夜這い…?




机に向かって曲げていた腰を伸ばすと、全身の至るところからゴキゴキと鈍い音が鳴り響いた。ふと、大きく開かれた戸から外の景色を見れば月が夜闇の天辺に位置していた。長谷部が、睡眠はしっかり取る様に、と忠告に来たのは、つい先ほどでは無かったかとつくづく集中してしまうと周りが見えなくなってしまうのはどうにかならないものかと顔を苦める。

「…お腹空いたなあ…」

この時間に突然訪れる空腹感。ここで食べてしまうとまた長谷部にデブ症と責められてしまう…しかし、ここからまだ寝ることはないだろう、大丈夫と言い訳交じりに耐え切れず炊事場へと向かった。


▽△▽




冷蔵庫を覗き込めば規律正しく食材が収納されていて、ほぼとある一人の刀剣男士が完備しているからそのままその方の性格が現れているな、と思った。

「う〜ん…甘い物を食したい気分なんだよね…」

そんな願望を呟きながら冷蔵庫の中身を弄っていると、一つの長方形の白い箱が目に入った。私は、これはもしや…と期待を込めて冷蔵庫から取り出し、調理台の上に置いた。そして丁寧に箱のシールを剥がし開けると、そこには色とりどりのフルーツがぎっしりと生クリームと共に詰まったロールケーキが入っていた。私は、予想通りだと、ご満悦にケーキナイフを取り出した。どのくらい食べようかなと目安を立てながらじーっとロールケーキを見つめていた時だったー

「ちょっと、こんな真夜中に何してるのよ。」

突然、背後から腹部に腕が回され誰かが私に密着した。かなり驚いて肩を一瞬ビクつかせたが、頭上から降ってきた気怠そうな声色、そして鼻が麻痺しそうな程の酒の匂い…これはあの方しかいない…

「次郎太刀…!びっくりさせないで…」

取りあえず、こうして抱き締められるような状況でナイフを持つのは良くないと、頭に燭台切お母さんが過ったのでナイフを置き、顔を後ろの次郎太刀を見る様に横に向けた。すると次郎太刀は私の反応が面白かったのか、クスクスと笑っていた。

「こっちのセリフよ、お口直しにお冷飲もうと思って、ここに来たらアンタがいるのよ」

続けて「今日もアタシに顔を見せなかったのに」と口を尖らせる次郎太刀に私は、そういえば、ずっと引き籠っていたなと苦笑し「ごめんごめん」と繰り返した。すると次郎太刀は「本気で謝ってるの」と頬を膨らませ私の顔を覗き込んだ。その顔は僅かに頬を赤く染め目はとろんと潤わせていて、とても美しい整った顔立ちだがそこに更に色気が増していた。

「本当、本当だよ…」
「…忙しいの…?最近、あの"生真面目なつまらない男"ぐらいしかアンタの姿見てないわよ。」
「えっと、長谷部の事ね…まあ…資料纏めたりとか色々溜まっててね…」

次郎太刀が長谷部の事を"生真面目なつまらない男"と呼んでいる事に少し笑いそうになってしまった。しかし、確かに最近部屋に籠りがちで長谷部と会話を交わす程度だった。ふと、庭で遊ぶ元気な短刀達、縁側で茶を飲むおじいちゃん達、日々鍛錬に励んだり、内番を快く熟したり、とにかくいつも騒がしい子達、とちょっと前まで目にしていた懐かしい記憶が頭を過り、感傷的に浸ってしまう。

「あまり無理しないでちょうだいね…」
「次郎太刀…ありがとう。」

次郎太刀は本当に女性の様だと時に思う。あの長谷部でさえ気づく事の出来ない些細な事に必ず気づいてくれる、そういう面は素敵だと思うし尊敬もするけど、酒癖はどうにかならないか…と思ったり…。私のお腹に回る次郎太刀の腕の力が強まり、より親身になってくれているのだろうと次郎太刀のさりげない気遣いに私は本当に心の底から感謝している。

