貴方のバラは多すぎる
「どちら様ですか、お帰り下さい」
プリンセスは笑顔を貼り付けたままいった。しかし、その笑顔は不自然であったし、本質を辿っていくと不機嫌である事を隠すように貼り付けられたものだ。
「待ってくれプリンセス!話を聞いてくれ!」
朝ーー。
プリンセスのフラワーショップに現れた男、ツワブキダイゴは必死な口ぶりで彼女に訴えていた。しかし、その相手は、聞く耳も持たない。
「嫌です。もう十分に貴方のお話しは聞きました」
「僕はまだ十分に伝えきれていないんだ」
プリンセスは、如何にも面倒くさいというような苦い表情を浮かべ彼を一瞥した。それでもダイゴは怯まない。こうして頑固な部分が嫌になる原因でもあるのに、とプリンセスは思いながら、外に飾られている花々に水やりをした。
「一方的な貴方の意向なんてもう聞く気がありません」
彼女は涼し気にいった。そして清々しい朝から繰り広げられるこの言い争いの原因は一体何なのだろうか。
ダイゴは、最終兵器だと言わんばかりにスーツの胸ポケットからある物を取り出した。
「プリンセス!僕はまだ…君が置いていったこの紙に判を押していない!」
プリンセスの目の前にバンッと差し出されたその紙ーー"離婚届"に、彼女の表情は堪え切れなくなった怒りを全身で抑えるように奥歯を噛み締めていた。
そう、プリンセスとツワブキダイゴは正真正銘の夫婦であった。
プリンセスは、キィッと余裕な面持ちのダイゴを睨みつけた。そして、手にしていた花に水やりをする為のホースを彼の足元に向ける。じゃばじゃばと彼の高品質なスーツを濡らしていくその景色を彼女は不敵にも笑っている。
わっ、と短い悲鳴を上げ、ダイゴは彼女から距離を置き、どうして怒るんだ、と信じられないという様な表情を浮かべた。
プリンセスは顔を真っ赤にしてダイゴを睨んだ。
「どうしてそんなに自分勝手なのよ」
込み上がる怒りを抑える様に力のこもった声だった。
「僕は君を愛してる」
ダイゴは静かに囁いた。するとプリンセスは更に彼を涙でいっぱいの赤い瞳で睨みつけた。
「嘘!じゃあ、どうして石のことばっかりなのよ!…貴方、発掘に出て何日間帰ってこなかった?私は何の知らせもなく待っていたのよ…それなのに、しれっと帰ってきて…おまけに、別の地方まで行ってたなんてあり得ますか!?…リーグ本部からも連絡が来ました、ダイゴさんがいないですって…チャンピオンが不在のポケモンリーグなんてあり得ますか!?」
プリンセスはダイゴに対する怒りを吐き出す様に怒涛を上げた。朝の通勤途中、フラワーショップ前を通り過ぎる人々がちらほらと目を向けて去っていく。
すると、ダイゴは眉尻を下げ、不敵にも口元を緩ませながら彼女のもとに寄る。
「そ、それは…本当にすまないと思ってるんだ…次からはプリンセスに伝えるし…なんなら、着いてこれば良い!…リーグだって…もうしばらく挑戦者が来ていなかったし…平気かなって…」
どこまでも能天気で、このフラワーショップの花々だけでは足りないほどに彼の頭の中がお花畑であることにプリンセスは心底呆れた様に吐息を零した。
「馬鹿!…本当に、もう…いい加減、定職についてください…それしか言えない…」
プリンセスは、彼のピカピカの革靴を見つめながら呟いた。
「…すまない…」
ダイゴは、かすれた声で静かに一言零した。プリンセスは眉を潜め、奥歯を噛み締めた。
「私、貴方と結婚したから、自分の好きな仕事辞めたのよ…」
彼女の言葉にダイゴは水色の瞳を見開いた。そうだーープリンセスは、もともとパートナーのジュカインやロズレイド達と104番道路にひっそりとたたずむフラワーショップで働いていた。
ダイゴはトウカのもりで迷子になっていた所、偶然彼女と出会ったのだ。そして意気投合し、中々会えない日々を送りながら数年ーー二人は結婚した。
そしてプリンセスは、彼が大企業デボンコーポレーションの御曹司である事とリーグチャンピオンである事を婚姻届けにサインした時に訊かされた。
そんな彼を第一線に支える事を考え、彼女は悩んだ挙句、フラワーショップを辞め、彼に尽くしたのだがーー見事なまでに、彼は大誤算だった。
シンデレラストーリーに終わると思っていたが、波乱なストーリーの始まりだ。
プリンセスは深くため息をついた。
「大切なものを犠牲にして貴方と一緒になったの」
「…ああ…本当に…申し訳ないと思ってる…」
ダイゴは眉根を寄せ、本当に心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。しかし、プリンセスは首を振り「違う…」と消え入りそうな声で呟いた。
