嫉妬


ここでの生活は、快適だ。高層ビルも無く、空が良く見える。狭い道を車ばかりが走る事もない。そして何よりも息苦しくなる様な人混みも無い。

夜は刀剣達をもてなす仕事をしている。だから、昼に仕事は無くこうして政府によって生み出された町、まるで時代劇に出てくる様な城下町をふらりと散歩している。

夜の雰囲気とは異なった町並みを歩行を続けながら眺めていると、ふと遠くの方で見覚えのある姿が目に入った。

店の暖簾を頭を下げくぐり抜けて出てきたのは、彼の普段着ではあるのだろう、しかしこの場に似つかわしく無い様な高貴な衣装に身を包んだ三日月宗近だった。昼間にその姿を目にしたのは初めてで、胸がドキッと脈打つ。しかしやはり夜に見るのとは違った美しさが醸し出されていた。

声をかけるかかけないかおどおどとしていると、三日月に続いて一人の女性が出てきたのだ。彼女に暖簾が掛からないように腕を伸ばし暖簾を支える三日月宗近の姿。そして、その三日月宗近に微笑む女性。二人が仲睦じい間柄である事が良く伝わってくる。

その姿を見ているのが何故か息苦しくなり私は背を向けて足早に去って行った。心の中で何かが崩れていく様な感覚に襲われた。

ー ー ー ー

そして日が沈み月が現れ、町が赤い灯りを灯す頃合いに、派手な色合いの着物を身につけ、しっかりと化粧も施す。しかし何故だろうか、鏡に映った自分の姿は着物に着せられている様だった。化粧も映えていない。鏡に映る自分に呆れる様に大きな溜息をつく。

「名前さん、三日月宗近様がいらっしゃいましたよ。ご準備を。」

襖の外から声が響いた。耳にしっかりと聞こえた三日月宗近と言う名。その名を聞いた瞬間胸が痛くなった。鏡に映る自分の顔が更に曇る。

「どうして…」

静かな部屋にポツリと零す。昼間に見た仲睦まじそうに笑いかけていた女性は一体何だったのか。その疑問が心につっかえていた。

胸を押さえ俯いていると、パタンっと襖が開かれる音が響いた。肩をビクッとさせ振り向けば、開かれた襖に穏やかな表情を浮かべた三日月宗近が立っていた。

「おっと、まだ、準備中か」

鏡の前に立つ私に目を向けゆったりと言葉を零す三日月宗近。その優しい声色に更に胸が苦しくなる。

「い、いえ…お待ちしておりました…三日月宗近様…」

直視する事が出来ず目を伏せ口にする。しかしそれでは変に気を使わせてしまうと思い、三日月宗近に目を向け笑む。口元が微かに引きつっている様な気がしたが今はそれが精一杯だ。

すると三日月宗近は背中越しに襖を閉め黙って私の目の前にやって来た。瞳は交じり合ったまま。しかし、昼間の女性に笑いかける三日月宗近の姿が頭をよぎり思わず顔を下げ、唇を噛み締める。

「名前。」

名を呼ばれ、嫌々顔を上げれば切なげな表情で私を見つめる三日月宗近の瞳が目にとまる。ハッと微かに瞳が揺れる。そして、三日月宗近の手が私の頬を包み唇を塞がれた。突然だった為、瞳は開いたまま長い睫毛を持つ三日月宗近の閉じた瞳を見つめる。

いつもの様に甘くとろけてしまいそうなキスなのだが、何故か変に力が入ってしまい私の口内に入り込もうとする三日月宗近の濡れた舌を拒絶してしまっている。なぜ拒絶してしまっているのか、自分でもよく分からず、泣きたくなる気持ちで震える手で三日月宗近の胸を押した。

すると、離される唇。私はやってしまったという気持ちと共に何処か悔しくて眉を潜め顔を伏せる。三日月宗近の胸に寄せた手を爪が皮膚に食い込んでしまうくらいに握った。

「名前…」

いつもと変わらない優しい三日月宗近の私の名を呼ぶ声に視界がボヤける。

「ごめんなさい…違うの…あの…私…」

言葉が見つからない。ただ声が物凄く震えているのはよくわかる。距離を取る様に一歩下がり、三日月宗近の胸に寄せた手を離そうとしたら強く握られ引き寄せられた。

思わず顔を上げると、三日月の瞳が揺らぎ、私を見つめている。それを目にしたら遂に溜まっていた涙が溢れ出した。胸が締め付けられる様に苦しい。慌てて、背を向けた。

「ごめんなさい…私今日何だか、変みたい。本当に…ごめんなさい。」


無理矢理に明るい口調で振る舞い、着物の袖で化粧が崩れない様に軽く涙を拭く。

すると、背に温もりを感じた。三日月宗近が後ろから私を包み込んでいる。

「何故、泣いているのだ」

耳元に感じる三日月宗近の微かに震える声。その声が妙に心に響く。私は一度深呼吸をして、息を飲む。

「私、見てしまったのです。…昼間に、三日月様が、女性の方と仲睦まじそうに笑んでいる姿を…」

泣いたせいか、言葉が詰まるがしっかりと口にする。すると、三日月宗近が微かに私の言葉にハッとした動作をした気がした。

そして私を包む三日月宗近の腕を取り、体を向け瞳を見つめる。

「…その二人の姿に嫉妬してしまったのです。…私以外にも、その様な関係の女性がいる事に…」

涙が次々と滝の様に溢れ出す。名を呼ぶ優しい声も、甘くとろける様なキスも、時に強く掴む腕も、全て私以外の子にもしているのが悔しい、と全てを伝えた。

もうこれで、この人との関係は終わってしまう。そう思った。

「名前、これから俺が言うことをよく聞いてくれ」

涙でぐしゃぐしゃであろう私の顔を包み込み、慈しむ様な表情で見つめる三日月宗近。私はコクリと頷く。

「恐らく、名前が昼に見た女性とは、主の事だろう」
「…え…」

三日月宗近から発せられた言葉に唖然とする。

「そうだな。…こう言えば分かるか、審神者だ」
「…それって…」

潤いを増していた瞳が乾く程にハッと目を見開いた。ここに勤める原則として審神者と刀剣の関係については知っていた。次第に心につっかえていた疑問が晴れていくのを感じる。

「つまり、名前が思っている様な関係では無い、と言う事だ」

私の耳元に唇を寄せ囁く三日月宗近。私は未だ放心状態である。そんな私を面白そうに笑みを浮かべ見つめている。

「じゃあ…つまり…」
「ああ、名前の言っていた、名を呼ぶ優しい声も、甘くとろける様なキスも、時に強く掴む腕も、全て名前だけにしている事だ」

私の発した言葉を全て復唱した三日月宗近。自分自身で発した言葉なのだが、羞恥を感じ顔が熱くなっていくのがよくわかる。

顔を下げると、そっと手を握られた。優しくて温かい手。そして、その手に導かれる様に畳に敷かれた布団の上に座る。私の目の前には微かな笑みを浮かべる三日月宗近。そして、しっかりと交じり合う視線。お互いが求めていたかの様に、唇が触れた。