王子様な男士


 ほとんどの刀剣達が寝静まる夜更け過ぎに、プリンセスは夢と現実の境目の思考のはっきりとしない状態で突然の尿意をもよおし、ふらふらと廊下を歩いていた。
  日中のじりじりとした暑さとは異なって文月の夜は微かに髪を撫でる風が心地良く、さらに眠気を誘っていた。
 その刹那ーー、ふわふわとした心地で引きずる様な足取りで歩いているせいか、見事に自身の片方の足が片方の足に引っかかり痛い音を響かせうつ伏せに倒れた。

「…大丈夫…ですか?」

 すると、すぐにプリンセスの後頭部に声が掛けられた。プリンセスは何となく自分がコケた事は理解していて、おずおずと体を起こし「ありがとうございます」と誰のだかわからないまま差し出された手を取った。
 そして、誰が手を差し伸べたのかを確かめようとして顔を上げた瞬間ーー。

「王子様…?」

 月光で煌めく水色の髪。優しさが滲み出る声色。そして心配する様にプリンセスに向ける困った様な表情を浮かべながらも端正な顔立ち。 心臓が高鳴る気持ちでジーッとプリンセスが見据えていると、その相手は驚いた様子で目を丸くし、首を傾げるも、すぐに、にこっと爽やかな風を感じさせる様な笑みを浮かべた。

「いち兄…何やってるんだ?」

 すると、廊下の先の方から声が響いてきた。その声の主は暗がりのせいで認識することは出来ない。

「では…また、女の子ですから、怪我しない様に気をつけてくださいね」

 いち兄ーーこと、一期一振は声のする方に目を向けてから、プリンセスに向き直り、にこっと微笑みかけ、その場から立ち去った。

 その後、プリンセスは暫くその場に突っ伏していた。夜闇に現れた煌びやかな王子様に胸焦がれていた様だ。







「あいつ…大丈夫か」
「昨夜、"王子様"を見たらしい」

 非番の刀剣達が思い思いに集まる居間で、御手杵は怪訝そうな顔つきで、隣で転寝する日本号に耳打ちすると、彼は一つ大きなあくびをし、今朝、偶然廊下で居合わせたプリンセスがその時も、今と同じ様に頬を赤らめ上の空に瞳を輝かせていた為、気になり問いたーーそしてその応えを御手杵に返した。
 相変わらず彼女は机に肘をつき、頬に手を添えて、その"王子様"とやらの事を頭に浮かべている。御手杵は、そんな唯一の刀剣女士、プリンセスの何とも乙女チックな姿に物珍しいものを見る様に凝視していた。
 
 そんなじっと彼女を見据える御手杵に日本号は「惚れたか?」と、にやりと口元を緩めると、彼は焦ったような素振りで「別に」と顔を背けた。日本号は、ふっと笑った。

「でも面白いんじゃねーか…プリンセスちゃんのいう"王子様"探し…そいつどんなやつなんだ?」

 日本号は大きな体を起こし、机越しにいるプリンセスに目配せた。彼女は、少しの間をおいてようやく日本号に目を向けた。

「ん、暗かったし…ちょっと寝ぼけてたからハッキリ覚えていないんだけど…爽やかな水色の髪色だったかな…」
「あー!俺、見覚えあるぜ!連れてくる!」

 突然、声を上げたのは浦島虎徹だった。彼は、パッと大きな瞳を瞬かせ、さささっと居間を出て廊下を走り出した。どうやらその人物を連れてくる様だ。

「以外にも、早く見つかるものだな」

 浦島虎徹の隣に座っていた蜻蛉切は、とても穏やかそうな表情を浮かべ茶を啜った。あっさりと"王子様"がこの場に現れてしまう事に、日本号と御手杵は何処か納得いかない様な表情で互いを見合わせた。
 一方、プリンセスは手鏡を取り出し、身なりを整える何とも乙女チックな仕草をしている。

 暫くして、浦島虎徹が鼻の下をさすりながら、へへんと胸を張った仕草をして帰って来た。そして、その隣には、もう一体の刀剣男士を連れてーー。

「カカカカカ!拙僧に何の用だ!」

 居間に鳴り響く独特な笑い声と膨大な声量。皆が唖然と、現れた"王子様"ーー?を見上げた。
 浦島虎徹が自信あり気に連れてきたのは、山伏国広であった。相変わらず彼から笑顔という文字は消えない。