「謝ってほしいんじゃないの…気づいて。夫婦になるってことはお互い何かを犠牲にしなくちゃいけないのよ」
プリンセスは眉をひそめ、それでも口元は無理に微笑ませながら云う。
「貴方は心底欲張りね…お坊ちゃまだから?全てを手に入れたまま維持できると思ったーー?馬鹿。…本当に馬鹿。」
最後の言葉は殆ど声になっていないかった。プリンセスもダイゴも、二人とも黙ったまま視線を落としていた。
まだ、夫婦ではなく、恋人関係であった時が懐かしく思えた。中々、会うことが出来ず、電話をするだけの繋がりであった、それでも嬉しかった。サプライズでフラワーショップにやってくる彼、それが嬉しくて泣いた時もあったーーそんな甘酸っぱい思い出も、今では寂れた様にすさんでしまった様だ。
しばらくして口を開いたのはダイゴだったーー。
彼はプリンセスの赤い瞳を真っ直ぐ見つめた。そして彼女の名を呼んだ。一つ大き呼吸をして彼は云ったーー。
「プリンセス…僕は…出来ない」
プリンセスの心の中で最後まで踏ん張っていた何かが大きく音を鳴らし崩れていった。プリンセスは俯いたまま彼に背を向けた。
「…そう。じゃあ、早くその紙に判を押して、帰ってちょうだい。」
とても頼りない小さな声でいった。
「それもしないーー。」
ハッキリと滑舌よく彼はいった。プリンセスは思わず、顔を彼に向けた。するとダイゴは真剣な表情のまま手に持っていた紙を二つに破った。
「貴方…何してるの?!」
プリンセスが慌てた様子で彼に近寄ると、ダイゴはプリンセスの腕を引き、グイッと彼女を引き寄せた。
「プリンセス、僕は君の言う通りーー心底欲張りな"お坊ちゃま"なんだ…全てを手に入れるよ」
グッとダイゴの腕がプリンセスの腰を引き寄せた。そして彼は、不気味なほどに口元に笑みを浮かべていた。
「このフラワーショップを買収するよ」
「はっーー」
彼の言葉にプリンセスは思わず、声にならない変な息をはいた。信じられないという様な目を向ける彼女にダイゴは涼し気に目を細めた。
「君は僕から離れられない。例え、また新たな紙を持ってこようが切り捨ててあげよう…エアームドに頼むのも良いな…」
ダイゴは冗談染みた台詞をいうが、プリンセスには何の笑いのツボにはならなかった。そして彼女は、この状況が不可思議過ぎて、可笑しくて、引き攣った様に片方の口端を上げた。
どうやら彼女は、相当厄介な人に好かれてしまった様だーー。
プリンセスは笑顔を貼り付けたままいった。しかし、その笑顔は不自然であったし、本質を辿っていくと不機嫌である事を隠すように貼り付けられたものだ。
「待ってくれプリンセス!話を聞いてくれ!」
朝ーー。
プリンセスのフラワーショップに現れた男、ツワブキダイゴは必死な口ぶりで彼女に訴えていた。しかし、その相手は、聞く耳も持たない。
「嫌です。もう十分に貴方のお話しは聞きました」
「僕はまだ十分に伝えきれていないんだ」
プリンセスは、如何にも面倒くさいというような苦い表情を浮かべ彼を一瞥した。それでもダイゴは怯まない。こうして頑固な部分が嫌になる原因でもあるのに、とプリンセスは思いながら、外に飾られている花々に水やりをした。
「一方的な貴方の意向なんてもう聞く気がありません」
彼女は涼し気にいった。そして清々しい朝から繰り広げられるこの言い争いの原因は一体何なのだろうか。
ダイゴは、最終兵器だと言わんばかりにスーツの胸ポケットからある物を取り出した。
「プリンセス!僕はまだ…君が置いていったこの紙に判を押していない!」
プリンセスの目の前にバンッと差し出されたその紙ーー"離婚届"に、彼女の表情は堪え切れなくなった怒りを全身で抑えるように奥歯を噛み締めていた。
そう、プリンセスとツワブキダイゴは正真正銘の夫婦であった。
プリンセスは、キィッと余裕な面持ちのダイゴを睨みつけた。そして、手にしていた花に水やりをする為のホースを彼の足元に向ける。じゃばじゃばと彼の高品質なスーツを濡らしていくその景色を彼女は不敵にも笑っている。
わっ、と短い悲鳴を上げ、ダイゴは彼女から距離を置き、どうして怒るんだ、と信じられないという様な表情を浮かべた。
プリンセスは顔を真っ赤にしてダイゴを睨んだ。
「どうしてそんなに自分勝手なのよ」
込み上がる怒りを抑える様に力のこもった声だった。
「僕は君を愛してる」
ダイゴは静かに囁いた。するとプリンセスは更に彼を涙でいっぱいの赤い瞳で睨みつけた。
「嘘!じゃあ、どうして石のことばっかりなのよ!…貴方、発掘に出て何日間帰ってこなかった?私は何の知らせもなく待っていたのよ…それなのに、しれっと帰ってきて…おまけに、別の地方まで行ってたなんてあり得ますか!?…リーグ本部からも連絡が来ました、ダイゴさんがいないですって…チャンピオンが不在のポケモンリーグなんてあり得ますか!?」
