06.高鳴る音は恋
「隊服じゃダメなの?」
「ダメ!目立ち過ぎちゃうもん」
「でもなんかこれ、変じゃない?」
「ちょっと女っぽいけど大丈夫!男物の服買うまで我慢してぇ!」
部屋着はゆき乃の大きめのシャツで何とかなっていたが、外に出るとなればクタクタのシャツという訳にもいかず、仕方なくゆき乃の持っている服の中で一番シンプルなパンツスタイルの服を無一郎に着せた。
髪の毛が長いし綺麗な顔をしているので、違和感がない。
むしろゆき乃よりも似合ってて彼女は複雑ではあったが、自分の身なりを整えると、未だに不服そうな顔をしている無一郎の手を引いて街へと繰り出した。
手を引いている事に無一郎は何も言わなかったが、ゆき乃は触れた無一郎の手が思ったよりも肉厚だった事に驚いた。
触れる硬いマメは、きっと刀を持って戦っていたからだろう。
その手に力を込めると、隣を歩く無一郎の視線が飛んできて「なに?」と聞いてくる。
高鳴る鼓動を誤魔化しながら、「何でもなーい!」と繋いでいる手を揺らしながら歩いた。
「なんか、人多くない?」
「朝の通勤の時はもっと密着してるよ!マシな方だよこれは」
電車に乗り込んだ無一郎とゆき乃は、程よく混雑した電車に揺られながら目的地へと向かった。
列車と言うものは知っているが、速さも形も全然違うと無一郎が教えてくれた。
二人で立って揺られていると、不意に無一郎の顔が歪んだ。
どうしたの、と小声で聞こうとしたゆき乃だったが、それよりも早く、「痛ッ!」という呻き声が近くで聞こえ、近くで無一郎に手首を捕まれている男が血相を変えて怯えていた。
何が起こったのか分かっていないゆき乃を余所に、無一郎からは普段とは違う低い声がその男へと向けられる。
「お前、死にたいの?殺そうか?」
その男の悲鳴と共にドアが開き、男は逃げるようにホームへと出ていった。
無一郎が掴んでいた手首は、長く掴んでいた訳ではないのに赤くなっていた。
彼の発言に驚いて固まっているゆき乃の手を掴むと、近くの壁際にその身体を押しやると、両腕でゆき乃の身体を挟むように目の前に立った。
「む、むいくん?」
「あの男、ゆき乃の身体に触ってた」
「え?!そうなの?」
「まさか気づいてなかったの?!信じられない。もしかして毎日仕事に行く時も気づいてないだけで触られてるんじゃない?ゆき乃は触られても平気なの?」
「平気なわけないよ!だって今までそんな事なかったんだもん」
「ハァ…有り得ないんだけど」
満員電車に慣れているゆき乃にとっては、多少手が触れたくらいでは何ともなかった。
確かにいい気はしないけど、それをいちいち痴漢だの何だの言っていたらキリがない。
それを、無一郎は守ってくれたんだ。
人が入ってきて正面から密着する無一郎の髪が肩に当たり、背丈が変わらない所為で、無一郎の吐息が凄く近くに感じ、ゆき乃の身体は熱くなっていく。
「むいくん、ちょっと近…」
「さっきの男はもっと近かったけど。それともあの男は良くて俺はダメなわけ?」
「そういう意味じゃなくって…」
「……もっと自覚しなよ」
最後の言葉は吐息混じりで凄く小さかったけど、距離が近かったからかゆき乃の耳には届いていた。
◇
メンズショップで服を買い、タグを切ってもらってそのまま店を出た二人。
無一郎は長い髪を結い、キャップを被っていたが、男女関係なくすれ違う人が振り返る程に、可愛らしくカッコ良かった。
ただ、隣を歩くゆき乃の気持ちは複雑だった。
こうして隣を歩いてるけど、傍から見たら弟を連れてるだけの姉にしか見えないのだろうと、ヒソヒソと聞こえてくる声に心が沈んでいく。
自分でも分かっているからこそ、他人に指摘されると余計に傷つくのだ。
無意識に溜め息が漏れ、帰ろうかと無一郎に伝えると、ゆき乃の言葉を聞いていたのかどうかは分からないが、無一郎からは全く違う答えが返ってきた。
「でぇと、って何?」
「え?!デート?」
「うん、さっきから耳に入るけど意味が分からないなと思って。店の人も言ってたし。何なの、それ」
「えっと……恋人が買い物したり、遊びに行ったりすることかなぁ。恋人じゃなくても、好きな人をデートに誘ったりして相手を知ろうとするの。二人で楽しめたら何でもデートなのよ!…まぁ私とむいくんは、周りから見たら姉弟にしか見えないからそんな勘違いはされないだろうけど」
答えていて虚しくなったゆき乃の声は自然と小さくなり、俯いてしまう。
ゆき乃は自分の気持ちがハッキリしてる訳ではないが、少なくとも無一郎の事を気にして意識しているのは明白だった。
だがそこには越えられない壁がある。
年齢もそうだが、そもそも無一郎はこの世界の人ではないのだ。好きになったところで仕方がない。
そんな考えが巡り落ち込んでいたゆき乃だったが、突然頬を手で捕まれ顔を持ち上げられた。
頬も唇も、タコのように変な形になっている。
無一郎が手でゆき乃の両頬を摘みながら「なんで?」と不服そうな声を出した。
「なんでゆき乃が僕の姉なの?違うでしょ」
「ちがふけど…そうみへるの!」
「何言ってるか分からない」
「むひくん、はなひて」
「フッ……変な顔」
そう言って笑った無一郎は頬から手を離し、その手で今度はゆき乃の手を握った。
驚くゆき乃を余所に、「こうすればいいんでしょ」と平然とした顔で歩き出した。
「勝手に落ち込んだりしないでくれる?出かけるの楽しみにしてたくせに。ゆき乃が笑ってないと意味ないんだけど」
「むいくん…」
「いつもみたいに隣で、うるさいくらいに喋ってなよ」
熱くなるゆき乃の手を、無一郎が更に握る。
すれ違う人が何を言っているのかなんて、もうゆき乃の耳には届かなかった。
心臓の音が耳で鳴っているみたいに、全身が熱くなる。もう目の前の無一郎しか、目に入らなかった。
あぁ…彼が好きだ、とゆき乃の心に無一郎への想いが芽生えたのだった。