赤より青


「貴方は、この前の…!」

夕暮れ時の少し前ーー。突然、研究所の玄関の方から誰かの「御免下さい」という声が響いた。一日の業務を終えるピーク時だった為、皆が手を離せない状況で唯一、中庭でポケモン達と戯れていたプリンセスが「私が行きますよ」と率先して玄関へ向かうと、そこには以前、プリンセスが見かけた事のある人物が立っていた。

「どうしたんだいプリンセス…ああ、フラリダさん!」

後から続いて急いだ様子で駆けつけたプラターヌは、驚いた素振りでプリンセスの前に立つ男、フラリダの名を呼んだ。プラターヌの登場に、仏頂面の口元を歪め「どうも」と礼儀正しく頭を下げるフラリダ。

ふとプラターヌは隣にいるプリンセスに目を向けた。プリンセスは、何やら感激している様子で目の前にいるフラリダを目視していた。そして先ほどのプリンセスの言葉を思い出しピンと来た。

「プリンセス、フラリダさんとは顔見知りなのかい?」
「はい!…フォッコがいなくなってしまった時に助けて頂きました!…あの時はありがとうございます…!」

プラターヌの問いにプリンセスは大きく返事をし、フラリダとの出会いを語り、感謝の言葉と共にフラリダへと頭を下げた。プラターヌは納得した様に顔を綻ばせ、僕からも感謝をしなければ…、と頭を下に傾けた。

 そしてプラターヌは首を傾げ不思議そうにフラリダへと問いかけた。

「…ところで今日は、なぜ研究所に…?」

フラリダは「ああ…」と言葉を零し、一度瞳を閉じてから開き、その熱い瞳をプリンセスに向けた。プリンセスに緊張が走った。なぜならその瞳はワタルの瞳と酷似していたからーー。

「プリンセスさん…でしたか…貴女に会いに来ました…あの日貴女に出会って、ポケモンに対して直向きな姿に感銘した。…もう一度お会いしたいと思って研究所で博士の手伝いをしているという事を小耳に挟んで…会いに来てしまった。」

フラリダの予想だにしなかった言葉にプリンセスは目を丸くした。プラターヌも呆気にとられた様な表情だ。そしてフラリダは「これを…」とプリンセスにオレンジと赤のまるで自分自身を思わせる様な花束を手渡した。プリンセスは思わず「わあ…」と感激の声が零れる。

そしてフラリダは、丁寧に頭を下げ「では、また」と言葉を残し、去っていった。

「すごい…この花束、フラリダさんそのもの…」

フラリダが去った後、プリンセスは顔を綻ばせ「ですよね?」と首を傾げ隣にいるプラターヌに顔を向けると、プラターヌは少し困った様に眉を下げ頭をかきながら「そうだね」と言葉を返した。

花束に顔を寄せ「良い匂い、どこに飾ろう…」と顔を綻ばせるプリンセスにプラターヌは何気なく問いかけた。

「プリンセスは、フラリダさんの様に熱い心持ちの男性が好みかな?」

思わず「え…」と声にならない様な吐息が零れる。そしてプリンセスは即座に様々な事を頭の中で巡らせた。一番に浮かんだのはワタルだった。確かに彼は、ポケモンやバトルに対して自分なりの熱い気持ちを持っている。自分がポケモントレーナーになったきっかけもジョウト地方一番のトレーナーであったワタルの影響であったかもしれない。ただ、好きというよりは、あの背中を追っていて、憧れの気持ちの方が強かったかもしれない…と。

