一三〇番


「鶴丸国永、おはようございます」

鶴丸国永が、施設内に設けられた手合わせ場で、鈍った肩を慣らすために木刀を振っていると、高らかな声が聞こえてきた。
すっかりその声に慣れてしまった彼は、どこか嬉しそうに笑みを浮かべ声のする方へと振り返る。

「よっ!プリンセス」

 初めて出会った時より随分と体つきも良くなり、表情も明るく、笑顔が増えた鶴丸国永。プリンセスは、一日一日と変化していく彼に嬉しく思い柔和に笑んだ。

「どうですか?…だいぶ肩が慣れてきたのではないでしょうか」
「ああ…早く奴らを切りたくて仕方が無いな」

 手に持つ刀を眩しそうに目を細めながら見つめる鶴丸国永にプリンセスは、今なら伝えても大丈夫かもしれない、とホッと息をついて彼を見つめた。

「鶴丸国永」
「ん?…改まってどうしたんだよ」

 プリンセスが滑舌よく名を呼ぶと、鶴丸国永は、おどけた様に笑いながら首を傾げ彼女を見つめた。

「本日、新たな審神者様との面会になります」

 鶴丸国永はハッと息を飲み、瞳を大きく見開いた。しかし直ぐに不安げな色を浮かべ視線が下げられた。以前までの主の姿が浮かんだのだーー未練などもう無い、しかし、不安だった。もしまた次の主に引き取られても同じことが繰り返されたら、怖かった。

「鶴丸国永…不安ですか…」
「…ああ…」
「怖いですか…」
「…また同じことが繰り返されるんじゃないかってな…」

 一言一言、プリンセスからの問いに答える鶴丸国永の声は次第に震えを帯びていた。そして彼は、それを隠す様に、ふっと微かに笑みを浮かべ顔を逸らした。
 プリンセスは、一度視線を落とし、息を吸って、鶴丸国永の顔を見た。

「…貴方だけでは、ありませんよ」

 プリンセスの言葉に鶴丸国永はピクッと反応し、瞳を向けた。

「貴方にご紹介する審神者は以前、鶴丸国永を所有しておられました」

 鶴丸国永は顔を上げ、大きく見開いた目でプリンセスを見つめた。彼女は言葉を紡いだ。

「しかし、とある指令を命じた際…失ってしまったのです…」

 鶴丸国永は更に目を見開いた。プリンセスは悲し気に眉を顰めた。

「大層、鶴丸国永を気に入っておられました…本丸訪問をした際、とても仲睦まじくーーお互い信頼しあっているのだなと伝わってきましたから…だから、とても悔やんでおられました。そして自分を酷く責めておられました…自分は審神者に向いていない、審神者失格だ、と…」

 知らずうちに鶴丸国永は涙を流していた。彼自身、まさか自分が涙を流すとは思っていなかったらしく、驚いた表情を浮かべている。プリンセスは、そんな鶴丸国永にポケットからハンカチを取り出し、差し伸べた。彼はそれを静かに手に取り、涙を拭った。

「しかし今は立ち直り、少しづつですが、本丸に活気を取り戻しているんです」

 プリンセスは、真っ直ぐ鶴丸国永の瞳を見つめた。その瞳は優し気があって、且つ、とても力強いものだった。

「誰でも恐れがあるんです。怖いんです。」

 鶴丸国永の心中で少しづつ何かが動き始めた。

「しかし、向き合おうとしているんです。」

 プリンセスの凛とした口調で発せられた言葉に鶴丸国永の心中で何かが大きく音を立てた。
 暫く、どちらも言葉を発さず、沈黙の時間が流れた。プリンセスは鶴丸国永の反応を静かに待っていた。きっと彼の中で何か変化があったはずだ、信じて、その時を待っていた。
 そして彼は、ふっと口元を緩め、少し赤くなった目をプリンセスに向ける。

「あんたにはいつも助けられてる気がするな」
「…当たり前です…それが私の仕事ですから」

 彼女の毎度変わらない仕事に対して真っ直ぐな心構えに鶴丸国永は、ふっと笑い、瞳を閉じ、深呼吸をして、再度プリンセスを見つめた。その目は意志を固めた様に真っ直ぐ、ぶれのないものだった。

「俺、会ってみるよ…俺を大事にしていた審神者に」

 鶴丸国永のハッキリとした口調と、キリッとした表情にプリンセスは、ハッと瞳を見開いた。そしてすぐに目を細めた。

「では、行きましょう」

 柔和な笑みを浮かべ踵を返した彼女の後を鶴丸国永は追った。





 審神者が待っている部屋の扉の前に到着し、プリンセスは振り返って「準備は良いですか」と鶴丸国永に訊いた。彼は、一度深呼吸をし、頷いた。

「審神者様、お待たせいたしました。」

 扉を開けると、そこの空間はいたってシンプルなものだった。部屋の中心に木のローテーブルに二人掛けのソファが二つ、テーブルを挟んで向かい合っている。壁や床の色味は暖かい。奥の方で、緊張でか背筋をシャンと伸ばす審神者がいた。プリンセスと鶴丸国永が向かいのソファに辿り着くと、頭を下げ、そしてプリンセスの「おかけください」という声に促されて腰を下ろした。プリンセスと鶴丸国永も腰を下ろした。ふとプリンセスが鶴丸国永を見ると、彼は、まだ審神者に目を向ける事が出来ないらしく視線を落としていた。

