05.君のいる世界


自炊を殆どしないゆき乃だったが、無一郎が喜んでくれるかもしれないと思い、帰宅してからカレーを作った。

無一郎は、基本的にボーッとしている事が多かったが、その日は呼びかけても返事があまり無く、作ったカレーも無言のまま口へと運ぶだけだった。



「美味しくない?」

「……え?」

「カレー、美味しくない?」

「ううん、おいしい。初めて食べるけど、ハヤシライスってやつに似てるね」

「食べたことあるの?!てか大正時代にもあったんだねぇ」

「僕はあまり食べなかったけど、西洋の食事を好んで食べている人がいて、食べさせてくれたんだ」



無一郎は、暫く記憶を無くしており、また新たな記憶もすぐに忘れてしまう事が殆どだった。

だが、鬼との戦いの後に戻った記憶は、徐々にだったが忘れていた記憶も呼び覚ましてくれていた。

ハヤシライスを食べたのは、恋柱に誘われて炎柱と一緒に彼女の家に行った時の事だったと、ゆき乃に話をしながらその情景が脳裏に蘇ったのだ。

スプーンを置いた無一郎は、同じく座ってカレーを食べているゆき乃を見つめた。

――ゆき乃は炎柱を知っているのだろうか。彼も僕と同じように時間を越えて来たのだろうか。二人はどういう関係なのだろう。

視線に気づいたゆき乃が、「どうかした?」と小首を傾ける。

無一郎は暫くその顔を見つめて、「何でもない」と返し、またカレーを口に運んだ。

以前頭を洗っていた時のゆき乃の言葉が、無一郎の頭に浮かんでは消え、彼の胸の奥をザワつかせていた。







ハルからの連絡で、着替えは今日だと遅くなるからと明日届けて貰うことになった。

外に出て調べたい事があるという無一郎に、ゆき乃は悩んだ末に、急ではあったが翌日に有給休暇を取ることにした。

服は買えば済む話だが、無一郎を一人で外出させる事に不安を覚えたのだ。

連絡手段さえつかないのだ、無理もない。

外で何かを買うときは?もし電車に乗りたいと思ったら?変な人に声を掛けられたら?

ゆき乃の不安は尽きない。



「どうしてゆき乃は恋人と別れたの?」



おやすみ、と言ってゆき乃がベッドに入って暫くした後、床に敷いた布団で寝ているはずの無一郎が突然声を掛けた。

昼夜反対の生活をしていたから眠りも浅いと無一郎から聞いていたゆき乃だったが、元カレの話を振られるとは思ってもおらず、思わず変な声が出た。

少し身体を起こして無一郎を見ると、彼は目を開いたまま天井を仰いでいた。

どうしてそんな事を聞くのだろうとは思ったが、中学生といえばそういうお年頃。きっと無一郎も興味があるのだろうと深く考えずにゆき乃は答えた。



「浮気、分かる?私という女がいながら、別の女と付き合ってたの。サイテーでしょ!だから別れたの」

「ふうん」

「え?!興味あるから聞いたんじゃないの?」

「興味っていうか…そういうの、よく分からないけど。でも少し聞いてみたいと思っただけ」

「そっか、むいくんも男の子だもんね!」

「……何それ」

「あは、気づいちゃった?可愛いでしょ、むいくんって!私気に入ってるの!」

「僕は気に入ってないけど」



天井を見ていた無一郎の視線が動いて、ゆき乃の方を向く。

やっと目が合った、と笑ったゆき乃に、無一郎は「ずっと見てたの気づいてた」と小さく答えた。



「ねぇ、むいくん」

「……何?」

「大丈夫?寂しくない?……元の世界に、早く戻りたいよね」

「こうしてる間に鬼の被害が増えていくと思うと、早く戻って僕の使命を果たさなければと思う。ただ……寂しくはない。ゆき乃がいるから」

「え?」

「だって、いつも喋っててうるさいんだもん」



無一郎は、驚きながら笑うゆき乃を見て自然と笑みを零していた。

そして、彼はそんな自分にもまた驚いていた。

元々笑う事も多くはなかったが、この世界に来てから気を張る事が少なくなったからなのか、命の危機が薄まったからなのか、無一郎の表情が少しずつ変化していたのだ。



"むいくん"

微睡みの中、そう呼ばれた事が前にもあったような気がしたが、無一郎は重たくなった瞼をそのまま閉じて眠りについた。

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