 でもーー。
もし、カロス地方出身で、ポケモントレーナーではなく、ポケモン博士を目指していたなら…プラターヌに対しては憧れの気持ちだけで済んでいただろうか…。

 しばらく言葉を返さないプリンセスにプラターヌは良からぬことを聞いてしまったか、と焦る様に「変な質問をしてしまったね」と申し訳なさそうに眉を下げ笑んだ。そして玄関から立ち去ろうとする。即座にプリンセスは、そんなプラターヌの腕を掴んだ。プラターヌは足を止め、プリンセスへと振り返る。プリンセスは恥ずかし気に目線を上げてプラターヌの驚いた様に揺れる瞳を見つめた。心臓がばくばくと響く音は一体どちらなのか。プリンセスは自分だ、と思い聞かれてしまわない様に、かき消す様に口を開いた。

「私は、謙虚で…ポケモン研究に直向きで…さり気ない優しさで…赤…というよりは青…で…そんなプラターヌ博士の様な人が好みです…!」

思わず言ってしまった、とそれを聞いたプラターヌが目を丸くして自分を見ている事に「あ、えっと…」と目線をあちらこちらに浮かせ誤魔化す様に呟く。するとプラターヌは自身の腕を力なく握るプリンセスの手を包み込み「とても嬉しいよ」と顔を綻ばせた。

プラターヌの返事に、プリンセスは赤らめた顔を、潤いの増した揺れる瞳を向ける。するとプラターヌは「うーん…そうだなあ…」と何か考える様に呟いた。一体何を口にするのだ、と更に心臓の鼓動が速度を増す。そしてプラターヌは少し照れかしげに顔を綻ばせた。

「プリンセス。今夜空いているよね?…ミアレタワーに行かないかい?」

初めてのプラターヌからの誘い。プリンセスは、心の底から湧き上がる不思議な気持ちに瞳を揺らめかせ、考える暇もなく即座に「はい…是非!」と声を上げた。そしてプラターヌも「良かった…」と言葉を零し、お互い顔を合わせ笑みを浮かべた。


****



「何だかプリンセスさん、ご機嫌ですね。それにそのお花…もしかして関係してますか?」

橙色に空が染まり始めた頃、ソフィーは窓辺で花瓶に花をたてながら、何だか嬉しそうなプリンセスに問いかけた。するとプリンセスは溢れんばかりの笑みを零した。

「このお花は先程フラリダさんから頂いたんです!…後、ご機嫌って言われる原因は…今夜、ミアレタワーに行かないかって博士からお誘い頂いたからですかね…」
「なるほど…ふむふむ…そういう事ですか…!それは中々、その花といい、博士のデートのお誘いといい、密に関係していますね!」

プリンセスが応えると、離れた所で仕事をしていたはずのコゼットがソフィーとプリンセスのもとへ寄ってきた。コゼットの「博士からのデートのお誘い」という言葉にプリンセスは大きく首を左右に振った。

「デートのお誘いではないですよ!ただのタワーに行くだけですし…」
「ただのタワーって!プリンセスさん!ミアレに来てその言葉はあり得ないですよ!」

何気なく「デート」という言葉を否定する様に発した言葉に冷静沈着なソフィーが言葉を荒げ思わず「ええ」とどよめきの声を上げた。

「本当に知らないんですか!…ミアレタワーには、ほんっとにVIPしか入る事の出来ないレストランがあるんですよ!…博士は、そこに入る事の出来る人!つまりプリンセスさんはそんなミアレ、いや、カロス一のレストランに行くのに誘われたって事ですよ!」

付け加える様にコゼットが声をあげると、その内容に「ええ!」と更にどよめきの声を上げた。プリンセスにとってミアレタワーはジョウト地方でいうとアサギシティのアサギの灯台の様にその場のただのシンボルだと思っていた。

 そしてソフィーは研究所内にある時計に目を向け「まだ時間はある」とコゼットとお互い顔を見合わせ以心伝心したかの様に頷いた。

「博士!!!今日は早上がりさせていただきます!」
「さあプリンセスさん!行きましょう!」

中庭で息抜きにコーヒーを飲みながらほのぼのとしているプラターヌに声を掛けるソフィーとコゼット。プラターヌは状況を読み込めていない様子で目を丸めている。

「どこへ」と問う暇もなくプリンセスはソフィーに手を引かれ、コゼットに背を押され、流されるがままに研究所内からミアレの街に押され、そのまま路地に留まるタクシーに押入れられた。そしてあても分からず、タクシーが走り始めた。