「では、これから刀剣男士引継ぎ面談を始めます」

 プリンセスの凛とした声を合図に面談が始まった。内容は、互いが互いの状況を知っている為、とてもシンプルなものとなっている。基本はプリンセスが進行を進めていくのだが、気になる点があればそれを遮って質問しても良い、と審神者と刀剣男士の対話を推奨するものだった。

「一つ訊いてもいいか…」

 すると始まって早々に鶴丸国永が呟いた。彼を一瞥すると、腿の上で拳をギュッと握り絞めていた。プリンセスは、ゆっくりと瞳を閉じ、開けて、審神者の返事を訊くように目配せた。すると審神者は、一つ息を飲んで頷いた。その顔は、何を訊かれるのだろう、と不安げに歪んでいた。

「君は俺を、以前君の所にいた鶴丸国永と、別の存在として見てくれるかい?」

 鶴丸国永の言葉には彼の様々な複雑な感情が込められていた。きっと彼は、鶴丸国永ではなくてーー、一体の男士として、自分自身を、心を見て欲しい、そう思ったのだろう。
 プリンセスは鶴丸国永と審神者を交互に目配せ、審神者の返事を大人しく待った。


 暫くの間をおいて審神者は鶴丸国永を愛おしそうに見つめ、コクリと頷いた。その目には慈愛に満ちた様な、潤いを増していた。
 そして鶴丸国永は、ハッとした様な表情を浮かべてから、ホッとした様子で顔を綻ばせた。

「それなら良かった」

 そしてそこからは、互いの壁がなくなった様に、審神者と鶴丸国永が対話を始めた。ごく自然に、互いの事を知ろうとしていた。プリンセスは、自分の進行なしに広がってゆく二人の対談に目を細め、睦まじい様子で見つめていた。

 ふと、プリンセスは時計を見た。時刻は、引継ぎ面談所定時間を五分過ぎた時間を差していた。プリンセスは、二人の楽しそうに対談する姿に夢中になってしまっていた様だ。
 プリンセスは、二人の対談を中断させたくないという惜しい思いに駆られながらも、終了の時間である事を伝えた。そしてそこからは刀剣男士が、どう感じたか、やっていけそうか、旨を訊く最終段階となる。刀剣男士の気持ちを配慮するものとなっている。 

「鶴丸国永のお気持ち次第です。」

 プリンセスは隣に座る鶴丸国永に目配せた。そして彼は、一度大きく深呼吸をし、瞳を閉じた。暫くそのままで恐らく心中で色々と考えているのだろう、プリンセスと審神者は大人しく彼のこたえを待った。

 そして鶴丸国永は瞳を開け、プリンセスを見てから審神者を見た。その目は、とても力強いものだった。

「…俺の事を、よろしくお願いします。」

 鶴丸国永は、審神者に向かって深く頭を下げた。そして顔を上げた際、とても穏やかな笑みを浮かべ「何か俺らしくないな」照れかしげに口を歪めた。
 審神者は、嬉しさのあまりか、涙を零し、何度も何度も頭を下げた。

 プリンセスも思わず心が一杯になった。この職に就いてから、この瞬間には、いつになっても新たな感動が生まれていた。それがこの職のやりがいだと、感じていた。

「引継ぎの手続きは本日中に完了いたします」

 プリンセスは二人に目配せた。そしてプリンセスは手続きの為に必要な資料を取りに立ち上がった。

「なあ…君」

 プリンセスが扉に手をかけた時、鶴丸国永が彼女の方に目配せた。プリンセスは鶴丸国永に顔を向け「はい」と語尾を傾げ、首も傾げた。

「俺は…やっていけると思うか」

 鶴丸国永は、一度息を吸って、はあ、と吐息を零し、眉をひそめ訊いた。やはり心の何処かで不安、自信の無さが払拭されていない様だった。
プリンセスは体を鶴丸国永の方に向けた。そして口元を緩めた。

「きっと貴方なら大丈夫です」

 鶴丸国永はハッと目を見開いた。そしてその目を細め、ふっと笑った。

「君がそう言うと大丈夫な気がするんだよな」
「…ある程度の力はありますからね」
「そう言う意味じゃなくてな」

 相変わらず仕事に対して真っ直ぐな彼女の返しに鶴丸国永は頭をかいた。審神者は微かに笑った。

「では少々お待ちを」

 プリンセスは、ふっと笑みを零し、踵を返した。



 そして全ての手続きを終え、審神者と鶴丸国永は晴れて、主と刀剣男士の関係となった。

「いってらっしゃい、鶴丸国永」

施設内の入出口で、プリンセスは審神者とその隣に並ぶ鶴丸国永を見つめた。

「ああ、プリンセス…ありがとうな!この借りは必ず返すからな」
「まるで鶴の恩返しですね。当然の事をしたまでです」

 鶴丸国永の言葉にプリンセスは、眉を下げ困った様に笑んだ。そしていつもの様に、キリッと顔つきを変え、仕事に真っ直ぐな言葉を零した。

「…じゃあ」

 プリンセスは頷く。そして審神者はプリンセスに一礼し、二人は彼女に背を向け歩いてゆく。

「いってらしゃい…鶴丸国永」

 プリンセスは、離れて行く二人の姿に、深くお辞儀した。