共に




 皆は、もう寝てしまったのだろうか、昨日、一昨日と変わらない夜の静けさに独り縁側で欠けた月を眺めながら酒を嗜む。何とも虚しく自嘲気味に口元が僅かに緩んだ。しかし、これが人の体を得てからの一番の楽しみなのだ。

「一人酒か。」

特に何を考えるわけでもなく夜闇に浮かぶ月を眺めていたら、月が言葉を発した。しかしそれは夜闇に浮かぶ月ではなく、この地に降り立った月だ。

「おお三日月。」

「付き合え」ともう一つ用意していたお猪口に酒を注ぎ促せば、三日月は一切嫌味な表情を見せることなく、私たちが生まれた時代の人間の様に平和ぼけした顔で静かに私の隣に座った。酒を注いだお猪口を手渡せば、何と風流な男だ。見惚れてしまうほどに夜と月と酒が似合っている。

「じじいのくせに」
「はて、生まれた時代が同じだった様な気が…」
「何だ三日月。私をばばあと言いたいのか?」

遠回しに女の年を吐露しようとする三日月を女狐の鋭い瞳で捉えると「いやいや、そういうつもりは一切なし」と急ぎ口で酒を流す三日月に私は思わず甲高く笑った。三日月は私なんかに構わず月を眺め酒を嗜んでいるではないか。水を差されたような温度差を感じあっさりと真顔に戻ってしまった。

一息つき、手に持つお猪口を口元に寄せ枯渇する喉に流す。そして何とも自然に倒れこむ様に三日月の肩に頭を預けた。一度私の方に視線を落とした気がするが特に嫌がる素振りも無いのでそのまま無情に月を眺める。

三日月宗近。この刀と出会ったのはかれこれ何世紀前か、それほど月日は流れた。まさか人間の形となって再開を果たすとは思わなかったが、やはり人の身となってもこの男は刀の時と何も変わらない美しさが漂っている。

「のう、三日月。」

名を呼ぶと、まるでそれが要因だったかのように昨夜目にした情景が脳裏に浮かんだ。それは、この縁側で普段滅多に顔を出さない主が三日月と共に月を眺めている姿。主が三日月に向けていた顔は心の底から幸福で満たされている様に笑顔で一杯だった。恐らく主は三日月に好意があるのだろうと見てわかった。2人の間に割って入るのも気が引けた私は静かにその場から去っていた。しかしその光景に心がむしゃくしゃとしたのは事実。

「もし今ここで私と主が泣いていたらお前はどちらを自分の胸に抱き寄せる。」

顔を上げ言葉と共に三日月に目を向ければ、珍しく驚いたような表情で瞳の中に浮かぶ三日月を揺らしていた。瞬時に私は自分の発した言葉を訂正したくなった。だからすぐに「すまない、心底くだらない問いをしたな」と笑い交じりに発し、逃げる様にもう一度三日月の肩に頭を預けた。三日月は何も発しないが、恐らく様々な事柄に感づいている。主が自分を好いてる事も、私までもが好いてる事も。しかし心優しい三日月は気づいていないふりをしているのだろう。

しかし私は、主よりも一歩先、三日月に近づきたいという思いがあった。はて、いつからこんなにも人間臭い、意地の悪い心になってしまったのか…しかし、私は確実に主に対して嫉妬心と敵対心を抱いている。主のおかげで私はこうして肉体を得ているが、どこかで負けたくないという思いが込み上がっているのだ。つくづくこの邪念に満ちた心に微苦笑してしまう。

「のう、三日月。私は主に、ある願いをしようと思うんだ。」
「…それはどんな願いか、是非聞きたいな。」
「うん…」

言葉が出てこなかった。頭ではしっかりと言葉に出来ているのに喉に詰まる。きっと主がこの言葉を聞いたら、私に向ける好奇に満ちた瞳を大きく見開き愁い表情を浮かべるだろう。もしかしたらそれが言葉が喉に詰まる原因なのかもしれない。ふと言葉に詰まる私を三日月が少々不安げに覗き込んできた。フッと僅かに笑んで見せる。

「こう言葉を躊躇うのは何とも初々しいだろう?」

「ばばあのくせに」と自虐気味に後付けすると三日月はそれを否定する様に心底優しく顔を緩め首を左右に振った。その三日月の表情に私の胸が酷くきつく締め付けられた。しかしそのおかげか、喉に突っかかる言葉が出てきた。

「この戦いが終われば私たちは刀に戻されるだろう?」

しっかりと三日月の顔を見て、そう問えば静かに瞳を閉じ僅かに頷く。私は、視線を落とし三日月の大きく、それでいて温かいだろう、手を見つめそこに自分の手を重ねて柔く握りしめた。夜と月のせいか、はたまた三日月のせいなのか…何とも侘しい気持ちが込み上がり、ばれない様にか、無理に笑みを浮かべて顔を歪ませた。

「私は今、物凄く幸せだ。こうして美味い酒も飲める。言葉を使って対話が出来る。」

私の瞳はじっと三日月の手に重ねる私の手に注がれていた。三日月が今どのような表情をしているのか、それはわからない。しかし予想する限り、天から皆を見守るような温かい表情で私を包み込んでいるのだろう。私は深く息を吐いた。

「だが刀に戻れば全てが無くなるのだ…独りになる。」

暗く冷たい閉ざされた空間。想像するだけで退屈である。今が幸せな分、より一層残酷に感じた。

「私はお前が隣に居れば良い。酒などいらん。三日月だけで良い。」

涙を流すつもりなど無かったがどうしようもないな、自然と零れてくる。私はきっと独りになるのを恐れているのだ。孤独というものがどれほど苦しい事か…光のもない、暗闇で…そんな愁いに浸っていると、まるでそんな私を救済する様な温もりに包まれた。三日月だ、三日月が私を抱き寄せたのだ。まるで緻密に織られた衣で包まれるような温もり。この温もりはきっと三日月以外の者には成すことが出来ないだろう。

「のう、三日月。」

愛おしむ様に名を呼び、三日月の胸に埋めた顔を上げ、潤みを帯びた瞳を三日月の瞳へと注ぐ。改めて感じた、やはり自分は三日月を好いてる。同じく三日月を好いている主に申し訳ないと感じた、二つの三日月を思う心に気づかないふりをしている三日月にも申し訳ないと思った。しかし私は随分と欲深い人間になったものだ。フッと自嘲気味に苦笑し、こんな私を許してくれと三日月の瞳を見つめた。

「この戦いが終わったら私と共に、眠らんか。」

自分の欲に塗れた言葉に、情けない、と言う様な表情で口元を緩める。三日月は、ほんの一瞬驚いた様な表情で目を大きく見開いた。しかし、すぐに瞳の中の三日月を細め、静かに、本当に時が止まったのではないかと疑うぐらいにゆっくりと、瞳を閉じ頷いた。