プリンセスはダイゴに対する怒りを吐き出す様に怒涛を上げた。朝の通勤途中、フラワーショップ前を通り過ぎる人々がちらほらと目を向けて去っていく。
すると、ダイゴは眉尻を下げ、不敵にも口元を緩ませながら彼女のもとに寄る。
「そ、それは…本当にすまないと思ってるんだ…次からはプリンセスに伝えるし…なんなら、着いてこれば良い!…リーグだって…もうしばらく挑戦者が来ていなかったし…平気かなって…」
どこまでも能天気で、このフラワーショップの花々だけでは足りないほどに彼の頭の中がお花畑であることにプリンセスは心底呆れた様に吐息を零した。
「馬鹿!…本当に、もう…いい加減、定職についてください…それしか言えない…」
プリンセスは、彼のピカピカの革靴を見つめながら呟いた。
「…すまない…」
ダイゴは、かすれた声で静かに一言零した。プリンセスは眉を潜め、奥歯を噛み締めた。
「私、貴方と結婚したから、自分の好きな仕事辞めたのよ…」
彼女の言葉にダイゴは水色の瞳を見開いた。そうだーープリンセスは、もともとパートナーのジュカインやロズレイド達と104番道路にひっそりとたたずむフラワーショップで働いていた。
ダイゴはトウカのもりで迷子になっていた所、偶然彼女と出会ったのだ。そして意気投合し、中々会えない日々を送りながら数年ーー二人は結婚した。
そしてプリンセスは、彼が大企業デボンコーポレーションの御曹司である事とリーグチャンピオンである事を婚姻届けにサインした時に訊かされた。
そんな彼を第一線に支える事を考え、彼女は悩んだ挙句、フラワーショップを辞め、彼に尽くしたのだがーー見事なまでに、彼は大誤算だった。
シンデレラストーリーに終わると思っていたが、波乱なストーリーの始まりだ。
プリンセスは深くため息をついた。
「大切なものを犠牲にして貴方と一緒になったの」
「…ああ…本当に…申し訳ないと思ってる…」
ダイゴは眉根を寄せ、本当に心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。しかし、プリンセスは首を振り「違う…」と消え入りそうな声で呟いた。
「謝ってほしいんじゃないの…気づいて。夫婦になるってことはお互い何かを犠牲にしなくちゃいけないのよ」
プリンセスは眉をひそめ、それでも口元は無理に微笑ませながら云う。
「貴方は心底欲張りね…お坊ちゃまだから?全てを手に入れたまま維持できると思ったーー?馬鹿。…本当に馬鹿。」
最後の言葉は殆ど声になっていないかった。プリンセスもダイゴも、二人とも黙ったまま視線を落としていた。
まだ、夫婦ではなく、恋人関係であった時が懐かしく思えた。中々、会うことが出来ず、電話をするだけの繋がりであった、それでも嬉しかった。サプライズでフラワーショップにやってくる彼、それが嬉しくて泣いた時もあったーーそんな甘酸っぱい思い出も、今では寂れた様にすさんでしまった様だ。
しばらくして口を開いたのはダイゴだったーー。
彼はプリンセスの赤い瞳を真っ直ぐ見つめた。そして彼女の名を呼んだ。一つ大き呼吸をして彼は云ったーー。
「プリンセス…僕は…出来ない」
プリンセスの心の中で最後まで踏ん張っていた何かが大きく音を鳴らし崩れていった。プリンセスは俯いたまま彼に背を向けた。
「…そう。じゃあ、早くその紙に判を押して、帰ってちょうだい。」
とても頼りない小さな声でいった。
「それもしないーー。」
ハッキリと滑舌よく彼はいった。プリンセスは思わず、顔を彼に向けた。するとダイゴは真剣な表情のまま手に持っていた紙を二つに破った。
「貴方…何してるの?!」
プリンセスが慌てた様子で彼に近寄ると、ダイゴはプリンセスの腕を引き、グイッと彼女を引き寄せた。
「プリンセス、僕は君の言う通りーー心底欲張りな"お坊ちゃま"なんだ…全てを手に入れるよ」
グッとダイゴの腕がプリンセスの腰を引き寄せた。そして彼は、不気味なほどに口元に笑みを浮かべていた。
「このフラワーショップを買収するよ」
「はっーー」
彼の言葉にプリンセスは思わず、声にならない変な息をはいた。信じられないという様な目を向ける彼女にダイゴは涼し気に目を細めた。
「君は僕から離れられない。例え、また新たな紙を持ってこようが切り捨ててあげよう…エアームドに頼むのも良いな…」
ダイゴは冗談染みた台詞をいうが、プリンセスには何の笑いのツボにはならなかった。そして彼女は、この状況が不可思議過ぎて、可笑しくて、引き攣った様に片方の口端を上げた。
どうやら彼女は、相当厄介な人に好かれてしまった様だーー。
バラの花言葉は「愛」