特別な感情


見惚れてしまうほど黒い艶やかな地に向かって伸びる髪を一束すくい上げ、丁寧に櫛でとかしていく。

「兼定の髪は、本当に綺麗ですね。」
「そうか?...あんまり良くわからねぇけど…」

また一束すくい上げ、その艶を確かめる様に手の平を下に滑らせると、はらりとすり抜けていき、それを惜しむ様に見つめ口元に笑みを浮かべる。この髪の持ち主である和泉守兼定は少し頭をこちらに向け、未だに髪を褒められる事に慣れていない為か、どのように返したら良いのかわからない様子で、曖昧な笑みを浮かべた。

時々、こうやって私は彼の髪を一束、一束抜け目なく櫛でとかし、結う。そういえばいつからこうやって彼の髪を自然と触るようになったのだろうか。私は、引き込まれてしまいそうな程黒い艶のある髪を見つめ、ふと心を巡らせた。

ー ー ー ー

確か本丸内を巡回していた時だ。何人もの刀剣を束ねるこの本丸の審神者として、皆の過ごし方など様子を窺う事は大切だと思いゆったりと歩いていた。

そしてその時、立ち寄った稽古場で、木刀を振い稽古に励む刀剣がいた。それが、兼定だったのだ。ひょこっと入り口でその姿を眺めていた私は、木刀を振うのと共に揺れる長い髪が美しいと思った反面、少し鬱陶しいのではないかと思った。

すると木刀を振うのを止め、じーっと見つめていた私の気配に気付いたのかこちらを向き、ハッと一瞬驚いた様な表情を浮かべた兼定。私は、少し恥ずかし気に兼定の元に近づいた。

「ばれちゃった、お疲れ様。稽古熱心で関心、関心」
「主、いつからいたんですかっ」

少し照れた様子で私を見つめる瞳。

「兼定、ちょっと良い?」
「えっ、あ、おう…」

兼定の少し戸惑った様な返事を確認してから、正面から腕を回し少し距離が縮まる。その縮まった距離に兼定は落ち着きなく目を泳がせるがそんな兼定の気持ちなど気にもせず、髪を右肩に寄せ集め、赤い紐で束ねた。

「はいっ、これでちょっと動きやすくなったでしょ?」

そう言って満足気に笑みを浮かべれば、きょとんとした顔で束ねられた髪を見つめ、兼定は顔を私に向け、ありがとうと口にした。その時、白い歯を見せ、はにかんだような笑顔に心奪われ、瞳を逸らす事が出来なかったのを今でもしっかり鮮明に覚えている。

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おそらくその時に彼に対して他の人とは違う感情を抱き幸福な気持ちが芽生えた、しかしそれと同時にもう一つ悲痛な気持ちも芽生えた。特別視など、してはいけない。

「おい、どうかしたか、主」

私は兼定の大きな背に手をつき、額を預け、声を押し殺す様に震えた。兼定は少し動揺した様子で私の方に振り向こうとする。

「こちらを向かないで…そのまま…」

このまま見られてしまったら私の心はもう耐えらない。そう思って震える唇を動かし告げると、兼定は私の言葉通り正面を向いたまま黙っていた。瞬時に私は立ち上がり、いち早くこの空間から消えてしまおうと逃げる様に縁側の方へ向かおうとした。しかし一歩、二歩、進めた所で足を進める事が出来なくなった。

「待ってくれ主!なんで…泣いてるんだよ。」

なぜなら兼定が私の腕を掴みそれを阻止したからだ。そして、自分でも気付かないうちに下瞼で止めていた涙がぽろぽろと瞳から零れてしまっていた。不安げな表情で私を見つめる彼の瞳が更に涙の分泌を促進させる。

私の背丈より遥かに高いが視線を合わせる様に立ち上がる兼定。腕はまだしっかりと握られている。私は俯いたまま零れる涙を拭い、息詰まりながらも打ち明けた。

「私は、最低な審神者です。」

一度ハッと瞳を見開く兼定。

「…いや、主はいつも俺達の為に十分にやってくれている」

兼定の言葉に私は強く目を瞑り、深く左右に首を振る。

「そういう事ではありません…皆さん、一人、一人、平等に接しなければならないのに、心のどこかで貴方だけは…格別で」

一度、瞳を閉じ上睫毛に水分が沁みるのを感じ深く呼吸をして、ぼやけた視界で兼定の瞳を見る。

「特別視してしまっているのです。」

掴まれていた腕が離されするりと落ちる。手で顔を覆い俯くと、ふわりと温もりに包まれた。兼定が、そっと私の背に腕を回して自身の胸に私を引き寄せたのだ。

兼定が今、どの様な表情をしているのか、何を思っているのかは、わからない。
でもどうか神様。
見ていらっしゃるのなら、
今だけは私が彼に寄せる思いをお許しください。