11.切なくても苦しくても


ゆき乃が最寄り駅の改札を出ると、無一郎が街路樹の柵に寄りかかって立っていた。

近づいて名前を呼ぶと、「おかえり」と言って隣に立つ。



「ごめんね、少し残業だったから…迎えに来る日なら早く帰れば良かったな」

「別にいいよ。ゆき乃を待つのは嫌いじゃないし」

「ご飯何食べたい?」

「アイス食べたいから、コンビニ寄って帰ろうよ」

「…フフ」

「なに?」

「いや、むいくんの口から、アイスとかコンビニとか…そんな言葉が出てくるのが可笑しくて」

「笑うことないだろ」



笑った事が気に入らなかったのか、少しムスッとした無一郎は先に行ってしまう。

待ってよ、と頬を緩めながら追いかけるゆき乃。

少しだけ振り向いた無一郎が「早くしなよ」と、ゆき乃の手を掴んだ。

何事かと繋がれた手を見るも、無一郎は何も言わずに手を離すことなく歩き出した。



「此処はさ、夜なのに煩いよね。虫の音も何も聞こえない」

「これが当たり前だから気づかなかったけど、確かにそうかも。田舎に行くとまだ聞こえるんだけど」

「でも、こうして夜道を歩いていても鬼を気にしなくていい。安心して歩ける」

「そうだね」

「……ねぇ、ゆき乃」



繋いでいる手に力が入り、無一郎へと視線を向けると彼の淡い緑色の瞳がゆき乃を捉えた。

その先に続く言葉を想像して、ゆき乃の心臓がトクンと大きく揺れる。

手を離してこのまま逃げてしまおうか。

だけど、真っ直ぐに見つめられて、無一郎から視線を逸らすことなど出来なかった。

いづれ無一郎から聞かされるべき日が来ると、ゆき乃も覚悟していたのだ。



「僕は、戻れるなら……元の世界に戻るよ」

「……」

「勝手に戻されるのか分からないし、戻りたくても戻れないかもしれない。だけど、僕には……やるべきことが残ってる。もちろん家族が受けた仕打ちへの復讐心はある。でも今はそれ以上に、ゆき乃の世界を守りたいと思ってる」

「…え?」

「僕が此処に来たことで、未来がどう変わるかは分からないけど、もし……歯車が狂って鬼が現れるようになってしまったら、もし鬼がゆき乃を襲うようなことが起きてしまったら。僕は後悔する」

「むいくん…っ、」

「泣かないでよ。ゆき乃が寂しくても側にいられないし、涙を拭いてあげることも出来なくなるけど……でもその時が来るまでは…」



耐えきれずに溢れたゆき乃の涙を、無一郎が指で優しく拭う。

それから繋がっていない手をゆき乃の背中に回し、そっと抱き寄せた。

この温もりが消えてしまう事など想像したくない。

鬼が出てもいいから、離れたくない。

そう思っても、口には出来なかった。無一郎の覚悟を否定したくはなかった。

だけど、もう溢れる想いは止められなかった。



「好き……むいくんが、好き」



ゆき乃の言葉に、背中に回っていた無一郎の手に力が籠もる。

好きという想いは特別で、心が通い合うことは奇跡で幸福を運んでくれるものだ。

それなのにどうして、その言葉が切なく二人の心に刺さるのだろうか。



「ズルいな、ゆき乃は……」

「…え、」

「そんなの俺だって、好きだよ。ゆき乃のこと、好きだよ」

「むい、くん…」

「男の俺から言わせてよ」



身体を少し離した無一郎は、夜でも分かるくらいに顔を赤らめていた。

まさか無一郎も同じように思ってくれているとは考えていなかったゆき乃は、嬉しさのあまり無一郎に抱き着いた。

ちょっと、と言いながらもしっかり抱きとめる無一郎は、その口許を緩めている。



「馬鹿だな、ゆき乃は。こんないつ消えるか分からないような男を好きになっていいの?」

「それはむいくんも同じでしょ?……嫌だけど、いいの。だって好きになっちゃったんだもん。気づいたら恋してたんだもん。もう止められないよ」

「うん、俺も…」

「同じ気持ちになれたことが、嬉しいの」

「俺、ゆき乃の声に導かれてこっちに来たんだ。むいくんって呼ばれた気がしたの。まだ出逢ってもないのにね。だからさ、もし元の世界に帰ることになってもまた、ゆき乃の居る場所に戻ってくるよ。そうなる気がする」



無一郎の言葉に確信も何もない。

だけど、そう信じたいと思った。来たるべき時に来る運命を受け入れる為には、そんな先の未来があると思いたかった。

例えそれが、彼の優しさだとしても。



「呼ぶよ、何度でも!むいくんを呼ぶから!」

「俺は探すよ、ゆき乃の事を絶対に。それから……ゆき乃のいる世界に鬼を野放しにさせない為に、元の時代で鬼を滅殺させる。守るよ、ゆき乃を」

「……うん」

「心配しなくても強いから俺……それに、絶対に死ねない理由が出来た。だから大丈夫」



絶対に、ゆき乃の所に戻ってくる。

そう言った無一郎の瞳は、淡い緑色だけど奥で熱く燃えているようだった。


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