少女の瞳に


「ワタル…!」

 扉を開けるなり、ここに来るよう指令した人物を探し、プリンセスはズカズカと部屋に入っていった。ヒールが柔らかなじゅうたんに沈んで歩きにくい。
 先ほどワタルから、ミアレシティのホテルにいる、ワケを訊きたいなら来い、と言われ、そのまま電話を切られたプリンセスは、プラターヌに事情を説明し、やって来た。もう遅いし明日で良いんじゃないかな、と心配そうにいうプラターヌにプリンセスは、今じゃなきゃ駄目なんです、と感情的に行動に移してしまった。

「わざわざ、おめかしして来てくれたのか」

 やはり明日会えば良かった、と思った時ーー背後から聞こえてきた声に、プリンセスは、ハッと振り返る。そこには、どうやら風呂に入っていたらしく、バスローブ姿に、髪はオールバックに上げられた、ここに呼び出した人物ーーワタルが冗談気に口元を緩め立っていた。

「違うわ…それより茶化さないで…」

 プリンセスは、怪訝そうに眉をひそめ彼を見た。

「私を連れて帰るって何なの」
「そのままだ…ジョウトにお前を連れて帰る」

 ワタルは表情を一変させて、プリンセスの横を通り過ぎ、ベッドに腰を下ろす。そして力強い瞳でプリンセスを見上げた。思わず身が縮こまりそうになるプリンセスだが、確かに気を保ち、大きく深呼吸をして同じように力強い瞳で彼を見据えた。

「だから…!どうしーー」

 突然、ぐいっとワタルがプリンセスの腕を引いた。きゃっとプリンセスは短い悲鳴を上げて、いとも簡単に流され、気づいた時にはベッドの上で押し倒されていた。

「ワタル…どういうつもり…?」

 自分の上にまたがる男を蔑視する様に一瞥した。身をよじらせようにもどうにもならず、両腕は掴まれ、目で訴える事しか出来ない状態だ。すると、ワタルは、ふっと口元を緩めた。

「プリンセス…君は本当に、あの時の…少女のままだな」

 ワタルはプリンセスの首筋に顔を埋め、緊張で縮こまるその首元に口づけた。

「やめて…」

 顔を背け抵抗を示すが、意味がない様だった。

「大人の女性だったら、こうして夜分に、のこのこと男の部屋に来ないだろ」

 ワタルは、まるで鼻で笑う様に口元を緩め、瞳を潤ませながらも睨みつけるプリンセスを見据えた。

「だって…貴方が呼んだから…私は…!」

 プリンセスが声を上げた時ーープリンセスの唇にワタルの唇が重なった。んん、と抵抗を示す声を上げるが微動だにしない。触れるだけの口づけは、次第に深いものとなっていき、プリンセスの口をこじ開け、舌が口内に侵入し、彼女の逃げる舌に絡みついた。
 そして、唇が離れた時、プリンセスは、彼の厚い胸を震える手で押した。

「ワタル…お願い止めて…」

 プリンセスの声は震えていた。ワタルはそんな彼女の力を込めれば折れてしまうのではないかってぐらいの腕を掴んだ。そしてその震える拳に口づけ、彼女を一瞥した。

「君は俺を拒むことが出来ない…そうだろ?」

 プリンセスの胸中でドクンと何かが跳ね上がった。そしてワタルは、もう一度彼女の首元に顔を埋める。

「ん…ワタル…さん…」

 プリンセスは涙で揺れる視界を閉ざし、ワタルの背に腕を回した。






 事を終え、プリンセスは気絶する様に眠りに落ちていた。ワタルはそんな自分に背を向け眠る彼女を一瞥した。以前までの彼女だったら、顔を此方に向けて心底気持ちよさそうに懐に入って眠りに就いていたのに今じゃ、背を向けられてしまったか、と苦笑した。そしてプリンセスの髪を撫でた。

「一体、君を大人にしてしまったのは誰なんだ」

 ワタルは瞳を閉じたーーその閉ざした先に浮かぶのは、少女、プリンセスだ。あれは、ワタルがチャンピオンになりたての頃だったーー。
 挑戦者の殆どが四天王に挑み、そこで敗北する、といったチャンピオンに届く実力者が現れない退屈な時期であった。ワタル自身、中々自分のところまでたどり着かない挑戦者たちに嫌気がさし、このままチャンピオンとしているのも時間の無駄だ、と思った時にーー伝令が入ったのだ。ジョウト地方、アルトマーレ出身の少女が四天王を打ち破ったと。

 ワタルは久しく感じるバトルに対して漲る熱と共に、その少女が現れるのを待ったーー一体どんな子がここまでやって来たのか、どれほどのものなのか、その時を待っていた。
 そして、最後の四天王のフロアから繋がるゲートから少女は現れた。チャンピオン、ワタルの前にやって来たその少女は、チャンピオンを前に一切の怯みなどなく、自信に満ちた、純粋にバトルを楽しむ様な輝きを持った瞳をワタルに注いでいた。そして少女は云ったーー。

"私は、プリンセス!…夢は、ポケモンマスターになることよ!チャンピオン、ワタル、貴方を倒す!"



 ワタルは閉ざしていた瞳を開けた。そして、ふっと口元を緩めた。随分と懐かしい夢を見たものだ、と隣で眠るプリンセスに目配せた。
 ワタルにとってプリンセスの存在は、今も昔も何も変わっていなかったーーあの自信に満ちた輝きを持った瞳も、何もかも。
 
 強さだけを求めて輝きを失った彼女の瞳を取り戻したのはワタルだ。そして彼のチャンピオンとしての熱を上げたのはプリンセスだったーーお互いが、互いの暗闇に光を灯した、救済の存在なのだ。
 だからこそ、ワタルにとってプリンセスは、懐から手放したくない存在であった。そしてプリンセスにとっても、ワタルの存在は手放したくても手放せない、大きな存在であった。