09.壊れた心臓と温もり
杏寿郎と再会してから、無一郎もゆき乃に使い方を教わりながらスマホで調べたり、図書館に行ったりして情報を集めていた。
だが、杏寿郎が言っていたように鬼滅隊に繋がる有益な情報はなく、時間だけが過ぎていった。
例え過去に繋がる情報があったとしても、無一郎が戻る方法はまた別で、それについてはどこを調べたらいいのかさえ分からない状態だった。
調べる時間はたくさんあるのに、と進展のない状況に苛立ちながらも、この時代にも慣れ、ゆき乃が仕事の日は簡単なご飯を作ったり駅までゆき乃を迎えに行く生活もしていた。
ただ、身体が鈍っていくのだけが心配で、それを杏寿郎に話したら、杏寿郎の父親がやっている剣道場を使っていいと言われ、杏寿郎が帰ってから少し鍛練に付き合ってもらっていたのだ。
杏寿郎は炎の呼吸は使えないにしても、身体が覚えているのか無一郎の相手には申し分なかった。
この光景を、他の柱に伝えたらなんと言うだろうと思い、もし戻れたら、杏寿郎の事を皆に伝えようと無一郎は決めていた。
◇
「ねぇゆき乃」
杏寿郎との鍛練を終えて帰宅し、シャワーで汗を流した無一郎が頭を拭きながら出てくる。
その姿を見て、ゆき乃は目を見開いた。
下はスウェットを履いているが少し緩いのか下着がチラ見しているし、むしろ上半身は何も着ていない。
細見だと思っていた無一郎は、中学生とは思えない筋肉を身につけていて、鬼と戦っていたのだから当然なのかもしれないけど、綺麗に割れた腹筋や隆々とした腕や胸を見て、ゆき乃は慌てふためいた。
真っ赤になっているであろう顔を押さえながら、無一郎から目を逸らし背を向けたが、声だけは彼に向けて叫んでいた。
「もうもう!むいくん、服着てって何回いえば分かるのよ!お風呂上がりに裸はダメ!」
「履いてるじゃん、ズボン」
「そうだけど!上は裸じゃん……困るって言ってるでしょ」
「なんで困るの?」
無一郎の声が近くで聞こえて振り向こうとしたゆき乃の肩に、無一郎の顔が乗っかる。
――え、待って、何、えっっ?!
心臓が爆発しのかと思う程にドキドキと激しく脈打ち、全身の血に熱を感じた。
風呂上りの熱を帯びたままの無一郎の素肌が触れて、ゆき乃の動きが止まった。
正確には動けなかった。動いて触れてしまったらそれこそ心臓が止まってしまう。
最近、無一郎は生活に慣れてきた所為なのか分からないけど、やけに距離が近くて困っていたのだ。
「あ、ふろふき大根。作れるようになったの?」
「う、うん…好きなんでしょ、むいくん」
「うん、好き」
少し濡れた髪と吐息が耳にかかり、ゆき乃は倒れそうになる寸前だった。
好き、と自分が言われたわけではないけど、その二文字はゆき乃の胸を仕留めるには申し分ない矢となったのだ。
子供だと侮るなかれ。
「ごごごご、ご飯にしよ!ね!」
「うん」
「服着てね!じゃないとふろふき大根なしよ!」
「…分かったよ」
素直に離れた無一郎の背中を、ゆき乃がどれ程顔を赤くして見ていたかなんて無一郎は知らない。
こういう所は、子供だなと思うが、それでもゆき乃の鼓動は日に日にその激しさを増していた。
これではいつまでゆき乃の心臓がもつか分からない。
ご飯を食べ、ゆき乃が風呂から上がると、無一郎は部屋の隅に胡坐をかいて座り、刀を取り出し布で拭いていた。
月夜に照らされて、刀は光っている。
霞がかかったような白色をしていて、無一郎のイメージと合っているその刃は、危険な物とは思えないほど美しく見惚れてしまう程だった。
ゆき乃に気づいた無一郎が振り返る。
むいくんに似てるね、とゆき乃が言うと無一郎は口許を緩めた。
「僕さ、ゆき乃の所に来る少し前に強い鬼と戦ったんだ。それまでは、家族を亡くした時に僕も襲われて、その後遺症で記憶も失くしたし、留めていく事もできなかった。でもその戦いで、色々と思い出せるようになって……刀なんて、鬼を倒すための道具にしか思ってなかったし切れれば何でもいいって思ってたけど、そうじゃないって気づいた。僕の気持ちが刀にも伝わるものなんだって。だからこうして、手入れする時間が好きなんだ」
「そっか」
無一郎の隣に座り、彼と一緒に刀を眺める。
こんな風に自分のことを喋る無一郎は珍しい。
ここへ来て、無一郎の表情や態度が変わっていくことはとても嬉しいとゆき乃は思っていた。
だけど、やはり無一郎は帰ってしまうのだと、この刀や隊服を見ると、胸が締め付けられる思いだった。
無一郎への想いはすぐにでも溢れてしまいそうで、今も……こうして無一郎と過ごせる時間はあとどれくらい残っているのだろうと思うだけで、喉の奥が熱くなっていく。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、遠い存在。
「あれから何か情報はあった?」
「いや。でも明日煉獄さんがもしかしたら有益な情報を得られるかもしれないって言ってたから聞きに行こうとは思ってるけど」
「そっか……」
「ゆき乃?どうかした?」
「…いやぁなんか、むいくんが元の世界に帰っちゃったら寂しくなるなぁって思って!ほら、夜も一人だしこうして喋る相手もいない、し……」
寂しいけど、悲しんではいけない。
そう言い聞かせるように、明るく笑いながら本心である「寂しい」を言葉にしたゆき乃だったが、最後まで言い終わらないうちに、その声は小さく消えてしまった。
背中に回った腕は力強く、顔に当たる長い髪の毛は頬を撫でてくすぐったい。
気づけば、無一郎に抱き締められていた。
「むい、くん…?」
「ゆき乃がそうやって無理して笑うと、胸が痛い。なんでだろう……帰らなきゃいけないって気持ちは変わらないのに、僕もゆき乃がいないのは寂しい」
なんでだろうね、と呟いた無一郎は、更に強くゆき乃を抱き締めた。
視線の先にあった無一郎の刀が、儚く白く、光っていた。