大胆不敵


「よっ!プリンセス、おはよう!」

「…おはよう、兼定。」

朝、本丸の廊下ですれ違った兼定は清々しいほどに笑顔で非常に甘く人を酔わせる様な嫌な女の匂いがした。それに顔を顰めそうになったが感情を表に出さぬ様に何食わぬ顔で交わしたあいさつ。通り過ぎてから後ろを振り返れば、黒いしなやかな長い髪を揺らして去ってゆく兼定の背中。その背中に嫌気をぶつける様に鋭く睨んだが、なんだろう、心が突き刺さるように痛い。

兼定は、次の日が非番であると花街へと行く。だから今日も女の匂いをつけたまま帰ってきた。あんな、生き生きとした顔をしやがって…

刀剣男士。人間として、男としてこの世に蘇り欲求を持つのは当たり前のことだろう。
男である以上、その様な店に行かなければならないのは仕方がない…のだろうか。同じ刀剣でありながらも、その部分に関しては到底、理解できなかった。


△▽△



「はあ、何で男って…」

「男が、何だって?」

本丸から少し離れた所にある池でコイにエサやりをしていると何気なくため息交じりに呟いた言葉を拾われてしまった。一瞬、肩をビクつかせ振り返れば悪戯っぽく笑う鶴丸がそこにはいた。

「もう!びっくりした…でも鶴丸で良かった…」

兼定で無いことに安心し、胸をなで下ろしていると、ひょっこり自然に私の隣に並ぶようにしゃがむ鶴丸。二人揃って同じ体勢で池を眺めている状態だ。

「で、プリンセスちゃんは何をそんなに悩んでるんだ?」

私の手からコイのエサの入った袋を取り、それはそれは放漫にエサを投げ入れる鶴丸。私は、パンパンと手を払い、腿に肘をつき顎を手に預け、ため息交じりに言葉をこぼした。

「どうして、花街にいくの?」

私の言葉と同時に池のコイが勢いよく跳ねて水が音を立てた。おお、と小さく声を上げ、鶴丸に目を向ければ、そんなにも私の言葉が予想の斜めを行ったのか、唖然と目を丸くする鶴丸。しかし日常において驚きを求める彼にはちょうど良いだろう。

「…どうしてって…そりゃあ…」

「性欲が溜まるからでしょ?…そんなのわかってる事なの〜!私が言いたいのは…」

口籠る鶴丸に続いて答えれば、どうしようもないと言う様な表情で眉尻を下げる鶴丸。私は自分が何を言いたいのかはっきりと浮かんでいない。うーん、と言葉にできない悔しさで唸っていると鶴丸はただ黙って私の言葉を待つのみだった。

「どうしたら、花街に行かなくなるか、なの…」

喉に滞っていた言葉がようやく吐き出された。それは単純な言葉で何故こんなにも難しいと感じたのか不思議でたまらない。答えを求める様に鶴丸を見れば、意外にも涼しい顔をしていた。

「それは、簡単なことだろ」

「え…」

鶴丸のあっさりとした表情と言葉とは対照的に、ポカーンとあほ面をしていると、こちらにおいでと言う様に手を揺らす鶴丸。何だか碌な事を言わないだろうな、と思いながらも誘われるように距離を詰めると耳元に唇を寄せられた。

「…そんな事…私言える…?」

「なんで疑問形なんだよ…ま、これが一番の策だろ!な?」

満面の笑みを浮かべながら自信あり気に歯を見せる鶴丸。私は不安で仕方がない。しかし、鶴丸の言う通りそれが一番効果的な手段の様な気がした。

私は立ち上がり大きく深呼吸をして、よしっと気を引き締めた。そんな私を見上げる鶴丸は満面の笑みを張り付けたままだ。


△▽△


月が夜を照らす頃。晩御飯も終えて就寝前の個人が思い思いに過ごす時間帯に私は兼定の部屋の前にいた。この時になるまで頭の中では何度もシチュエーションをこなした。大丈夫。

そして意を消して、声を上げた。

「兼定!…私、プリンセスだけど…」

「…プリンセス…!」

少々動揺をうかがわせる口調。視線を落とし、襖の前で突っ伏していると静かに襖が開かれ、私の目に兼定の足が映り込んだ。ハッとして視線を上げると、入浴後なのか、長い髪を片側に寄せやんわりとまとめられていた。どこか色っぽさの感じさせるその姿に気恥ずかしくなってきた。

ひとまず部屋の中へと通され、横を通り過ぎると入浴後の良い匂いがほのかに香った。そして背中越しで兼定が襖を閉めたのを機に兼定の方に体を反転させた。結構勢いがあったらしく少々驚きを見せる兼定。そんな兼定の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「もう花街に行かないで…!」

勢いに任せて発した言葉。そんな事言われるとは予想だにしていなかったのだろう、呆気にとられている。しかしこの一声のおかげか、もう素直になんでも吐き出せる気がした。

「私、兼定に花街に行って欲しくない。…次の日の朝他の女の人の匂いを付けたまま帰って来て欲しくないの。…だから、花街に行ってまでやるくらいだったら私とやりなよ!」

「お前っ!馬鹿か…!?」

「馬鹿だよ!私今すごい事言ってるなあって思うよ!でも、そのくらい兼定に行って欲しくないの…兼定が他の女の人に触れるのが嫌だ…私、兼定が好きだから!辛いの…!」

もう自分の言っていることに気恥ずかしさもあり感情的に涙が零れた。泣くつもりなどなかったのに。絶対に面倒くさい奴だと思われたに違いない。現に兼定は顔を顰めて私から視線を逸らし頭をかいている。それを見て更に涙の分泌が促進する。ついには、うめき声が零れた…その瞬間、ふわりと温もりに包まれた。頬に触れる兼定の胸。そして兼定の匂い。

「兼定…?」

恐る恐る名を呼ぶと、更にきつく抱きしめられた。

「…わかったよ。もう行かねえよ…お前の気持ちに気づけなくてすまねえ…」

私の頬に触れる兼定の心臓の鼓動が加速した気がした。その鼓動に耳を澄ましていると、肩を抱かれそのまま離され、私の瞳を真っ直ぐに見つめる兼定。

「俺も好きだ。」

思わず目を見開いた。しかし兼定から発せられた言葉は、はっきりと濁しがなく真っ直ぐに私の心に浸透してきた。言葉が出ず、黙って見つめていると、何か言えよ、と照れ傾げに顔を背ける兼定。それが、何だか愛おしく思えてクスクスと笑っていると…

「だけどよ、」

慢心感に浸っている私に真剣な眼差しの兼定の瞳が突いてきた。何だか、嫌な予感がする、心の中の危険信号が鳴った様な気がして一歩足を引こうとしたら、もう手遅れで…腰に回った兼定の腕に力が込められ先ほどよりも密着する。一触即発、極めて大惨事になりそうな気がした。顔が強張るが、そんな私を緩める様に兼定の指先が私の唇に触れた。

「お前が相手してくれるんだろ?」

悪戯っぽく笑い、そう言葉を発してから直ぐに私の返答など聞くことなく兼定の唇が私の唇に触れた。