「あの…どこに…?」
「ミアレ一の高級ブティックです!」
「ドレスコードがありますから!」

控えめに問いかけたプリンセスに、バッと勢いよく顔を向け、テンポ良くソフィーとコゼットが応えると、プリンセスはその勢いに圧迫された様に「ああ…」と消え入りそうな言葉を零し微苦笑した。



 そして黒を基調とした如何にも高級感の漂う建物の前に到着すると、その外装に感激して見つめる暇もなく、店内へと押し込まれた。

「いらっしゃいませ。…研究所の皆さま…いつもプラターヌ様にはご利用頂いております…今日はどの様な衣装をお探しで…」
「ドレスをお願いします。この方が博士からミアレタワーレストランへのお誘いを受けたので。」
「まあ…プラターヌ様からお誘い頂けるなんて…羨ましい限りです。」

「ではこちらへ」と案内された試着室。ソフィーとコゼットに半ば無理やりに押し入れられ、店員はプリンセスに似合うであろうと厳選したドレスを渡した。「ごゆっくり」と試着室のドアを閉められ、プリンセスはようやく落ち着いた状態になり一つ息を吐く。

そして渋々、「本当に着るの…」と自問し苦笑いを浮かべ、ドレスを試着し始めた。ドレスを着るのはいつ振りか、たしかホウエン地方とシンオウ地方に旅に出た時以来だった。ジム戦に挑む傍ら、コンテストにも幾つか参加して、それなりの所まで上り詰めたものだ…と、でもその様な栄光も数年前のもので、あれ以来ドレスを着る機会などないと思っていた。

着終えて、目の前の全身鏡に目を向ける。思わず息をのんだ。何て素敵なドレスなんだ、と。自分自身で思うのもあれだが随分と自分は大人になったらしい、ドレスに着せられていた少女の面影が、もうない…そう思った。

「とても似合ってるわ!」

照れかしげに視線を下げ試着室のドアを開けると、一瞬にしてソフィー達がプリンセスに目を向け、瞳を輝かせ声を上げた。思わず、顔が綻ぶプリンセス。するとドレスを選んだ店員が「あの…」と控えめに声を上げた。

「私、生まれがホウエン地方なんです…プリンセスさんがポケモンマスターでもあって、トップコーディネーターとしても活躍していた時を知っていて…その時以上の輝きを感じます。」
「プリンセスさん…貴女一体…何者なの」

プリンセスは、まさか別の地方でコンテストに参加していた自分を知っている人がいたなんて…と店員の言葉に目を丸くしていると、コゼットはプリンセスがポケモンマスターである事は知っていたが、まさかトップコーディネーターの肩書まであったなんて、と訝しげにプリンセスを見つめた。思わず、苦笑いを浮かべる。

「博士には連絡しておいたから」と声を上げるソフィー。そしてソフィーとコゼットは博士名義でドレスとそれに合うヒールパンプス、クラッチバックを購入し、店員の見送りを受け、すっかり夜の輝きに満ちた街に溶け込みタクシーを呼び止めた。

「ソフィーさん、コゼットさん、ありがとうございます!」

すっかり身なりを整え、ポケモンマスターの面影がないプリンセス。ここまでしてくれたソフィーとコゼットに感謝しきれない程に深く頭を下げた。

「一つだけ!…博士は奥手だから、ぐいぐいいっちゃって下さい!」

プリンセスが頭を上げると、コゼットが悪だくみをする時の怪しげな笑みを浮かべ、言葉に共感する様にソフィーは頷いた。「わかりました!」と少々苦笑いを浮かべ、プリンセスはタクシーに乗り、ソフィー達に見送られながら夜のミアレの中心で輝きを増すミアレタワーへと向かった。