三日月


「もう、三日か。」

夕方の橙色の陽の光が射し込む主部屋で任務報告の為、訪れていた山姥切は言葉を零した。すると、書斎机を挟み椅子に腰掛けている主が小さく笑みを浮かべた。

「気になりますか?…君が他人に関心を持つのは珍しい。」

立ち上がりガラス窓から外を眺める主に山姥切は鼻で笑い、視線を斜め下に晒す。

「一番隊のメンバーとして、気遣うのは当たり前だろう。」
「…それは誤解があります。"一時的"ですよ。」

外を眺める主に視線を向けると、主は少し首を傾げて、山姥切の瞳を捉え、はっきりとした口調で告げた。そして口元に笑みを浮かべる。

「プリンセスは、私の近侍なので。」
「…そうか。」

山姥切は瞼を閉じ、もう一度鼻で笑う。そして瞼を上げた時、キリッと厳粛な表情となった。

「今の状態からあいつは前の様に刀を振るうことが出来るのか。」

山姥切の問いに主の瞳が一瞬見開かれた、そしてゆっくりと瞳を閉じる。

「それは私にも分かりません。…しかし彼女の信念は、"こんな事"で崩れてしまうほど柔じゃない。」

力のこもった言葉と余裕のある笑み、そして眼差しが山姥切に向けられる。しかし山姥切は、主の言葉に何かつっかえるものを感じ眉をひそめた。

「あんたは、プリンセスの事をよく理解してると言ったが、今の言葉を聞く限り俺にはそうは思えない。」

山姥切の発言に小首を傾げ、窓ガラスに向けていた身体を反転させる主。山姥切と主の視線が交じり合う。

「ここにいる奴らは、元は刀だ。前の主と共に時代を駆けてきた分、他人には踏み入れられない強い感情がある。…"こんな事"で済ませられる問題ではないと、俺は思う。」

言い切ると、視線を僅かに下げるだけの一礼をし扉の方へと向かう山姥切。

「まあ、写しの俺には、無縁の感情だがな。」

扉のノブに手を掛け、背中越しに呟き山姥切は主部屋から出て行った。

扉の閉まる音が部屋に響く。主は山姥切が消えて行った扉の方に目を向け、どこか嬉しそうな表情をしていた。

「…隊長らしくなって来ましたね。」

主はポツリと言葉を零した。


ー ー ー ー

陽が随分と前に沈み、入れ替わるように現れた月。本丸の皆もほとんど寝静まっている零時を過ぎるちょっと前に、庭の景色と空がよく見える対屋にプリンセスが無情に空を眺めていた。その傍らには自身の刀が添えてある。

「…月見か」

ふと、夜の静かな空間に似つかわしい落ち着いた声が響く。その声のする方に目を向ければ、そこには三日月がいた。プリンセスは言葉を発すること無く視線だけを送り、すぐに空を見上げる。

「三日ぶりか、体調の方はどうだ」
「…問題ないわ。」

ゆっくりとプリンセスの隣に腰掛ける三日月に短い言葉で返すと、そうか、と返事する三日月。

「今のところ歴史に大きな変化は無いようだ」
「…そうでしょうね。歴史通り、あの方の刀、私が刺したんだから。」

自嘲気味に笑み、呟くプリンセス。三日月は特に言葉を返すこと無く口を閉ざした。そして、深夜の少し冷たい空間で静かに月を眺めるプリンセスと三日月。

「三日月、お願いがある。」

ポツリとプリンセスの言葉が空に向かって投げかけられた。三日月は横目にプリンセスを伺う。

「私と、手合わせをして。」

三日月に顔を向けプリンセスは懇願した。横目に見ていた三日月も、プリンセスをしっかり瞳に捉え、直向きな眼差しに薄く笑む。

「もちろんだ」
「手加減はしないで。本気で来て欲しいの。」

プリンセスの真摯な言葉に三日月は、よろしい、と更に笑みを浮かべた。

そして空に月が浮かぶ景色を舞台に2人は刀を構え距離を取り向き合う。

久々に手に持つ刀。微かに力を入れる手が震えた。

「本気で、ゆくぞ」

三日月の言葉にプリンセスは深呼吸し、心の準備が出来たところでコクリと頷いた。

その瞬間に、プリンセスの心は奪われた。美しい。ただその一言でしか表せない。
一瞬だった。まるで空気に溶け込んでいた様な、気づかぬうちの流れで、プリンセスの背は地につき、その上には三日月が刀の先をプリンセスの喉元に構えていた。口で呼吸をしてしまえば、刺さってしまいそうな刃先。

もしこれが命のとり合いだったら、確実にプリンセスの首は取られていただろう。プリンセスは始めて刀を向けられる事に恐怖を覚えた。しかしそれでもやはり美しいと感じる。

恐怖と共に感嘆の気持ちも溢れて瞳が揺れ、微かに身体も震える。暗闇に浮かぶ月と普段の表情とは違う瞳の奥の三日月がはっきりとしていて凛とした表情に瞳が捕らえられたかの様に晒すことができない。

すると、喉元に立てられていた刀が離され、ようやく深い呼吸が出来るようになった。同時に三日月の手がプリンセスの片頬に添えられる。一瞬驚き目を見開く。どこか感傷的な気分にさせるその瞳。月。その物だ。

一瞬、瞳を閉じ開いた時には三日月の端正な顔立ちが目の前にあった。そして静かに抗う余裕もなく、プリンセスの唇に三日月の唇が重なった。突然の事に瞳をバッと見開くプリンセス。たった一度、触れるだけのものだった。

「なぜ…」

放心状態で、たった一言しか言葉を発することができない。すると三日月は、眉を下げ薄く笑み、プリンセスの腕を掴み、立たせ、背についた微かな土を払うように撫でる。流れに流れ、身を任せてしまっているプリンセス。
そして三日月は、空に浮かぶ月を見上げた。

「月影に 怯ゆる瞳 溺るるは 我心にて とめどなし」

ゆっくりと口にする三日月。感覚的に馴染みのない言葉と先程の行為になぜ、と問う様に目を注ぐプリンセスに振り向き口元に薄い笑みを浮かべる三日月。
そして三日月はその場から去って行った。

1人残されたプリンセスは先程、三日月の唇が触れた自身の唇を指でなぞるように確かめる。徐々に体温が上昇してくるのだけは、分かった。