荒れ地を探して


 私の家は、街はずれの森の中にあります。朝はとても眩しい光が差し込み、夜はフクロウの鳴き声が心に安らぎを与えます。春は色とりどりの花が咲き、夏は涼しく快適で、秋は赤黄橙色に包まれ温かい気持ちになり、冬は暖炉の前でココアを飲みながら一面真っ白な雪景色を眺める事が出来ます。

 帰宅してから、まるで糸がほどけてしまった様に涙がだらだらと零れ落ちました。それもそうです。城では決して涙を流さないようにと堪えていたのですから。恐らく私は、これまで手にしてきた幸福を全てごっそりくり抜かれてしまう、とそれを恐れてしまい、こうして涙が止まらないのだと思います。
 こうして滝の様に止まらない涙が溢れたのは、あの時以来でした。まだ、あの時の事を語れるほどに気持ちに余裕がありません。いずれお話ししましょう。

 泣き始めてから、もう随分と時間が経ったのでしょう。帰宅した際は夕暮れ時だったのに、すっかり外は夜の暗闇に包み込まれていました。一向に涙が収まる気配はありません。しかし、それでいいのです。二人目の魔法使いが教えてくれました。
 どうしたら、涙は止まるの――?そう問いかけた時、二人目の魔法使いは私の涙を拭い、云いました。「沢山泣けば良い。無理に止める必要など無いのだ。思う存分泣きなさい。すると知らずうちに心の雨は止んでいる。」そう云って二人目の魔法使いは、ずっと私の傍にいてくれました。






 翌日、太陽のまばゆい光で目覚めた朝、私は王子様捜索を決心しました。このまま逃げてしまうのも良い、と考えましたがこのお気に入りの住み家を手放すのは嫌でした。また戦争もしたくありません。昨日、私に話しかけてくれたあの少女にはこれからもキャンディーを片手に暮らしていて欲しいのです。砕けたキャンディーと少女の悲しい顔など見たくありません。
 消えた王子の行方が隣国の荒れ地と判明してる以上、行くしかありません。私はこれまで手にしてきた幸福を全てごっそりくり抜かれてしまう、という様な恐ろしい想像が現実にならない様に、自信を胸いっぱいに抱いて家を出ました。



 当たり前の事ですが荒れ地というのは広大です。景色が一切変わらないというわけではないのですが、とても退屈なものです。ただただ道なりに沿って歩くのも何ですから、ここで二人目の魔法使いのお話しでもしましょう。
 二人目の魔法使いとは一人目の魔法使いと出会った後、すぐに出会いました。一人目の魔法使いに云われた通り、私が魔女になろうと決心してすぐでしたから本当にびっくりしました。更に驚くことに二人目の魔法使いはヒトではなく黒猫だったのです。二人目の魔法使いは云いました。「私の命は残り10年。君に覚悟があるのなら私は全てを君に託そう」当初は好奇心に溢れた幼き少女でしたからお師匠様の言葉にどれほどの重みがあったのか考えもせず、私は何の迷いもなく、大きく頷いたのです。こうして私の魔法使いになる為の修業が始まりました。

 こうして語っている間に何やら遠くの方で建物の様なモノが見えて参りました。このまま道なりに沿って歩いて行けば辿り着くことが出来るでしょう。
 
 近づくに連れて先程まで小さく見えていた建物が随分と大きな建物だと気が付きました。そして、その建物の前に到着した際、私は思わず首を傾げ訝しげな表情で目の前にある建物を見渡しました。

「何このヘンテコな家…?」

 驚きが隠せません。やはり世界というものは不思議です。なんて表せば良いのか。恐らく家である事は分かりました。いくつもの煙突から煙が出ているのですから。加えてバルコニーから綱を引き、洗濯物を干しているのです。

「おや、珍しいね」

 突っ伏す私に話しかけて下さったのは、美しい音色を奏でるハープの弦の様な銀髪の良く似合う素敵なおばさまでした。しかしながら不思議な事に彼女の心はティーンエイジャー。見た目と中身が一致していない様に見えるのです。こういう時は思考の転換です。素敵な恋をしているおばさまなのだな、と考えてみる事に致しました。

「こんにちは、素敵なおばさま。私、隣国に住まう魔女、名無しと申します」
「私はソフィー、こんな所で立ち話も何だ、お入り」

 ソフィー様は、とても懇意的でした。私は思わずその言葉に甘えてしまいそうになりました。随分と長い道のりを歩いたわけですから、身体を休めたいという欲が胸いっぱいに溢れてしまったのです。しかし、私には重大な任務があるのです。ここで休息など取っている暇はないのです。

「遠慮しなくて良いんだよ、美味しい紅茶と甘いクッキーがあるんだ」
「お邪魔致します」

 ソフィー様は、まるで悪い魔女の様です。迷いの断ち切れない私に甘い誘惑の言葉をかけてきました。「魔女でも甘いモノには目がないんだね」ソフィー様は口を大きく開け笑いながら云いました。

