15.消えた温もり
無一郎がいなくなってから、一週間が経った。
ゆき乃に覚悟がなかった訳じゃない。
こうなる可能性がある事は十分に理解していたし、元々は彼が戻る方法を手伝う約束であの部屋に置いていたのだ。
そう、頭では分かっていても心が着いて行かなかった。
無一郎を好きになり、想いを受け止めた矢先に、突然の別れを強いられる事になるなんて、誰が想像できただろうか。
「ゆき乃さん、ちゃんと食べてよ」
「……うん」
返事はするものの、ハルが家に来て作ってくれたご飯は喉を通らなかった。
泣き腫らした目で出社したゆき乃を、ハルが抱きしめてすぐに杏寿郎に連絡をしてくれた。
三日間仕事を休みんで、だけどそれ以上は駄目だと何とか身体を動かして仕事に向かった。
それでも、頭の中は無一郎の事でいっぱいで、何も手につかなかった。
今までに経験したことの無い虚無感。
「ゆき乃、辛いとは思うが食事はちゃんと摂らなければ倒れてしまうぞ。時透が戻ってきた時にゆき乃がそんな状態だったら悲しむ」
目の前に座る杏寿郎は、ハルと一緒にこうしてゆき乃の様子を見に来ていた。
ゆき乃にとっては幼馴染でもあり、無一郎を知る存在でもある。そして、無一郎が帰ったであろうその先の世界を知っている唯一の人物だ。
心強いと思う反面、そんな風に前向きになれないゆき乃は、杏寿郎を睨むようにして顔を上げた。
「戻って来ないかもしれない!もうむいくんは……戻るなんて保証ないじゃん!簡単にそんな事言わないでよっ!だったらむいくんが戻る方法探してよっ!」
「ゆき乃、」
「なんで突然行っちゃったの?!なんでっ、」
「ゆき乃!」
「……っ、」
「涙は我慢しなくていい。泣きたいなら涙を流せばいい。ゆき乃には俺やハルがいるだろう?倒れそうになったら全力で支えるし、側にいる」
「杏寿郎……」
「ただ一つ忘れないで欲しい……同じ想いをしているのは時透も同じだと言うことを。突然我が身を愛する人から引き離されたのは、彼も同じだ。きっと戸惑っているだろう。でも彼には、それを理解してくれる者がいないかもしれない。だから俺たちに出来ることは、信じるしかないんだ……俺は、信じている。二人が出逢った事に意味はあると信じている」
杏寿郎の言葉に、涙が溢れて止まらない。
嗚咽で何も言えないゆき乃を、ハルが抱きしめ、杏寿郎が更に二人を抱き寄せ、ゆき乃の頭を優しく撫でた。
温かさに余計に溢れ流れる涙。
この出来事のカラクリが分からないままなのであれば、待つしかないのだろうか。
一体何をどう待てばいいのだろう。
ただ暗闇の中を彷徨い続けるしかないのだろうか。
「ゆき乃……これを君に」
帰り際、杏寿郎が取り出したのは白い封書だった。
煉獄さんへ――そう書かれており、それに手を伸ばしつつ杏寿郎を見上げると、大きな瞳が力強く向けられていた。
「これは?」
「以前時透から預かっていたものだ。もし姿を消す時が来たら読んで欲しいと預かっていた。俺に宛てられた手紙だが、ゆき乃にも知っておいてもらいたいと思ってな」
「むいくんが……」
「無理にとは言わない。気持ちが落ち着いたら、目を通せば良い。彼がどれ程君を想っていたのか、それを読めば分かる」
杏寿郎から受け取ったそれを、胸に当て目を閉じる。
気のせいだろうけど、微かに彼の温もりと鼓動が感じられたような気がした。
◇
―――煉獄さん
僕はあなたにまた会うことが出来たのは、偶然ではないと思っています。
何故この時代に飛ばされたのか、そのカラクリは依然として分からないけど、ゆき乃に出逢うため、そして僕がまた姿を消した時に、ゆき乃を支えるために煉獄さんが近くにいるんだと。
恐らく、僕はまた大正時代に戻るでしょう。
その時どうかゆき乃を支えて欲しい。僕は何とかこの時代に戻る方法を見つけるつもりだけど、もしその間に彼女が別の人を好きになる日が来たら、どうか背中を押してあげて欲しい。
僕は、ゆき乃を幸せにしたい。
でも僕がそれを出来ないのであれば、彼女が信じる人にそれを託したい。彼女が笑っていられるのならそれでいい。
この時代に、鬼を出さない。
それが僕の使命だと思っています。
大切な人達を守る為に、僕は戦います。
今度こそ、誰も失いたくないから。
―――時透無一郎