13.触れる覚悟
重苦しい空気から、甘い空気へと変わる部屋。
絡み合う視線が揺らいで、二人の体温を上げていく。
「ゆき乃……」
「キス、したい」
「え…?なにって?」
「キス…口付けのこと。ここに…」
ゆき乃の細い指が、無一郎の薄い唇をそっと撫でるように触れた。
無一郎の唇に力が入りキュッと締まったのが分かる。
断られたらどうしよう、とゆき乃は不安になりながらも、やっぱり無一郎の気持ちを確かめたかったのだ。
心だけでなく、ここに無一郎がいるという温もりを感じたかった。
ゆき乃が彼の名前を呼んだのと同時、無一郎の喉がゴキュッと鳴り、その薄い唇をゆき乃のそれに押し当てた。
突然の口付けに驚いたゆき乃だったが、ずっと求めていた温もりに目を閉じ、無一郎の腕を掴んだ。
柔らかな唇が優しく触れる。
初々しさのある無一郎の口付けに、ゆき乃の心からキュンという音が聞こえたような気がした。
「口付け……したら、自分を抑えられるか分からない。だからゆき乃に必要以上に触れていいのかって思ってたんだ」
「え?」
「この時代は、婚前にも男女が目交う事もあると煉獄さんが教えてくれた。だけど俺は昔の人間だから…本当にいいのか?って。身の保証が出来ないくせにゆき乃に触れてもいいのかって」
唇を離した無一郎が甘いと吐息と共に吐き出した言葉は、ゆき乃の胸を更に高鳴らせた。
そんな風に、大切に想ってくれていたのだ。
まだ幼いと思っていた無一郎は、立派な男だったのだと。
「本当は、ゆき乃に触れたい。キスってやつも、たくさんしたいし……その先だって、」
「むいくんは、その……経験って、」
「あるわけないだろ!でも、知識は入れてきた」
「え?」
「俺が鍛練の為だけに煉獄さんの所に行ってたとでも思う?」
口許を緩めて笑った無一郎は、ゆき乃の後頭部に手を回し、その唇を塞いだ。
◇
初めて触れる唇は、無一郎が想像していた以上に柔らかく甘く、触れただけで脳の奥が痺れるような感覚だった。
自分が抑えていたものが、軽く触れただけで一瞬で解放された気分になった。
我慢していたのが馬鹿らしいとは思わない。
ゆき乃を大事に思う気持ちは変わらない。
無一郎にとってここから先の行為は、一生を約束する覚悟を伴うものだ。
だからこそ、いつかは……そう思って、杏寿郎に聞いていたのだから。
深くなる口付けに、甘い吐息が漏れる。
舌を伸ばした無一郎のそれを、ゆき乃が優しく絡め取り、お互いの口内を濡らしていく。
ゆき乃が初めてではない事は分かっていたが、全てを誘導されるのは、男として癪に障った。
だから、無一郎は口付けを深めながら、ゆき乃の身体を掴んでソファへと沈め、彼女を見下ろした。
ゆき乃の潤った瞳に、無一郎の淡い緑が重なる。
「ゆき乃……本当に、いいの?」
「バカぁ、そういう事は聞かなくていいの!」
「そうなんだ……でも俺、馬鹿じゃないけど」
「いいの…止めないで。むいくんが欲しい…私、待ってるから。ずっと待ってるから。だからむいくんの温もり、思い出せるようにいっぱい抱きしめてよ」
「だからそういうの、ズルい」
可愛らしい人だね。
そう囁いた無一郎は、顔を近づけて薄ピンクの唇を塞いだ。
無一郎の長い髪がゆき乃の肌をくすぐる。
身を捩るゆき乃に口許を緩めながらも、無一郎は唇を離し、白く滑らかな首筋へと舌を這わせていった。
小さな二人掛けのソファが音を立てる。
甘美な声も水音も、窓を濡らす雨音によってかき消されていった。