にも涙が溢れてしまいそうだった。

「ははは‥まさか、仲間に裏切られるとはな‥」

微かな声量で自虐する様に力無い笑い声を上げる姿に、プリンセスの顔は更に歪む。

俯き、ただひたすら遠く、遠くを求め歩いていたプリンセス。すると、足元に桃色の花びらが点々と朽ちているのが目に入る。

「‥枝垂桜‥」

顔を上げ、目に映ったのは満開に花を開き、まるでプリンセス達を向かえる様に地に向かって頭を下げる枝垂桜。その光景にプリンセスの懐かしい記憶が蘇る。

「‥そなた、一体何者だ‥」

立派な太い桜の樹木にもたれかけさせれば、今にも消え入りそうな声が精一杯に言葉をあげる。プリンセスは口を噤み、答えられない、と訴える様に瞳を虚な瞳に向ける。

「そうか‥答えられぬか‥しかし、名の無い女武者よ、あの場から救ってくれて、ありがとう。」

プリンセスは、とんでもない、という様にゆっくりと首を左右に振る。

「あのまま殺されていたら私は、悔しくて、死んでも死んだ気にはならなかった‥」

喋るのでさえ苦しいはずなのに言葉を切らない声に全身を集中させるプリンセス。

「そこで、そなたに頼みたい事がある。」

そんな弱った身体でどこからそんな力が出るのだ、と言うほどに強く腕を握られ、俯いていたプリンセスが顔を上げると目に映るのはプリンセスの瞳をしっかりと捉える強い眼差し。

「私を殺してくれ。」

一瞬、時間の流れが止まった、そう思う程の衝撃を覚え目をカッと見開くプリンセス。その目に映るのは、力無く笑みを浮かべる顔。

「元より、自害するつもりであった。しかし、私の刀は何処かに行ってしまった様だ‥」

愛しく思う様に、刀の納められていない腰ざしに手を添える姿に、一段とプリンセスの心を突く。

「やはり、女の私に使われるのが嫌だったのだろうな‥」
「違う‥!」

痰を切った様に声を上げるプリンセス。

「違う‥きっと、自分の主が死ぬ姿など‥見たくなかったんだと思います‥」
「‥そうか‥、しかし不思議だな。そなたといると、ここに刀がある様だ。」

あまりにも穏やかな顔で言うものだからプリンセスの心に更に侘しさを思わせる。しかしその気持ちは、突然の咳と共に吐かれた赤い血の塊によって更に増す。

「いよいよ、終いの様だ。」

口を拭い、愕然と自身を見つめる瞳に困ったように眉を下げ笑む。

「なぜ、そなたが泣く。」

プリンセスは、悔しそうに顔を歪め首を深く、ゆっくりと左右に振る。やはり自分には出来ない。そう思った瞬間、心の中に現世において忠誠を誓った主が浮かぶ。ハッと腰ざしに納めている刀に触れた。そうだ。今の私の主様は。震えを抑えるように手に力を込め刀を構えるプリンセス。プリンセスの瞳に映るのは、包み込むように温かくて優しい瞳。

「さらばだ。女武者。」

「‥さようなら‥」

皮膚を貫き心臓を刺す鈍い音が響いた。

「‥主様‥」

震える唇を動かし、喉を詰まらせた様な微かな声で、その名を呼ぶ。ゆっくり刀を抜き、立ち上がると足元がふらついて今にも崩れてしまいそうだった。涙で歪む視界。零してたまるか、と顔を上げれば目に映るのは、桃色の満開に咲いた桜。

「‥皮肉ね。」

ポツリと言葉を零す。
プリンセスの姿、その言葉を目に焼き付ける様に離れたところで見つめる主。そして、山姥切、三日月、髭切、膝丸、大典太も時間遡行軍との戦いを終え集結し、プリンセスが刀を構える姿から静かに見守っていた。

ふと、山姥切達の気配に気づいたのかプリンセスの顔がそちらに向けられる。次第にその顔は歪み、目の涙は滝の様に溢れ出し、プリンセスは目の前の現実から目を背ける様に顔を両手で包み、その場に崩れる様にへたり込んだ。慟哭を上げるプリンセス。

プリンセスに近づき、その小刻みに震える小さな身体を包み込む主。さらにプリンセスの呻き声が響く。主の瞳は、まるで哀しさと慈しみ、2つの感情を思わせる様な瞳だった。

山姥切達は2人をただ黙って見守る。

そして、こんのすけの声が空に響く。それを合図に空に時空の歪みが発生し、その光と共にプリンセス、主、山姥切、髭切、膝丸、大典太、三日月は消えた。