14.幸せの先に


清々しい目覚めだった。

目を開けてすぐに、愛しい人が側にいる。

それがこんなにも心を満たし、温かな気持ちにさせてくれるものなのかと、今まで感じたことのない感情を、無一郎はゆき乃の寝顔を見つめながら噛み締めていた。



「ん……おはよ、むいくん」

「……ヨダレ垂れてるよ」

「え?!うそ!」

「うん、嘘」



頬を膨らませて怒るゆき乃に、無一郎は自然と笑みが零れた。

家族を大切に思う気持ちとはまた違う、一人の女性をこんな風に愛おしく感じる事ができるなんて信じられなかった。

タイムスリップをしなければ芽生える事のなかった感情。

だからこの時間もすべて夢なのかとさえ、未だに思ってしまう。

急になくなってしまうかもしれないと不安になる。

でも、肌を触れ合わせ想いを伝えあって、それはゆき乃も同じなのだと知れたから、やはり彼女の幸せなこの時代を守りたいと無一郎の決心が強くなった。

嘘を言ったことにまだ頬を膨らませているゆき乃の唇を、塞ぐように口付けた。

一瞬で静かに、そして甘くなる唇。

ゆき乃の素肌のままの身体に指を滑らせ触れると、漏れる吐息に熱が帯びた。



「ゆき乃って、可愛いよね」

「え…なに急に……」

「声も反応も。それとも女の人はみんなこうなの?」

「ンン、知らな……あッ、」

「まぁ俺はゆき乃だけ知れればいいんだけど」



この温もりを離したくない。忘れたくもない。

だけど、もし二度と逢えなくなるのなら、ゆき乃の記憶から自分が消えてもいいと思っていた。

悲しんでいる彼女の側にいられない事ほど、辛いものはないだろう。

ゆき乃の甘い声と温もりを、全身で感じる。

溢れる想いに、胸が締め付けられた。







幸せな時間は、永遠ではない。

そんな事は分かっていたはずなのに、現実から無意識に目を背けていたのかもしれない。

無一郎のいない生活なんて、ゆき乃はもう考えられなかった。

彼は突然この世界にやってきた。

だからまたいつ突然同じことが起こるかもしれないと、何故考えなかったのだろうか。



「熱?!大丈夫なんですか?無一郎くん」

「うん、解熱剤飲ませたし寝てるから。でも熱あるって言うのに身体が軽いとか言うのよ。動き回ってるから心配で」

「じゃあ今日はノー残業デーですね!早く帰ってあげてください!」



ハルの言葉に頷き、残りの仕事を集中して片付けた。

無一郎が熱を出したのは、愛を確かめ合ってすぐの事だった。

あの雨に打たれたせいだろう。

週明けで仕事は割りと多かったが、熱を出している無一郎を放ってはおけないと、必要な食材と熱冷ましを買い込んで家に帰った。

病院には恐らく連れて行けない。

だからこそ、熱が悪化する前に何とかしてあげたいと思っていた。



「ただいま、むいくん」



玄関を開けると、リビングから差し込む夕陽で部屋がオレンジ色に染まっていた。

物静かだから寝ているのだろうと、静かに扉を開けて荷物を台所に置いた。

熱は下がったのだろうか。

寝室に続く引き戸をゆっくり開けて彼の様子を見ようとした。



「……え、」



だが、そこは誰もいなかった。

寝ているはずのベッドは、掛け布団が乱雑に置かれ、少し前までそこに寝ていたかのような形のままだった。

出掛けたのだろうか。

部屋の隅に視線を向けたその瞬間に、ゆき乃の胸がザワつき嫌な予感がした。うまく呼吸が出来なかった。



「むいくん……むいくんっ!!」



ゆき乃の叫びが部屋に木霊する。

部屋の隅に置かれていた彼の隊服はあるのに、刀は消えていた。

きっと何処かに出掛けてる。そうに違いない。アイスでも買いにコンビニに行っているのかも。

そう言い聞かせ、慌てて靴を履こうと玄関に向かおうとする足が絡まり、廊下で思い切り転けた。

ドジだなぁ、って声は耳を澄ませど聞こえない。

目頭が熱くなり視界が滲んでいく。

信じない。こんな急になんて、信じない。



「むいくん…っ、どこ行っちゃったのぉ…」



きっとすぐに帰ってくる。

そんなゆき乃の願いとは裏腹に、その扉が開くことも、あのミントグリーンの髪を揺らして無一郎がゆき乃の名前を呼ぶこともなかった。

ある日突然、無一郎はその姿を消したのだ。

彼の隊服と、その温もりだけを残して。

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