「確かに水色の髪色だけど…爽やかな"王子様"じゃねぇよな?」
「どちらかといったら熱いだろ…」

 次々と難癖つける御手杵と日本号に、浦島虎徹は徐々に顔をカーッと赤らめ、プリンセスに、どうなんだよ、と目で訴えかけた。プリンセスはジト目で頬を膨らませる浦島虎徹に苦笑いし「ちょっと違うかな」と口ずさんだ。

「"王子様"は、もっと、ゆったりとした話し方だったかなあ…」

 ひとまず、山伏国広には事情を説明し、彼は笑い飛ばしながら去っていった。改めて、プリンセスの新たな情報をもとに真の"王子様"探しをはじめた。すると、次は蜻蛉切が遠慮気味に手を上げた。皆が蜻蛉切に注目する。

「プリンセスよ、もしかしたら…と見覚えのあるものがいるのだが…連れて来ても良いか…?」

 よし、来たと声を上げたのは日本号であった。御手杵は浦島虎徹の失態もあり、少し疑心を抱いている様子で、居間を出た蜻蛉切の後を見据えた。

 しばらくして、蜻蛉切が一体の刀剣男士を連れて帰って来た。皆がその男士に目を向ける。その姿は、先の山伏国広と比べると、とても大人しく、プリンセスのいう"王子様"の像に当てはまる部分が幾つかあった。しかし、皆が特に目がいってしまったのが、その男士の手元だーー手首には数珠が見られ、片合掌していた。

「プリンセス、どうだ?お前のいう"王子様"はーーあれか?」

 御手杵は、まさかな、と、断じてあり得ないという様な口ぶりで"王子様"ーー?を指さした。そんな御手杵に指をさされた"王子様"ーー?は、少し不機嫌そうに御手杵を見据えた。

「ちょっと…違う…髪の毛こんな長くなかったもの…」

 プリンセスは残念そうな顔つきで小さくかぶりを振った。

「こりゃ、難解だなぁ」

 大息をつき、御手杵は畳に手をついた。日本号は、すっかり飽きてしまっている様で転寝していた。蜻蛉切は、何故か申し訳なさそうに眉を下げていて、そんな彼らにプリンセスは更に申し訳なさそうに顔を苦めた。

 ひょっとしたら昨夜の出来事は夢だったのかもしれないーーそう思った時、廊下の方から大人数の足音が響いてきた。

「いち兄こっちこっち!」

 静けさで包まれた居間に響き渡る短刀達の明るい無邪気な声。プリンセスはハッと何か思いついた様に顔を上げた。

「あ!いち兄だ!いち兄って呼ばれてた!」

 いち兄ーー昨夜、"王子様"がそう呼ばれていた事を思い出したのだ。御手杵と日本号は首を傾げた。
 そして直ぐに、大勢の足音を響かせる男士達が居間に接する廊下前に現れた。その集団の正体は、博多や秋田など、藤四郎兄弟であった。そしてそんな短刀達に囲まれて歩くのはーー爽やかな水色の髪色に、優し気なゆったりとした口調の、まさにプリンセスのいう"王子様"に当てはまる男士だった。

「あっ…王子様…!」
「貴女は…昨夜の…」

 プリンセスは感激で瞳を潤ませながら呟いた。すると、"王子様"ーー一期一振は居間の方に目を向け、プリンセスを見つけるとハッと目を見開き、昨夜の事を覚えていたらしく、すぐにニコッと微笑んだ。

「プリンセスが言ってた王子様ってのは…一期一振だったのか…」

 あっさりと自ら偶然現れた"王子様"に御手杵は、参った、という様に苦笑した。

「私は一体、なぜ呼ばれたのだろう…」

 そして、"王子様"候補として事情も説明されず蜻蛉切によって連れてこられたーー江雪左文字は疑問が残るまま、その場から立ち去った。

 今日も、花丸な出来事が喉かに流れていったーー。