01.月夜が照らすミントグリーン
夏独特の湿気がまとわりつく夜。
金曜だと言うのに残業をしていたゆき乃は、最寄りの駅に降りると近くのコンビニで夕飯を調達し、アパートへと帰った。
夜だと言うのに、湿気の所為で蒸し暑い。
ベタつく肌に帰ってすぐにでもシャワーを浴びようと、アパートの階段を登りながら疲れた身体に鞭を打って三階まで登りきった。
至っていつもと変わりない日常だった。
玄関を開け、一人暮らしであっても「ただいま」と言いながらヒールを脱ぐのも、いつもと変わらない。
ただ一つ、今日は何かが違った。
ゆき乃が部屋に入ってすぐに、思わず悲鳴にも似た小さな声が出て、コンビニ袋を落とした音がやけに煩く部屋に響いた。
レースカーテンを開け、外を向いて立っていた黒服の人物が、その物音でゆっくりと振り返る。
長髪に毛先がミントグリーンのような色で、同じような瞳の色がゆき乃を真っ直ぐに捉えた。
驚き過ぎて身動きができなかったゆき乃が、恐怖があっても我を忘れるほどに取乱さなかったのは、そこに立っていた人物が、まるで子供のように幼い顔をしていたからだった。
「…誰?」
先に言葉を発したのは、黒服の人物だった。
――いやいや、それはこっちのセリフ!
思わずそう心で突っ込んだものの、見知らぬ人物がいるという事実に、後から恐怖がジワジワと湧いて出てくる。
「あなたこそ、誰?ここ、私の部屋なんだけど」
「…気づいたらここに居たんだ。まぁいいや、僕帰る」
「え?!男の子なの?!」
「そうだけど?」
文句でもある?と言いたげにその彼はゆき乃を睨むように身体を真正面に向けた。
髪の毛長いし綺麗な顔をしていたので、てっきり女の子だとゆき乃は思っていたのだ。
振り向いた時に聞こえた、布擦れの音と共に聞こえた無機質な音。
自然と目に止まった、彼の腰にある刀にゆき乃の目が大きく見開いた。
「そそそそそれ、オモチャ?模造刀?」
「…これ?日輪刀だけど。僕時間がないんだ、もう行くね」
「ちょ、ちょっと待った!ダメ、外ダメ!」
ゆき乃の横を通って行こうとする彼の服を思わず掴んで引き止めた。
その格好で出たら間違いなく捕まる。確実に捕まる。
幼い顔をした少年だとだったが、いざ近くに立つと意外と背はあり、ゆき乃とほぼ変わらない。
捕まれた箇所をジッと見た彼は、面倒くさそうに溜め息をつくと、「急いでるんだけど」と吐き出した。
「そうかもしれないけど、ダメ!ていうか勝手に人の部屋に上がっておいてそれはないんじゃないの?!そもそも刀なんて銃刀法違反だし、そもそも部屋の中は土足禁止なの!」
「おねーさんの言ってることよく分からないんだけど、僕早く鬼にトドメを刺さなきゃいけないんだよ。こうしてる間に人が死ぬ。ねぇ分かってるの?」
予想外の言葉を並べられて、言ってることが分からないのはゆき乃の方だった。
時代錯誤もいいところだし、そもそも古い時代だったとしても鬼とかいたのだろうか、とゆき乃の頭はパニック寸前だった。
それでも手を離さなかったのは、その先に想像できる危険を察知した本能だったのだろう。
この子を外に出してはいけないと、脳内で誰かが叫んでいるようだった。
服を引っ張ったところでピクリとも動かない彼だったが、ゆき乃は更にその手に力を込めて深く息を吸うと、彼の目を見て叫んだ。
「この家の主は私なの!言うこと聞いて!座って!」
突然の叫びの所為なのか、必死の形相だったのかは分からないが、彼は数回瞬きを繰り返した。
その数秒後、どこからとも無く聞こえてきた腹の虫の音に、今度はゆき乃が目をパチパチと瞬く。
「お腹、空いてるの?」
「そういえば…昨日から何も食べてなかったな」
「えっ?!それはマズくない?育ち盛りでしょ?ダメダメ、そんなの!ちょっと待って、用意する」
「いいよ別に、」
「私が良くないの!まずは腹ごしらえしてから整理しよう…うん、そうしよう」
ブツブツ言いながら、ゆき乃は先程落としたコンビニ袋からカップラーメンを取り出した。
二つで割引という文句に引かれて偶然にも二つ買っていたそれに、ポットからお湯を注ぎ蓋をする。
キッチンから顔を出し、突っ立ったままの彼の手を引きラグの上に座らせると、「私、ゆき乃。君の名前は?」と彼に問いただす。
呆然とした表情でゆき乃を見つめていた彼の唇が動いて、その名前を告げた。
「時透無一郎」
それが、ゆき乃と無一郎の出逢いだった。