隊律違反 壱
ゆき乃が蝶屋敷にいるとしのぶからの報せを受けた義勇は、任務から帰るとその足で蝶屋敷へと向かった。
何を話すとか、そんな事は考えていない。ただ、ゆき乃がどうしているのか、どんな表情をしているのか、一目でいいから見たかったのだ。
しのぶからの報せではなく、自分の目で。
蝶屋敷に着く頃にはもう日も完全に上がっており、屋敷の庭では、洗濯物を干すゆき乃の姿が目に映った。
彼女に駆け寄って手伝うきよと笑いながらシーツを干していた。
建物の陰からそれを見つめ、少しばかり安堵していると、「あらあら冨岡さん。不審者ですか?こんな場所から覗き見なんて悪趣味ですねぇ」と背後からしのぶの高い声が聞こえた。
「胡蝶…」
「なんですか?」
「俺は覗いてなどいない」
表情を変えずに真面目にそう答える義勇に、しのぶはふわりと笑うと、「ちゃんと話をされてはいかがですか?」と義勇に言い、「ゆき乃さーん!」とその場からゆき乃を呼んだ。
しのぶの方を向いたゆき乃は、そこに立つもう一人の姿を見て息を飲んだ。
一瞬の戸惑いはあったが、ゆき乃は義勇の元へ近づくと「おかえりなさい、義勇さん」といつものように出迎えた。
ただいつもよりも翳っている笑顔に、義勇の胸は締め付けられるようだった。いつも心を温かくしていたゆき乃の笑顔が無邪気でない事が、とても悲しかったのだ。
「勝手に出て行って、ごめんなさい……あの、わたし!」
「ゆき乃」
「…なんでしょう」
「もう、謝らなくていい。ゆき乃の気持ちは手紙で読んだ。あとは俺自身の問題だ。だから…ゆき乃は何も悪くない。だから…そんな風に笑わないでくれ」
「え…?」
「ゆき乃にそんな笑顔は似合わない」
手を差し出した義勇が、少し顔に掛かっているゆき乃の髪をそっと耳に掛けた。そよ風が二人の頬を撫でる。
いつの間にか、しのぶの姿はそこになかった。
「気にするなと言ってもゆき乃は気に病むかもしれない。でも、お前の事情を知ってるからこそ、力になりたいとも思う。ゆき乃を大事に思う気持ちは変わらない。だから……一人で無理をすることだけは辞めてほしい」
「義勇さん……」
義勇がゆき乃を抱きしめようと思わず手を伸ばした。だが直前にその手を止め、踵を返し彼女に背を向ける。
これ以上、ゆき乃を苦しめるのは辞めよう。彼女の気持ちを聞いても尚触れようとするなど…―――と義勇の葛藤など知らないゆき乃は、彼の羽織の裾を掴み、離れようとする義勇を止めた。
ありがとう、と小さな声が義勇の耳に届く。
「義勇さんに感謝してるの。きっとずっと、わたしにとって義勇さんは大切な人です。わたしを受け入れてくれた。だからこの場所で生きたいと思わせてくれた。義勇さんがいたから前を向けたの。だから……ありがとう」
「……」
「義勇、さん?」
何も反応がなく動きもしない義勇の顔を、ゆき乃は後ろから覗き込むように見上げた。
真っ直ぐ前を向いたままの義勇の顔は赤く、ゆき乃の視線に気づくと、溜め息を漏らし顔を押さえた。
「…見ないでくれ」
「え?」
「それから、ゆき乃の気持ちは分かったとは言ったが、俺はまだゆき乃への気持ちを忘れてはいない。まだ想っている。だから…そうやって見つめられると……いや、なんでもない」
ポンと義勇の手がゆき乃の頭に触れ優しく撫でる。
それから、「また様子を見に来る」と言葉を残し帰っていった。
その背中に、ゆき乃は深く頭を下げた。ごめんなさいとありがとうを、暫く繰り返していた。
◇
実弥が蝶屋敷に運ばれたのは、その夜のことだった。
朝起きた時にしのぶから聞かされ、動揺して持っていた皿を落とし割ってしまった。
「大丈夫ですよ、殺しても死なないような人ですから不死川さんは。それに今回に関しては、彼の油断が招いた事です」
「…しのぶさん、なんか怒ってる?」
「怒ってなどいませんよ。呆れてるだけです。ゆき乃さんが此処にいる事は彼は知らないと思うので、病室には行かない方がいいと思いますよ。会って話をすると言うのなら別ですけども」
意味深な言葉を残し、しのぶは診察へと戻っていった。
実弥の事は心配だったが、拒絶されたことを思い出すと簡単に様子を見に行くなんて出来なかった。
それでも、ゆき乃の心臓はドクドクと強く脈を打っていた。