 するとどんよりと沈んだ空気から一変、次郎太刀が空気を切り替える様に私の首元に顔を埋めた。

「プリンセス、良い匂〜い、温か〜い」
「次郎太刀、お酒くさ〜い、お酒くさ〜い」

次郎太刀が甘ったるい声で言う様に、それをそのまま真似してみた。平然を装っているが、ちょっとくすぐったいし…一応、美男士である次郎太刀にこういう事をされて緊張もするから心臓はバクバクだ。すると「アンタさ」と突然次郎太刀の声のトーンが僅かに下がった。

「アタシに、こうして後ろから抱き締められて、どうしてそんなに普通なのさ」

次郎太刀の何気ない問いが私の心を真っ直ぐに貫いてきた。しかし、その応えは意外にもあっさりと浮かんだ。

「…だって次郎太刀だし…鶴丸とか陸奥守だったら確実に悲鳴あげて突き倒すよ!」

頭では、そう深く考えずに淡々と口にしたが、自分の発した言葉通りだ。長谷部は…と考えても突き倒すし、燭台切は…と考えても突き倒す、太郎太刀は…と考えると…それはちょっと悩む、いや、しかし確実に短刀と次郎太刀は受け入れるだろう…と某と考えている、というか言葉にしていたらしい、次郎太刀が呆れた表情で私を覗き見た。

「てことはさあ…アンタ、アタシの事、異性として意識してないでしょ」
「い、いやそんな事は無いよ?…けど次郎ちゃんだから、大丈夫かなあって…!」

更にトーンの下がった次郎太刀の声が心にジーンと響いてきた。そして何故か不機嫌そうな、怒っている様な気がして、それを弛緩する様に微苦笑すると、次郎太刀が微かなため息を零し、私の耳元に唇を寄せた。

「アタシも、列記とした男なのよ。」

私は大きく目を見開き、同時に体が震えた。そして、ゆっくりとお腹に回っていた次郎太刀の腕が撫でる様に動きはじめ、上がっていく。そしてその手が辿り着いた先は、心臓がバクバクと脈打つところ。私は恐怖というよりかは驚きで体が動かなかった。

されるがままに次郎太刀の大きくてしなやかな細長い手が私の胸を包み込むが、あまりにも突然の事に私はそんな大きな手に私の胸は足りていますか、と動揺して観点がズレてしまっていた。

「ちょ、ちょっと止めない…?」
「…アンタの匂いを嗅ぐと興奮だってするわ。」
「まって!…耳に…!」
「このまま食べちゃいたいって思うの…」

そういって次郎太刀が吐息交じりの声で私の耳を甘噛みしてきた。耳元から全身が熱くなっていく。次郎太刀の悪戯心に火をつけてしまった様だ…そしてそれは更に加速していき、次郎太刀の手が襟合わせに忍び込もうとした時ー

「次郎太刀…!いい加減に…!」

精一杯に力ない声を上げ、次郎太刀の手をぎゅーっと握りしめた瞬間に、次郎太刀の掛ける圧が消えて、パッと私の体から手を離す次郎太刀。胸元に手を寄せながら勢いよく次郎太刀の方に振り返り、心の底から込み上がる羞恥で酷く揺れる瞳を注ぐと、次郎太刀は信じられない程に白けた表情をしていた。

「あ〜あ、なんか酔いが冷めちゃったわ〜…飲みなおそーっと…アンタ、こんな時間にそんな甘いもの食べるとお肌荒れちゃうわよ。」

いつもの様に陽気な口調で次郎太刀は、その場から立ち去ろうと私に背を向け歩き出した。私はその後ろ姿をただ立ち尽くして見ている事しか出来なかった。すると、あ、と声を出し此方に振り返る次郎太刀、その口元は怪しく弧を描いていた。

「まだもの足りないけど、ごちそうさま。」

漠然と立ち尽くす私にウィンクし次郎太刀は軽い足取りで去っていった。その後、取り残された私は静かに箱にロールケーキを戻し、はあ、と息を零しながら力が抜けたかの様に膝から崩れ落ちた。頭では先ほどの行為が何回もフラッシュバックし、未だに次郎太刀の熱が残る耳を抑えて、暫くそこから動くことが出来なかった。