 ヘンテコな家の入口に向かう途中、ふと私は、いつの間にやらソフィー様の傍らにいるカカシに目を向けました。

「ソフィー様…?こちらのカカシは…?」
「ああ、カブさ、あたしが名付けたんだよ、優秀なカカシさ」
「なるほど…」

 私は、そのカカシに何やら不思議なモノを感じました。そしてすぐに「あ!」と声を上げてしまいました。とんでもない事が今、私の目の前で起きている様です。
 ソフィー様が「どうしたんだい」と心配する様な声を掛けてくれました。私は動揺する気持ちを隠す様に、何でもない、と言いたげに首を左右に大きく振りました。
 


  ひとまず私は気持ちを落ち着かせ、ソフィー様の後に続き、ヘンテコな家にお邪魔致しました。見た目に反して中は、町にひっそりと佇む可愛らしいカフェの様な素敵な空間でした。

「こちらは、ソフィー様のご自宅なのですか?」
「ハウル、魔法使いの住み家さ」
「ハウル様…?」

 ソフィー様の口から出た"ハウル"という名に僅かに胸の辺りがキュッとなったのは気のせいでしょうか。頭の中の記憶の書物の中でも飛び切り古い一冊、その中の一行に示されていた様な、そんな曖昧な感覚です。

「今は部屋に閉じこもっているんだよ」
 思い出せない記憶に苛立ちながらも考えていると、ソフィー様は私を手招きし、新鮮な木の香りがしてきそうなウッドチェアに座るよう、促してくれました。

「ところで名無しさんはなぜこんな荒れ地に」

 ソフィー様は、カップに紅茶を注ぎながら何気ない質問をしました。私は、夢中になって甘い香りが漂う焼きたてのクッキーを頬張っていたものですから、本来の目的をすっかり忘れていました。

「失踪した王子様を探しているのです」

 ほろほろしたクッキーを砕き、飲み終えたと同時に答えると、咳き込んでしまいました。嚥下後すぐに言葉を発するのは良くないですね。「大丈夫かい」ソフィー様は優しく私の背を叩いてくれました。私は更に言葉を続けます。

「ソフィー様聞いてください。恐らく、あのカカシ様が王子様なのです」

 ソフィー様の私の背をさする手が止まりました。ソフィー様は、まるで先程このヘンテコな家を目にした時の私と同じ様な表情をしていました。それもそうです。私自身も、とても衝撃を受けたのですから。

「魔力を用いて心を探る事が出来るのですが、そのカカシ様に王子様の心を感じました」

 ソフィー様は、真摯な眼差しで私の言葉を聞いてくれました。

「私の勝手な推測になるのですが王子様は恐らく、とても厄介な呪いでカカシにされてしまったのでは無いかと…」
「ソフィー」

 口を閉ざし、一瞬の沈黙が訪れたのと同時にふと背後からソフィー様の名を呼ぶ声が聞こえました。私はまたもや、どこか懐かしい感覚に胸が締め付けられました。

「お客さん?」

 私は、この胸が締め付けられるような感覚の正体が知りたいと、そう思い立ち上がり、振り返りました。

「私、隣国から参りました、魔女――」
「君は――」

 目の前の人物を目にした瞬間、私は言葉が詰まりました。声が出なかったのです。今までにない、とんでもない衝撃が私を襲いました。
 そして目の前の人物――魔法使いハウルも、私と同じ様に言葉を失っていました。ハウルの瞳が酷く揺れています。更に彼の表情は見る見るうちに歪んでいきました。

「ソフィー、そのヒトを早く外に出して、僕の城に入れないで」

 ハウルはソフィー様に、そう訴えかけました。ソフィー様が「なんて事を言うんだい」と呆れた様子で叱責したものの「いいから!僕は部屋に戻る」ハウルは階段を駆け上がり、颯爽とその場から立ち去りました。

「ごめんなさいね、あのヒト、変なのよ」

 突っ伏したままの私にソフィー様は気を遣う様に優しく声をかけてくれました。私は、ゆっくりと噛み締める様に首を左右に振りました。

「いいえ…ソフィー様…あの方は変ではありません」

 先程、ハウルは辛辣な口調で言いました。しかし、彼は何かに怯えている様な気がしたのです。

「きらきらとした金髪…アクアマリンの様な煌びやかな瞳…とても…とても…」

 なぜ、彼が私を恐れているのか、理由は分かりません。鍵となる想像力を用いても見つける事が出来ません。ただ――
 
「名無しさん、あんた泣いてるのかい…?」

ソフィー様の問いかけに私はコクリと頷きました。そして震える唇を動かしました。

「美しい魔法使いです」

 私は"感動""感激"という様な言葉では表せない、この上ない心の動揺を感じました。夢で見た、ずっと求めていた、あの一人目の魔法使いと再会を果たしたのです。